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歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第11章「歌姫の3年間」
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第17話「また、流れてくれないかな……」

 引き戸を開けると、冷え切った風が頬をかすめていきました。

 吸い込めば、鼻の奥がツンと痛くなる氷のような風です。

 外に一歩出たワヤちゃんが「雪の匂いがする」と呟くと、シタッケさんも「明日……いや、今夜か」と空を仰ぎました。

 時間はまだ早いはずなのに、夕暮れ時はどこへやら、空には大小の星々が瞬いています。


 ノルテ王国の人たちは、よく「雪の匂いがする」と口にします。

 まだ私にはよくわからないのですが、ここで暮らしているうちにわかる日がくるのかもしれません。

 雪の匂いがわかるのが先か、それとも……


「そういえば師匠、聞いてくださいよ。ジュスティーヌさん、今日はいろいろと思い出せたんですよ」


 寒空の下で、ドンパ君が嬉しそうにシタッケさんに報告しました。

 すると、シタッケさんは「おお! それは何より!」と、まるで自分のことのように顔を綻ばせました。


「さっきから、すごく良い顔してるもんなぁ。何か嬉しいことが起こったんだって、すぐにわかったよ。いいなぁ……その顔、毎日でも見てい」

「そうなのよぉ、おじさん! ジュスティーヌにとって、とーっても嬉しいことよ!」


 シタッケさんが最後まで言い終わらないうちに、ワヤちゃんが身を乗り出して遮りました。

 なんでしょう……何か、良からぬ気配が漂っています。

 ワヤちゃん、いったい何を言うつもり?

 様子を見ていると、案の定ワヤちゃんは「ふふん」と笑って、


「本日、ジュスティーヌは思い出したのです。あたしたちが勝手に『ワカメの君』と呼んでいた人のことを、大好きだったということを!」

「……」

「どう? おじさん的には、ちょっと残念だったりしない?」


 ワヤちゃんは、心底楽しそうです。

 その顔には「これに懲りたら、もうちょっかい出すな」と書いてあります。

 なるほど、そういう作戦でしたか。

 私は納得し、ワヤちゃんは自信満々です。

 が、しかし。


「……なるほど。確かに残念だな」


 シタッケさんは神妙な顔で腕を組むと、私をじっと見つめて口を開きました。


「いくら気に入らない奴だからって、ジュスティーヌさんの大好きな人をぶっ飛ばすわけにはいかねぇもんなぁ。それにしても、そんな大事なことを思い出せたなんて、本当に良かったじゃないか。ねぇ? ジュスティーヌさん」


 シタッケさんは、何度も「良かった、良かった」と穏やかに微笑んで頷いていました。

 もちろん、ワヤちゃんは拍子抜けしたのか、少しご機嫌斜めです。


「なによぉ、もっとがっかりするかと思ってたのに」

「は? がっかり? なんで?」


 ワヤちゃんの文句に、シタッケさんはまったく心当たりがないようで、目を丸くして驚いています。

 うーん……確かにこれは、いつものシタッケさんっぽくないような気がします。

 なんというか……


「師匠、なんだかジュスティーヌさんのお父さんみたいなセリフっすね」


 ドンパ君の何気ない呟きに、ワヤちゃんが真顔で「確かに」と頷いています。

 私も、確かに今のはドンパ君の言う通り、お父さんっぽかったと思いました。

 それも……結婚相手を家に連れてきた娘さんに対する父親のような感じです。

 しかし、当のシタッケさんはぶんぶんと首を横に振って、


「いやいやいや、お父さんって、違うっつの! 俺は……ジュスティーヌさんのファンなんだよ。ファンとして、彼女の幸せが俺の幸せ、みたいな感じなんだ」


 と、ふたりに言い聞かせ、私に向かって笑ってみせたのでした。

 しかし、ワヤちゃんは驚きを隠せないようで「え、そうだったの!?」と目を丸くしています。

 ドンパ君は感心したように「なるほど! そういう考えだったんすね! さすが師匠!」なんて目を輝かせていました。

 そんなドンパ君を横目に、ワヤちゃんはため息をひとつ……


「てっきり、一目惚れしたから口説き落とそうとしているのかと思ってたわ」

「おいおい、半分は合ってるが半分は間違ってるな、それは」

「……一目ぼれのほうを認めるってことでいい?」

「ああ、当たり前だ」

「言い切るとこがウザイわ」


 ワヤちゃんは呆れ顔で、シタッケさんはドヤ顔です。

 そこへ、ドンパ君が「そういえば」と口を開きました。


「ジュスティーヌさんって、お父さんのことは何も思い出さないっすよね」


 その言葉に、ワヤちゃんも「確かに」と頷きます。


「もしかして……その『大好きの君』がお父さんかもしれない、とか?」

「え?」


 違う違う!

 私は、ワヤちゃんの言葉に反射的に首を振っていました。


「違う。あの人は……大好きなあの人は、お父さんじゃない。根拠はないけど、絶対に違うって言い切れる」

「……」


 私の口調が強かったせいか、ワヤちゃんとドンパ君は顔を見合わせてしまいました。

 あれ、驚かせてしまった……

 私がふたりに謝ろうとしたそのとき、シタッケさんが「なるほど」と腕を組んで、


「もしかしたら、ジュスティーヌさんは母子家庭ってやつだったのかもしれないな」


 と、呟きました。

 母子家庭……父親の記憶がない理由としては、なるほど信じられそうです。

 まあ、もともといなかったのか、途中でいなくなったのかはわからないままですが。

 と、そこでシタッケさんの呟きを聞いたワヤちゃんが「だったら、あたしと一緒だ! あたしも、母子家庭ってやつなんだよ」と寂しそうに微笑みました。


 そういえば、ワヤちゃんは家出してそのままナンモさんの店に住み着いたと聞いています。

 母子家庭ということは、お母さんをひとり残してきたということになりますが……

 どうやら、心配していないわけではないようです。


 いつの間にやら、外は真っ暗闇。

 キンと冷えた空気の中で、私はふと夜空を見上げました。

 すると、そのときです。

 視界の隅のほうで、何かがきらりと瞬きました。

 そしてほんの一瞬、真っ暗な空の中に、見えたのです。

 尾のような光の筋が……

 こ、これはまさしく、


「流れ星!」

「え!? どこどこ!?」


 私の声に、ワヤちゃんが空を見上げてぶんぶんと首を振りました。

 ワヤちゃんのツインテールが、ちょうど目のあたりに直撃したらしいドンパ君が「いってぇ!」とのけ反っています。


「ちょっと姐さん! いい加減その似合ってないツインテールなんとかしてくださいよ!」

「あーごめんごめん……って、それより流れ星よ! あーん、見逃しちゃったぁ。また流れないかなぁ」

「安心しろ、ワヤ。また流れたら、俺が『また流れますように』って願い事してやるから」

「おじさんは黙ってて」


 3人は、またいつもの掛け合いをしていましたが、私は何か思い出せそうになって、星空を見つめ続けていました。

 流れ星自体珍しいというのに、私はなぜか以前にも見たことがあるような気がしていたのです。

 いったいいつ、どこで、だれと見たのか……

 それとも、ひとりだったのか……

 ああ、もう一度流れてくれたら、わかるかもしれないのですが……

 あっ。


「……そういえば、願う前の願い事が叶ったことがあります」


 気がつくと、ポツリと呟いていました。

 確かそのときも、今と同じように流れ星は流れてしまった後で、とても残念がっていたような気がします。

 そして、心の中で呟いたのではなかったでしょうか……


 また、流れてくれないかな……

 もう願い事は決まっているから、あとは3回唱えるだけでいいのに、と。


「……そんなことを考えていたら、その願い事が叶ったような想い出があるのかもしれません」


 遠い遠い記憶を手繰り寄せ、一言ずつ噛みしめるように口にします。

 ドンパ君とシタッケさんは顔を見合わせ、シタッケさんの合図とともに手に持っていたノートにメモしています。



つづく

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