第9話「ごめんなさい……わかりません」
「え? 何すか? この船のことなら、もう充分説明したと思うんすけど、もっと聞きたいとかっすか? おれなら、全然大丈夫っすよ!」
「あ、いや、違うんだ。船のことではなくて……」
無邪気なドンパ君に、船長はぶんぶんと首を振った。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「実は……ジュスティーヌのことで、聞きたいことがあるんだ」
船長が口にした「ジュスティーヌ」という名前に、ドンパ君の表情が引き締まったように見えた。
まるで、こんな状況になることが最初からわかっていたかのような……
何を聞かれても正直に話そうと覚悟を決めたかのような……
そんな顔のドンパ君に、船長は質問を口にした。
「どうして、今なんだろうか」
「……?」
「どうしてジュスティーヌが生きていて無事だとわかったのが今なのか、どうしてすぐに知らせてくれなかったのか……理由があるなら、教えてもらえないだろうか」
「……」
船長の質問は、とても正確だった。
これなら答えやすいんじゃないかと思ったのだけれど……
「……」
ドンパ君は黙ったまま、何も答えない。
それどころか、先ほどまでの元気はどこへやら、笑顔もなく俯いている。
いったい、どうしてしまったのだろう。
出会ったときの彼とは、別人である。
「……」
昼下がりの港には、数羽のカモメの鳴きかわす声が遠くに響いている。
潮騒は耳に優しく、風が潮の香りを運んでいた。
鼻の奥がツンとする、冷たい風……
もうすぐ、冬がやって来る。
かじかむ手に息を吹きかけていると、
「……今まで、だれにも聞かれなかった。だから、黙っていたんです」
ドンパ君のか細い声が耳に届いた。
口を開いて、何かを言いかけては閉じている。
言わないといけないことがあるけれど、なかなか踏ん切りがつかないらしい。
「……」
わたしたちは、待ちに待った。
教えてもらえるなら、いつまででも待ってやる。
口にはしなかったけれど、3人とも同じ気持ちだったに違いない。
それから、いったいどれほどの時間が過ぎただろう。
まだ高かった日が傾き始めた、そのとき。
「ジュスティーヌさん、は……」
ドンパ君は意を決したように俯いていた顔を上げて、わたしたち3人の顔を順繰りに見回した。
そして、ようやく質問の答えを教えてくれた。
「ジュスティーヌさんは……記憶喪失なんです」
……え?
わたしの頭の中を、ドンパ君の言葉がクルクルと回り出す。
キオク……
ソウシツ……
その言葉が「記憶喪失」だと理解し直すのに、少し時間がかかってしまった。
記憶喪失って、小説や漫画なんかに出てくる、あの……?
自分が何者なのか、名前も年齢も出身地も何も覚えていない、何もわからないっていう、あの記憶喪失?
「……」
わたしは、思わず船長と顔を見合わせた。
船長は珍しく目を見開いて、ぽかんと口を開けている。
はたから見れば、かなりのアホ面だろうけれど……
おそらく、わたしも今、船長と同じ顔をしていることだろう。
まさか、ジュスティーヌさんが記憶喪失だなんて……
でも、そう考えると頷けることばかりだ。
3年もの間、何の連絡もなかった理由……
それは、連絡する手段がなかったのではなく、連絡する相手や場所がわからなかったからだったのだ。
いや、待て……
その記憶喪失のジュスティーヌさんが、わたしたちの探しているジュスティーヌさんだと断定してしまうには、まだ早すぎる。
ここまで聞かされて、ひとつの疑問が出てきたのだから。
「あの、ドンパ君」
衝撃の事実を口にして目を伏せていたドンパ君に、わたしは努めて冷静に尋ねていた。
「どうして、助けた女の子の名前がジュスティーヌだってわかったんですか」
記憶喪失のジュスティーヌさんは、何も覚えていないはず。
それなのにどうして、ドンパ君は彼女の名前を知っているのだろう。
もしかして、名前だけは覚えていた、とか?
「何か理由があるなら、教えてください。そうすれば……そのジュスティーヌさんが、わたしたちの探しているジュスティーヌさんかどうか、わかると思うんです」
「……」
項垂れたままだったドンパ君は、ようやく顔を上げた。
そこにあったのは、初めて会ったときの笑顔でもなく、先ほどまでの暗い顔でもなく、いたって真剣な表情だった。
「おれが、ジュスティーヌさんを見つけたときの話……聞いてもらえますか」
その一言に、成り行きを見守っていた船長が小さく頷くと、ドンパ君は3年前の出来事を話し始めた。
★彡☆彡★彡
季節が冬から春になろうとしていた、ノルテ王国の東岸マーサローの浜辺……
そこで、おれは行き倒れを見つけました。
おれの仕事は宅配業で、もともと力も強かったんで、生死問わず、その行き倒れを近くの病院に運んでやろうと思いました。
近づいてすぐに生きているってわかってほっとしました。
そして、珍しいことに女の人だってわかって驚きました。
サラサラの長い金髪、棒のようにスラっとした手足……
着ていたドレスは潮水のせいでボロボロで……
あ、大丈夫っす! 見てませんから!
……見ないように運ぶの、大変だったんすよ。
それで、おれと病院の先生と、たまたま病院にいたおれの幼馴染のアネゴみたいなのが見守る中、行き倒れていた女の人は目を覚ましました。
病院の先生の説明ひとつひとつに頷いていて、女の人はだんだんと意識もはっきりしてきたみたいでした。
でも、先生が名前を聞くと、
『ごめんなさい……わかりません』
キレイな紫色の目を伏せて、力なく首を横に振ったんです。
いったい、どういうことだ……?
おれと幼馴染は顔を見合わせました。
その間に、先生が年齢や出身地なんかを聞いてみても、女の人は首を振るばかりでした。
『これは推測ですが……おそらく、脳内が酸欠になって引き起こされる記憶障害……記憶喪失と呼ばれるものかと思われます』
先生がそう告げると、女の人はぽかんとして瞬きを繰り返していました。
そんな彼女に、先生は、
『これは、望み薄ですが……何か、身元がわかるようなものを持ち合わせてはいませんか。何でもいいのですが』
そんな駄目でもともと、といった雰囲気の質問に、女の人はボロボロのスカートの中に手を入れたりしながら、何か探し始めました。
あ、大丈夫っす! 見てませんから!
幼馴染に目隠しされてたんすよ。
『あの……こんな、ものが』
女の人は、どうやらボロボロのスカートのポケットから、これまたボロボロの紙切れが出てきたと教えてくれました。
その紙切れには何か文字が書いてあったみたいなんですが、残念ながら大半は潮水でぼやけて読めなくなっていました。
紙が開けることも奇跡みたいなもので……
それなのに、ギリギリ読める部分に、ちょうど名前が書かれていたんです。
『ジュ、ス、ティー、ヌ……大事な……入れて、お、く……』
それで、おれたちはこの行き倒れて記憶のない女の人を「ジュスティーヌさん」って呼ぶようになりました。
でも、この手紙を見ても、ジュスティーヌさん本人は何も思い出せないみたいで……
今でも、本当に自分の名前なのか自信がないって言ってます。
……これで、おれがジュスティーヌさんを見つけたときの話は終わりです。
どうでしょう、皆さん。
このジュスティーヌさんは、皆さんが探しているというジュスティーヌさんでしょうか?
ジュスティーヌさんは、この3年間、自分のことを何も思い出せずに苦しんでいます。
皆さんがジュスティーヌさんのお知り合いだというのなら、どうか……
ジュスティーヌさんに自分のことを思い出させてあげてください。
……お願いします。
第10章 おわり
これにて第3部(第6章〜第10章)完となります。ようやく、物語が動き始めました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。感想などお寄せくださると嬉しいです。
第4部(第11章〜)では、ついに歌姫と船長が3年ぶりに再会し、感動のラストシーン……
とはなりません、残念ながら。
次第にすれ違っていく歌姫と船長の想いに、シーナはどう向き合っていくのか……
第4部の終わりに、また皆様と出会えるよう、楽しく書き進めて参ります。
これからもどうぞご贔屓に!




