第31話「といっても19歳ですが」
不思議な男の人の声が聞こえたこと、赤い宝石の髪飾りを指さしていたこと、こっちのほうが似合うと言われたこと……
それらを説明し終えると、ワヤちゃんは目を見開いて、
「そんなことが、こんな短い時間に!?」
と叫びました。
驚愕しているようですが……なんだか、嬉しそうです。
見守っていると、ワヤちゃんは「きゃー!」と声を上げて早口に喋り始めました。
「きっと、こういうことが前にもあったのよ! 楽屋に来てまで似合うものを選んであげるなんて……! そんなことするの、もう絶対絶対ぜーったい『大好きの君』だよね!?」
「え、そ、そうか」
「うん! 間違いないっ!」
「……」
ワヤちゃんの、このはしゃぎよう……
相槌を遮られた私は、もう声もかけられませんでした。
それでもワヤちゃんは、立て板に水といったように話し続けています。
「はあぁ~なんてステキなの! 髪飾りを選んであげるなんて、やっぱり特別な関係だったのよね! よし! それじゃあ次は、ドレス選びよ! ここでも似合うものを選んでくれないかしら! 出てきて『大好きの君』―!」
ワヤちゃんは弾む足取りで、部屋の右手にある備え付けのクローゼットへと歩いていきました。
その後ろ姿を何気なく見ていた私は、手元の髪飾りに視線を落としました。
……自分のことを思い出しかけたというのに、ワヤちゃんのようには喜べないのです。
だって、わかってしまったんだもの。
あの人……『大好きの君』が言った「これ」は、この髪飾りじゃない。
昔、あの人が私に選んでくれた髪飾りは……
確か……
「……」
考え込むうちに、私の頭の中でひとつの像が結ばれました。
それは、髪飾りのようです。
赤いバラの……
黒い、レースが……
私の大切な……
あと少しで何か見えそうだったものの、頭の中の像は霧散して消えてしまいました。
……残念ながら、思い出せるのはここまでのようです。
ほんの一瞬ではありますが、赤いバラの形の髪飾りが煌めいたのが見えたので、どうやらそれこそが『大好きの君』の指さした「これ」のようです。
赤いバラの髪飾り……
私と親しい間柄だった『大好きの君』が選んでくれた髪飾りを身に着け、ステージに立っていた私……
流行歌『いつでも歌が』は、きっと私の『大好きの君』に向かって歌っていた歌なのでしょう。
それほど親しい仲だったということ、なのかもしれません。
しかし……
それならどうして、私は歌を歌っていたときのことを、これ以上思い出せないのでしょうか。
ただ単にまだ思い出せないだけなのか、それとも何か理由があるのか……
残念ながら、こちらもこれ以上考えたところで答えが出る問題ではありません。
時が解決してくれるのを待つしかなさそうです。
また何か思い出せたら……
もう二度と、忘れないようにするのに……
そんなことを考えながら、私はクローゼットの中を引っかき回すワヤちゃんのもとへと駆け寄っていったのでした。
★彡☆彡★彡
春先に、偶然『いつでも歌が』を口ずさみ、シタッケさんたちから絶賛された私は、あれからステージでのお披露目を目指して歌の練習を続けました。
そうして数ヶ月の月日が流れ、季節も移ろっていきました。
春先の暖かくなり始めた空気は、いつの間にか日差しの眩しい暑い夏の熱気へと変わっていきました。
そして、こちらの夏は日中いくら暑かろうとも、日が沈めば涼しくなるのが特徴のようです。
ひんやりとした空気の中での練習も、心が弾みます。
ステージに立ち、歌を口ずさむ日々を繰り返している間にも、断片的にではありますが、いろいろなことを思い出してきました。
やはり私は、ここに似たようなステージで歌を歌っていたようなのです。
ときおり、その残像が見えることがあります。
ピアノの伴奏に合わせて、歌を披露する私……
そこは、夜遅くのステージ……
ランプの灯りが照らす中、私は高らかに歌い上げているのです。
バーカウンターには、幻覚とは思えないほどはっきりと、一輪挿しの黄色のバラが見えます。
そして、その黄色のバラを見つめる黒い影がひとつ……
ウイスキーグラスを包む大きな手は、あの日、髪飾りを指さした手と同じに見えます。
残念ながら、その人の顔ははっきりとは見えません。
そこだけ、ぼんやりと影のかかった状態なのです。
いつか、思い出せる日はくるのでしょうか……
こんなにも大事な人なのに、はっきり思い出せないのはなぜなのか……
私の『大好きの君』とは、いったい何者なのでしょう。
……気になることばかりなのに、何もはっきりしないというのは、非常に歯痒いものです。
私は、薄暗い楽屋裏で小さくため息をつき、閉じていた目を開けました。
するとそこへ、
「……ジュスティーヌ、そろそろ本番だけど、準備はいい?」
ちょうどよくワヤちゃんの声が聞こえてきました。
楽屋裏へと現れたワヤちゃんは、大きな全身鏡を抱えています。
……そうです、今日はついに、ステージで『いつでも歌が』を披露する本番当日なのです。
少しドキドキしていたものの、ワヤちゃんが緊張を和らげるように身振りで口角を上げるよう伝えてきたので、少し落ち着いてきました。
ワヤちゃんは全身鏡を私の前に置いて、角度を調整してくれています。
「ここじゃちょっと暗くて見えないかもしれないけど……うん、やっぱり赤のドレスって目立つわぁ。キレイだし、とても似合ってる!」
相変わらず、ワヤちゃんは褒め上手です。
私はお礼を言ってから、鏡を覗き込んでみました。
艶やかな、それでいて落ち着いた色の赤を身にまとった女の子(といっても19歳ですが)が、不安を顔に張り付けて佇んでいます。
決して絶世の美女ではありませんし、ましてや人々を感動させる歌声の持ち主には到底見えません。
どこにでもいるような女の子(といっても19歳ですが)が、これでもかと着飾って立っている……
そしてステージの前には、そんな女の子(といっても19歳ですが)の歌を、聴きに来てくれた人たちがいる……
私の歌を楽しみに待ってくれている人たちがいるのです。
「……行ってきます」
鏡の中の自分に挨拶して、隣に佇んでいたワヤちゃんに頷いてみせると、ワヤちゃんは小さく拳を握って頷き返してくれました。
私はひとり、ステージの上手袖へと向かいます。
今回のステージのために誂えた漆黒のハイヒールが時を刻むように床を鳴らす中、私はランプの灯りに照らされたステージへと登場したのでした。
★彡☆彡★彡
ノルテ王国では、古くから『娯楽は人生を堕落させる、贅沢は敵である』と教わるといいます。
これはワヤちゃんとドンパ君が教えてくれた、ノルテ王国東部に住む人々の国民性のようなものなのだそうです。
一年の半分以上が冬といわれるノルテ王国では、この教えはもう何百年も昔から変わらないことのひとつ。
生きるために精一杯のこの国では、いまだに人生を豊かにするようなものは受け入れがたい人々が多いのだとか。
それでワヤちゃんもドンパ君も、私が本の話をしたときに、自分たちとは縁遠いものだと口を揃えたというわけです。
と、そんな事情もありまして……
私のステージに集まってくれる人は、ほんのわずかだろうとワヤちゃんは考えていました。
『お客さん少なくてびっくりするかもしれないけど、そのほうが緊張しなくていいでしょう?』
なんて言葉もかけてもらったほどです。
しかし……その予想は、見事なまでに裏切られました。
小料理屋『なんもなんも』のテーブル席は、あっという間に満席になってしまったのです!
つづく




