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歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第11章「歌姫の3年間」
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第28話「この人のことが大好きです」

「というか、おじさんが断言したからってそれが本当のこととは限らないでしょうが! まったくもうドンパ! なんでノートにメモしてんのよ!」

「えええっ!? そこ、おれが怒られるとこなんすか!?」


 思いがけない叱責だったらしく、ドンパ君は目を丸くしています。

 と、そこへ、


「はいはい、あんたたち。いい加減にしなさいよー」


 夕方の仕込みが一段落したのか、ナンモさんがカウンターの奥から現れました。

 どうやら、ずっと台所で話を聞いていたようです。

 抑えた声なのに、重たくのしかかってくる威圧感のある声……

 ガヤガヤしていた店内は、一瞬にして水を打ったような静けさに包まれました。

 そして、ナンモさんは静かになった店内で私をじっと見つめると、


「さて……いろいろ話が出たみたいだけど、ジュスティーヌはどう思っているの?」


 そう尋ねてくれたのでした。

 ……そういえば、私はまだ何も発言してはいません。


「え、ええっと……」


 私は、もう一度楽譜を手に取ってみました。

 少し黄ばんではいるものの、手触りから上質な紙であることがわかります。

 なんだかぬくもりがあるような気がしてくるから、不思議なものです。

 だってそこにあるのは、上質な紙と何の変哲もないただのト音記号……

 それなのに、なぜか懐かしく思えてきます。


 ……お元気ですか。

 どこで、何をしていますか。

 ああ、あなたに会いたい。

 私の大好きな人……

 会いたい……

 気がつくと私は、自分の気持ちを口にしていました。


「この人、私の大好きな人です。名前はわからないし、私とはどんな関係かもわからないけれど……でも私、この人のことが大好きです」


 私は顔を上げ、テーブルを囲む4人を見回しました。

 しかし。


「……」


 だれも何も言わず、ぽかーんと私を見つめています。

 あれ……私、何か変なこと言いました……?


「あ、あのー……」


 困り果てていると、特にぽかーんとしていたシタッケさんが我に返ったように「はっ!」と叫んで、照れくさそうに視線を逸らしました。


「いやぁ……あんな慈しみに満ちた女神みたいな横顔見せられちゃなぁ……ジュスティーヌさんがこいつのことを心から慕っていて大好きなんだって、だれだってわかるよ……はぁ」

「いや、おじさんが寂しそうにするなっつの。まあ、あたしもあまりの神々しさに言葉が出なかったわけだけどねぇ。ね? ふたりもそうでしょう?」


 ワヤちゃんの問いかけに、ドンパ君とナンモさんが頷いています。

 えええ……私ってば、楽譜に向かっていったいどんな顔をしていたんでしょう。

 な、なんだか恥ずかしくなってきました……!


「あら、ジュスティーヌったら、ふふ、顔が赤くなってるわ」

「え、いや、あの、その、これは……!」


 ナンモさんにクスクスと笑われて、私は思わず手で顔を覆いました。


「きゃー! ジュスティーヌってば、かわいいっ!」

「だよなぁ! もう、ずーーーっと見てられるよな!」

「おじさんは黙ってて」

「なんでだよ」


 ワヤちゃんとシタッケさんのいつも通りのやり取りを聞いているうちに、恥ずかしかった気持ちも落ち着いてきたのでしょう。

 私は、いつの間にかクスクス笑って顔を上げていたのでした。



★彡☆彡★彡



 それから数日間、私はただぼんやりとステージに立つだけの日々を送りました。

 お昼ごはんを食べ終えた後の、ほんの短い時間です。

 それでも私にとっては、かなり大切な時間なのでした。

 実は、この方法を実践するよう教えてくれたのは、ウルカス先生です。


 何か思い出せそうになって、また倒れてしまっては困る。

 まずはステージに慣れることが大切だ、と……

 無理に思い出そうとしないで、自分がここで歌うことだけに集中する。

 そうすることで記憶が整理され、少しずつ何か見えてくるのではないか、とも教えてくれました。

 そして……ウルカス先生の言った通り、私は少しずつ自分のことを思い出していったのです。


 どうやら私は、皆さんが推理した通り、小料理屋『なんもなんも』と同じ構造の店内で歌い手としてステージに立っていたようです。

 その証拠に、時折『なんもなんも』にはないカウンター席の奥の酒棚が見えることもありました。

 私の元のステージは、酒場のようなところだったのでしょうか……

 そこまではわかりませんが、とりあえず『なんもなんも』のステージで歌を披露してみてはどうかという話があり、あれよあれよという間に私はお客様の前で歌うことになったのでした。


 本番は晩夏……今からちょうど2ヶ月後にしようと言ってくれたのはワヤちゃんでした。

 シタッケさんはすぐにでも歌ってほしそうでしたが、やはり練習なしでステージに上がるわけにはいかないので、申し訳ないですが少し待ってもらうことにしたのです。


『大事なのは、ジュスティーヌのコンディション……ってやつでしょう? やっぱり最高のものを届けるためには、練習が必要不可欠よね!』


 そんなわけで、ステージに立つと同時に歌を歌う練習も始めることになりました。

 これから2ヶ月はびっちり練習することになるのでしょう。

 ……と思っていましたが、それだけではステージに立てないことを忘れていたのです。


「……ジュスティーヌの髪って、キラキラしててステキよねぇ。細くてサラサラでまっすぐで……上質な絹糸みたい。いいなぁ、憧れちゃう!」


 私は今、ステージの裏にある小さな部屋、楽屋にいます。

 そこにはたくさんの椅子と鏡があって、椅子に腰掛けた私の髪をワヤちゃんが櫛でとかしてくれているのです。

 ……ときおり「いいなぁ」と羨ましそうにため息をつきながら。


『そろそろ、ステージ用の衣裳や髪型を決めましょうよ。ジュスティーヌ、もうステージに立っても大丈夫そうだもん』


 楽譜をもらって、3日後。

 ワヤちゃんの提案により、私はステージ裏の楽屋へとやって来たのです。

 すぐ隣がステージという場所に、人が4、5人ほど入れる小さな部屋があって、どうやらそこが楽屋として使われていたようでした。

 そしてワヤちゃんは私を鏡の前の椅子に座らせて、肩にかけた三つ編みをほどくと、まるで高価な宝石を扱うように丁寧にとかし続けてくれているのです。


「どんな髪型にしようかなぁ……ワクワクしてきちゃった! だって、こんなにキレイで扱いやすい髪なんだもん! どんな髪型にだってできちゃうんだから!」

「私はワヤちゃんの白茶の髪、ボリュームがあって憧れるけどなぁ」


 そう言うと、鏡に映ったワヤちゃんは「いやいやいや!」と首を横に振りました。

 いつものツインテールが左右に大きく揺れます。


「こんなの、ただ大変なだけよ! 太いし量も多いし、その上くせっ毛だし……結んでないと爆発するんだから!」


 確かに、ワヤちゃんの毛量は私の倍近くあります。

 私が自分の髪をすべて束ねても、ワヤちゃんのツインテール1本分にも満たないでしょう。

 髪の毛が細い私にとっては羨ましいくらいなのですが、ワヤちゃんは本当に迷惑しているようで、ことあるごとに「昔は髪って売れたんでしょー? なーんで今は禁止されちゃったんだろ、まったく」とぼやいています。


 それならせめてショートヘアにしてみたらと思うのですが、意外なことにロングヘアよりお手入れが面倒くさいようで、とりあえずツインテールなのだとか。

 確かに、伸ばしておけば結ぶだけで出歩けますから、かなり合理的です。

 ワヤちゃんのような髪質の人は、ショートヘアのお手入れが大変なのだとわかりました。


 ……そんなことを考えている間も、ワヤちゃんは黙々と私の髪をとかし続けています。



つづく

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