第11話「好きな食べ物は若竹煮」
「……」
私は思わず、右肩から下がった三つ編みを両手でぎゅっと握りしめました。
本当は、自分の心臓を鷲づかみにしたいほど、鼓動がうるさくて耐えられなくなっていたのです。
ああ、ドキドキが止まりません……
あ、れ……?
この感覚……
10歳以上も年上の人にドキドキする感覚、前にもどこかで……?
どこかって、どこ……?
私は既視感の源を必死に思い出そうとしてみたのですが、
「ね? ジュスティーヌさん」
シタッケさんの良い声で名前を呼ばれると、意識が集中できなくなってしまうのでした。
しかも、その良い声で「ふたりきりで、ね?」なんて言われてしまったわけですから……
ああもう、心臓がうるさいっ!!
シタッケさんの笑顔を前に、私が顔を真っ赤にして困り果てていた、そのとき。
「ゴルアァァッ!! そこのイケてるオヤジ! 今すぐジュスティーヌから離れなさいっ!!」
台所から顔を出したワヤちゃんが、盛大な巻き舌とともにカウンター席へと出てきて、中から私とシタッケさんの間に腕を入れました。
鬼のような形相で、今にも「しっしっ」とやりそうなワヤちゃんです。
……というか、もう手がそう動いています。
そんな彼女に半眼を向けて、シタッケさんはつまらなそうにため息をつきました。
「まったく。ここの従業員は、この町に来たばかりのお嬢さんに挨拶もさせてくれないのか。あ~あ、イヤになるねぇ」
「はあ~? 何が挨拶よ。どうせ、どさくさに紛れてジュスティーヌの手を握ろうとか考えてたんでしょ、お見通しなんだから」
「おいおい! 俺はなぁ、話しかけてからかったりはするが、そんなゲスの極みみたいな卑劣なことはしない主義だ!」
「からかって困らせてる時点で全然言い訳になってないし説得力に欠けてるっつの!」
ワヤちゃんはそこまでまくし立てると、今度は私にぐっと顔を近づけて、
「いい? ジュスティーヌ。このおじさんはね、女の子の照れて困っている顔が見たくて、すぐからかってくるの! だから、もう近づいちゃダメ! わかった!?」
ワヤちゃんの必死さに、私は思わず頷いていました。
シタッケさんはというと、ワヤちゃんの発言が図星だったらしく、ぷうっと頬を膨らませていました。
今にも「違うもん違うもん」と文句を言い出しそうな子どもみたいな表情で、お母さんに怒られた子どもに似ているような気もします。
うーん、ちょっとかわいそうに見えてきました。
何か慰める言葉はないものかと探していると、
「ワヤ、そのへんにしといてあげなさい。いつものことでしょう」
台所から、苦笑いを浮かべたナンモさんが出てきました。
「ごめんなさいね、ジュスティーヌ。びっくりしたでしょう。でも、今のがこの人の『いつも通り』なの。初めて会う女の子には、必ず『美人』って言うのよ。まあ、ジュスティーヌはかなり美人さんだと思うけど……でも、この人の『美人』は、ただの挨拶だと思って受け流したほうがいいわ。いちいちドキドキしてちゃダメよ」
ナンモさんが私にそう言うと、シタッケさんの頬はハリセンボンのように膨らみました。
「おいおいナンモさんまで……! 俺はなぁ」
「はいはい、もうわかったから」
ナンモさんはワヤちゃんとは違って、シタッケさんににっこり微笑んでみせました。
そういえば、ナンモさんの亡くなった旦那さんは、シタッケさんの弟さんです。
今のは、長い付き合いのふたりだからこそのやり取りなのでしょう。
シタッケさんのほうも、仕方ないなというように苦笑いを浮かべています。
これもまた、ふたりのいつものやり取りなのかもしれません。
「そういえば、よくこの人がシタッケさんだってわかったわねぇ。もしかして、ドンパから聞いて知っていたの?」
ふとナンモさんに尋ねられて、私は「はい」と頷きました。
するとワヤちゃんが最大級のしたり顔を浮かべて「それじゃあ改めて紹介する必要はなさそうね」なんて言うので、シタッケさんは私に一歩近づくと、
「俺はシタッケ。この町の運送業を生業にしている、もうすぐ四十路のしがない独身男だ。好きな食べ物は若竹煮。よろしく」
早口に自己紹介すると、片目をつむって下がりました。
聞いているだけで哀愁を誘う言葉ばかりですが、そんな不憫に思われるような言葉も、見ていて気恥ずかしくなる動作も、耳に心地よい声のおかげで少し格好よく見えてくるから不思議です。
そして、好きな食べ物は若竹煮……
どうやら、先ほどナンモさんが話していた「若竹煮が大好きな常連さん」というのは、シタッケさんのことだったようです。
「さて、そろそろみんなでお昼にしましょう。ちょうど若竹煮もできあがったことだし!」
ナンモさんがポンと手を叩くと、シタッケさんは「いよっ! 待ってました!」と、嬉しそうに声をかけました。
そんな嬉しそうなシタッケさんを横目に、ワヤちゃんは「子どもじゃあるまいし」と小さくため息をついて台所に戻っていきました。
そして、先に戻っていたナンモさんと一緒に、持ってきた小皿を4枚カウンターに並べてくれたのでした。
「今日のはワヤに作ってもらったから、いつもと違う味かもしれないけどね」
「おいおいナンモさん、俺はナンモさんの作る若竹煮を食べに来てるんだぜ? どうして今日は」
「文句があるなら食べなくていいよ、おじさんは没収ね」
「……すみません、いただきます」
シタッケさんは寂しそうに俯いてしまいましたが、ワヤちゃんは気にせず台所に戻ってしまいました。
このふたり、どうしてこんなに仲が良くないのでしょう……
まだまだ知らないことは多そうです。
ワヤちゃんとナンモさんが台所に戻ったということは、若竹煮だけでなく白米とお味噌汁も用意してあるのでしょう。
これは余談ですが……
私には、ずっとパンを食べて過ごす生活を送っていたような、おぼろげな記憶がありました。
そのおかげで、私は白米を主食とするノルテ王国の人間ではないということがはっきりしたのでした。
さて、私も何かお手伝いしようと思ったのですが、ここから台所への行き方を教えてもらっていないことに気がつきました。
ああ、確認しておけばよかった……
私がカウンター席付近でウロウロしていると、
「ジュスティーヌさん」
カウンター席に腰掛けたシタッケさんが、自分の隣の席をポンポンと叩いていました。
どうやら「ここに座ってなさい」と言いたいみたいです。
台所を手伝いたくても手伝えないので、ここは仕方がありません。
私はペコリと会釈して、シタッケさんの隣に腰掛けました。
カウンター席の椅子は高いので、私の足は地面につくことなくブラブラとしています。
目の前のテーブルには、若竹煮がちょこんと陣取っていました。
透き通るような蒸栗色のタケノコが、これまた繊細な煮汁に浸っています。
良い香りを演出しているのは、タケノコの上にちんまり載っている……
そう、木の芽です。
なんてキレイな盛り付け……美味しそうっ!
「いやぁ……ここからこうしてじっくり見れば見るほど、ため息が出るくらい美しいねぇ」
隣に座るシタッケさんも、たまらずといった調子で呟いています。
私は若竹煮から目を逸らさず、コクコクと頷いてみせました。
ですよねぇ、美しいですよねぇ。
このタケノコの色なんて、食欲をそそられるというか
「日の光を浴びて輝く、絹糸のような金髪。宝石みたいに煌びやかな紫色の瞳。ああ……ジュスティーヌさんは、きっとどこかの国のお嬢様だったんだろう」
「……はい?」
ちょっと待ってくださいさっきから何の話してるんですか。
つづく




