第8話「なんもなんも」
どうしてそこまで、私のことを気にかけてくれるのだろう。
私はこの人たちに迷惑ばかりかけているというのに。
お世話ばかりしてもらっているというのに。
だから、これ以上甘えるわけには……
そう考えていると、ワヤちゃんが私の顔を覗き込んで、
「ジュスティーヌ、まさか迷惑なんじゃないかとか考えてないでしょうね?」
と、眉を吊り上げました。
ワヤちゃんのこんな表情を見るのは、初めてかもしれません。
図星を指された私は、すっと目を伏せました。
ワヤちゃんは話し続けます。
「そんなこと……気にしなくっていいの! ナンモさんは、こういう人助けが好きでやってるんだから! それに、あたしだってそうやってここで暮らし始めたんだよ! 同じだよ!」
「え、ワヤちゃんも……?」
思わず尋ねると、ワヤちゃんは子どもっぽく「うん!」と大きく頷きました。
……そういえば、今までワヤちゃんは私の話は聞いてくれるけれど、自分のことを私に話してくれたことはありません。
何か言いにくいことがあるのかもしれないので、こちらからは聞かずにいたのですが……
「あら、ジュスティーヌ。もしかして、ワヤから何も聞いてなかったりする?」
ナンモさんの問いかけに頷いてみせると、ナンモさんは「実はね」と楽しそうに話し始めました。
「ワヤは、家出少女だったのよ。というか……三十路手前で家出ってねぇ。あ、それを言うなら『少女』も」
「ちょっとナンモさん、逸れてるって」
「あ、ごめんごめん。とにかく、このいい年して『家出少女』のワヤは、まぁ~いろんな人にたぁ~くさん迷惑かけて心配させて大変だったのよ。三十路手前のいい大人が」
「三十路手前は何回も言わなくていいってば」
「はいはい。で、一応家族には連絡したんだけど『帰りたくない』の一点張り。しょうがないから、ここで一緒に暮らしているってわけ。まぁ、お店を手伝ってもらえるのはありがたいんだけど……そんなワヤが来てから、いろいろ考えたの。わたしが、ワヤみたいな行き場のない人たちの助けになるためにできることってなんだろうって」
ナンモさんがそこで一息つくと、今度はワヤちゃんが前のめりに、
「つまりね、ジュスティーヌ。ナンモさんもそうだけど、あたしだって自分と同じ境遇の人を助けたいって思ってるの。こっちが好きでやってるんだから、嫌だったら言ってほしいけど、遠慮はしなくていいの!」
ね? と確かめるように言われて、私は目を閉じて想像してみました。
ナンモさんの小料理屋で働く私……
お客様にお料理を運んだり、お会計したり、お店のお掃除をしたり……
……あれ?
なぜでしょう、小料理屋で働く私が頭の中で生き生きと想像できます。
病院勤めの私は、何ひとつ想像できなかったというのに。
と、いうことは、もしかして……
私は、食事を提供するようなお店で働いていたのかもしれません。
……ええ、きっとそうに違いない!
ようやく「自分」と再会できたような気がした私は、自然に口元を綻ばせていました。
よかった……
別に何かを思い出したわけではないけれど、ナンモさんのお店で働いているうちに何か思い出せるかもしれない、という希望も見えてきました。
うん、それなら大丈夫。
私は自分に小さく頷くと、姿勢を正してナンモさんに頭を下げました。
「……お世話になります」
たくさん迷惑をかけて心配させてしまうかもしれないけれど……
信じよう、この人たちの優しさを。
顔を上げた先では、ナンモさんとワヤちゃんが微笑みを浮かべて私を見つめていたのでした。
★彡☆彡★彡
ナンモさんのお店の名前は『なんもなんも』といいます。
これは、ノルテ王国の言葉で「大丈夫」とか「心配ない」とか「気にしてないよー」とか「どういたしましてー」とか……とにかく、万能な言葉として使われるものだそうです。
「とにかく、万能すぎて大陸本土の言葉に訳せないのよねぇ。困ることもあるけれど、まぁそこが面白くて良いところだったりするかな」
穏やかな海を右手に、私とワヤちゃん、そしてナンモさんは病院から『なんもなんも』へと、西から東へ向かって砂浜の道を歩いていました。
どうやらこの先の浜辺に、私は打ち上げられていたようです。
なるほど、ここからならウルカス先生の病院は目と鼻の先です。
ナンモさんのお店はここから10分ほど歩いたところにあるらしく、私はひとり「なるほど、だからお昼ご飯のオムライスが温かかったのか」なんて納得していたのでした。
ちなみに、ドンパ君が働いている宅配会社は病院から通りを1本渡った斜向かいにあるそうです。
この通りには建物が規則正しく並んでいるので、地図はなくてもなんとなく場所がわかるような気がします。
穏やかな波の音が鼓膜を揺らし、街中を通り過ぎていきます。
ときおり吹き抜ける風はひんやりと心地よいもので、自然と顔が綻びます。
しばらく歩いていくと、視界の先に何やら大きな建物が見えてきました。
背の高い建物ではありませんが、何か催し物ができそうな派手なものです。
この静かな場所には似合わないような気がしたので、ワヤちゃんに何をするための建物なのか尋ねてみようとしたのですが、
「あ、見えてきた! ジュスティーヌ、あれが『なんもなんも』よ!」
ワヤちゃんのキラキラした瞳に、私の質問は驚きの「え!?」へと変化したのでした。
ナンモさんはというと、私が質問することを予想していたのか、愉快そうに「どう? 思っていた以上に派手で驚いたでしょう」と言って大きな声で笑いました。
小料理屋と聞いて小さな一軒家を想像していた私は「はい」と素直に頷いていました。
けれどもナンモさんは、
「近づくとわかるけどね、実は結構ガタがきてるとこもあるのよ。まぁ、修繕できてないだけなんだけど」
と、豪快に笑ったのでした。
そうして歩いていくうちに、小料理屋『なんもなんも』の建物前まで来て、私はようやくナンモさんの言葉に納得したのです。
可愛らしいとんがり帽子屋根は、潮風に煽られ続けたせいか白っぽくなっていて、ところどころヒビも見られます。
遠くから見るとお洒落なすりガラスのようになっている大きな窓は、こちらも潮が浮いていてくすんでいるだけのようです。
「外側はねぇ、わたしが買った頃からそのままなの。そろそろ直したいんだけど、修理するお金も時間もなくてそのままってわけ。でも、中は違うのよ。入ったら、いい意味でびっくりするから!」
ナンモさんは、どうやら建付けが悪くて開けるのにコツがいりそうな扉を引いて開けると「さあどうぞ」と中に入っていきました。
続いて入っていったワヤちゃんに手招きされ、私も「お邪魔します」と中に入りました。
入口の近くには奥行きのあるカウンター席、右手にはいくつかボックス席が並んでいます。
そして入口の斜め向かい側、店奥には大きなステージが……
ステージ?
どうして小料理屋の店奥に、そんなものがあるのでしょう。
こんな私の疑問に答えるように、カウンター席にいたナンモさんが振り返りました。
「この建物、もともとは舞台か何か、そういうものをやっていた場所だったみたいなの。建て直すにはちょっとお金が足りなくてね。それなら、このままでいいやと思ってそのまま使っているってわけ」
「へぇ……」
なるほど、もともとは小料理屋じゃなかったんですね。
私がひとりで納得していると、ワヤちゃんが身軽な動きでステージに飛び上がりました。
片手をついて、そこから一気に身体を持ち上げる……
なんとも華麗な身のこなしです。
つづく




