第19話「諦めたくない願い事」
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地面の色が思い出せなくなるくらい、長い時間が過ぎていき……
ノルテ王国に、ようやく春がやってきました。
私がここで暮らし始めてちょうど1年、つまり2度目の春です。
真冬の寒さは、今思い出しても身体中が震えるほどですが、この頃は朝晩もそれほど冷え込むことはなく、毎日のように使っていた薪ストーブの出番も減っていきました。
一時期ワヤちゃんが「今年用の薪がなくなるかも!」と騒いでいたこともありますが、どうやら大丈夫そうです。
とても寒くて辛い冬の日々でしたが、なんとノルテ王国に暮らす人々にとって今年の冬は「そうでもなかった」というのですから、私は開いた口が塞がりませんでした。
本気を出したノルテ王国の冬は長く冷徹である。
酷いときには、何十人もの死者が出る大吹雪に見舞われることもある。
と、ワヤちゃんが教えてくれました。
『身近なところでいうと、ナンモさんの旦那さん……あのおじさんの弟さんね。あとは、ウルカス先生の奥さんかな。大きな雪害で亡くなった人を数えていったら、そのうち両手の指だけでも足りなくなりそうで、ちょっと怖いのよね……』
ある日の夕方、一緒に食器を洗っていたワヤちゃんの説明です。
じっと手元を見つめるワヤちゃんに、隣で食器を拭いていた私は思わず呟いていました。
「それじゃあ、ノルテ王国の人たちは冬が嫌いなんだろうね」
……と。
私だったら、毎年冬が来るたび「またこの季節がやってきた、もううんざり、冬なんて大嫌い」と、冬の間中イライラしているでしょうから。
しかし……
ワヤちゃんは私の一言に、はっとしたように顔を上げました。
そして、なんだか寂しそうな顔で笑って、
「そりゃあ、冬は嫌いよ。寒さは厳しいし、雪かきって仕事も増える。それに、薪が足りなくなって凍え死ぬかもしれないから、毎年生き延びられるかわからない不安もある。でもね……それが冬なのよ」
「……」
「いくら嫌ったって憎んだって恨んだって、暖かくなるわけでも雪が積もらなくなるわけでもない。それなら、文句を言う体力がもったいないじゃない? そんなこと言ってる暇があるなら、あたしは薪を空まで高く積み上げるし、地面が見えるくらい雪かきだってするわ」
「……」
「みんなそうやって生きてきたし、これからもそうやって生きていく。なるようになれ! 負けないぞ! って感じかしらね」
「……は、はぁ」
私にはワヤちゃんの言っていることはよくわからなかったのですが、それはワヤちゃんにもお見通しのようで「ふふ、わからないって顔してる。うん、いいのいいの。ここに長年住んでいないと、難しいもんね」と笑ってくれました。
「そんなジュスティーヌには信じられないことかもしれないけど、この地域よりもうんと豪雪地帯に住んでるあたしの親戚なんてね、自分の家の屋根にこれでもかって積もった雪を落としながら『やっぱり冬は、これぐらい雪が積もらないとな!』なんて白い息を吐きながら笑ってるんだから。なんだかんだ、冬と戦いながらも一緒に生きていこうとしている人たちなのよ、ノルテ王国の人たちっていうのは」
ワヤちゃんはそこまで言うと「なんて、あたしがノルテ王国を語ることになるとはねぇ」と苦笑いを浮かべたのでした。
……やっぱり、ノルテ王国の人たちの冬に対する考え方は、私にはよくわかりません。
私がそれを理解できる日は来るのでしょうか。
それとも、その前にノルテ王国から出て行くことになるのでしょうか。
……考えても答えが出るわけではないのに、つい考えてしまいます。
冬の始めの空高く、流れ星を見つけたあの日から半年。
残念ながら、その間に私の記憶が完全に戻ることはありませんでした。
そして、私の『大好きの君』がノルテ王国へやって来ることも……
馬鹿みたいな話ですが、私はあれから毎日夜空を眺めて暮らしていたのです。
あの日と同じように、流れ星が見られないかと思って……
けれど、そんな日は訪れませんでした。
私の願い事は「記憶が戻りますように」と「私の大好きな人に会えますように」……やっぱり、ふたつは少し欲張りなのかもしれません。
でも……
どちらも諦めたくない願い事なのです。
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日が長くなり、春の日差しが暖かな風を運んでくるようになったある日。
海辺に佇む小料理屋『なんもなんも』は、お昼の営業を終えて休憩時間になりました。
つまり、これから私たち3人のお昼ご飯の時間なのです。
ここで働き始めて、もう1年です。
食器の場所やメニューの値段も完璧に覚えましたし、簡単な小鉢の盛り付けも板についてきました。
皿洗いの速さなら、先輩であるワヤちゃんにも負けないくらいです。
もちろん、ワヤちゃんのほうが先輩として私にテキパキと指示を出してくれるので、とても助けられています。
そんなわけで、これから楽しいお昼ご飯の時間かと思ったのですが……
台所でいそいそと準備していると、お店の引き戸が開く音が聞こえてきました。
「ああ、残念。間に合ったと思ったんだが」
そんなよく通る良い声とともに。
声の主の仕事の関係で、ごく稀にこういうことが起こります。
そしていつもワヤちゃんが台所から顔だけ出して、
「もーしわけござーませーん、お昼のえーぎょーはしゅーりょー致しましたー、ごりょーしょーくださーい」
と、不愛想に告げるのが面白くて、私はいつもクスッと笑ってしまうのでした。
もちろん、声の主も負けてはいません。
「お、ワヤ、相変わらずだな。何か嫌なことでもあったのか? 俺でよければ、相談に乗ってやるぞ。まあ答えは『そろそろそのツインテールをやめたらどうだ』に決まってるけどな」
「この、おじさんが遅れてやって来る状況が嫌なだけだっつの。ってかツインテールはあたしのトレードマークなの! だれに何と言われようと、絶対に」
「うんうん。ツインテールは、小さい頃から変わらない髪型なんだろう? もしもお母さんがここに来たときに、すぐに自分だってわかってもらえるように、髪型は変えないってずっと昔から」
「わあぁ! それ以上言うな! もう帰れーっ!」
ワヤちゃんは、饒舌な声の主を遮る勢いで台所から飛び出していきました。
カウンター席を覗いてみると、ワヤちゃんが声の主であるシタッケさんに「それは恥ずかしいから黙っててって前にも云々」とまくし立てているところでした。
そういえば、ワヤちゃんは家出少女だったと前にも話してくれましたが……
まさか、髪型にそんな秘密があったとは。
お母さんとは、確かここで一度だけ連絡を取ってそれきりとのことだったはずです。
……私がここへやってきて、たった1年。
まだまだ、知らないことは多いようです。
そんなワヤちゃんのツインテールを何とはなしに見ていると、台所の入口に佇む私に気がついたシタッケさんが、満面の笑みで手を振り始めました。
「こんにちは、今日も可愛いジュスティーヌさん。遅れてしまって申し訳ないんだが、ナンモさんに俺の昼飯も頼むって伝えてくれないかな。もちろん、代金は支払うから」
そう言いつつニコニコしているシタッケさんに、私もにっこり笑ってみせました。
「はい、構いませんよ。でも『今日も可愛い』は恥ずかしいので、もう言わなくていいですからね」
「えー」
シタッケさんは「寂しいなぁ」と唇を尖らせ、眉を八の字にしています。
私はにっこり微笑んだまま、シタッケさんに背を向けて台所へと戻りました。
ふわりと漂う、お出汁の香り……
今日のお昼ご飯は、鍋焼きうどんです。
つづく




