第32話「もしかして……だれか探しているの?」
ワヤちゃんはあまりのことに開いた口が塞がらず、さきほどテーブル席を一通り見て回ってきていました。
きっと歌姫の噂を聞きつけて遠方から来てくれた人たちに違いない……!
そんなことを呟きながら意気揚々とステージ裏から出て行ったワヤちゃんだったのですが、帰ってきたときには顔に「当てが外れた! 最悪!」と書いてありました。
それもそのはず……小料理屋『なんもなんも』に詰めかけてくれたお客さんのほとんどが「おじさんの知り合い」だったのですから。
おそらく、シタッケさんが勤めている配送会社の人たちや、配達先の常連さんたちなのでしょう。
シタッケさんのことです、私が歌うことになるきっかけをくれたという『いつでも歌が』を口ずさんでいた方にも声掛けしているはず……
いろいろと段取りしてくれたシタッケさんには、あとでよーくよーくお礼を言っておかなければ。
「……」
私が登場した途端、テーブル席が水を打ったように静まり返りました。
ステージから一通り客席を見回してみると、カウンター席にウルカス先生がいらっしゃるのが見えます。
白衣を着ているので、休憩時間に見に来てくれたところのようです。
……なんだか、落ち着いてきました。
深々とお辞儀すると、大きな拍手が音の洪水となって頭上に降り注ぎます。
私が顔を上げても拍手は続いていましたが、それも波が引くように小さくなっていき……
やがて、ステージは静寂に包まれました。
私は背筋を伸ばして歌う姿勢をとると、一番近くの上座、特等席に座るシタッケさんに微笑んでから、歌い始めました。
★彡☆彡★彡
叶わない夢は消えた
夜が来ても
目を閉じても
願いは見えない
いくら夢を追おうとも
叶いはしない世界でも
いつか叶うと信じて
歌を歌い続けよう
やまない雨はない
明けない夜はない
歌はここで響いてる
いつでも歌が
そばにいる
会いたい人は消えた
春が来ても
冬が去っても
願いは届かない
いくら愛を叫んでも
聞こえはしない世界でも
いつか会えると信じて
わたしはここにいるだろう
やまない雨はない
明けない夜はない
わたしはここに、ここにいる
いつでもわたしが
そばにいる
いつでも歌が いつでもわたしが そばにいる
★彡☆彡★彡
「……」
最後の一節まで無事に歌い終えると、店内は時が止まったかのような静寂に包まれました。
物音ひとつしない中、余韻に浸って閉じていた目を開けたとき……
ふと、不思議な光景が目の前に現れたのです。
満天の星空が広がっています。
ここは、どこかの公園……?
遠くに見えるのは、おそらく大きな噴水でしょう。
私が立っていたステージは、いつの間にか柔らかな草の生い茂る草原になっています。
そして、お客様らしき人たちが座っていて、私の歌に耳を傾けているようでした。
しんと静まった中で、広がる星空……
夜中過ぎの光景でしょう。
てっきり私が立っている場所も草原の一部だと思っていたのですが、そこはなんと地面から少し高くなっただけのベンチのような場所でした。
これは、私の記憶……?
私は、真夜中に野外で歌を披露していたのでしょうか。
それに、ステージに立っているのは私ひとりではないようです。
振り向いて確認しようとしたのですが……
そのとき、目の前で大歓声が巻き起こり、私の意識は小料理屋『なんもなんも』の店内へと連れ戻されてしまったのでした。
客席では、このお店の常連さんはもちろんのこと、シタッケさんが連れてきた初めてのお客さんまでもが、私に向かって大きく拍手をしています。
そして最前列のシタッケさんはというと、椅子から立ち上がって、割れるのではないかと思うほど大音量で手を叩いているのでした。
その地鳴りのような拍手と歓声を、私は明らかに「懐かしい」と感じていました。
ああ、懐かしい。
この風景、この胸の高鳴り……
思い出せる、今なら何か思い出せ……
違う。
そのとき……
私の思考を遮るように、頭の中で声が響きました。
違う。
もちろんそれは、自分の声です。
もうひとりの私が、違う違うと何か訴えるように叫んでいるのです。
違う……?
何が違うの?
もしかして……だれか探しているの?
その人がいないから「違う」の……?
ああ、なんだかとてもモヤモヤしてきます。
せっかく懐かしくて、何か思い出せそうだったというのに……
「……ジュスティーヌ……!」
そのとき、ワヤちゃんの声が聞こえてきて、私は我に返りました。
ふと見れば、ワヤちゃんが舞台袖で何か言いたそうにこちらを見つめています。
正面を向くように、と言っているような気がしますが……
ああ! そうでした!
店内に響き渡るこの大歓声、私が何か言わないと収まらないようで、もう長い間続いていたのでした!
大変です、早く「もうお気持ちは十分に受け取りましたので」とお伝えしなければ。
「あ、あの……!」
ステージで私が発した声はとても小さなものだったはずですが、拍手と歓声はすぐに収まって、店内には静寂が戻りました。
おそらく、私をじーっと見つめていたシタッケさんが、何やら合図を出してくれたに違いありません。
さて……
これから、何を話せばいいのか……
私は必死に記憶を手繰り寄せてみましたが、歌い終わった後のことは、よくわかりませんでした。
よくわからない、ということは……
もともと、私はステージでは歌を歌うだけの人間で、その後に何かお喋りのようなことはしていなかったのかもしれません。
それでも……
私は胸に手を当てて、大きく深呼吸しました。
ここで私の歌を聴いてくれたお客様へ、伝えなければならないことがあります。
気持ちを落ち着かせた私は、客席へ向かって口を開きました。
「皆さん……本日は、私の歌のためにお集りくださり、ありがとうございました」
深々と頭を下げる間にも、静寂は続いています。
……どれくらい、そうしていたでしょう。
しばらくすると、どこからともなくパラパラと拍手が聞こえ始め、またしても店内は拍手の渦に飲み込まれていったのです。
それはまるで、お店が壊れるのではと思うほどの歓声で……
私は、自分の心が温かくなるのを感じていました。
ああ、なんて素晴らしい光景なのでしょう。
嬉しくて、心がはちきれそう……
違う。
……またしても、あの違和感が私を襲います。
温かくなっていた心は、冷水をかけられたように縮こまってしまいました。
拍手が大きくなるにつれ、私の中の違和感も大きくなっていきます。
違う違う違う……!
このままでは立っていることもできなくなりそうで、私は必死に一礼すると、そのままステージ奥へと足早に引き上げました。
いったい、何が違うというのでしょう……
こんなに感動してもらえているのに、私自身とても嬉しいはずなのに……
ああ、考え続けても答えは出てきそうにありません。
とりあえず心を落ち着けることにして、私はステージ袖で大きく深呼吸を繰り返していました。
と、そこへ、
「お疲れ様、ジュスティーヌ。すっごく良かったよー」
カウンターにいたはずのナンモさんがすでに楽屋にいて、手にしていた『いつでも歌が』の楽譜から顔を上げました。
そして、満面の笑みで私の頭を「よしよし」と撫でてくれたのでした。
夜会巻きは崩れることなく、ナンモさんに撫でられるままになっています。
緊張していたと思われているのでしょうか。
それとも……
どちらにしても、私は酷い顔をしていたようです。
ナンモさんに「ありがとうございます」と微笑んでみせると、ナンモさんもニコニコと頷いてくれました。
こんな短い時間でも少し心配させてしまって、心苦しい限りです。
つづく




