第6話「ジュスティーヌ(仮)18歳」
「ジュスティーヌ、何か思い出したことはありますか?」
枕元の丸椅子に腰掛け、ウルカス先生の問診は始まります。
決まってこの質問からというのも、私は気に入っています。
これまで私は、この質問に毎日のように首を振り続けていました。
しかし……今日は違うのです。
なんてったって、思い出したことがあったのですから。
私はウルカス先生に大きく頷き、口を開きました。
「あの、誕生日のことなんですけど、思い出したことがあって……おぼろげに、18歳のお祝いだったような気がするんです」
私のこの発言に、ウルカス先生は珍しく目を見開きました。
「なるほど、18歳……直近の誕生日の記憶が18歳のお祝い、ということですか」
ウルカス先生の確認に、私はコクンと頷きました。
先生は何度も「なるほど、なるほど」と呟いて、
「そう言われてみると、かなり年相応ですね。私の見立てが当たりました」
と、これまた珍しく微笑みました。
「よかった、ドンパと初対面のときは外しましたから、自信はなかったのですよ」
「へぇ……そういえば、ドンパ君って何歳なんですか?」
「ああ、17歳ですよ。私が会ったときは15歳でしたけど」
「え!」
「もう少し上に思っていたでしょう? 驚きますよね」
ウルカス先生は、ドンパ君とまさかの一つ違いだったことに驚く私を面白そうに観察しながら、手元のメモに何やら書き込みました。
残念ながら、私の場所からでは何と書いてあるかは見えません。
おそらく「ジュスティーヌ(仮)18歳」なんていう風に書いてあるのかもしれません。
先生の持っているメモ帳は、決して小さいものではなく、たくさん書き込みができるタイプのものと思われます。
でもきっと、書いてあることは片手で足りるほどでしょう。
何でも書き込めるはずのメモ帳に、何も書き込むことがないなんて……
「……」
私はふと黙り込んでしまいましたが、ウルカス先生は優しく微笑んで、
「ゆっくりで構いませんよ。いくら時間がかかったっていい。大事なのは、思い出すことなのですから」
と、励ましてくれたのでした。
毎日の日課である問診が終わると、夕飯まで寝ているようにと言われます。
ようするに、お昼寝の時間です。
体力を回復させるためには、眠ることがいちばんの薬なのだそうです。
しかし……
私は、どうにもこの時間が苦手なのです。
もともと、朝から晩までベッドの中にいますから身体は疲れていませんし、使っていない頭も冴え渡っていて、こんな状態で眠れるわけもなく、ただただ退屈なだけなのです。
なので、
「ジュスティーヌさーん! こんにちはーっ!」
ときおり元気よく病室の扉を開けてやって来るドンパ君から「今日の出来事」を聞かせてもらえる日は、ちょっと嬉しくなるのでした。
今日もドンパ君は元気よく丸椅子に腰掛けると、身振り手振りでもって面白おかしく話してくれました。
「今日もいろんなところに配達に行ったんすけどね、行く先々で師匠が子どもに怖がられて泣かれちゃって。大変だったけど、まあいつものことなんで、面白かったっす!」
にこやかに話すドンパ君は、17歳にしては筋肉質な見た目の通り、この町唯一の宅配会社で働いています。
喋り方は軽すぎる感じですが、その実態はとてもまじめな青年で、仕事のための体力づくりにと、毎日重ための走り込みを欠かさないそうです。
そのおかげで、私は浜辺に打ち上げられていたところを見つけてもらえたわけです。
「ジュスティーヌさんのお見舞いへは、師匠のことも毎日誘ってるんすよ。でも、いつも『また今度』って断られちゃうんす……師匠、きっとジュスティーヌさんになんて声かけたらいいかわかんないから、会っても困るとか思ってるんじゃないかな。おれがいくら『ジュスティーヌさんは、そんなこと気にしない人っす』って言っても、失礼なこと言ったら困るからって……師匠、ちょっとまじめすぎっすよね」
少し寂しそうなドンパ君につられて、私もコクコクと頷きました。
ドンパ君が「師匠」と呼んで必ず話の中に登場させる人物の名前は、シタッケさんといいます。
40代くらいの男の人で、ドンパ君のお仕事の先輩さんなのだそうです。
ドンパ君曰く「根は優しくて力持ちの善人なのに、ちょっと顔が怖いせいで近寄りがたい雰囲気がある」とのことですが、笑った顔はこちらが安心するほど優しいものなんだとか。
……というふうに、ドンパ君はシタッケさんを心の底から信頼しているのでした。
ちなみに、ワヤちゃんの話によるとシタッケさんには亡くなった弟さんがいて、その弟さんがナンモさんの旦那さんだったのだそうです。
つまりシタッケさんはナンモさんの義理の兄ということで、ナンモさんのお店にもよく顔を見せる常連さんなのでした。
そのせいか、ワヤちゃんとドンパ君も普通の幼馴染以上に仲が良かったりします。
……自分が何者かわからない私には、羨ましい限りです。
日が沈むと、ドンパ君は「また来ます!」と元気よく帰っていきます。
そして私は少なめの晩ご飯を食べ終え、夜は眠りにつくのでした。
病室は個室なので私ひとりですし、ウルカス先生も離れた仮眠室に引き上げてしまうので、私はポツンと取り残されたようになってしまいます。
すぐに寝入ってしまえば気にはならないのですが……
目が冴えているときは、胸が押しつぶされそうになります。
横になって目を閉じても、頭の中で絶えず何かを考えてしまって、なかなか寝付けないのです。
もしもこのまま、記憶が戻らなかったらどうしよう。
私は、いったいいつまでここにいていいんだろう。
このまま何も思い出せずにここを追い出されてしまったら、私はいったいどうしたらいいんだろう……
温かい羽根布団に包まっているはずなのに寒気がしたり、窓をカタカタと鳴らす風の音が耳についたり。
強い消毒液の匂いに鼻が慣れても、この涙が止まることはありません。
……どうして泣いているのか、自分でもわからなくなるのです。
涙の理由……
何も思い出せない苛立ち。
自分という存在がある人たちへの妬ましさや羨ましさ。
そのどれもが正解のようだったり、逆にすべて間違いのようだったりして、涙はとめどなく溢れていくのでした。
泣きつかれて寝不足のまま迎えた翌日は、目元が腫れぼったくなってしまいます。
それは午後まで治らないことが多く……ワヤちゃんにも隠せないほどです。
けれどもワヤちゃんは、大げさに心配するわけでもなく、ただ「何でも話してね」と声をかけるだけです。
……この心遣いに、何度救われたことでしょう。
私はお言葉に甘えて、ワヤちゃんに何でも話すことにしています。
頭の中で整理できていない言葉たちはいつも支離滅裂ですが、ワヤちゃんは相槌を打ちながら真剣に聞いてくれるのでした。
そして私の話を一通り聞き終えると、うんうんと頷いて、
「あたしは、ノルテ王国の北東部で生まれて、子どもの頃はそこで暮らしてた。北東部って、この南東部よりうんと田舎なんだよね。なーんにもないの。だから、そこで過ごした子ども時代のことはずっと忘れたいって思ってる。いやーな想い出ばっかりなんだもん」
……そこでため息をついたのは、いやーな想い出が蘇ってしまったからでしょう。
それでも、私はワヤちゃんが羨ましかったのです。
どんなに嫌なことでも、思い出せるだけ幸せじゃないか、と。
なので、ワヤちゃんが「だから」と続けた言葉には驚かされました。
「思い出せないってことは、そのほうが幸せってことなのかもしれないよね」
つづく




