第29話「これが『夜会巻き』ね」
おや、お喋りなワヤちゃんにしては珍しい……
そう思っていると、ワヤちゃんはふと「ステージでの髪型なんだけど」と口を開きました。
「いろいろ想像してみたんだけどね、あたしができる髪型でジュスティーヌに似合いそうなのがなかったのよねぇ……だから、いつも通りの三つ編みで歌ってもいいんじゃないかしらね」
『もしかして、今度のステージもその髪型で歌うのかしら?』
「……えっ!?」
それは突然、ワヤちゃんの声に重なるようにして、私の頭の中に響きました。
ワヤちゃんやナンモさんよりも年上らしい、落ち着いた感じの女の人の声です。
声だけだったので、どんな人なのかはわかりません。
ほんの少しだけ、濃い青色の髪の毛が見えたような気がしましたが、気のせいだったかもしれません。
……そして、気づいたときにはワヤちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んでいたのです。
「ジュスティーヌ……? 大丈夫……?」
「え……?」
「あれ、もしかして……覚えてない?」
「……?」
ぽかんとする私にワヤちゃんが説明してくれたところによると、なんと私はワヤちゃんに向かって
『先生! 何をおっしゃってるんですか! ちゃんといつもの夜会巻きで出ますよ!』
と、口走ったというのです。
「……」
なんということでしょう……
まったく記憶がありません。
先生……夜会巻き……
私が、先ほど聞こえてきた声に無意識に答えた言葉たち……
この流れから考えるに、先ほどの声の主が「先生」ということでしょうか。
先生……歌の「先生」でしょうか。
それでは、もうひとつの「夜会巻き」というのは……?
「ねえねえ、ジュスティーヌ」
黙々と考え込んでいると、ワヤちゃんが私の顔を覗き込んで、
「さっき何を言ったか覚えていないだろうけど……ジュスティーヌは『夜会巻き』って言ったのよね。ね、その『夜会巻き』ってなぁに? なんだか美味しそうな名前だけど、きっと髪型の名前なのよね? どんな髪型なの?」
興味津々のワヤちゃんに頷き、私は夜会巻きを口で説明しようとしました。
しかし、気づいたときにはもう、手櫛で髪をとかしていたのです。
ワヤちゃんが鏡越しに見守る中、私は無意識に髪の毛を1本にまとめ、それをねじって頭の上に持ち上げていました。
自分でも驚くほど滑らかな動き……
きっと、どこかのステージで歌うときの髪型だったのかもしれません。
私の記憶がなくても、私の手は習慣を忘れないようです。
「えっと……これが『夜会巻き』ね。髪をねじった後、大きな飾り櫛で落ちてこないように留めるの。こうすると、うなじがキレイに見えるから……きっと、気に入っていてステージに上がるときに使っていたのかなと」
「へぇ……なるほど、なるほど……」
鏡の中のワヤちゃんが、私の頭を隅々まで眺めまわして「ふむふむ」と満足そうに口角を上げています。
これは、おそらく……夜会巻きの私がステージに立って歌うところを想像しているのでしょう。
ワヤちゃんの頭の中では、私はステージ映えする衣装と髪型で観客を魅了しているようです。
って、自分で言ってて恥ずかしいではないですか!
ワヤちゃん、あまり私を美化しないでね……
「よし! いいこと思いついた!」
しばらくしてワヤちゃんは、パンッと手を打ちました。
「ジュスティーヌのステージでの髪型は、その『夜会巻き』で決まり! それじゃあ早速、ナンモさんの『髪飾りの引き出し』を物色しに行きましょう!」
ちょっとちょっとワヤちゃん、いくらナンモさんが良い人だからって、そんな盗み出すみたいな言い方……
と、私が口に出すよりも先にワヤちゃんは「大丈夫、大丈夫」と笑いました。
「あの部屋の出入りは自由だし、ナンモさんだっていつも『好きなの持ってっていいからね~』って言ってくれてるから!」
「そ、そうなの……?」
「うん! ナンモさんの物置部屋、いろいろ置いてあって楽しいのよねぇ。まぁ、あたしはツインテール用のリボンしか使ったことないんだけど……きっと、ジュスティーヌの言ってる大きな飾り櫛もいくつかあるに違いないわ! さ、早く行きましょう!」
ワヤちゃんは、すっかり私よりも私を着飾ることを楽しんでいるようです。
でも……あのナンモさんの部屋に入るのは、私もけっこう楽しみだったりするのでした。
★彡☆彡★彡
ノルテ王国は、大きく4つの地方に分けられます。
王都があり、観光地である北西部。
港町として賑わう南西部。
漁業の町、北東部。
そして、寂れた南東部。
今は寂れた浜辺しかない南東部で小料理屋『なんもなんも』を営むナンモさんですが、子どもの頃は北西部でも一、二を争う大富豪のお嬢様でした。
毎日両親の選んだ服を着て、学校へは使用人が送迎する生活。
これまた一流の家庭教師のおかげで、勉強では彼女の右に出る者はなし。
あれがやりたい、これが欲しい……そういった願いは瞬く間に叶えられ、ナンモさんは文字通り何不自由なく暮らしていました。
……しかし、何もかも思い通りになるナンモさんでも、両親から決して許してはもらえないことがありました。
それは、料理をすること……それだけは、いくらナンモさんが頼み込んでも、両親は彼女が台所へ入ることすら許してはくれなかったのです。
料理などという雑事は、すべて使用人の仕事である。
彼らの仕事を奪うことになるから、雇い主である我々がすべきことではない。
……そんなことばかり言って自分を嫌でも納得させようとする両親のことを、ナンモさんは何ひとつ理解できませんでした。
『わたしは、自分が作った料理で大切な人たちを笑顔にしたい。それができないなら……こんな家、出て行ってやる!』
そんな宣言とともに、ナンモさんは自らの家柄と過去をすべて捨て、家族との縁も切ってひとりで生きていくことを決意したのです。
けれども彼女は、決してひとりではありませんでした。
このとき、ナンモさんを影となり光となって支えてくれたのが、使用人として働いていたシタッケさんと弟のバクルさんだったそうです。
ふたりの協力のおかげで、ナンモさんは家を出てからたったの5年あまりで、寂れた南東部に自分の店、小料理屋『なんもなんも』を開店させることができたのでした。
……それから、20年あまりが経ちました。
その間にナンモさんは、お世話になったバクルさんと夫婦になりました。
バクルさんは猛吹雪で帰らぬ人となりましたが、それからすぐに家出娘のワヤちゃんが居候することになり……
そして現在、このノルテ王国に流れ着いた記憶喪失の娘、つまり私を迎えてナンモさんの波瀾万丈な人生は今に至るということのようです。
「……ナンモさんってば、家を飛び出してからは一度も帰ってないんだって。もうかれこれ30年になるんじゃないかな。ほんと、家出の先輩として畏れ多くて困っちゃう」
ステージ裏の廊下を並んで歩きながら、ナンモさんの過去を語り尽くしたワヤちゃんは小さくため息をつきました。
その横顔からも、ワヤちゃんがナンモさんのことを尊敬してやまない様子であることが伝わってきます。
それにしても、ナンモさんと一緒に暮らし始めてもうすぐ2年になりますが……
人づてとはいえ、ここまで詳しく生い立ちを聞いたのは初めてでした。
まさか、そんな波瀾万丈な人生を歩んできていたとは……
あの終始穏やかな笑顔からは、まったく想像できません。
人に歴史あり、とはまさにこのこと……
今は「歴史」を忘れてしまっている私も、いつか思い出すことができるのでしょうか。
自分の記憶という名の「歴史」を……
つづく




