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歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第11章「歌姫の3年間」
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第27話「ト音記号=大好きの君?」

 そんなシタッケさんに、ドンパ君は「え~、踏み倒さないでくださいよ~」と頬を膨らませています。

 シタッケさんは「ああ、ハイハイ」と後ろ手に手を振りながら、私たちのテーブル席へとやってきました。

 そして「ふむふむ」と楽譜とノートを覗き込みながら口を開きました。


「それで、ジュスティーヌさん。何か思い出せたかい?」

「聞いてよ、おじさん! ジュスティーヌが自分に関係ありそうな人の名前を思い出したのよ!」

「いや俺はワヤじゃなくてジュスティーヌさんに……って、えっ!?」


 私は、ワヤちゃんとシタッケさんの賑やかな掛け合いの合間に「はい」と頷いてみせました。

 そして、先ほどまでの経緯を説明し、ドンパ君がメモしてくれたノートの人名を指さしました。

 私の話を頷きながら聞いていたシタッケさんは、私が指さした部分を目で追いながら、


「ふむ、アッチェレランド、アッラルガンド、リタルダンド、コーダ、フェルマータ……」


 と呟いて、腕を組みました。

 そのまま目を閉じて考え込むシタッケさんに、ワヤちゃんが「やれやれ」とため息をつきます。


「ジュスティーヌがなかなか思い出せないのに、おじさんが長考したって意味ないってば」

「……」


 シタッケさんはかなり集中しているようで、いつもならすぐに突っかかっていくワヤちゃんの声にも無反応です。

 あらら、これはいったい、どうなることやら……

 緊張しつつ見守る私に、ドンパ君がこそっと「こういうときの師匠は、頼りになるんすよ」と教えてくれました。


「前にも一度、職場の同僚が落し物したんすけど、どこに落としたか見当もつかなくて困ってて……そのとき、話を聞いてただけの師匠が見つけてきたことがあるんす」

「へえ……」


 なるほど、今と同じ状況とは言えないけれど、なかなか興味深い話です。

 ふむ、なんだか期待に胸が膨らみます。

 おかげで緊張もほぐれてきました。

 ……待つこと、しばし。


「ちょっとちょっと、シタッケさん。いい加減にしてちょうだいよ。うちはもう、夕方の仕込み時間なんですからね」


 黙って成り行きを見守っていたナンモさんが、待ちかねたようにコツコツと指でテーブルを叩きました。

 すると、同じタイミングでシタッケさんがカッと目を見開いたかと思うと、ノートを指さして、


「まず、これがお母ちゃん。こっちが叔母ちゃんと、祖父ちゃん。あとは……祖父ちゃんの友達と、ジュスティーヌさんがお世話になってる近所のオバチャン。ま、こんなところだな」


 と、自信満々に言い切ったのです。


「……」


 だれもが呆気にとられていたせいでしょう、店内は静寂に包まれています。

 アッチェレランドが母親、アッラルガンドが叔母、リタルダンドが祖父、コーダは祖父の友人、フェルマータはご近所さん……?

 まさか、本当にシタッケさんの言う通りなのでしょうか……

 というか、何も思い出せない私は「そうです」とも「違います」とも言えないのですが……さて、どうしましょう。

 と、そのとき。


「さぁて、夕方の仕込みでも始めますかぁ」

「おぅ! あたしも手伝うぜ!」


 ナンモさんとワヤちゃんが、連れ立ってカウンターの奥へと行ってしまいました。

 ええっ、ふたりとも……

 後に残されたのは、何と反応したらいいのかわからない私と、顔に「師匠さすがっす! よくわかんないけど、なんかすごいっす!」と書いてあるドンパ君だけ……シタッケさんは「なんだよぉ」と口を尖らせています。


 まあ、ドンパ君は素直に感動しているようですし、もちろん私だって感謝しているのです。

 だって、なんだか本当に、シタッケさんが言った通りのような気がしているのですから。


「ありがとうございます、シタッケさん。今の全部、当たっているかもしれないですね」

「いやいや、それは違うぜ、ジュスティーヌさん。かもしれないじゃなくて、当たってるんだよ。自信があるからな」


 シタッケさんは、そう言い切るほど確信しているようです。

 台所からワヤちゃんが「本当なんでしょうね」と怪訝な顔を出しても、気にせず笑っているくらいです。


「ああ、本当さ。何か賭けたっていいぜ」

「えー、あたしは何も賭けたくないから、やめとくー」

「なんだ、つまらん」


 そのままワヤちゃんが台所に引っ込んでしまったので、シタッケさんは仕方なさそうに楽譜へと視線を向けました。

 ふーん、と鼻息をもらしつつも、表情は真剣そのものです。


「師匠って、楽譜読めるんすか?」

「……いや、全然」


 ドンパ君の質問に答えつつも、シタッケさんは心ここにあらずといったように顔を上げません。

 何か気になるところでもあるのでしょうか。


「……」


 それからしばらくの後……


「むっ!」


 シタッケさんが低い声で一言発したかと思うと、


「ジュスティーヌさん! こいつの名前は、何ていうんだ!?」


 楽譜を凝視したまま、その場所を指さしたのです。

 そこは、楽譜のいちばん最初……

 歌詞よりも伴奏よりも先に書かれている音楽記号を、シタッケさんは指さしていました。


「どうにも、こいつは……ナヨナヨしているというか、しみったれてるというか……どうにも気に食わん」


 その一言に、ドンパ君も楽譜をまじまじと見つめます。


「師匠、この記号のこと、何か知ってるんすか?」

「……いや、何も」

「ええっ、何も知らないのに、気に食わないんすか!?」

「知らなくても気に食わんもんは気に食わん! で、どうなんだ? ジュスティーヌさん」


 シタッケさんにじっと見つめられて、私も楽譜をまじまじと見つめました。

 指さされた記号の名前は、ト音記号。

 シタッケさんは「ナヨナヨしている」と言っていましたが、私には大きな弦楽器のように見えて、なんだか優しい感じがします。


 おそらくこのト音記号にも、人名として使われている別の名前があるのでしょう。

 しかし、残念ながら私にはそこまでわかりませんでした。

 ナンモさんならわかるかもしれないと思って台所へ向かおうとしたのですが、話を立ち聞きしていたワヤちゃんが先に聞いてくれたのでしょう、こちらにひょっこり顔を出して、残念そうに首を振っています。


「うーん……そうかぁ……」


 シタッケさんは私たちのやり取りを眺めつつ、楽譜を手に取って指でト音記号をピンと弾きました。


「名前はわからんが、俺がこいつを気に食わんことに変わりはない。だから……というか、つまり……こいつがあの『ワカメの君』ってことなんだろうな」


 そのしみじみとした呟きに、私とドンパ君は思わず顔を見合わせました。

 えええ……『ワカメの君』って、あの……!?


「そ、そうなんすか師匠! ってか、それを言うなら『大好きの君』っすよ! もう、せっかくそこまで格好良かったのに!」


 ドンパ君はシタッケさんの肩を何度かバシバシと叩いた後、開きっぱなしになっていたノートに「ト音記号=大好きの君?」と書き込んでいます。

 それを横目に、シタッケさんはふくれ面です。


「そんなこと、俺だってわかってんだ。でもさぁ……恥ずかしいんだよ、その……口に出すのが」

「ぶっ」


 顔を赤らめるシタッケさんに堪えきれなくなって吹き出したのは、私やドンパ君ではなくて、台所から顔を出していたワヤちゃんです。


「ちょ、おじさんが恥ずかしいとか関係ないし! ジュスティーヌが言ってるんでしょ! 大好きだって!」

「いや~、そうなんだけどさぁ……恥ずかしいもんは恥ずかしいんだよぉ」


 シタッケさんは渋面のまま項垂れてしまいましたが、ワヤちゃんは気にせず喋り続けています。

 しかも、その矛先はドンパ君に向けられているようです。



つづく

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