プロローグ
自分の大好きな物語が書ける環境と、そんな物語を読んでくださる皆様へ、私なりの感謝を込めて……
※この作品の第1章は、投稿済み作品『好きに書かずにいられない!』を大幅に加筆修正したものです。この作品を読んだ方も読んでいない方も、ここから読んで頂ければと思います。
あなたなら、どちらを選ぶだろうか。
手に負えない災難が起こらない代わりに、お腹の底から笑えるようなことも起こらない日々。
もしくは、毎日が一瞬のうちに過ぎていき、手に負えない災難ばかりが襲いかかってくる日々。
わたしなら、迷わず後者を選ぶ。
なぜなら……
わたしは、すでに前者だからだ。
★彡☆彡★彡
わたしの名前はシナモン。
天使の背中大陸群、その東大陸にある大国エスペーシア王国で暮らしている。
シナモンはエスペーシア王国風の名前だ。
けれどもわたしは、まわりからシーナと呼ばれている。
実家が香辛料を商う店だったので、商品名と同じ名前で呼ぶと紛らわしいと両親は考えたようだ。
そして現在は、舞台女優を目指す妹のマサラ(わたしと同じ理由でマーサと呼ばれている)と一緒に暮らしている。
私の仕事は、雑誌記者のようなもの。
エスペーシア城に住んでいらっしゃるターメリック王子様の日記を写して、香辛出版という出版社に持って帰るのだ。
15歳のターメリック王子様は「これはどうしても城下町の皆さんに知ってもらいたい!」と思ったことを、香辛出版用の日記として書いてくださっている。
もちろん誤字脱字のチェックはするけれど、そんなものは今まで一度も見かけたことはない。
そんなわたしの夢は、小説家になること。
この仕事に就いたのは、自分の時間を確保できると思ったからなのだけれど……
それは言い方を変えれば、仕事以外では家の外に出なくなる、ということ。
毎日、勤め先である香辛出版とエスペーシア城を往復する生活。
城内でぬくぬくと暮らす王子様の日記を、公開して良い部分だけ丸写しして持って帰る毎日。
仕事の合間に小説だって書けているのだから、この毎日が決して楽しくないわけじゃない。
エスペーシア城で働く同い歳の友人もできたし、父の古くからの知り合いである香辛出版の編集長は優しくて良い人だ。
ただ、あまりに同じ日々が続くので、気が狂いそうになってきただけ……
友人や一緒に暮らす妹は、それは贅沢だと口を揃える。
それでもわたしは、人生に刺激を求めていた。
災難でもいいから、この単調な生活に終止符を打ってほしいと、心のどこかで願っていた。
そう……
災難でもいいから。
★彡☆彡★彡
「シーナさん、よかったら少し休憩しませんか」
城内の応接室に、柔らかな紅茶の香りが広がる。
顔を上げた先には、ティーポットとカップの載ったお盆を手にしたパンデロー君が立っていた。
漆黒の髪に、碧色の瞳、銀縁の眼鏡……
そして、光沢の美しい大地のローブ。
今日もパンデロー君は、たとえ海の向こうから見てもパンデロー君とわかる格好だ。
わたしはお礼を言って、テーブルの上に広げていたノートと筆記用具、そしてターメリック王子様の日記を端に寄せた。
パンデロー君はターメリック王子様の従者で、わたしが日記の転載可以外の箇所を書き写さないように見張る役割を兼ねてここにいてくれる。
「なんだか時間がかかっちゃって、すみません。ちょっと休んだら、すぐに再開しますから」
わたしが王子様の日記を書き写している間、何もできないでいるパンデロー君に申し訳なくなって謝ると、
「いえ、急がなくてもいいですよ。この時間、王子様は勉学に勤しんでおられますから、私もすることがないのです」
そう言ってパンデロー君は、テーブルにティーカップを並べてくれた。
ティーポットから注がれる紅茶の軽快な音を聴きながら、わたしは湯気とともに良い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
ああ、もうこれだけで、クッキー3枚は食べられるなぁ……
「最近のターメリック王子様は、ウェントゥルス教の歴史に興味がおありのようで、いろいろと文献を読み漁っていらっしゃるそうです」
「へぇ……あ、そういえば日記にも書いてありましたね」
「はい。きっと将来はウェントゥルス教南風派と北風派の架け橋となることでしょう」
「へぇ……」
ウェントゥルス教というのは、この世界に古くから伝わる宗派のことで、エスペーシア王国ではウェントゥルス教南風派が国教になっている。
わたしは、残念ながらウェントゥルス教について詳しい知識は持っていないので、わからないことも多い。
それでも、パンデロー君がターメリック王子様のことを大好きだということは、よくわかる。
いいなぁ……
ふたりの友情、小説にしてみたいなぁ……
なんて考えながら一口飲んだ紅茶は、家で飲むものよりも茶葉の香りが引き立っていた。
ああ、そうか。
いつも紅茶を淹れてくれる妹のマーサは猫舌で、いつも大量のミルクが一緒に入っているから、茶葉の香りがしないんだ。
これが本物の紅茶、といっても過言ではないかも……
「……シーナさん」
淹れたての紅茶を顔中で味わっていると、パンデロー君が呟くように話しかけてきた。
「シーナさんは、これからどうするんですか?」
「……はい?」
「これからやってみたいこととか、してみたいこと、あったりしますか?」
パンデロー君は、希望に満ちた未来のことを尋ねているだろうに、その口調はなぜか寂しげだった。
はて、パンデロー君はいったい何の話をしたいのだろう……
ターメリック王子様がウェントゥルス教の歴史を勉強していらっしゃるように、わたしが今興味のあることを聞きたいとか……?
でもなぁ……
わたしには、小説家として生きていくという目標しかない。
それだけ答えても面白くないし、さてどうしようかな……
なんてひとりで考えていた、そのとき。
バンバンバンバンッ!!
と、まるで扉を壊す勢いで応接室の扉が叩かれだした。
あまりの音の大きさに飛び上がって何もできずにいたわたしの向かいで、パンデロー君はすぐに立ち上がり、扉へと向かった。
こんなことに慣れているらしいパンデロー君が扉を押し開けると、
「ああ、パンちゃん! コレ、開けてくれる??」
目の前に現れたのは、時々見かける食堂のおばちゃん、ローズマリーさんだった。
手にはイチゴジャムのビンを持っている。
「力自慢の騎士団長は城下町の警備に行ってていないし、執事のバクちゃんはいつもいないし……パンちゃんなら助けてくれると思って」
「なるほど、やってみます」
パンデロー君はビンを受け取って、さっそくフタを回し始めた。
しかし、
「……」
パンデロー君がいくら頑張っても、ビンのフタはびくともしない。
ああ……
ちょっとしたコツがあるんだけどなぁ……
なんて見てないで、わたしも手伝いますか。
「パンデロー君、ちょっと貸してください」
わたしは、まだ頑張ろうとしているパンデロー君からビンを受け取ると、そのままクイッと手首を捻って、ビンのフタを開けてみせた。
昔から、これだけは得意なのだ。
「あらぁー! 記者さん、素晴らしいわぁ!」
ローズマリーさんは、まるでわたしが偉業を成し遂げたかのような褒めっぷりである。
照れるなぁ、大したことじゃないのに。
「こんなことしか、できませんけど……」
「こんなことでも、人の役に立ったんだもの、素晴らしいことだわ! ありがとうね!」
ローズマリーさんの笑顔での一言が、わたしの胸に強く刺さった。
人の役に立つ……
それって、どんな些細なことでも、嬉しいんだなぁ……
そんなことを考えていると、パンデロー君が不思議なことを口にした。
「シーナさん。これからも、どうか人の役に立つ仕事を続けてください」
「はぁ……」
その後……
日記を写し終えたわたしは、まっすぐ香辛出版へと帰社した。
結局、パンデロー君の質問には答えそびれてしまったのだった。
つづく




