第16話「私の大好きな人」
「お話とか物語とか、そういうものはだれだって作れるよ! もちろん、それを読みやすい文章にするのは難しいことかもしれないけれど、作っちゃダメとか書いちゃダメとか、そんな決まりはないんだから!」
「……」
「……はぁ」
私の熱のこもった力説に、ワヤちゃんもドンパ君も顔を見合わせています。
しばらくの沈黙の後、ドンパ君が私を見つめて、
「ジュスティーヌさんって……お仕事は作家さんだったのかもしれないっすね」
そう言って、にっこり笑いました。
……い、いやいや、それは言い過ぎです。
私は、ただ物語が好きなだけですから。
そう思って首を振っていると、ワヤちゃんが呆れたように、
「まあ、そうね。それはないとしても、ほんとすっごい熱量で喋ってくるんだから、びっくりしちゃった。お話とか物語とか、大好きなのね」
と言って、楽しそうに「大好きなものがわかって、良かったじゃない」と付け足しました。
……まったくもって、ワヤちゃんの言う通りです。
私ってば、こんなに熱く語っちゃって……
本当に さんみたい。
「えっ……?」
あれ? 今、何か思い出しそうだったような……
「ん? ジュスティーヌ、どうしたの? 何かあった?」
ワヤちゃんに顔を覗き込まれ、私は「今、人の名前を思い出しそうになったの」と短く告げました。
すると、
「ええーっ!!」
ワヤちゃんとドンパ君の大声がキレイに重なって、店内に響き渡りました。
ナンモさんがいたら「近所迷惑っ!」と怒られて当然の音量です。
ああ、今はナンモさんが買い出しに出掛けていて、よかった……
「ひ、人の名前!? ほんと!? どんな人!? 何の人!?」
「ええっと……さっきの私みたいに、お話とか物語が大好きな人、だと思う。でも、思い出しそうになっただけで、名前の最初の文字もわからなかったの」
「ああーっ! それは残念! 悔しいーっ!」
興奮して身を乗り出すワヤちゃんでしたが、それを押しのけるようにドンパ君が「それってやっぱり……」と声を低くしました。
そして、
「やっぱり『ワカメの君』じゃないっすかね」
と、囁きました。
その瞬間、
「……」
まるで沸騰したお湯に差し水をしたときのように、ワヤちゃんの熱が急激に冷めていくのがわかりました。
「……あんたねぇ、何でもかんでもワカメワカメって、その人しかいないみたいにさぁ。まったく、ワカメが物語なんて読むわけないでしょうがよ」
「姐さん……それもう、ツッコむ気力も湧かないっす、面倒くさいっす。で、ジュスティーヌさんは、どう思いますか?」
「……」
ドンパ君の問いかけに、私は目をつむって考えてみました。
が……そんな時間は、1秒として必要なかったのです。
私はすぐに目を開けて、質問に答えました。
「もちろん、ドンパ君の言う通りだと思う。木賊色のワカメを見て思い出しそうになった人も、私に話しかけてきた声の主も、さっき名前を思い出しそうになった人も、みんな同じ人……」
自信満々の私ですが、もちろん根拠はありません。
あるのは記憶ではなく、直感。
それでも、たったひとつだけ確実にわかることがあります。
私は、話を聞いてくれているワヤちゃんとドンパ君に、静かに告げました。
「そして、その人は……大切な、私の大好きな人なの」
まだ、影も形も見えない人です。
名前はもちろんわかりません。
声にも聞き覚えはなく、しかも聞こえてきたのは先ほどの一言のみ。
私より年上なのか年下なのか、背は高いのか低いのか……
いったどんな人なのか、見当もつきません。
それでも……
私は、この人のことが大好き。
心がそう叫んでいるのです。
「……」
ふと気がつけば、ワヤちゃんが瞳を潤ませ、口元を手で覆って「だよねぇ! そうだと思ってたよぉ!」と言って私を見つめていました。
「ああ……なんだか、心があったかいっす……!」
そしてドンパ君はというと、目を閉じて胸に手を当て、今にも天に召されそうな表情をしています。
……ふたりともなんだか大袈裟ですが、とても感動してくれていることはわかります。
何の根拠もない、私がただそう思っていることでも、ふたりにとっては大事なことのようでした。
そして、ドンパ君がふと思い出したように「あ、そうだ!」と言って手を打ちました。
「新しい名前……『大好きの君』っていうのはどうっすか?」
その一言に、私とワヤちゃんは顔を見合わせました。
そうでした……もとはといえば、私の記憶の中の『ワカメの君』に変わる名前を考えていたのでした。
ワヤちゃんの顔には「まんざらでもない」と書かれています。
いやいやワヤちゃん、大好きなんてちょっと照れくさいですよ。
私がそう口にする前に、ワヤちゃんはまるで先手を打つように、
「それ賛成! はい、決定っ!」
と声を張り上げました。
かくして、私の記憶に登場する男の人は『大好きの君』と呼ばれることになったのでした。
★彡☆彡★彡
外は薄曇り……
ほんのりと残っていた温もりとともに、気の早い太陽が地平線に吸い込まれてしばらく経った頃。
まるでドンパ君が今日の出来事をすべてノートにメモしたのを見計らったかのように、
「おおーい、ドンパー。迎えに来たぞー」
お店の引き戸がガラリと開いて、シタッケさんが現れました。
この寒い中、ドンパ君と同じように薄手の長袖1枚です。
その姿に、ワヤちゃんは軽く苦笑いを浮かべています。
「うわ……おじさん、寒くないの?」
「え? いや全然だけど……なんだ、ワヤは着込みすぎだろうが。今からそんな恰好して、真冬は大丈夫なのか?」
少し嘲笑するような口調のシタッケさんに、ワヤちゃんはフンと鼻を鳴らして「寒いのは今だけです~、真冬はストーブがあるから今より暑いんです~」と口を尖らせつつ説明しました。
そしてシタッケさんにビシッと人差し指を突きつけると、
「おじさんこそ、その格好で風邪引いたら、ここは出入り禁止だからね!」
と言い切りました。
もちろんシタッケさんは「ええーっ!?」と大げさに飛び上がり、
「それは困る! ジュスティーヌさんに会えなくなるのは死活問題だ! それだけは勘弁してくれ!」
「あたしたちに風邪をうつさないように出禁にするって言ってんのよ! 会えなくなるなんて当然でしょう! ほら、それが嫌ならもう帰った帰った!」
ワヤちゃんは、喋りながらだんだん私に近づいてきていたシタッケさんの前に立ちふさがりました。
そして、帰り支度の済んだドンパ君も一緒に店の入口へと追い立てていきます。
まるで、羊を追う牧羊犬のようですが……
ワヤちゃんは、シタッケさんのことを心底嫌っているというわけでもなさそうです。
そこには、なんとなく信頼関係のようなものがあるのでしょう。
まあでも……ワヤちゃんが言い過ぎな感じは否めないので、私はいつもシタッケさんの肩を持つようになっています。
「ふたりとも、お見送りしますよ」
私は席を立ち、膝掛けを肩に羽織りました。
「シタッケさんやドンパ君には、お世話になっていますから」
「え! 本当かい!? いやぁ、そんなことなら、家の中ちゃんと片付けてくればよかっ」
「ちょっと! だれが家まで行くって言った!? お見送り! そこの玄関まで!」
ワヤちゃんは、また私に向かって歩いてきたシタッケさんの前に立ちふさがり、またまた玄関まで追い立てていきました。
はあ……なるほどなぁ。
シタッケさんのこういう冗談に何と答えたらいいのかわからなくて困ってしまう私なので、ワヤちゃんには助けられています。
まあ……おかげであまり「お見送り」っぽくはなくなってしまいましたが。
つづく




