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歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第11章「歌姫の3年間」
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第9話「今は、これでいいや」

 ステージから店内を見回して、ワヤちゃんは私に微笑みかけました。


「ジュスティーヌには言ってなかったけど、あたしは踊り子としてこのステージに立つこともあるのよ!」

「え!」

「常連さんがステージを面白がってギター持ってきて弾くことがあって……それに合わせて踊ったりしてるんだー。楽しいよ」


 ワヤちゃんが手招きするので、私もステージのほうへと歩いていきました。

 さすがにステージに飛び上がる体力はまだなさそうなので、下からぐるりと店内を見回してみました。


 ……それにしても、ワヤちゃんが踊り子だなんて想像もしていなかった。

 でも、言われてみると似合っているような気がします。

 ここで働き始めたら、私も見せてもらえるのでしょうか。

 私は、ステージで踊るワヤちゃんを想像しながら、ふとカウンター席のテーブルへと目を向けました。


 そこには、何かが置かれていました。

 何か……

 テーブルの上に小さな一輪挿しがあり、中には1本のバラ……

 目に眩しい、金糸雀色のバラです。

 きれい……でも、あれ……?

 こんなもの、さっきまでなかったような気がします。

 何度か瞬きを繰り返してみたり、目をこすったりしてみたのですが、バラの花は消えることなく一輪挿しの中で揺れていました。


 私は、無意識のうちにそのカウンター席へと近づいていました。

 どうしても、そのバラの花から目が離せなかったのです。

 カウンター席へとやってきた私は、バラの花をまじまじと見つめて、すっと手を伸ばしました。

 この花びらに触れたい……

 触れば、何か思い出せるような気がする……

 あと少しで手が届くと思った、そのとき。


「ジュスティーヌ? どうしたの?」


 ステージの上からワヤちゃんに声をかけられて、私は顔を上げました。

 目の前では、ナンモさんが目を見開いています。


「あ。え、えっと……」


 私は、ふたりの顔を交互に見ながら、カウンター席のテーブルを指さしました。

 しかし……

 そこにあるのは、鏡のように磨き上げられたテーブルだけ。

 金糸雀色のバラが挿された一輪挿しは、どこにも見当たりません。


「……? なぁに? 何か、あったの……?」


 ワヤちゃんは、私が指さした先をじーっと見つめています。

 私はたまらず「さっきまで、ここにバラの花が……」と呟いたのですが、ワヤちゃんは怪訝そうな顔をするばかりでした。

 残念ながら、信じてはもらえなさそうです。

 きっと何かの見間違いだったのでしょう。

 私がワヤちゃんに「やっぱりなんでもない」と言おうとした、そのとき。


「何か、思い出せそうなものが見えたのね」


 ナンモさんが「うんうん」と頷きました。

 どうやら、ナンモさんには私の気持ちはお見通しのようです。

 私が「たぶん、ですけど……」と頷くと、ワヤちゃんが「ごめん! 話しかけちゃった!」と口元を押さえたので、私は慌てて「大丈夫! 気にしないで!」と首を横に振りました。


「たぶん、説明しようとしたときにはもう消えていたから、ワヤちゃんは何も悪くないよ」

「う、うん、それならいいんだけれど……」


 ワヤちゃんは「ごめんね」と舌を出しました。

 本当に、良い人です。

 そんな私たちのやり取りを眺めていたナンモさんが、笑いながら口を開きました。


「ジュスティーヌってば、すごくキョロキョロしてるんだもの。これは、何かわたしたちには見えないものを見ているんだなぁと思ったのよ。まぁ、ワヤにはわからなかったみたいだけど……ね? そうでしょう?」


 ナンモさんの言葉に、私はコクコクと頷きました。

 ワヤちゃんは「ちょっとナンモさん」と口を尖らせていましたが、ナンモさんは笑って相手にしません。

 私は、もう一度カウンター席から店内を見回してみました。

 大きなテーブル席、店奥のステージ……

 なんだか、すべて見たことのある場所のような気がしてきます。

 それはきっと、私が似たような場所で暮らしていたせいかもしれません。


 しかし……

 ではなぜ、そこに金糸雀色のバラが見えたのでしょう……

 このバラだけが、どうしてもわかりません。

 なぜバラの花なのか……

 と、そんなことを考えていると、ステージ横に掛けられた柱時計がボーンと耳に心地よい音で鳴り響きました。

 3人揃って見上げれば、時計の針はちょうど正午を指していました。

 お昼ご飯の時間です。

 ナンモさんがポンと手を打ちました。


「さ、美味しいお昼ご飯を作るから、ワヤには手伝ってもらうわね」

「はぁい! まかせて!」

「ジュスティーヌは、こっちにいらっしゃい。あなたのお部屋に案内してあげる」


 私は、ナンモさんについてステージ裏へと続く廊下を歩いていきました。

 なんだかお腹が空いてきました、お昼ご飯が楽しみです。


 ……こうして、私の新しい生活が始まったのです。

 様々な謎を残しながら……



★彡☆彡★彡



 ステージの裏は長い廊下になっていて、小さな部屋がいくつか並んでいました。

 その中のひとつが、私に用意された部屋でした。

 南向きの窓がついた、日当たりの良いステキなお部屋です。

 大きめの机に本棚、見るからにフカフカのベッド。

 入って左手にあるクローゼットはとても大きくて、なんと立ったまま中に入れるほど広い造りになっています。


 私は、南向きの窓を右手に、ひとりポツンとベッドに腰掛けていました。

 ナンモさんとワヤちゃんは今日のお昼ご飯を作りつつお店の準備をするために、カウンターの奥にあるという台所で働いています。

 私は「落ち着くまでゆっくりしていてね」というふたりの言葉に甘えて、部屋の中でぼんやりと過ごしていたのでした。

 ベッドから立って歩いてみたり、備え付けの机を撫でてみたり、椅子に腰掛けてみたり。

 クローゼットの横に置かれたタンスも開けてみました。

 すると、中から髪ゴムがひとつ出てきました。


 はて……これは、ワヤちゃんの?

 それとも、ナンモさん?

 ワヤちゃんは普段からツインテールだから、1本だけの髪ゴムは使わないかな。

 ってことは、やっぱりナンモさんの?

 手に取ってみると、こげ茶色の柔らかくそれでいて強い反発力で使い勝手が良さそうな髪ゴムです。

 これは後でナンモさんに渡そう。

 と、思っていたのですが……


 …………?


 私は、無意識に長く伸びた金髪を手櫛でささっととかすと、肩掛けの三つ編みを編み始めたのです。


「……」


 我に返ったときには、右肩に三つ編みになった自分の髪がちょこんと乗っかっていました。


『……今は、これでいいや』

「えっ……?」


 自分のものなのに、自分のものとは思えない声が頭の中に流れてきて、私ははっとあたりを見回しました。

 しかし、この部屋には私ひとりだけ。

 いつの間にか、クローゼットの中で見かけた全身鏡の前に立っています。

 目の前の全身鏡には、呆然とする女の子が映っています。

 いまだ見慣れない、私自身の姿です。

 頭の中に響いてきた『今は、これていいや』という言葉……

 それはつまり、私には本来の髪形がある、ということなのでしょうか……

 この三つ編みは、何かの妥協案ってこと……?

 うーん、謎は深まるばかりです。


 険しい顔のまま首を傾げていると、ふと部屋の外からいい匂いが漂ってきました。

 いい匂い……美味しそうな匂いです。

 これは確か……お出汁の香り、だったような。

 ノルテ王国独自の文化である「お出汁」は、優しく包み込むような香りであるのに、食欲をそそるのです。


「……」


 そうでした、ワヤちゃんとナンモさんは、絶賛お昼ご飯の支度中なのでした。

 このまま黙って待っているのも気が引けたので、私は部屋を出て来た道を戻り、お店のカウンター席へと向かいました。



つづく

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