第4話「うう、心臓が痛い」
奇跡なんて一言では、到底片付けられない。
そんな奇跡以上の出来事が、たった今、目の前で起きている。
「……」
わたしは、少年から手紙を受け取ったフェルマータさんのふくよかな横顔を見つめていた。
彼女が目を通している手紙は、まさしく北部のペルガミーノ王国から届いたものだ。
ペルガミーノ王国……
芸術や文化を愛する人々の国。
またの名を、作家の楽園。
大陸の地図で見れば、西大陸南部の大国セレアル侯国の次に大きな国だ。
国民性は、非常に楽観的。
芸術や文化以外のことには無頓着で、政治関係においても長年に渡って放置された案件が山積みになっているとかいないとか……
だから、どうしてもこう思ってしまう。
ペルガミーノ王国じゃなかったら、もっと早くジュスティーヌさんの情報がもらえていたんじゃないか、と。
もちろん、ジュスティーヌさんを知っている人が現れたってこと自体が奇跡だって頭ではわかっている。
でも、人間というものは、欲深い生き物なのだ。
もっと早く、そして、もっと詳しく……
「……」
なんて、そんなこと今さら言ったって、どうなるわけでもない。
とにかく今は、フェルマータさんが手紙を読み終えるのを待とう。
「……」
店内は、本日何度目かの静寂に満ちていた。
しかし……
先ほどまでの静寂とは種類が違う。
これは、期待に満ちた静寂だ。
ここにいるだれもが、良い知らせの詳細を待っている。
ジュスティーヌさんは、もうすぐ近くにいるんだ。
だから、あとはみんなで迎えに行くだけ……!
隣に座るアッチェレさんは、目を閉じて深呼吸を繰り返している。
アッラルさんとリットさんは手を握り合っていて、ポモさんはなんだかソワソワと落ち着きがない。
ほかの皆さんは瞑想しているかのように目を閉じていて、船長は唇をぎゅっと噛みしめていた。
「……」
ピリピリと張り詰めた空気が、肌をつついてくる。
うう、心臓が痛い。
わたしは胸元に手を添えた。
緊張は伝染するのである。
下手に手を出せば破裂しそうな緊張が満ち満ちる店内で、フェルマータさんはそんなのお構いなしに黙々と手紙を読んでいた。
そう、黙々と……
あのフェルマータさんが、黙って手紙に目を通しているのだ。
そして、手紙を読み進めていくうちに、フェルマータさんの表情はみるみるうちに変わっていった。
目は口程に物を言う……
そんなことわざを思い出すほど、劇的に。
瞳は輝きを増し、頬は上気し、口元は小さく震えている。
なんというか、今にも飛び上がりそうなところを必死に堪えているように見えた。
と、いうことは……
やっぱり……!
「やったわぁー!! よかったぁー!!」
手紙から顔を上げたフェルマータさんの第一声に、店内の張り詰めた空気はどこかへと消えていった。
やっぱり、ジュスティーヌさんは生きていた……!
しかも、ここから遠くない国、ペルガミーノ王国で……!
何も言われなくても、だれもが理解していた。
それでも、手を取り合い抱き合いしながら、フェルマータさんの説明を待っている。
その場の全員の視線を受け、フェルマータさんは涙ぐみながら手紙の内容を簡単に説明してくれた。
「ジュスティーヌは、北の島国ノルテ王国にいるそうよ。3年前、浜辺に倒れていたところを保護されたんですって!」
「……え?」
ノルテ王国?
まさかの国名登場に、その場にいた人々は、わたしを含めて全員が目を丸くしていた。
★彡☆彡★彡
西大陸北部のペルガミーノ王国には、用途不明の不思議な港、レーカーがある。
3年前、ジュスティーヌさんが書いた物語の中では、唯一北向きの港であるため特に利用価値もなく、ほぼ釣り堀と化していた。
しかし……
そこから3年の月日が流れ、レーカーの港は急激に発展していた。
その理由は、北の島国ノルテ王国の南南西に位置する港町イトマーコマの整備状況にある。
ノルテ王国は、大陸群天使の背中の真北に位置する、天使の頭の輪の形をした大陸群唯一の島国だ。
1年のうち半年以上が冬といわれるくらい過酷な環境にあるこの国は、東西の大陸のどの国とも接点が少ない。
わたしの出身地であるエスペーシア王国に住んでいる、城勤めのサボり執事ことバクリッコさんはノルテ王国の出身だが、他国から見ると、そんな人はかなり稀なんだそうだ。
そんな謎の多い国ノルテ王国だが、ここ最近では国内を行き来する船が増えたとかで、多数の港町が新しく整備されつつある。
そのうちのひとつが、南南西の港町イトマーコマだった。
そして、港町イトマーコマから最も近い港が、ペルガミーノ王国の北向きの港レーカーだったのである。
港町イトマーコマとレーカーの港を結ぶ航路が無事に開通して、もうすぐ1年になる……とかならないとか(さすがペルガミーノ王国、開通日の記録がないんだそうだ)。
まあ、そんなこんなで、長らく謎の国だったノルテ王国は、ようやく西大陸に暮らす人たちの間でも知られるようになってきたらしい。
しかし、かといってレーカーの港と港町イトマーコマの間を、絶えず船が行き来しているわけではない。
過酷な環境にあるノルテ王国では、大海を行く帆船の運賃は安くても家一軒分の値が付けられることもあり、船に乗って他国へ行ける人間は限られている。
多くの庶民にとって、船旅は手の届かない贅沢品なのだ。
そしてレーカーの港には、そもそも出港する帆船がない。
そのため、急激に発展したといっても、ノルテ王国からの客船が月に1艘やって来る程度にしか賑わっていないという。
そんなペルガミーノ王国レーカーの港から手紙を送ってくれた、フェルマータさんの旦那様の部下の方は、名前をダルセーニョさんというそうだ。
フェルマータさんによると、彼は船長より少し年上で、フワフワの明るい飴色の髪、優しい瞳は白茶色、カイゼル髭がトレードマークの、髪と同じ色のスーツのベスト姿が格好いい「おじさま」なのだとか。
「容姿だけでもステキなのに、ダルセーニョ君ったらとっても良い声で喋るのよ。うちの周りには、彼の姿を一目見ようと毎朝人だかりができていたわねぇ……懐かしい」
フェルマータさんがダルセーニョさんのことを懐かしむのには、少し悲しい理由がある。
ダルセーニョさんは、着港する船が少ないレーカーの港に、なんと1年以上滞在しているのだ。
だから、フェルマータさんの家の周りの人だかりも、1年以上ダルセーニョさんに会えていないのだろう。
「ダルセーニョ君のファンの人たちは、それも仕事だって割り切ってくれてるけれど、やっぱり寂しそうね。だから、そろそろ帰してあげようかしらねって主人と相談していたところだったのよ。ほんとに、仕事のできる男は違うわねぇ」
ダルセーニョさんは、フェルマータさんはもちろん、その旦那様からの信頼も厚い良い部下のようだ。
そんなダルセーニョさんのお仕事は、レーカーの港に入港する船を1艘ずつ確認して、ジュスティーヌさんについて尋ねて回ること。
1日の仕事を終えた後は、旦那様が用意した宿へと戻り、報告書を書く。
それを、さらに部下の人たちへと託し、眠りにつく。
代り映えのしない一日が始まり、終わっていく……
いったいいつまで、こんな生活が続くのか……
そんな不安もあっただろうに、ダルセーニョさんは「これは自らに割り当てられた誇るべき仕事」だと、誇りを持って取り組んでいたという。
か……
カッコいい……っ!
ダルセーニョさんの人柄に魅せられたわたしは、フェルマータさんに許可をもらって、届いた手紙を読ませてもらったのだった。
つづく




