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歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第10章「旅する作家志望、事実を聞かされる」
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第9話「ごめんなさい……わかりません」

「え? 何すか? この船のことなら、もう充分説明したと思うんすけど、もっと聞きたいとかっすか? おれなら、全然大丈夫っすよ!」

「あ、いや、違うんだ。船のことではなくて……」


 無邪気なドンパ君に、船長はぶんぶんと首を振った。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「実は……ジュスティーヌのことで、聞きたいことがあるんだ」


 船長が口にした「ジュスティーヌ」という名前に、ドンパ君の表情が引き締まったように見えた。

 まるで、こんな状況になることが最初からわかっていたかのような……

 何を聞かれても正直に話そうと覚悟を決めたかのような……

 そんな顔のドンパ君に、船長は質問を口にした。


「どうして、今なんだろうか」

「……?」

「どうしてジュスティーヌが生きていて無事だとわかったのが今なのか、どうしてすぐに知らせてくれなかったのか……理由があるなら、教えてもらえないだろうか」

「……」


 船長の質問は、とても正確だった。

 これなら答えやすいんじゃないかと思ったのだけれど……


「……」


 ドンパ君は黙ったまま、何も答えない。

 それどころか、先ほどまでの元気はどこへやら、笑顔もなく俯いている。

 いったい、どうしてしまったのだろう。

 出会ったときの彼とは、別人である。


「……」


 昼下がりの港には、数羽のカモメの鳴きかわす声が遠くに響いている。

 潮騒は耳に優しく、風が潮の香りを運んでいた。

 鼻の奥がツンとする、冷たい風……

 もうすぐ、冬がやって来る。

 かじかむ手に息を吹きかけていると、


「……今まで、だれにも聞かれなかった。だから、黙っていたんです」


 ドンパ君のか細い声が耳に届いた。

 口を開いて、何かを言いかけては閉じている。

 言わないといけないことがあるけれど、なかなか踏ん切りがつかないらしい。


「……」


 わたしたちは、待ちに待った。

 教えてもらえるなら、いつまででも待ってやる。

 口にはしなかったけれど、3人とも同じ気持ちだったに違いない。

 それから、いったいどれほどの時間が過ぎただろう。

 まだ高かった日が傾き始めた、そのとき。


「ジュスティーヌさん、は……」


 ドンパ君は意を決したように俯いていた顔を上げて、わたしたち3人の顔を順繰りに見回した。

 そして、ようやく質問の答えを教えてくれた。


「ジュスティーヌさんは……記憶喪失なんです」


 ……え?

 わたしの頭の中を、ドンパ君の言葉がクルクルと回り出す。

 キオク……

 ソウシツ……

 その言葉が「記憶喪失」だと理解し直すのに、少し時間がかかってしまった。

 記憶喪失って、小説や漫画なんかに出てくる、あの……?

 自分が何者なのか、名前も年齢も出身地も何も覚えていない、何もわからないっていう、あの記憶喪失?


「……」


 わたしは、思わず船長と顔を見合わせた。

 船長は珍しく目を見開いて、ぽかんと口を開けている。

 はたから見れば、かなりのアホ面だろうけれど……

 おそらく、わたしも今、船長と同じ顔をしていることだろう。

 まさか、ジュスティーヌさんが記憶喪失だなんて……

 でも、そう考えると頷けることばかりだ。


 3年もの間、何の連絡もなかった理由……

 それは、連絡する手段がなかったのではなく、連絡する相手や場所がわからなかったからだったのだ。

 いや、待て……

 その記憶喪失のジュスティーヌさんが、わたしたちの探しているジュスティーヌさんだと断定してしまうには、まだ早すぎる。

 ここまで聞かされて、ひとつの疑問が出てきたのだから。


「あの、ドンパ君」


 衝撃の事実を口にして目を伏せていたドンパ君に、わたしは努めて冷静に尋ねていた。


「どうして、助けた女の子の名前がジュスティーヌだってわかったんですか」


 記憶喪失のジュスティーヌさんは、何も覚えていないはず。

 それなのにどうして、ドンパ君は彼女の名前を知っているのだろう。

 もしかして、名前だけは覚えていた、とか?


「何か理由があるなら、教えてください。そうすれば……そのジュスティーヌさんが、わたしたちの探しているジュスティーヌさんかどうか、わかると思うんです」

「……」


 項垂れたままだったドンパ君は、ようやく顔を上げた。

 そこにあったのは、初めて会ったときの笑顔でもなく、先ほどまでの暗い顔でもなく、いたって真剣な表情だった。


「おれが、ジュスティーヌさんを見つけたときの話……聞いてもらえますか」


 その一言に、成り行きを見守っていた船長が小さく頷くと、ドンパ君は3年前の出来事を話し始めた。



★彡☆彡★彡



 季節が冬から春になろうとしていた、ノルテ王国の東岸マーサローの浜辺……

 そこで、おれは行き倒れを見つけました。

 おれの仕事は宅配業で、もともと力も強かったんで、生死問わず、その行き倒れを近くの病院に運んでやろうと思いました。


 近づいてすぐに生きているってわかってほっとしました。

 そして、珍しいことに女の人だってわかって驚きました。

 サラサラの長い金髪、棒のようにスラっとした手足……

 着ていたドレスは潮水のせいでボロボロで……

 あ、大丈夫っす! 見てませんから!

 ……見ないように運ぶの、大変だったんすよ。


 それで、おれと病院の先生と、たまたま病院にいたおれの幼馴染のアネゴみたいなのが見守る中、行き倒れていた女の人は目を覚ましました。

 病院の先生の説明ひとつひとつに頷いていて、女の人はだんだんと意識もはっきりしてきたみたいでした。

 でも、先生が名前を聞くと、


『ごめんなさい……わかりません』


 キレイな紫色の目を伏せて、力なく首を横に振ったんです。

 いったい、どういうことだ……?

 おれと幼馴染は顔を見合わせました。

 その間に、先生が年齢や出身地なんかを聞いてみても、女の人は首を振るばかりでした。


『これは推測ですが……おそらく、脳内が酸欠になって引き起こされる記憶障害……記憶喪失と呼ばれるものかと思われます』


 先生がそう告げると、女の人はぽかんとして瞬きを繰り返していました。

 そんな彼女に、先生は、


『これは、望み薄ですが……何か、身元がわかるようなものを持ち合わせてはいませんか。何でもいいのですが』


 そんな駄目でもともと、といった雰囲気の質問に、女の人はボロボロのスカートの中に手を入れたりしながら、何か探し始めました。

 あ、大丈夫っす! 見てませんから!

 幼馴染に目隠しされてたんすよ。


『あの……こんな、ものが』


 女の人は、どうやらボロボロのスカートのポケットから、これまたボロボロの紙切れが出てきたと教えてくれました。

 その紙切れには何か文字が書いてあったみたいなんですが、残念ながら大半は潮水でぼやけて読めなくなっていました。

 紙が開けることも奇跡みたいなもので……

 それなのに、ギリギリ読める部分に、ちょうど名前が書かれていたんです。


『ジュ、ス、ティー、ヌ……大事な……入れて、お、く……』


 それで、おれたちはこの行き倒れて記憶のない女の人を「ジュスティーヌさん」って呼ぶようになりました。

 でも、この手紙を見ても、ジュスティーヌさん本人は何も思い出せないみたいで……

 今でも、本当に自分の名前なのか自信がないって言ってます。


 ……これで、おれがジュスティーヌさんを見つけたときの話は終わりです。

 どうでしょう、皆さん。

 このジュスティーヌさんは、皆さんが探しているというジュスティーヌさんでしょうか?


 ジュスティーヌさんは、この3年間、自分のことを何も思い出せずに苦しんでいます。

 皆さんがジュスティーヌさんのお知り合いだというのなら、どうか……

 ジュスティーヌさんに自分のことを思い出させてあげてください。

 ……お願いします。



第10章 おわり

これにて第3部(第6章〜第10章)完となります。ようやく、物語が動き始めました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。感想などお寄せくださると嬉しいです。

第4部(第11章〜)では、ついに歌姫と船長が3年ぶりに再会し、感動のラストシーン……

とはなりません、残念ながら。

次第にすれ違っていく歌姫と船長の想いに、シーナはどう向き合っていくのか……

第4部の終わりに、また皆様と出会えるよう、楽しく書き進めて参ります。

これからもどうぞご贔屓に!

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