第7話「寒くもないのに鳥肌が」
昼食を終えたばかりのポモさんが帰り支度を始めたので、わたしは早速挨拶へと向かった。
ポモさんは、わたしがここへ来るきっかけを作ってくれた人だ。
彼女がいなければ、わたしは船長とはただの「小説仲間」のようなもので、エスペーシア王国を離れてしまえばそれまでの関係だっただろう。
これから長旅になって、しばらくは会えなくなってしまうだろうから、ちゃんと挨拶しておきたかったのだけれど、ポモさんは、
「それじゃシーナたん、あとは頼みましたー!」
なんて軽く手を振って、いそいそと店を出て行ってしまった。
そういえば、エスペーシア王国の港町カイサーで別れたときも、こんな感じだったような。
どうやらポモさんは、どんなに小さなものでも、お別れが苦手みたいだ。
……と、まあ、そんなこんなで。
わたしと船長とエフクレフさんは、石畳に溢れかえるように並んだ店内の全員に見送られ、ついにアッチェレの店を出発した。
そこから、かつてジュスティーヌさんも歩いたであろう石畳の道を歩き続け、わたしたちは夕方にはペルガミーノ王国へと到着したのだった。
ジュスティーヌさんを知っているという若者を見つけたというダルセーニョさんが用意してくれた宿は、ペルガミーノ王国内でも指折りの高級宿で、かなり背の高い建物でもあるせいか、入国してすぐに見つけることができた。
宿屋のロビーには、場違いなほどに背筋の伸びた紳士が壁際に立っていた。
だれかを探しているのか、さりげなくあたりを見回すその顔には、明るい飴色の髪と同じ色のカイゼル髭が生えている。
あ、もしかして。
そう思う間もなく、わたしたちを見つけたカイゼル髭の紳士は、白茶色の優しい瞳で微笑みながら、
「船長様と、エフクレフ様、そしてシーナ様とお見受け致します。初めまして、わたくしがお手紙を差し上げましたダルセーニョでございます」
まるで心に直接語りかけているかのような良い声で、見本のような会釈をしたのだった。
船長より少し年上の、ステキなおじさまが目の前に立っている。
フワフワの明るい飴色の髪と、トレードマークのカイゼル髭。
そして、白茶色の優しい瞳。
飴色のスーツのベスト姿が、とてもよく似合っている。
……わたしは、密かに感動していた。
こんなにもステキな紳士が、この世界に存在しているなんて……
しかも、とんでもなく良い声で「シーナ様」だなんて……!
おお……寒くもないのに鳥肌が。
もともと「おじさま好き」のわたしではあるけれど、こんなにも胸がドキドキしたのは初めてだった。
これは、ファンの人たちで人だかりができるのも頷ける。
わたしもその場にいたら、人だかりの一員になっていたことだろう。
「旦那様と奥様から、お話は伺っております。宿の部屋は3部屋お取りしましたので、どうぞごゆっくり」
「ああ、そうだったのですか。わざわざ、ありがとうございます」
船長の感謝の言葉に、ダルセーニョさんはにっこり微笑んだ。
「これから長い旅になりますでしょうから、休めるときにお休みくださいませ」
ひゃー。
なんかもう、この宿の人みたいになっている。
そんな変な感想しか出てこなくなったわたしにも、ダルセーニョさんは部屋の鍵を手渡してくれた。
ご丁寧に、両手を添えて。
「それでは、わたくしはこれで……1年ぶりに、我が家へ帰らせていただきます」
そう言って、小さく頭を下げたダルセーニョさんは微笑みを浮かべていた。
それは、久しぶりに自分の家に帰れるからではなく、無事にすべての引継ぎが終了したからのように見えた。
あとは、お任せ致しました。
これから先のこと、どうぞよろしくお願い致します。
そんな言葉が聞こえたような気がして、わたしは思わず「はい」と返事をしていた。
「ありがとうございます、ダルセーニョさん。お疲れ様でした……お気をつけて」
「……」
ダルセーニョさんは、まさかわたしが喋るなんて思っていなかったらしい。
ほんの少し驚いたように目を丸くしていたものの、すぐに優しく微笑み、
「シーナ様、お気遣い感謝致します」
そう言って会釈すると、ダルセーニョさんは宿屋を後にした。
後ろ姿もまた、絵になるような美しさだった。
知らなかった……
あんなに格好いい人が、わたしの知らないところで、ジュスティーヌさんを探していたなんて。
無事にジュスティーヌさんが船長と再会して、ソニード王国のアッチェレさんのもとへ帰ってきて、そして……
わたしの小説が完成したら。
……読んでもらうんだ、ダルセーニョさんにも。
わたしは決意を新たにすると、先に部屋へ向かってしまった船長とエフクレフさんを追いかけたのだった。
★彡☆彡★彡
翌日。
わたしたちは、ペルガミーノ王国の城下町をレーカーの港へ向かって歩いていた。
「……」
宿屋からレーカーの港までは、地味にアッチェレの店から宿屋までよりも距離がある。
体力を温存するため、わたしたちは自然と無口になっていた。
ふと、息も切らさず歩き続ける船長の顔を覗き込んでみると……
船長は、あのときの難しい顔で何か考え込んでいるようだった。
「……」
先日、アッチェレの店で明らかになった「ジュスティーヌさんがノルテ王国にいる」という新情報……
そんな嬉しい知らせに、なぜか船長は難しい顔をして、ひとり腕を組んでいた。
いったいなぜだろう……
もしかして、情報が信じられない?
いやいや、疑っているのはそこじゃない。
だとしたら、残された疑問点は、やっぱり……
………
……
石畳に、わたしたち3人の足音が、三者三様に響いている。
ゆっくりと歩く船長、大股のエフクレフさん、足取りの重いわたし。
ペルガミーノ王国の城下町は人通りも多く、人々は自由気ままに過ごしているようだ。
公園で昼寝中の人、その隣でトランペットの練習をする人。
通りには本屋がひしめき合い、大きな邸宅の外壁は絵を描く人たちで溢れている。
早めの昼食か、テラス席の広いレストランでは人の行き来が激しく、お客さんが行きかうたびに温かいスープの匂いが漂ってきた。
ああ、美味しそう……
というか、ここにいたら一日があっという間に過ぎるんだろうなぁ。
そんな光景があちこちに広がっていて、つい目移りしてしまう。
なんて楽しそうなんだろう……
ペルガミーノ王国って、毎日こんな感じなんですか?
ねえ、船長……
「……」
船長は、声なんてかけられない雰囲気を身にまとって歩いていた。
難しい顔のまま、ひたすらに、黙々と……
うーん……
どうしよう、このままずっと、船長がこの顔だったら……
わたしだって、船長たちの仲間なのに。
このまま何もわからないっていうのは、ちょっと嫌だ。
……仕方ない。
うざったいと思われてもいいから、ここは思い切って聞いてみよう。
わたしは、少し前を歩く船長の顔を覗き込んで、
「昨日から、どうしちゃったんですか? 眉間にシワなんか寄せちゃって。船長、怖―い顔になってますよ?」
と、努めて明るく声をかけてみた。
しかし。
「……」
船長は黙ったまま、前を向いて歩き続けている。
ええーっ、無視ですか!
こ、こんなに勇気を出して声をかけたのに!
……はぁ。
やっぱり、やめとけばよかったかなぁ……
驚き落ち込むわたしが、すごすご後ろに退散しようとした、そのとき。
「……すまない。わからないんだ」
まるで地面に種をまくように、船長はぽろぽろと呟いた。
「わからない……?」
何が……?
船長の言葉に、わたしも腕を組んで考えてみた。
いったい、何がわからないんだろう。
船長が気になっていて、わからないことって……?
つづく




