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歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第11章「歌姫の3年間」
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第33話「何が違うっていうの!?」

 私は、ひどく元気のない顔をしていたと思います。

 それでもナンモさんは、私の様子を気にすることなく、ぽつりと呟いたのです。


「……わたし、お嬢様時代に何でも挑戦させてもらえていたおかげで、実はピアノも弾けたりするのよねー……」

「え、そうなんですか!?」


 私が目を丸くしていると、同じく舞台袖で待機していたワヤちゃんが私以上に「えー!」と驚いて、


「ナンモさん、それ初耳! なんで今まで教えてくれなかったの!?」


 と、尋ねました。

 すると、ナンモさんは決まり悪そうにポリポリと頬を掻いて、


「いやー、あえて言うことでもないかなって思ってたのよ……だって、そんなに上手じゃないし?」

「いやいや! 上手じゃなくたって、ピアノが弾けるってすごいことですよ!」

「ジュスティーヌの言う通り! あたしなんて手拍子すらまともにできないのに……って、あたしの話はいい! ナンモさんはやっぱりすごいわ!」


 私とワヤちゃんが囃し立てると、最初は照れくさそうにしていたナンモさんも、気を良くしたのか『いつでも歌が』の楽譜をパシパシと叩いて、


「この旋律の下に書いてあるのって、ピアノ譜でしょう? ちょっと見てみたんだけど……これくらいなら、もう何十年もピアノに触ってないわたしでも、練習すればなんとか形にはなるかもしれないのよねー……」


 そう言って「どう?」と私の顔を覗き込みました。

 けれどもすぐに、ナンモさんは「よし! 決まりね!」と満面の笑みを浮かべたのです。

 ……どうやら私は、自分でも気がつかないうちに表情を明るくしていたようです。


 ナンモさんの「次のステージに間に合うように、ピアノ伴奏の練習しておくからね!」との力強い一言に、私は力強く頷いていたのでした。

 ああ、なんてステキなんでしょう!

 私の脳裏には、さっそくステージの端に置かれたアップライトピアノを弾くナンモさんのイメージが浮かんでいました。

 それは、今日のステージよりも断然、華やかで品のあるものでした。


「ナンモさん! ありがとうございます! とっても嬉しいです!」


 私はナンモさんの手を取り、深々と頭を下げました。

 実は、このありがたい申し出を表情ひとつで即決したのには、大きな理由があるのです。

 というのも……

 この『いつでも歌が』は、本来であればピアノ伴奏による前奏・間奏・後奏がついている曲だから、なのです。


 私の頭の中では、この曲を思い出したときから前奏・間奏・後奏のすべてが流れているわけですが、それをお客様の前で歌うわけにもいかず、かといって黙ったままというのもおかしいので困っていたのです(ちなみに今回はすべてカットして歌ったわけですが、なんだか早足になってしまった気がします)。

 そんな私と『いつでも歌が』の事情を知ってか知らずか、ナンモさんは胸を張って、


「任せといて! しっかり練習して、ジュスティーヌの素晴らしい歌を盛り上げてあげるから!」


 そう言って、足取りも軽く自分の部屋へと戻っていったのでした。

 その背中を見送って、私もステージ裏から自分の部屋へと帰ることにしました。


 ステージからは、まだ鳴りやまない歓声が聞こえています。

 本来ならば、私がもう一度ステージに戻るべきところですが……

 今は、すぐにでも休みたい気持ちでいっぱいでした。

 なので、付き添ってくれていたワヤちゃんに頼んで、お客様に「持ち歌は1曲なので、今日はもう終演です」と伝えてもらいました。


 客席からは残念そうな声が漏れ聞こえてきましたが、それもだんだんと拍手になり、やがて雑談のようなざわめきへと変わっていきました。

 時計を確認すると、ちょうどお昼を過ぎたところです。

 きっと、ナンモさんの美味しい料理を食べて帰ることにしているお客様が多いのでしょう。

 ナンモさんも、それを見越して自室に引き上げ、これから料理の支度をするようです。


 あのお客様の数、ワヤちゃんひとりで大丈夫かな……

 稼ぎ時のお店を手伝えないのは心苦しいですが、私は自分の部屋へと向かって歩き出しました。


 ステージ裏の通路は、この店で暮らす3人の自室に繋がっています。

 私の部屋は、廊下の突き当たり。

 そこまで、黙々と歩いていきます。


 ……それまでの出来事が、頭の中を駆け巡っていきました。

 ステージで歌を歌う私、店内でその歌を聴いてくださるお客様、そして次回のステージからピアノ伴奏をしてくれるというナンモさん……


 ああ、素晴らしい。

 次回のステージがあることだけでもありがたいのに、そこにピアノ伴奏がつくなんて。

 自分の記憶を呼び覚ますには、ぴったりな気がしてきます。

 でも……


 自室の前にたどり着いた私は、扉に手に掛けようとして、その手を力なくおろしてしまいました。

 ああ、いい加減にしてほしい。


 違う違う違う違う……


 頭の中で絶えず鳴り響く「違う」の声……

 あまりの煩わしさに、私は思わず、


「何が違うっていうの!?」


 と、声に出して叫んでいました。

 店内は騒がしく、近くにだれもいなかったのが幸いです。


 切羽詰まった甲高い声が、目の前の扉に当たって跳ね返り、私の頬をかすめて飛んでいきました。

 声に実体があったなら、間違いなく頬から出血していたことでしょう。

 いや……耳のほう、だったかもしれません。

 そのとき、確かに聞こえたのです。


 足りないのっ!!


 そう叫ぶ、私の声が。

 それはつまり……


 何かが足りないから、違う。


 そういうことなのでしょう。

 でも……

 そうすると、いったい何が足りないというのでしょうか。


「……」


 考え込んでいると、不意に目の前がぼやけました。

 鼻がツンと痛くなって、気がつけば涙が頬を伝ってポツ、ポツと廊下に零れていきます。

 自分の中では、冷静さを保っていると思っていたのですが……

 感情的に叫んでしまったところから、もう何かが壊れていたのかもしれません。

 嗚咽を必死に堪えていると、頭の中で私の声が再生されました。


 ……あの人が、いないから。


 そこで、ようやく気がついたのです。

 ああ、そうか……

 足りないっていうのは、あの人のことなんだ、と。


 大好きなあの人がいない。

 会いたい……

 だれよりも大好きな、あなたに。

 そして、あなたのために歌を歌いたい。

 大好きなあなたのために……!


 そんな、夢と理想を並べる声の中に、現実を見る私の声が混ざって聞こえてきます。


 でも……わかっている。

 そんなのは、ただのワガママだってことくらい。

 ちゃんと、わかっている。


 私は短く息を吐くと、溢れ出る涙を手の甲で拭いました。

 みっともないとは思いましたが、近くにだれもいないのをいいことに、大音量で鼻をすすり上げます。


 仕方のないことだってわかっているからこそ、今はこのままでいい。

 ここで歌い続けていれば、そのうち会えるような気がする。

 大好きなあの人が、私の歌を聴くためにノルテ王国へ、南東部へ、小料理屋『なんもなんも』へやってくる……


 決して、ありえないことじゃない。

 だから……それまで歌い続けよう。

 そうすれば、私ももっと上手に歌えるようになっているはず。

 大好きなあの人のためになら、もっと上手に歌いたいもの。


 待っていて、私の大好きな人。

 私があなたを見つけるか、あなたが私を見つけるか……

 どちらが先になるかはわからない。

 でも、もしもあなたに会えたなら……

 私は必ず、あなたのために歌を歌います。

 そして必ず、あなたのことを思い出してみせます。

 絶対です……約束します。


 私は、もう一度大きく深呼吸してから、扉の取っ手に手をかけました。

 扉を勢いよく押し開けます。

 いずれ訪れるに違いない、再会の日を夢見て。



つづく

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