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人は弓を投げる (D-02)  作者: 橙ノ縁
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 母は別室で叔父と二人で話をしていた。楽し気な話ではなく、とても深刻そうな内容らしく、声も小さくて抑揚も少ない。

「お母さま、聞きたいことがあります」

「アンバー、今日の主役が席を離れてはいけません」

 叔父が気を利かせて席をはずそうとするので、私は腕を掴んで留まらせる。

「分かっています。この誕生日会が私の結婚相手を探す会だという事を」

「そう。それなら話は早いわ。誰でも構わないのよ。選びなさい」

 朝から会いに来る人は皆、私と歳の近い男性ばかり。そしてこの夜会でも若い男性が多く、もしくは若い男性を親族に持つ人ばかりだ。

「私は結婚しません」

「何を言っているの。あのノルト様の従者でもいい。それにアルスメール家の三男ならこんなことになっては婚姻が難しいでしょうから、準貴族の我が家でも受け入れてくれるわ」

 領主に嫁げるはずがない。ウェテルセン家はそれほど身分が高くなく、私にとっては身分不相応だ。

「どうしてそこまで急ぐのですか?」

「女という生き物は、すぐに婚期が終わってしまうものなのよ」

「お母さま、叔父さま。本当の事を教えてください。この国はこれからどうなるのですか?」

 二人は私に「平和なうち」という言葉を使った。この言葉はどう考えても、これから平和ではない時代が来ると言っているようなものだ。

「アンバーすまない。それは言えない」

 叔父が優しい声で謝ると母も「私も」と小さな声で答えた。

「教えられないのは、私が軍職を持っていないからですか?なら、私は軍人になります」

「アンバー、それだけは許しません」

「何故です?これから危険になるからですか?」

 親友は戦地に向かった。国の為に好きな人の為に戦い、自らの生まれに課せられた役目を全うした。

「私もウェテルセン家の人間です。有事から目を背けるわけにはいけません。他家に嫁いでやるべきことから逃げるつもりはありません」

 その昔、統一帝と呼ばれたケルウスの王を支えた男がいた。軍略を用いて王を助け、強い国を築いた。それ以来、その家の者達は、国の為に戦い続けてきた。

「敵は誰なのですか?」

 グッタ国とは昔から仲が悪く、今回も国境付近で小規模の戦が行われた。しかし、このような小競り合いは数百年前から続いていて、お互いの力の均衡を保つためかのように見える。

 他の国とも小さな争いは日々起きているが、特定の国が強い力を持って、この国を攻めるという噂も聞かない。ならば、敵は誰なのだろうか。

「誰、と聞く辺り、見当はついているのか」

 深いため息を吐いたのは叔父で、母は私の質問には答える気は無いらしく、そっぽを向いた。

 仕方なくといった風に叔父がその答えをくれた時、一階の玄関付近から大きな物音と男性の大声が響き渡った。

 私たちは急いで部屋を出て、階段を下ると、そこには帰ったはずのノルト様と騎士が立っていた。

「何事か!」

 無口な父すら飛び出てきて、階段の上から大声を張り上げている。

 階段下には、ノルト様と騎士以外にももう一人恰幅の良い老齢の紳士がフラフラ立っていて、何やらノルト様に絡んでいるように見える。

「ずいぶん酒を飲まれているご様子、酩酊してそこら中の物をひっくり返したのです。皆さんご心配なく。この通り、殿下が使わしてくださった騎士が取り押さえましたので」

 酒で赤らんだ顔の紳士を騎士が後ろから羽交い絞めにしている。

 その光景を見て来客たちが安心したのか、次々に部屋に戻っていく。父も母も偉い方々に説明を始め、大丈夫だと笑顔を作る。

 私は階段を下り、ノルト様のもとに駆け寄った。

「ノルト様、お怪我はありませんか?」

「怪我?怪我はしているよ」

「え?」

 冗談かと思い、彼を観察すると、脇腹の辺りを片手で抑えている。その手の下から赤い血が滲んでいるのが見えた。

「この犯罪者が。のこのことまだ貴族面をして偉そうに。恥を知れ!」

 酔っぱらいは親王派と呼ばれる派閥の男のようで、どうやら罪人の兄が偉そうにしていることが気に食わなかったようだ。

「ノルト様、すぐに手当てを」

「騒ぐな。これ以上、問題を起こしたくない」

 腹部の出血が黒いズボンを伝って、床を濡らしていく。

 叔父がリド君とダリアさんを連れて階段を下ってくるので、私は近くの応接間の扉を開ける。

 二人には先に入ってもらって、ノルト様の手当の準備を任せた。

「言っている意味が分からないな」

 血を流しているのにもかかわらず、平然な顔をして酔っぱらいと向き合うノルト様。私が応接間に誘導しようとするが、手を振り払われてしまう。

「恥だ恥。領主の息子が敗戦の罪で打ち首刑など、貴族の面目を潰した。アルスメール家は今すぐにでも領地を陛下に返還しろ!」

 酔っぱらいは酒でフラフラしている割には口はよく動くようで、酔いに任せて言いたい放題だ。

「お前は何様なのだ。ただの貴族階級の人間に何が分かる。我が弟に何も恥じるところなどない。ただ、勝てぬと分かっていた戦に出ただけのことだ」

「そんなのはただの負け惜しみだ。ただ敗走しただけで首など落とされるものか!他にも問題があったんだろうが!」

「弟は実に出来の良い弟で、人当たりがよく、武術も国一と呼ばれたほどだ。身分や人種、性別で接し方を変えたりしない出来た男で、人の意見は必ず尊重するし、自らの非も潔く認める所がある。自分の事より人の事を優先する献身的な部分があり、損ばかりしているのではないかと心配になるほどだ。お人好しで疑うという事を知らない。楽天的な性格もあって、思慮には少し欠けるところもあるが、憎らしく思われることなど決してあるはずがない。……弟は良い奴で、貧乏くじを引かされただけなんだ」

 弟を語る兄の目は赤く充血してキラキラ輝いていて、今にも涙が溢れ出てしまうのではないかと思われた。

 酔っぱらいが再び反論しようとすると、羽交い絞めにしていた騎士が腕を首に持ち替えてぎゅっとしめる。すると気を失ったのか、酔っぱらいは膝から崩れ落ちその場に転がされた。

「ディアンさんの悪口は自分が許しません」

 騎士はそう言うと、すぐにノルト様の腕を自分の肩に回し、応接間に連れて行った。

 叔父が警邏を呼んできて、酔っぱらいを突き出す。そして女中たちに床の血をすぐに拭くように命じた。

 応接間では、リド君が横に慣れるように長椅子に毛布を掛けてくれていて、ダリアさんは自分の手を揉みながら、何やら集中しているらしかった。

「ダリアさん、お願い。魔法を見せてちょうだい」

「ええ、もちろん」

 彼女の目を見つめ、私はすぐに応接間の扉を閉めて鍵をかけた。

「もうダメだ。放っておいてくれ」

「ノルト様、そんなことは言わないでください」

 騎士に怒られている怪我人は、冷汗をかいていて前髪が湿っているし、視界がぼやけているのか目を細めている。

「じっとしていて。私、じっとしている人しか治したことないから」

 ダリアさんはそう言うと、ノルト様の脇腹の傷口に触れて目を閉じる。

「少尉さん、何で刺されたの?」

「とりわけ用の包丁だ」

「なら、傷は深そうね」

 酔っぱらいは台所に入り込んで、酒を貰った後包丁をくすねてノルト様を探したようだ。そして玄関前で出会い、酔っぱらいはノルト様に刃物を向けた。はじめは脅すぐらいの勢いだったらしいが、ノルト様と口論になり、かっとなって刺してしまったらしい。

 大きな物音は酔っぱらいが騎士に邪魔されないように、騎士に向かって机をなぎ倒したからだった。

「ノルト様、面目次第も御座いません。殿下にあれほど注意するようにと言われていたのに」

「気にするな。あいつを煽った僕が悪い」

「ちょっと、だから動かないでってば」

 魔法で傷を治すダリアさんをノルト様が怪訝そうに見つめる。

「君は、何をしているんだ?」

「見て分からない?傷口を塞いでるの」

「両手を広げただけで塞がるものか」

「集中力が落ちるから、話しかけないで」

 彼女は外国人ということなので、領主さまの息子でも気を遣うことなく口答えをする。すこし羨ましい。

「嗚呼、僕も死んだら領地はハインに任せるしかないな」

 ハインというのは確か、三男だったはず。

「ハインは頭が固いから融通が利かなくて領民は困るだろう。不愛想な所もあるんだが、可愛げもちゃんとあるんだ」

「弟自慢はいいから、黙って。あともう少しだから」

「可愛い妹がどんな男を選ぶのか見届けたかった。あの子はしっかりしているからきっと働かないような悪い男が寄ってきてしまう。不幸は似合わない子なんだ。僕が目を光らせておかなければ……」

 妹の話をしている途中で、ノルト様の意識が飛んでしまった。出血が多いせいで、気を失ってしまったらしい。

「ダリアさん、大丈夫なの?」

「少尉さん、この人に伝えて。今度死ぬ時はもっと口数を減らしたほうがいいって」

 そう言って、彼女は両手を離してにっこり微笑んだのだった。

 私と騎士がその傷口を確認すると、まるで何もなかったかのように傷跡すら無かった。

「心から感謝します」

「ありがとう、ダリアさん」

 私と騎士が感謝の言葉を述べると、彼女は照れ臭そうに小さく頷いた。そして疲れたと言って、椅子に深く座り脱力するのだった。

 本当に魔法は存在する。私はこの現実に自分の進むべき道をますます示されたような気がした。




 兄弟思いの兄が目を覚ますまで、私は騎士と二人で過ごしている。

 リド君は叔父と話があると言って出て行き、ダリアさんは魔法を使って疲れたと言って、客間で先に休むことになった。

 誕生日会に集まった客は騒ぎの後、ちらほらと帰り始めて、今となっては誰も残っていない。

「ノルト様って、とても兄弟思いなのね」

「アルスメール家は昔から兄弟仲がいいですから」

「そう言えば、騎士様はディアンさんと知り合いなのかしら?」

 応接間から庭に出ると、簡易な椅子を置いていて、そこで二人で月など見上げている。

 夜風は少し肌寒くなってきた。夏は終わろうとしているようだ。

「ディアンさんは士官学校時代、寮で同じ部屋でした」

「領主の息子が寮生活?」

 多くの場合、寮生活は平民や準貴族ぐらいで身分の高い人たちは学校の近くに家を借りるものだ。

「寮から通うのが一番近いから都合がいいと言っていました。ああ見えて面倒くさがりで」

 ああ見えてと言われても、私は見かけたことはあるが、ディアン・アルスメールという人を深くは知らない。

「あの人に剣術から行儀作法まで教わりました」

「もしかして、その縁で近衛府に?」

「そうです。ディアンさんが信頼できる後輩だと殿下に伝えていたそうです」

 ようやく納得がいった。第三王子付きになるには後ろ盾が必ずいる。それが、アルスメール領主ならば平民でもおかしくはない。

「ねえ、そもそもどうやって士官学校に受かったの?」

「それは、入学試験の時……」

「急に止まらないでよ」

 騎士は斜め上を見ながら、次の言葉を選ぶようなそぶりを見せた。

「その、お嬢様、ここだけの話にしてください」

「大丈夫よ。そんなに口の軽い女じゃないから」

「実技試験の時、勝ってしまったんです」

「誰に?もしかして、ディアンさんに?」

「いいえ。王子に」

「え!貴方、馬鹿なの?」

 士官学校に入学したのは第二王子だったはず。年齢的にも近いから間違いないだろう。

「平民は、王子の顔なんて知りませんから」

 実技試験の時、王子が必ず主席合格するようにと武術の心得の無い平民の彼が対戦相手に選ばれた。しかし平民は王族の顔など知らないので、目の前の男の素性を知らず、遠慮なく倒してしまったらしい。

「自分の人生はあの日、王子様を蹴飛ばしたことから変わったと思います」

「そうでしょうね。お気の毒様としか言いようがないわ」

 王子の取り巻き達に散々、いじめられてきただろう。想像しただけで可哀想に思う。

「ディアンさんが寮生活を始めたのは、自分が入学した時かららしいので、もしかしたら守ってくれていたのかもしれません」

 私はいつだって、ディアン・アルスメールという男を誰かの口から知らされる。とある騎士や親友や、領主の息子や、噂話から。彼がこの世を去ってから、こんなにも会ってみたいと思うなんてもう、遅すぎる。

「自分はディアンさんと共に出兵したかったのですが、断られてしまって。無理やりにでも付いて行けばよかったと後悔しています」

「きっと、第三王子の為に貴方を残したのね」

 私がそう言うと、騎士は少し口に笑みを含んで「買いかぶりです」と首を振った。

「誘拐事件に、要人警護失敗。信頼が無くなっては殿下の元から外されてしまうでしょう。バーグ様やお嬢様と会うのはこれが最後でしょうね」

 肩を落とすといったことはなく、どこか他人ごとのように話すので、私はこの男の表情筋に問題があるのではないかと考え、その頬をつねってみた。

「痛っ。何をするんですか!」

「いろんな人に支えられながら自分で築き上げた信頼だったのでしょう?もっとがっかりしなさい。それともこの顔はお面なのかしら?」

 頬をつねられながら、騎士は悲し気な瞳を私に向ける。その瞳にはいろんな感情や言葉が込められているような気がして、私は胸が少し痛んだ。説教臭いことを言って大きなお世話だった。

「ねえ、私。一緒に死んでくれる人を探しているの」

「でしょうね。この誕生日会は明らかにお嬢様の結婚相手探しですもんね」

「そうではなくて、一緒に戦場で戦ってくれる人を探しているの。殿下付きから降ろされたら、私と……」

 真剣な話をしているのに、突如、後ろから声を掛けられて私の言葉は中断される。

「そうだ、言い忘れていた」

「ノルト様、お加減はいかがですか?」

 眠りから覚めたノルト様はとても元気そうで、少し貧血気味なのかフラフラはしているが、顔色や声音からして心配なさそうだ。

「奇妙なことにどこも悪い所は無い。今日の事は忘れた方がいいのかな?」

「そうして頂ければ助かります」

 騎士がふらつく男に肩を貸すと、私の前まで連れてくる。そしてノルト様は私に一通の手紙を差し出した。

「まさか、キアノ殿下からですか?」

 上質な紙の手紙には王家の花であるアルゲオの花の刻印が入っていて、私は片膝をついてその手紙を受け取る。

「殿下より伝言だ。アンバー・ウェテルセンの好きにすればよい、と」

 開封し、その中の文字に目を通す。そこには今回の誘拐事件についてはウェテルセン家に一任する。犯人たちはアンバーに任せ、王子である私と関りがある事件だということは伏せるようにと書かれていた。

「どうして、叔父ではなく私なのですか?」

「おそらく、大ごとにするなという意味ではないでしょうか。殿下はあの身代金要求のことは忘れる。もう忘れたと仰せでした」

 騎士が言う言葉が本心であると信じたいが、王族と言うのは己の都合で生きている生き物だ。いつ何時、蒸し返されてもいいように事後処理はきっちりしようと思う。

「殿下には私の好きにいたしますので、安心してお忘れになってくださいとお伝えください」

 ノルト様は「必ず伝える」と言って頷いた。よくよく聞けば、帰宅したと思っていたノルト様達が再び戻って来たのは、私にこの手紙を渡す為だったようだ。そうなら、今回の責任は私にもあるのかもしれない。

「それではお嬢様、これにて失礼いたします」

 騎士が恭しく頭を下げる。その隣でノルト様が「いずれまた会おう」と格好をつけている。

「ねえ、最後に一つ教えて。騎士様のお名前は何というのですか?」

「言ってませんでしたか?」

「言っていません。誰に聞いても忘れたと言われるし、貴方の幼馴染はあれから口をきいてくれないし、貴方は何者なんですか?」

 君は影が薄いからな、とノルト様に笑われている。近衛府の騎士で、第三王子付きで、平民で、ディアンさんと同じ部屋で、第二王子に勝ったことがあって、弓も剣も使えて、大人しそうに見えて意外に話もよくする。

 貴方はだれ?

「自分は、カトル・フェルヴィと申します。自己紹介が遅れましたこと、大変申し訳ございません。お嬢様」

「お嬢様はもうやめて。私はもういい歳だから」

「アンバーさん、もう会うことは無いかもしれませんが、ブランたちの事はよろしくお願いします。そしてノルト様を救ってくださりありがとうございました」

「ブランたちの事は任せて。でもノルト様を救ったのはダリアさんだからお礼なら彼女に」

 彼は、カトルはちゃんと私の名前を憶えていたようで、お嬢様という呼び方はわざとだったようだ。

 私が手を振ると、二人は馬車に乗って帰って行った。

 私はすぐに自室にこもって、筆記用具と私が持っている中で一番高級な便箋と封筒を机に広げた。貰った手紙はきちんと返事を書くべし。これは淑女ならばしっかり守らなければならない。

「殿下に手紙を書く日が来るなんて。そもそも、男の人に手紙を書くのは初めてかもしれないわ。ドキドキしてきた」

 恋文でもないのに、私は心臓をどくどく弾ませながら羽ペンを握るのだった。

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