第35話「ちょっと待ってよ、ドンパ君!」
私の『大好きの君』が、西大陸のペルガミーノ王国に……?
「まったくもう……扉ぐらい閉めていけっつの」
開けっぱなしだった扉を閉めに行って、テーブル席に戻ってきたワヤちゃんは、私に「ドンパの意見、どう思う?」と尋ねてきました。
私は「確かに……」と呟くように返事をしてから、少し自分の考えを整理してみることにしました。
プリンを食べると何か思い出せるような気がして始めた『プリン療法』……
それを続けているうちに、おぼろげながらも存在が明らかとなった『大好きの君』。
顔も名前も思い出せないのに、私がその人のことを大好きであることだけは火を見るよりも明らかで……私の大好きな人なのです。
私が黄色のバラを贈った人、私に赤色が美しい髪飾りを選んでくれた人。
物語に目がなくて、小説の話になるといつまでも話し続けてしまう人。
私の記憶が西大陸に集中しているのも、きっと『大好きの君』が西大陸の人だからなのでしょう。
お名前も、これは私の予想ですが、きっと「ト音記号」という意味の名前かもしれません。
私の歌を聴くための特等席がある常連さんだったのなら、私にとってとても身近な存在だったはずです。
しかし……
ひとつひとつの想い出は断片的にでも思い出せるのに、その想い出自体がひどく少ないのは、いったいなぜなのでしょう。
私はテーブルの向かいに座っているワヤちゃんに向かって、ゆっくりと自分の意見を口に出しました。
「……もしも『大好きの君』がペルガミーノ王国にいるのなら、きっと私はそこではない違う国で歌を歌っていたのだと思う。私と『大好きの君』はそれほど近くにいたわけじゃないのかもしれないわ」
だから……と続けようとしたのですが、ワヤちゃんは「なるほど」と何度も頷いて、
「普段は遠くにいて会えないから、お互いの気持ちが大きく膨らんでいったのね! なんてステキなの!」
と、まるで太陽のように顔を輝かせたのでした。
……そんなワヤちゃんの想像以上の喜びように、私はもう何も言えなくなってしまいました。
私と『大好きの君』は、実は数日しか会ったことがなくて、向こうは私のことなんて忘れてしまっているかもしれない。
と、いうことを……
★彡☆彡★彡
北国ノルテ王国を、短い夏が駆け抜けていきます。
その夏の間に、ドンパ君は国府から「大陸間操船許可」をもらったのです。
これで西大陸のレーカーの港まで自分の船で向かうことができるようになったわけですが、まさか国から直接許可をもらうなんて仕組みがあったとは、驚きです。
そんな仕組みの話に私はもちろん、ワヤちゃんまで驚いていたのには少し笑ってしまいました。
そこから数日後。
なんとドンパ君が西大陸へ向けて出港する日が来てしまいました。
もう何日かは準備にかかるかもしれないと言われたのが2日前ぐらいだったのに……
月日が経つのは早いものです。
そんなドンパ君を見送るために、私とワヤちゃんはノルテ王国南西部にある港町イトマーコマまで足を運んだのでした。
イトマーコマの港は人工的に作られた港なので、防波堤をはじめとして自然由来のものは多くありません。
それでも、完成したての港町だけあって設備は新しく、珍しい物好きの人たちもたくさん集まっているようでした。
「……それにしても、さっきはびっくりしたわねぇ」
道端に並ぶ露店を冷かしながら、ワヤちゃんがぽつりと呟きました。
波止場へ向かう道すがら、潮風を浴びて先を歩いていた私は、その声に足を止めて大きく頷きました。
実は先ほど、ぶらりと立ち寄ったお土産屋さんで、私の歌を聴きに小料理屋『なんもなんも』に通っているという人に出会い、握手を求められたのです。
「あの人、普段は家事に追われている主婦って感じの人だったけど……ジュスティーヌがちゃんとステージから見たことのある人だってわかってたのが驚きだったわ」
「普段から、客席はよく見るようにしているから……あの人は、いつもいちばん奥の丸テーブルで飲み物を両手で包むように持ちながら静かに聴いてくださっている方よ」
「はあー、ほんとによく見てるのねぇ」
そんな話をしながら歩いていると、とてもよく見知った人影が「おーい」とお土産屋さんの中から飛び出してきました。
そうです、ドンパ君です。
ドンパ君は私とワヤちゃんのところへウキウキと駆け寄ってきました。
どうやら、先ほどの一部始終を見ていたようです。
「ジュスティーヌさん、すっかり有名人っすね! もう、この国中の人に知られてるんじゃないっすか? それぐらい、すごい歌声ってことっすよ!」
「え……ええっ!? そ、そんな、ドンパ君。いくらなんでも、国中は言い過ぎじゃない? は、恥ずかしいなぁ」
手放しに褒められて、良い気がしないといえばウソになりますが……
さすがに「国中」なんて規模まで大きくされると、なんだか身体中がムズムズしてきて困ってしまいます。
それでもドンパ君は、まるで自分のことのように嬉しそうに笑っているのでした。
「いやいや、ジュスティーヌさん。最近は、けっこう遠くの配達先でもジュスティーヌさんの歌を歌っている人がいたりしますよ」
「へ、へぇ……」
相槌を打ちながら、ドンパ君の喋り方に既視感を覚えました。
弟子は、喋り方まで師匠に似るものなのでしょうか。
そんなことを考えている間にも、ドンパ君は喋り続けています。
「この先、ジュスティーヌさんのことを知らない人がいたとしたら、きっとそっちが少数派っす」
「そ、そう……?」
「そうっす! 絶対そうっす!」
ドンパ君は、ひどく真剣な顔で頷いています。
「だから、おれ決めたっす。ジュスティーヌさんの歌を西大陸で宣伝してくるって。そうすれば、いつかきっと『大好きの君』に気づいてもらえると思うんす!」
そう言ったドンパ君は「ね?」と、自分の決めたこの先の未来に満面の笑みを浮かべています。
西大陸へ向かい、そこにいるかもしれない『大好きの君』と連絡を取る……そんな雲をつかむような話に、それでもワヤちゃんは「その手があったか!」と感心して手を打ちました。
「なかなかやるじゃないのよ、ドンパ。西大陸に行って『大好きの君』を探し回るんじゃなくて、こっちからジュスティーヌの歌の宣伝をしちゃうなんて……! 良い作戦だわ」
「もちろん、宣伝するだけじゃないっすよ。それっぽいバーとか見つけて、情報収集もしてくるつもりっす。なんかわかったら、すぐに手紙で知らせるんで、待っててくださいね!」
ドンパ君は、こちらが驚くほど眩しい笑顔です。
けれども私は、そんなに人に甘えてしまえるほど子どもではないのです。
「ちょっと待ってよ、ドンパ君! せっかく西大陸へ行くのに私のことばっかりで、ドンパ君の自由時間がないじゃない! 私のことは……」
気にしないで、と言いかけたのですが、ドンパ君は「ジュスティーヌさん」と急に真剣な表情になって、じっと私を見つめました。
「これは、おれがやりたくてやってることっす。だから、ジュスティーヌさんが気にすることなんて、何もないっすよ。心配ご無用……っす!」
ドンパ君は「任せてください」とばかりに拳を握ると、ばーんと胸を叩きました。
なんだか少し芝居がかった言動ですが、私はやっぱりドンパ君が優しすぎて途惑うばかりでした。
けれども、心の片隅では嬉しくも思っていたのです。
ドンパ君は、記憶を失って何をどうすることもできない私に、数え切れないほど何度も手を差し伸べてくれました。
そして、今このときでさえも……
つづく




