11話:再び、元の時代に帰る。
港北東急も地上7階、地下1階の大きな建物で、その周りにもレストラン、ショッピングモールや、銀行、消防署、郵便局、市役所、橫浜市北部病院や多くのマンションが建っていた。橫浜市が計画した未来型ニュータウンというのは斬新で個性的な街づくりが出来ていた。
そのうちに、15時過ぎて、小腹が空いたので、港北東急のビル内の寿司屋で寿司を食べて、面白そうな映画を6階の109シネマズ港北でやっていたので、見てから帰ることにした。いくつもの小映画室があり、多くのお客さんでにぎわっていた。
そうして、夜19時なり、東急ショッピングセンターの外のレストラン、ショッピング・モールを見て歩き、ハンバーグの美味しそーな店を見つけて入って夕食をとり、新横浜へ帰った。今日もかなり歩いたので、シャワーを浴びて、直ぐに眠りについた。
翌朝、月曜日、朝7時に起きて新横浜から、横浜に出て、満員の東海道線に、乗って、東京駅へ行ったが、やはり通勤、通学ラッシュでごった返していた。以前のホームに行くと、通勤ラッシュのせいか、頭が痛くなってきた。以前と同じ感じがして、まずいと思った。
ふと先を見ると、さっきまで何も見えなかった壁に裂け目が見え始め、それが徐々に大きくなるではないか。そこに吸い込まれるような感じがして吸い寄せられるように早足になった。自分の意識では制御できない感じになって、どんどんその裂け目に近づいて行った。
すると、どんどん意識が薄れてくる。どうしようと思っている内に、また、気絶した。かなりの時間が過ぎたような気がして回りが、ザワザワとして、次第に意識が戻り始めるのを感じた。おい、起きろ、どうした、救急車を呼ぼうかなどと聞こえてきた。
そして、ほっぺたを軽くたたかれて意識が戻った。目を開けると周りの人が驚いた様に大丈夫かと言った。どうやらラッシュの時に倒れ、通行人に踏まれそうになった様だ。駅の係員が担架も持って来て、それにのせて事務所に連れて行かれた。
そして、君の名前は、通勤先は、年齢など、聞かれたが覚えてないと言い、とにかく、気分が悪いと言うと、電話をかけ始めて、30分位して、担架で運ばれ、救急車に乗せられ、東京慈恵会医科大学病院の救急に運ばれた。そして、いろんな検査を受けた。
1時間位して完全に意識が戻ると事務で精算して帰っても良いと言われた。そこで、受付の大きな時計を見ると翌日1978年9月25日は、10時25分だった。元に戻れた、安心して浦和の実家に帰った。
何事も無かったように、昨晩は、徹夜で遊んだのか、どっかに泊まったのかと言われたが、ホテルに泊まったと言うだけで、何も言わなかった。そして、今日は、埼玉銀行に電話して、体調が悪いから、休むと連絡した。




