2話:浦和商業の後輩と仲良くなる
安井武彦さんは泰平に無駄遣いせずに、お金を大切に貯めて、うまく運用してあげれば会社を定年になる頃には悠々自適な生活が出来るだけのお金が貯まるはずだから一生懸命に働き、お金を大切にしてあげると恩返しをしてくれると教えられた。
その話を聞いて、毎日、母の手弁当で、無駄遣いをせず銀行まで自転車で通う毎日だった。すると、徳川泰平は父に相談し、頭金として100万円を借り、毎年、少しずつ返すと言うと了解してくれ100万円を1973年4月から郵便局の定額預金にした。
そうして1974年4月に150万円貯めたので50万円を返した。その頃、徳川真一が株をやってきてソニー株が安っているから買うと良いと教えてくれ徳川泰平が1974年9月26日に所持金の55万円で492円で千株、49.2万円で買い指値を入れた。
その後、風邪で体調を崩し、会社を休んだが、やがて体調がもどり9月28日に埼玉銀行に出勤した。その後、10月5日に49.2万円でソニー株千株買えた。1975年を迎え、既に、埼玉銀行で働いて2年弱で貯めた50万円あった。
しかし、毎日、手弁当で埼玉銀行へ行き、ボーナスには手をつけずに増やしていき1975年4月には、更に、50万円を返して、残金が40万となった。ちょうど、その頃、埼玉銀行で一緒に銀行の毎日の入出金の検算をしてる斉藤志保さん20歳と仲良くなった。
そして自転車で、秋が瀬公園に行ったり電車で西武園遊園地に行ったりするようになり仲良くなった。その後、1975年10月には斉藤さんの家の両親の斉藤友和さんと斉藤茜さんにお付き合いをしていると、挨拶に行った。
斉藤さんの家では、お父さんが、大工の仕事中の怪我で無理が、出来なくて、近くの商店の手伝いをして、母の茜さんは、リウマチで寝たり起きたりの生活。そのため、斉藤志保さんが、炊事洗濯を一手に引き受け、苦労していた。
1975年11月にソニー株が上昇して来て11月4日に1380円で千株、売り指値を入れ11月6日に売れて70万円の利益を手にし夏のボーナスを入れて、泰平の資産が150万円となった。
しかし、その苦労をみせずにけなげに生きてる姿に徳川泰平が心打たれた。
やがて、好きになっていった。そう言う事で、しばしば徳川泰平が夕飯のおかず、アジのフライや、さかなの刺身、天ぷら、コロッケ、メンチ、とんかつなどを差し入れしていた。やがて1975年が終わり1976年を迎えた。
徳川泰平が、高田善平に1976年1月6日一気に稼ぐ方法はないかと質問すると、1つだけあると言い、それは、日本株で儲ける事だといい、もし大金を得たら国債、公社債、準国債の3-7%の利率のものを、買って一生安泰という方法もあると教えた。
その後、休みの日は、株、為替、商品の本を国会図書館に行き、読み、興味のある本は、実際に購入して勉強した。1976年1月13日に投資の勉強のため、泰平は国会図書館へと向かった。