七走一坐
私は走っている。
そんな私の目にとある掲示板が飛び込んできた。
町内会の連絡事項や宗教のありがたい一言を張り付けてあるアレだ。
ここは私の居住地ではないが、よく通るので、いつも軽く目は通している。
宗教の一言が変わったようだ。
私は走っている。
新しい紙には『七走一坐』と大きく書かれていた。
小ぶりな字でコメントも添えられている。
止まって見つめ直してみなければ、自分がどんな走り方をしていたのか、どこに向かって走っているのか見えない。と。
文章はもう少し続いていたが、これ以上読めなかった。
私は走っている。
止まれという天の啓示だろうか。
いや、ただの偶然だろう。
私は走っている。
七走一坐。
興味深い言葉だと思う。
たしかに、走っている最中は周囲をあまり見ていない。
後ろや横をしっかり観察する余裕ができるのは、止まっている時だけだ。
一度止まると書いて「正しい」という漢字になる。と、昔どこかで聞いた気がする。
なるほど。立ち止まって見直せば、来た道が正しかったのか、これからどう進むべきかがわかるだろう。
私は走っている。
ただ、今の私に限っては、来た道が間違っていたのはわかっている。
仕事終わりに同僚と飲みに繰り出したのが過ちの始まりだ。それも、上司から強引に飯に引っ張られてと妻に嘘をついて。
そんなに遅くはならないはず、と、彼女への連絡に無意識に付け足したのは、私の深層心理が警告を発していたのかもしれない。
21時過ぎに妻から「まだ帰ってこないの? ケーキ待ってるんだけど」と連絡が来た。
同時に、妻の誕生日だったことに私は気付いて、血の気が引いた。
我が家では、妻の誕生日に私がケーキと花束を買って帰るのが恒例行事となっていたから。そうして、家族で食卓を囲むのだ。
私は走っている。
今年は私の帰りがあまりに遅いため、子供達と妻は飯だけは先に食べたらしい。
しかし、皆で健気に私(の買ってくるケーキ)を待ってくれている。
上司との飲みニケーションを早々に切り上げて帰ってくると信じて。
すまない妻子よ。実はただの飲み会です。再雇用爺への不満が溜まってたんです。ちょい飲みのつもりが、愚痴大会が盛り上がりすぎてうっかり時間を忘れたんです。
私は走っている。
閉店ギリギリのケーキ屋でケーキは手に入れた。
花束は入手できなかったけれど、これまた閉店間際の店でハーバリウムを買えた。生花ではないけれど、たまには良いだろう。
あとは日付が変わる前に帰宅できればきっと許される。
そんな時、私は足をもつれさせて転んだ。
道路に落下したケーキ箱のたてた渇いた音が心をえぐる。
私は泣いた。