第15話「私だと思って……」
「師匠が『とにかくなんでも書いておけ! 書きまくれ!』って言ってたんで、本当にジュスティーヌさんに関することは、些細なことまでなんでも書いてあるんす。で、ところどころ赤で丸がついているのは、師匠の書き込みっす」
ドンパ君の言う通り、書き並べられた言葉の中には力強く赤の鉛筆で丸がつけられたものがあります。
それをちらりと覗き見たワヤちゃんが「なるほどね」と呟き、ノートを指さしました。
そこには「木賊色」と書かれた上から、紙を破く勢いで赤の丸がついています。
「あのおじさん、どうせ『このワカメ野郎、会ったらぶっ飛ばしてやるからな』とか言いながらドンパからノートひったくって、そりゃあもう鬼のような形相で、ぐりぐり丸つけたんでしょう? 鉛筆の芯が折れるのも厭わずって感じでさ」
「え……? 姐さん、そのとき一緒にいて師匠のこと見てたんすか?」
「いや見てなくてもこのノートのおかげでわかるわそれくらい」
絶妙なツッコミを披露するワヤちゃんが指さした先を見て、私も「なるほど」と納得しました。
赤鉛筆の軌道からは、確かにシタッケさんの言動が目に見えるような気がします。
ワヤちゃんは、ため息をついて続けました。
「この『ワカメの君』も気の毒よねぇ。まさか、こんなところで見ず知らずのおじさんにとんでもない勢いで恨まれているなんて……そんなこと、思いもしないよね」
「そうっすねぇ、ちょっとかわいそうかも……ってか姐さん『ワカメの君』って呼んでるじゃないっすか」
「あ、やば。だっさい名前で呼んじゃった」
ドンパ君の的確なツッコミに、ワヤちゃんと私はこのノートが出てきた理由を忘れかけていたことに気がつきました。
ワヤちゃんが疲れたような目を向けて「早くカッコイイ名前を付けてあげなきゃね」と言うので、私も「そうだね」と頷きました。
こうして、ドンパ君のノートをめくりながら、私たちは楽しく意見を出し合いました。
まあ、大抵は、
「あ、例えばなんだけど『黄色のバラの人』ってのはどう?」
「……イマイチっすね。なんか、どっかで聞いた気がするし……使っちゃダメな気がするっす」
「えーっ!? 何でよぉカッコイイと思ったのにぃ」
と、こんな感じでワヤちゃんの案がドンパ君によって却下されていくばかりでした。
そしてしばらくすると、自分の案を没にされまくったワヤちゃんは、名付けに飽きてしまったようです。
おもむろにノートの単語を指さすと「これさぁ」と、何やら話し始めました。
「カウンター席に見えた黄色のバラって、きっと『ワカメの君』が持ってきたバラなんじゃないかな」
「は、あ……?」
突然始まった何かに、私とドンパ君は顔を見合わせました。
ワヤちゃんってば、何が言いたいのかな……?
私の顔には、きっとそんな言葉が書いてあったに違いありません。
けれどもワヤちゃんは、そんな私やドンパ君に構うことなく話し続けていました。
「きっと、こんな感じね……『花屋に寄ったら、このバラと目が合ってね。まるで君に見つめられているのかと思ったよ。美しいバラと同じ色の、絹糸のような髪のお嬢さん。これ、受け取ってもら』……あ、待って。こんなキザな奴、無理だわ。気持ち悪っ」
「ちょ、ちょっと姐さん! 自分で歯が浮くようなセリフ言わせといて気持ち悪いとか、いくらなんでもひどすぎるっす!」
「だって何か知らないけど、そんな感じになっちゃたんだもん、しょーがないじゃん! というか、そんなに言うんだったらドンパ!」
ふてくされた様子のワヤちゃんは、ドンパ君に人差し指を突きつけました。
「あんたは、どんな風だと思うのよ! 考えてみなさいよ!」
「ええっ!? おれも考えるんすか!?」
ドンパ君は目を見開いていましたが、その瞳はキラリと輝いていて、やる気に満ち溢れています。
どうやら、まんざらでもなさそうです。
その証拠に、ドンパ君は「そうっすねぇ」と腕組みして、すぐにポツポツと語り始めたのです。
「おれは……逆なんじゃないかと思ってます。黄色のバラは、もともとジュスティーヌさんが用意したもので、それをワカメの君に贈ったんじゃないっすかね」
「えー? フツー男の人にお花なんてあげなくない? お花って、男の人が女の人に贈るものじゃん」
「……あー確かに、そうっすね……」
ワヤちゃんのもっともな意見に、ドンパ君は何も言えずに唸って、それきり黙ってしまいました。
……なるほど、ワヤちゃんの言うことはわかります。
そっちのほうが、何よりロマンティックでステキですから。
でも……
私は、ドンパ君の言ったほうが真相に近いような気がしていたのです。
根拠はありません。
ただ、そう思っただけです。
なので「ドンパ君が正解かも。私もそう思うから」と言おうとして、私は口を開きました。
しかし、出てきた言葉は、
「私だと思って……」
という一言でした。
……?
今のは、何……?
気いたことあるような、ないような……
前にもどこかで、だれかに……
言った? それとも言われた?
うーん……
私が記憶の中で唸っていると、
「ジュスティーヌさん! それ、いいっすね! きっと『私だと思って大事にしてください』って感じで、黄色のバラを渡したのかも!」
「それ良い! 採用! かわいすぎるっ!」
ドンパ君とワヤちゃんが、身を乗り出して私を見つめていました。
どうやら、ふたりとも「私だと思って……」は私の創作か何かだと思っているようです。
確かに、この話の流れでは当たり前でしょう。
では、しっかり説明しなくては。
私はふたりの勢いに気圧されつつ、
「えっと、今のは頭の中に浮かんできた言葉で……本当に私がだれかに言ったか、言われたかもしれない言葉なの」
と、説明しました。
するとワヤちゃんは、
「そうなの!? きゃーっ! 楽しくなってきたー!」
と飛び上がり、ドンパ君も大きく頷きながらノートにメモしています。
「まさか、こんな他愛のないお喋りから思い出せることがあるなんて、思いもしなかったっすよ」
「だよねぇ、びっくりだねぇ」
ドンパ君の呟きに、ワヤちゃんもしみじみとしています。
やっぱり、ふたりとも私以上に喜んでくれているようです。
私はすっかり嬉しくなって、ふたりに微笑んでみせました。
「ドンパ君とワヤちゃんのお話が、とっても楽しかったから……なんだか、3人で物語を書き上げたみたいな達成感があったよね!」
私は、ふたりが喜んで頷いてくれると思っていたのですが……
ワヤちゃんもドンパ君も、なぜかきょとんとして私を見つめていました。
いったい、どうしたのでしょう。
何か変なことでも言ってしまったのでしょうか。
「……物語」
沈黙の中、最初に口を開いたのはワヤちゃんでした。
一言ずつ確かめるように、言葉を継いでいきます。
「物語って、例えばあの、本とかに書いてある……?」
「そう! 小説とか絵本とか……お話のこと!」
私が頷いてみせると、今度はドンパ君が呟きました。
「あれって、おれたちみたいな本なんてものに縁遠い人間でも簡単に作れちゃうんすね……」
「へ?」
私は、ドンパ君の言葉に開いた口が塞がりませんでした。
いったい何を言っているのか、わからなかったからです。
それなのに、ワヤちゃんは「だよねぇ」なんて感慨深げに呟いています。
「ここらへんじゃ本なんて滅多に見かけない高級品だし、そういうのは才能のある人だけが書けるものだと思ってたもんねぇ」
「ええっ!? そんなことないない!」
な、何言ってるんですか、ワヤちゃん!
私はワヤちゃんの言葉に、ぶんぶんと首を振りました。
つづく




