第6話「おかえりを、言うために」
「……シーナサン」
わたしが船長を見つめていると、ふとアッチェレさんが視界に入ってきて、わたしに右を向くよう合図していた。
気がつけば店内はすっかり落ち着いていて、テーブルを囲む人々の視線は、いつの間にかわたしに集まっていた。
え。
な、何でしょう……?
とりあえず、アッチェレさんの視線の先を向いてみる。
すると、先ほどの手紙を手にしたフェルマータさんが、少女のようなキラキラとした瞳でわたしを見つめていた。
「実はね、シーナちゃん。この手紙にはもう1枚続きがあって……レーカーの港とノルテ王国を行き来する船っていうのが、とても小さい船で定員は4名なんですって。だから、その船に乗って来たジュスティーヌを知っているっていうお兄ちゃんを除いて、ノルテ王国へ行けるのはここにいる人のうち3人ってことになるのよ」
「へぇ……そうなんですね」
3人……
だれがいいか、相談ってことかな。
わたしなら、まずはアッチェレさん、あと船長。
もうひとりは、迷うなぁ。
なんてことを考えていたわたしは、この後のフェルマータさんの言葉に度肝を抜かれた。
「だからね、ここはぜひ、ジークさんとお付きのエフクレフちゃん、そしてシーナちゃんに行ってもらいたいと思っているの」
「……え」
フェルマータさん、今、何て?
船長とエフクレフさんと、わたし?
とんでもないところで登場した自分の名前に途惑っていると、テーブルを挟んで向かいに座るリットさんが元気に立ち上がり、盛大な拍手を始めた。
すると、店内はあっという間に大喝采に包まれた。
え、ええーっ。
皆さん、フェルマータさんが言った3人で納得しているんですか!?
いや、船長とエフクレフさんは、わたしも大賛成だけれど、でも最後のひとりが、
「わ、わたしでいいんですか……?」
その質問に、店内は一瞬静まった後、なんと温かな笑い声でいっぱいになった。
アッチェレさんにいたっては、
「何言ってるんだい! 3人目はシーナサンで決まりだろっ!」
怒ったようにそう言って、わたしの肩を力強く叩いたのである。
わたしで決まり……?
いやいや、そんなわけない!
「あ、あの、えっと……」
わたしがオドオドと喋りだすと、ざわついていた店内は波が引くように静かになった。
緊張しながらも、わたしは口を開いた。
「その……3人目に選んでいただけて、嬉しくないと言えば嘘になります。でも……アッチェレさん」
名前を呼ぶと、アッチェレさんは「ん?」と首を傾げた。
いやいや……
なんでそうなっちゃうんですか。
3人目は、わたしじゃないでしょう。
「アッチェレさんは……ジュスティーヌさんを迎えに行かなくて、いいんですか」
「……」
わたしの言葉にアッチェレさんは文字通り目を丸くしていた。
まったく想定外の質問だと、顔に書いてある。
もう、どうしてですか。
ここはアッチェレさんで決まりでしょう。
ジュスティーヌさんだって、こんな見ず知らずの人間より、義母であるアッチェレさんを待っているはずなんだから。
そう伝えようとしたわたしだったが、アッチェレさんはなぜか楽しそうに笑って、
「あたしはね、シーナサン。そんな遠くまでいくつもりはないんだよ」
「……?」
「だって……あたしがここにいないと、あの子が帰ってきたとき、だれが出迎えてあげるんだい?」
「……」
「あの子は、アイツと帰ってくるって言って、ここを出たんだ。だから……あたしが迎えてやらないといけないのさ」
……その言葉たちに、わたしは思わず身震いした。
ああ、そうか……
そうなんだ……!
アッチェレさんは、ここで待っているんだ。
おかえりを、言うために。
わたしは、アッチェレさんの言葉に、母親がどれだけ娘を大切に思っているのか気づかされた。
大切に思っているからこそ、迎える選択をしたのだと……
信じているんだ。
そして、信じているのは娘だけじゃない。
やっとわかった……
アッチェレさんは、船長のことも信じているんだ。
だれよりも大切に思っている娘を、だれかに迎えに行かせるって、相当勇気のいることだと思う。
それなのに、娘のことを任せられる人間が、信頼している人間が、アッチェレさんにはいる。
船長と、エフクレフさんと……
わたしだ。
いまだかつて、わたしがだれかから、こんなにも信頼されたことがあっただろうか。
エスペーシア王国の城下町で、だれにでもできる簡単な仕事をしながら、作家になるという夢を持ちつつもなかなか実現できず、それでいて何不自由なく暮らしていたわたし。
わたしじゃなきゃいけないことなんて、この20数年の人生で生まれて初めてのことじゃないだろうか。
なんだか、ここにきてとんでもないことに首を突っ込んでしまった感が否めないけれど……
でも、引き返すなんて不可能だ。
それに、引き返したくない自分がいる。
……頑張ろう。
わたしが、ここにいる皆さんの目になって、船長とジュスティーヌさんの再会を見届けるんだ。
そして書かなくちゃ、ふたりの物語を。
うーん……
ふたりだけ、じゃないな。
歌姫と、彼女を取り巻く人々の物語。
つまり……イストワール。
わたしが書くべきは、歌姫たちのイストワールなんだ。
「シーナサン、あたしの分まで、頼んだよ」
気がつけば、アッチェレさんが期待に満ちた眼差しでわたしを見つめていた。
見回せば、テーブルを囲む人々も、わたしをじっと見つめていた。
「……」
船長もまた、わたしと目が合うと、少し口角を上げて微笑んだ。
……久しぶりに見る、落ち着いた表情のような気がした。
わたしは、期待に満ちた視線を浴びつつ、その場に立ち上がり、
「はい! 行ってきます!」
と、挨拶していた。
まるで子どものような挨拶だったけれど、今までの自分からは想像もつかないほど、ハキハキとして自信に満ち溢れた、大きな声の挨拶だった。
★彡☆彡★彡
作家の楽園、ペルガミーノ王国……
ソニード王国の北西エリアから、ペルガミーノ王国南部との国境までは、徒歩で半日もかからないくらい近い。
アッチェレの店で楽しい昼食を囲み、わたしたち3人はそこで諸々の連絡と荷物の確認を行った。
諸々の連絡というのは、主にペルガミーノ王国へ向けてのもので、こちらはフェルマータさんが引き受けてくれた。
まずペルガミーノ王国のレーカーの港にて連絡を待っているダルセーニョさんに、船長とエフクレフさんとわたしが向かうことになったと伝えてもらった。
そしてさらに、道中の宿泊場所などを手配してもらったのである。
荷物の確認というのは、セレアル侯国に停泊させてもらっているモンターニャ号へ向けてのもの。
そこで留守番を引き受けてくれているトンスイさんとレンゲさんに、手紙を送るのだ。
内容は、モンターニャ号に積んである荷物の中から、レーカーの港に運ぶ「必要最低限の品」を用意しておいてほしいというもの。
もちろん、この「必要最低限の品」には、ジュスティーヌさんの旅行カバンと金糸雀色のバラの花、そしてあの美しい髪飾りが含まれている。
その大切な手紙を、ポモさんが「家に帰るついで」に届けてくれることになった。
ポモさんはそこで、カペリーニ家付きの護衛集団、通称「イカスミ隊」を総動員して、手紙に書かれた荷物をレーカーの港まで運んでくれるのだという。
聞いているだけで大変そうな仕事だけれど、実は風向きの関係でセレアル侯国に停泊している船をレーカーの港まで運ぶほうがもっと大変で、時間も倍以上かかるというのだから、船長が「いちばん効率の良い方法だ」と感心していたのにも頷ける。
つづく




