第10話「力持ちのおじさま」
迷子にならずにステージ脇の通路から顔を出すと、
「あらジュスティーヌ。三つ編みにしたの? 可愛いわぁ」
カウンターの店側にいたナンモさんと目が合いました。
部屋に置いてあった髪ゴムを勝手に使ったことを詫びましたが、ナンモさんは何度も瞬きを繰り返したかと思うと次の瞬間、大声で笑い始めました。
「もう! ジュスティーヌってば気にしすぎよぉ! そんな髪ゴムひとつで怒ったりしないってば!」
楽しげに笑うナンモさんに、私も自然と笑顔になって「ありがとうございます」とこれまた自然に感謝の言葉が口からこぼれたのでした。
そして、私たちの会話をカウンターの奥で聞いていたらしいワヤちゃんが、こちらにひょっこり顔を出すと、私の三つ編みを見て「ほんとだ可愛い!」と早口に告げてそのまま引っ込んでしまいました。
どうやら奥の台所で忙しく働いているようです。
様子を覗き見たナンモさんは、
「今ね、ワヤにタケノコを煮てもらってるの」
と、教えてくれました。
タケノコ……って竹林に生えている、料理すると美味しいあのタケノコでしょうか。
私がぽかんとしていると、ナンモさんは笑って、
「今が旬だからね。うちの常連さんに若竹煮が大好きな人がいて、その人がお昼に食べに来るかもしれないから作っておこうと思って」
「若竹煮……?」
私は首を傾げました。
初めて聞く料理名です……あ、覚えていないだけかもしれないので、もちろん知らないと断定はできないのですが。
ナンモさんは、そんな私の反応に「あら、聞いたことなさそうね」と説明してくれました。
「若竹煮っていうのは、タケノコとワカメの煮物のことなの。春が旬のタケノコが取れるこの時季だけの美味しい料理よ。もうすぐできるから、一緒に食べましょう!」
微笑むナンモさんに、私は「はい!」と子どものように大きな声で返事をしていました。
……どうやら、だいぶお腹が空いているようです。
と、そのとき。
「ナンモさーん! この後どうしたらいーのー!?」
台所から、ワヤちゃんの助けを求める声が聞こえてきました。
ナンモさんが「とりあえず弱火にして!」と指示を出しながら、台所へと入っていきます。
私はというと、その場に残ったままです。
カウンター側の客席から、どうやって奥へ入るのかわからないので、どうしようもありません。
尋ねようにも、ナンモさんもワヤちゃんもとても忙しそうですし、尋ねて中に入ったとしても、勝手のわからない台所で私がテキパキと働けるわけがないのです。
仕方がないので、ふたりが出てくるまで待っていることにしました。
「……」
カウンター席の前に立ったまま耳をすますと、台所からナンモさんとワヤちゃんの会話が聞こえてきます。
……うん、いい感じ。あとは味がしみこむまで置いておきましょう。
え、せっかく温かくて美味しそうなのに?
煮物はね、冷めていく中で味がしみこむものなの。食べるときにまた温めればいいでしょう?
ああ、そうか。なるほどねぇ。
あら! このワカメ色がキレイ! ワヤ、やればできるじゃない!
へへっ、まあね。
「……」
なんて自然で、親子らしい会話なのでしょうか。
ふたりとも、10歳くらいしか離れていないのに、本当の親子じゃないと言われないとわからないくらいです。
そういえば……
私の母親や父親は、今頃どこで何をしているのでしょうか。
もしかすると、私のことを探しているかもしれません……
ああ、だとしたら伝えたい。
私はここにいる、生きているって……!
でも、ここからどうやって、だれに知らせたらいいのか……
たとえ向こうが探していても、私には手掛かりすらありません。
どうしようもない、このもどかしさ。
早く何か思い出さなくちゃ……!
私は、右肩にかかった三つ編みをぎゅっと握りしめました。
と、そのときです。
お店の引き戸が開いて、来客を知らせる木の鈴がカランカランと鳴りました。
お客様、でしょうか……
でも、確か今日はお休みにしているとナンモさんとワヤちゃんが言っていたような……
「おーい。ナンモさん、ワヤー。お昼ご飯食べに来たぞー」
私がいる場所からでは、入ってきた方は逆光でよく見えません。
それでも、爽やかな低音の声で男の人のようだとわかりました。
その方は引き戸を丁寧に閉めると、くるりとこちらを振り向きました。
扉が閉まったおかげか、私にもその人が見えるようになりました。
年の頃は、40代くらい……ナンモさんと同年代でしょうか。
薄色のかみをツンツンと逆立てています。
瞳の色は、私のものより濃い紫色です。
頭には白いハチマキ、黒のジャケットからは引き締まった腕が覗いています。
……見るからに「力持ちのおじさま」といった雰囲気です。
そんなおじさまは、私を物珍しそうに見ています。
そりゃあそうでしょう、私はもともとここにはいない人間なのですから、驚かれて当然です。
さて……どうしましょう。
「あ、あの……」
いったい何から説明するべきか……
台所にいるナンモさんとワヤちゃんを呼ぶべきなのでしょうが、ふたりとも忙しそうです。
というか、まず自己紹介をするべきなのでは……
いや、そんなことよりもやっぱりふたりを……
「ああ、なるほど」
目の前のおじさまがポツリと呟いて、ふっと顔を綻ばせました。
濃い紫色の瞳、その目元に慈しみに溢れたシワが生まれます。
そしておじさまは、耳に心地よい柔らかな声で私に話しかけてきたのでした。
「あなたが、ドンパの言っていたお嬢さんだね。こりゃ驚いた、聞いていた話よりずいぶんと美しいんだもんなぁ。ドンパの野郎、何が『同い年くらいの女の子っす』だよ。もっとほかに言うべきことがあるだろうが。お嬢さん、確か名前は……ジュスティーヌさん、だったね?」
柔らかな笑顔に、ずっと聞いていたくなるような良い声で「美しい」なんて言われて、私は自分の頬が熱くなるのを感じていました。
おまけに、その良い声で私の名前まで……!
そこで私は、ようやくこのおじさまの正体に気がついたのでした。
「もしかして……シタッケさん、ですか?」
私が名前を呼ぶと、おじさまは驚いたように目をぱちくりとした後で、満面の笑みを浮かべました。
「こんな美しい人に名前を呼ばれる日がくるなんて、夢にも思わなかったなぁ。どうして俺のこと……ドンパから聞いたのかい?」
私が「はい」と頷くと、ドンパ君の仕事の師匠シタッケさんは「なるほどねぇ」と微笑みました。
「こんなおっさんのことを覚えていてくれるなんて……ありがとう、美しいジュスティーヌさん」
「え、い、いえ……」
先ほどから「美しい」を連発されて、ちょっと恥ずかしくなってきました……
ああ、顔が熱い!
もうシタッケさんとまともに顔を合わせられなくなった私は、カウンターに顔を逸らしたまま固まっていました。
しかし……ずっとこのまま、というわけにもいきません。
ああ、ワヤちゃんナンモさん、私どうしたらいいんですか……!
ひとりで心臓のドキドキと戦っていると、
「ジュスティーヌさん」
あの良い声に名前を呼ばれて、私は思わず顔を上げてしまいました。
目の前には、いつの間にカウンター席に腰掛けたのか、シタッケさんが先ほどよりも近くにいて、私の顔を覗き込んでいました。
濃い紫色の瞳と目が合います……
「今度、この町を案内するよ。来たばかりで、まだまだわからないことも多いだろうしなぁ。まあ、これといって特に目を引くものなんてないが……俺と一緒なら、退屈させないよ」
「えっ……」
「だから、どうかな……ふたりきりで、ね?」
つづく




