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誘拐犯達には「ここで逃亡すれば、間違いなく死罪だ、逃げるな」と口酸っぱく言い聞かせ、叔父の家にとどめ置くことになった。
執事も女中も嫌な顔をしたが、長時間説得し、王子の判断が出るまでの間という事で納得してくれた。
リド君はダリアさんと叔父が無事に帰った来たことに泣きながら喜び、私にまで手を取って感謝を述べてくれた。
「どうか、少尉さんにもよろしくお伝えください」
「リド君、そう言えばあの騎士様は本当に少尉なの?」
「キアノ王子からそう聞いていますが」
「え?リド君、第三王子と顔見知りなの?」
「ええ、少しですが」
どういうことだ?叔父と同じ怪しい文献を研究している青年が、王子と知り合いとはどういうことだろうか。リド君は何者?
「少尉ってそんなに位が高いの?」
疑問を投げかけてきたのはダリアさんで、どうやら二人には騎士の階級には詳しくないらしい。
「身分が平民の場合、とても幸運が続かない限りは辿り着けない階級なのよ」
そもそも平民が士官学校へ入学することですらずいぶん難しい。士官学校の学生の多くは貴族、準貴族のコネばかりで、よほど入学試験の成績が良くなければ入学できない。
「士官学校を卒業したからといって士官階級はもらえないのよ。平民出身はよく頑張っても准尉まで。彼はどうして少尉まで昇格したのかしら」
私は平民出身で准尉以上にまで昇ったひとを見たことが無い。大昔は戦争で武功を上げれば昇格できたと言うが、このところ大きな戦は起きていないので、平民が立身出世を願う事も少なくなったと聞く。
それともう一つの疑問は、王族警護を任されているという事だ。
近衛府は原則、王族にとって信頼できる家系であることが大前提にある。平民にその原則が当てはまりそうもない。
もしかして、平民と同じ生活水準だったが、本来は準貴族だったという裏事情があるのか?実は貴族の隠し子でだったのでは?謎は深まるばかりだ。
「今度お会いしたら、人生をお聞きしたいわ」
「アンバーさんって、ああいう男性が好みなの?」
ダリアさんが茶化すわけでもなく、いたって真面目にそんな女子らしい質問をしてくる。
「そ、そういう訳ではないわ。特殊な事例だから興味があるだけよ」
必死に返答した私も悪かったと思う、リド君とダリアさんは含むところがるような妙な笑顔で「そうなんですか」と答えた。ああ、勘違いを生んでしまったわ。
「だって、あの人、ヴィオと同じ階級なのよ。信じられる?信じられないわ」
私の親友は、美しく気高く、剣術も武術も主席だった女なのだ。それがあの、凡庸とした雰囲気の、少し器用な感じがするだけの男と同じ階級とは、裏があるに決まっている。
「ヴィオリーナさんは、元気にしているのかい?」
叔父が私に温かいお茶を差し出す。
「ヴィオは、南方の戦に出陣したんです」
親友と私は幼い頃、よく叔父の家にやってきてこの家の中を走り回っていた。この家は人が少なくて、騎士ごっこをしても誰も咎めたりしなかった。
「まさか、アルスメール隊長と一緒にかい?」
「はい。ですが帰還兵の中にヴィオはいませんでした」
兵士たちが一部帰還したと聞いて、首都の城門まで行った。親友が無事に帰ってくると信じていたからだ。しかし、何時間待っても、待ち人は現れなかった。閉門するまで、その場で立ったり座ったりを繰り返し、日が暮れて母が迎えに来るまで親友の姿を探した。
「噂では、負傷兵が後日船で帰ってくると聞いて、軍部に出国者名簿を確認に行きましたが、そこにも名前がありませんでした」
「では、出陣していないのではないか」
「そんなはずはありませんよ。あの子はディアンさんの為ならどこへでも行きますからね」
親友は国を出る一日前の深夜に突然私の家を訪ねてきて、そして玄関先で別れの挨拶をした。
「私が止めても首を横に振るだけで、どうしても行くんだと言ってききませんでした。どうしてもディアン隊長の側に居たいと」
親友はよくこれは叶わぬ恋だと言って笑っていた。その悲し気な笑顔が頭から離れられず、ふと彼女の事を思い出すたびにその胸が苦しくなるような辛い笑顔が浮かぶ。
「叔父さま、私はこんな所でゆるゆると生きていていいのでしょうか」
黙っていても、食うに困らない。じっとしていても誰も何も言わない。何も困っていないから欲しいものなど何もない。
「毎日、陽が上り下りするのを見つめているだけ。雨が降れば雨粒を眺めるというだけの味気ない面白みのない日々です」
母は花嫁修業だと言って、貴族名鑑を見せたり、行儀作法を教えるが、私はあまり重要な事とのようには思えない。
「親友が命をかけて戦っているというのに、私は何も恐ろしくない場所で平穏に暮らしていることにとても疑問を持つんです」
ふとした瞬間、「なにやってるの?」と自分自身に問いかけていることに気づく。自分が特別な人間だとか、そんな思い上がった考えを持ってはいないが、でも自分にはしなくてはいけないことがあるのではないかとも思う。
「とても大切なことから逃げているような、そんな気分に襲われるんです」
叔父は私の独白に、優しい視線を向けながら静かに耳を傾けてくれた。そして少し考えた後、言葉をくれた。
「アンバー、誰のことも気にせず好きな事をするといい。どんな突飛なことも若いうちならば何でも許されるからね」
「好きな事、と言われても困ります」
はて、自分が好きだったことは何だっただろうか。
「好きな事をしてきた人間から言えることは、後悔はしていないという事だ。私もアンバーと同じくらいの歳の時に同じような事を思って、家を飛び出したんだよ」
叔父は苦笑いしながら昔話を始めた。若い自分の話をする叔父の表情が少し若返ったように溌剌として見える。
「叔父さまが家出?家出してどちらに行かれたんですか?」
私が大声で驚くので、リド君とダリアさんも叔父の話に興味を持って耳を傾ける。
「私は学生の頃からエアルの手記を研究していてね、噂でロス国の統治者であるマガ様が同じ研究をしていると聞いてね、直接会いに行ったんだ」
「ロス国まで?」
「マガ様って、簡単に会えるんですか?」
「そもそもマガって誰なの?」
私、リド君、ダリアさんの順に次々と質問するので叔父が困った風に笑っている。
「マガ様というのは、昔の言葉で王様とか統治者といった意味だそうだ。マガと呼ばれる人は北国のロスと南国のマラキア国に一人ずつおられる。そんな偉いお方にただの学生が会いに行ったんだよ。親族、友人からは大笑いされた」
叔父は本当に一人で馬に跨って、北を目指したそうだ。北にあるクジラ山脈の麓にある国に辿り着き、真っすぐに宮殿へ向かってマガ様にお会いしたいと正直に伝えたそうだ。
「それで、マガ様に謁見できたんですか?」
研究を同じくしているリド君にとってはとても興味深い話のようで、私とダリアさんよりも前のめりで聞いている。
「数時間待ったが、もちろんマガ様にお目にかかることは出来なかった。しかし、従者が伝言を持ってきてくれてね、今はまだ会えぬと」
「今はまだ会えぬ、とはどういう意味ですか?」
「あの時の私も今のリド君と同じ表情だっただろう。しかし、帰路の途中でその言葉の意味がじんわり分かって来たんだ。おそらく、私が研究の道を歩み続けていれば、同じ答えを探す者同士、いずれ道が交わる日が来るだろう。その時に会おうという意味なのではないかと思ったんだ」
目的地が定まっていれば、いずれは同じ終着地に辿り着く。
「私が目指す目的地がマガ様との約束の地になったような気がして、未来に希望を持つことが出来たんだ。だから、若者たちよ、好きなように生きなさい。人に哂われても、後ろ指さされても、不幸になると分かっていても、自分が望んだ方へ進みなさい」
私は昔から実の父よりも叔父の方が好きだった。父は家を守るために真面目に生きていて立派だと思うが、どこか窮屈そうに見えることがあった。しかし、叔父は周りの人達に変わり者だと言われながらも、どこまでも自由で、どこまでも自分らしい。私はそんな叔父と一緒に居る方が気楽だった。
「でも、今生ではマガ様のご尊顔を拝することは出来そうにないな」
「バーグ様、そんなこと言わないでください。殿下も協力してくださってるんですから頑張りましょう」
落ち込む叔父をリド君が励ましていて、私はある疑問を思い出すのだった。
「そう言えば、どうして急に第三王子が叔父さまの研究に興味を持つようになったのかしら」
誰も気にも留めないような、そんな規模の小さい研究だったはず。どうして王子が直々に手紙をよこすほどになったのだろうか。
「二人の研究が進めばあの王子様は、魔法を手に入れられるから」
「魔法?」
ダリアさんの発言に私は口を開けて思考を停止してしまった。魔法とは私の人生の中で一番、想像外の単語だ。そんな大昔のあったかどうかも分からない奇術を手に入れようと言うの?あの王子、頭は大丈夫なのかしら。
「魔法なんて……」
「魔法は存在するんですよ。今も使う人が居る」
そう言って、リド君がある人を指さした。その人は不思議な髪色をした私と歳の近い女性だった。
「ダリアさんが?」
「まあ、傷ぐらいなら治せるっていうくらいよ」
そう言えば、誘拐犯が彼女を気味悪がっていた。私が取り押さえた男は足に触るなと叫んで、ダリアさんを恐れているように見えた。
「傷が治せるですって?」
「あの誘拐犯の男、足を怪我していて、弓矢にやられたって言っていたわ。それで血が止まっていそうになかったから、縄を解いてもらって傷を治してやったのよ。そしたら悲鳴を上げて怖がられてしまって。感謝もされていないわ」
確かに男の悲鳴をこの耳で聞いた。男が足に触るなと喚いていたのは、突然傷が塞がって気味が悪くなって騒いでいたという事か。
ダリアさんは怖がられる事が不本意のようで、頬を膨らませながら不機嫌そうにしている。
「私、何も知らないのね」
平民でも高官になる人がいる。傷を魔法で治す人がいる。叔父がロス国まで乗り込んだこと。下層平民に仕事が無いということ。可笑しな研究が魔法を手にすることが出来る鍵だったということ。そして王子が魔法を求めているということ。
「ゆるゆる生きている場合じゃないわ」
自分の愚かさや無知さに頭を抱えて、落ち込んでいると、叔父が思い出したように私の肩を叩いた。
「そう言えば、アンバーは私に何の用があって訪ねて来たんだい?」
「あ、忘れていました。実は、そのぉ、た、誕生日会を開くことになりまして。その招待状を届けに来たんです」
ポケットにしまっていた招待状はくしゃくしゃいになっていて、私はその皺を伸ばしながら叔父に嫌々手渡した。
「そうか、楽しそうじゃないか。出席させてもらうよ」
「こんな年になって恥ずかしいばかりです。明日から街を歩けません」
「いいじゃないか。君の母君は人を集めるのが好きなんだ。平和なうちだけだから、楽しんだらいい」
平和なうち。その言葉を母の口からも聞いた。叔父にその真意を尋ねようとしたが、執事が呼びに来て叔父は部屋を出て行ってしまった。
もしかして、私の知らないことは他にも多くあるのかもしれない。