現れた異常
食堂から正面に見える運動場。そして食堂の窓際から東に見える体育館からはバスケ部が昼練に明け暮れているからか、ダムダムというボールの跳ねる音、キュッキュッとシューズの音が心地よく遠くの方で響いている。少し開けた窓から入ってくる仮想の風もどこか贅沢だった。
食券を買ったものの待ち人来ずで暇を持て余し、頬杖をついてぼけーっとサッカーをしている連中がいる運動場の方を眺めていた。
「あいつ、なんで来ねぇんだ?もう10分も経ってるぞ」
この世界に災害の類も刃物の類も存在しないし、ましてや暴力を振るおうものならこの世界から永久追放されるためそんなリスクを負う奴は殆どいない。要するに平和なのだ。だから心配する必要は無いと思うんだが・・・。やはり遅いな。
それから更に10分ほど経った頃。
それは来た。
キイイイイイイイイイイイイイイン!!!!
「はぁ!?なんだ!?」
「え!?なになに!?」
「痛っ!」
俺だけに聞こえるような通常の耳鳴りではなく、この場にいる全員を苦しめる超音波のようなものが響く。
耳や頭を押さえて生徒たちがうずくまっていたり、倒れていたりする。だがよく見てみると人によって程度は異なるようで、軽い症状の者もいた。
その不快に響く音は徐々にボリュームを上げていった。
もしかすると校内放送がぶっ壊れたのかもしれない、などと一瞬よぎったが自ら即否定する。この異常な音に身に覚えは無かったが、記憶の奥底で沸き立つ不安が俺をその場から立ち上がらせた。
「お前ら!ここは危ない!今すぐ屋上に避難するんだ!早く!」
「りゅ、流星!お前なんか知ってんのか!?」
クラスメイトの一人が机に寄りかかるようにして辛うじて立ち上がり、苦しそうに叫ぶ。
「分からない!だけどなんかやばいってのはお前も分かるだろ。軽症の奴は重症の奴を背負って屋上に連れて行ってくれ!誘導は任せたぞ!」
「なんか分からんが分かった!!でもお前はどうすんだ!?」
確証は無いがこの建物の音波の拡散の仕方からみて・・・あそこから音が出ているな。
「ちょっと見てくるわ!」
可動式ドアを兼ねる食堂の窓から飛び出し、運動場の先にあるフェンスの方に向かって走り出した。
「おい!流星!」
「すまん!そっちは頼んだ!」
振り返ることなく全力で走った。ゲームと違ってこの世界では仮想の能力が付かない。現実世界と同じように少しずつ体力トレーニングをして少しずつ伸ばしていくしかないので、そのスピードは五十メートル走六秒台が限界だった。仮想世界だから息切れしないのが唯一の救いだ。
一〜二分走ってようやく運動場をこえ、普段野球部が利用するにあたってボールが飛び越えないように設置してあるフェンスにたどり着く。フェンスの下側にはドア式になった場所があり、それをこえると道路がある。
その道路の奥に何か黒い渦のようなものがとぐろを巻いているのが微かながら見えた。
「錯覚であってくれよ・・・」
淡い期待を込めた呟きが漏れる。大体そういう時はフラグってやつなのを思い出してすぐに後悔し、舌打ちをして濁す。ドアを開けてフェンスを越え、あの黒いものに向けて一歩踏み出した時だった。
視界の左端にこの第一高校の女制服を捉えて思わず振り返る。草むらの中に映るその姿は見間違いなどあるはずもない。
俺の親友であり幼馴染の京だった。
涙が頬を伝って整った細くて白い顎からぽとりぽとりと雫となってこぼれ落ち、土の色を濁らせていた。
「京・・・。こんなとこに居たのか。どうした?何かあったのか?」
「え?りゅ、流星!?や、やだな・・・嫌なとこ見られちったな」
「そんなことねぇよ。ほら・・・拭け」
仮想のハンカチを設定してあるショートカットキーをウインドウから呼び出して京に手渡す。
「そんな顔してなきゃもっと可愛げがあると思うんだけどな」
「ほっとけ」
はてどんな無愛想でぶきっちょな顔つきだったのやら。
「つーか京、お前こんなとこに居て頭痛くねぇのかよ?」
額を抑えて歪んだ顔をするに対して彼女は一切の迷いなく答えた。
「ん?何のこと?」
ん・・・?この音が聞こえてない・・・?個人差にも色々あるのか?
いや、この近付く程増す超音波による頭痛は間違いなく食堂にいた全員が聞いていたし、体育館の方からバスケットをしている感じの音が全く聞こえないことから、学校全体がそうなのだろう。だが京には聞こえていないようだし、それによる頭痛がしている様子もない。まるでコイツだけが世界から切り取られたかのような・・・。
何か引っかかって出てきそうになっているところで、超音波がこれまた突然消えた。
「あ・・・消え・・・た?」
羽根でも生えたかと思うほど体は軽くなり、丸まっていた背中を伸ばす。
「えっと・・・流星?」
「い、いや、なんでもない・・・」
音は収まった。だが目の前の光景は違う。黒い渦の中心からキラキラと光り、白い何かが湧き出しているように見える。ゲームと同じく遠目で見ているとフォーカス調整が働き、双眼鏡のように対象の像がくっきりとしてくる。
「あれは・・・」
それは動いた。動物・・・か?じわじわとピントが合ってくる。
「う、馬?」
完全にピントが合い、それが前足を振り上げたように見えた瞬間だった。
ズババババババババババババババババ!!!!!
交差点になった道路の壁をぶち壊しながら、トルネードのような衝撃波が俺たち二人に向かって飛んで来た。先にも言ったがここはゲームではない。限りなく現実に近しいこの世界では、ゲームの主人公になれないただの学生である俺にこの突風を防ぐことなど出来るはずもない。
猛然と迫る爆風。
俺の右腕にしがみついて離さない京。
なんか柔らかいものが当たってるぞ、といい加減に逸れる思考。
コンマ一秒ほどの距離に迫ってきた死。
死?いや、いくらなんでも仮想世界だぞ?死ぬわけないよな。ログアウトされるだけだよな?
恐怖に支配されて目を瞑りそうになる。
その時だった。
「あなたは死なないわ。だって私が守るもの」
どこかで聞いたことのある台詞だった。幼くはあるがそれでいて凛として響く声が突風と俺の間で空気を凪いだ。
バシュウウウウウウウ!!!!
二本の剣が突風を切り裂いて爆散した。
「怪我はない?」
半透明で不明瞭に浮かんでいたシルエットにだんだんと色が付いていく。まるで透明人間がそこから姿を現したかのように。
中学生程度の身長にミルクティを溶かしたような甘やかに揺れるサラサラのセミロングの髪。その間から垣間見える榛色の瞳、整った鼻先、桜色の唇。どれを取っても美しく、洗練されたその成り立ちに俺は見惚れてしまった。いや、明らかに中坊だろ。いかんいかん。
「あの・・・・聞いてる?」
片目に変な機械をこさえたミルクティ色の少女の髪はポニーテールに結わえられていて、爆散した強風に激しく揺られている。
「もしもーし、おーい」
少女は半身振り返って、片手の剣を俺の目の前でゆらゆらとふる・・・。
「って、危ねえだろうが!」
「おうわ、生き返った!」
「いや死んでねぇから」
「そ、そんなの分かってるよ〜。冗談通じないのかな。そんな怒らなくてもいいじゃん」
中学生くらいの身長の女の子に半ベソをかかせているようで、京の手前自分がいたたまれなくなってくる。
「京・・・お前は大丈夫だったか・・・って・・・」
ってあれ?
「京が・・・いない?お、おい!今隣にいた女の子は!?」
「あれ、ほんとだ居なくなってる。ってことはそうか。ようやく強制ログアウトが発動したのかな」
「強制ログアウト?」
「うん。あとで説明するから今は・・・」
そう言いながら彼女は腿を90度に上げて脚を振りかぶった。
「離れててね!」
そしてその狙いは俺のみぞおち。
ガスっ!「あぅっ・・・」
あ、なんか聞こえちゃあかん音や・・・。
「ごふぁああああああ!!」
数メートル吹き飛んで草むらの中で数回バウンドし、地面に顔を擦り付けてようやく止まった。
「くっそやりやがったな。だが美少女だから許す。むしろご褒美・・・・だ」
暗転していく視界の中で思う。
何故みぞおちに喰らわす必要があったんだ。ってか仮想世界って痛みや気絶値って百パーセント遮断されてなかったっけ?と。
「少し眠っていてね」
と数メートル先で聞こえたのは気のせいだったのだろうか。
・・・・・。
何時間眠っていたのだろうか。
現実的にいえば落ちる、気絶するといったことになったが意外と頭はすっきりと冴えていて、ベストコンディションといったところだろうか。
カッと目を開いて首はねで起き上がるとそこは草の生い茂っている荒地で、何故だか俺はそこで昼寝をしていたようだ。
「えーっと、なんだっけな。やべ、記憶飛んだわ」
記憶喪失というわけではないが、何故ここで寝ているのかという疑問に即回答が出なかったので頭を捻る。
「えーっと、星羅に掴まったあと昼飯食いに来て・・・あ」
食堂で聞こえた超音波。その音源を目指して飛び出し、変な黒い渦を見つけた。その中から馬みたいなやつが出て来て爆風を飛ばし、そして・・・。
「あのちびっ子中学生!んにゃろーめ!人のみぞおちに回し蹴りくれやがって。まだ痛ぇぞこんちくしょー。おいお前!・・・・ってなんだこれ。どうなってんだ」
辺りを見回すと本来破壊不能オブジェクトとして存在する塀などが見事にボロボロになって残骸が無造作に散っていた。
総合的に見て夢ではないのだろうが、そこに彼女と馬のようなものは存在せず、ただその痕跡だけが残っているといった状況に再び首を大きく捻った。
「最早ツッコミがツッコミじゃなくなってるじゃねぇか。何がどうなってんだか」
それだけぼやいてとりあえず学校に戻ろうと腰を上げた時だった。
ドドドドドドドドドドドドドオオオオオオオオオオン!!!!!
二〜三百メートル圏内で激しい音がした。その方角を見ると、この世界で今まで見たことの無い【土煙】が立ち込めていた。
「現実でも漫画でしか見たことねぇぞ!土煙なんてよ!」
独りが不安だからだろうか、それとも分不相応にも彼女を助けたかったからだろうか。一つ文句を言うだけで体は現場に向かって走り出していた。
昔とある有名漫画で読んだ、とあるカッコいいキャラの名台詞が不意に頭に浮かぶ。
『歴史に名を残すヒーローは学生時代から逸話を残している。そしてその皆が口を揃えて言う。考える前に体が動いていたと』
そんなんじゃねぇ。そんなんじゃねぇが、俺はこの世界が無闇に砕かれるのが許せねぇだけだ。砕かれた学校裏の道路を走りながら思う。
さっきのあいつを野放しにしておくとこの光景が学校裏だけじゃなく、この世界全体を侵食していくかもしれない。そうなるとこの世界に干渉し、真理を追求しようとしている俺にとって不都合極まりない状況となる。あとなんとなくむしゃくしゃする。
という行動理念からだろうか。考える前から体が動いていた。
仮想世界のゲームの中ではなかなか強さに覚えがあって、この世界を守れるという自信が心のどこかであったからかもしれない。
自分で言うのもなんだが俺はVRの世界ではそこそこ名の知れたプレイヤーで、対モンスター戦においては俺の右に出る奴はいないとまで言われたこともある。ああ、中学黒歴史その一だ。
それはMMOを取り上げている電子雑誌、週間MMOにて取り上げられたことが原因なんだが。
とにかく俺は自分ならこの異常事態を解決できる。そんな根拠も無いうぬぼれがこの時の俺を激しく突き動かしていた。
ズドドドドドドドドドド!
突風が仮想の建物などを破壊する音が今度はかなり近くで聞こえた。
「建物の破壊音もこの世界じゃ初めて聞くぞ。ああもう!あんま壊すなよ!ったく」
ぼやきながら音源の方におそるおそる近づいていき、十字路の曲がり角からそっと覗く。
・・・・・いた。
砕かれた道がまだ狭く感じるのか、塀のやや上で滞空しながら突風を飛ばして戦う、翼を持った馬型のモンスター。
この世界では見たこともない滞空というものをしている敵に向かって、これまた見たこともない跳躍力を使って敵の攻撃をかいくぐりながら双剣で斬りつける少女の姿があった。
しかし少女の攻撃も当たることなく、その体は地面に着地した。
「くっそぅ!なんで当たらないの!?」
汗を拭う素ぶりを見せた彼女は地団駄を踏んでいて、見るからに焦っていた。
汗・・・?現実での癖か・・・・?
嫌な予感がした。この世界は現実とほぼ同じ。だが汗は出ない、息切れはしない、血は刃物の類がないから出るかどうかも分からない。
まさかな・・・。
深い思考に入りそうになるのを無理矢理遮り、敵の方をよく見るとそいつは俺の知っているモンスターだった。
そいつは暴風天馬といって、MMOではよく使われる幻獣の一体である翼の生えた馬、ユニコーンをモチーフにしている。
白銀に光る粉を辺りに撒き散らしながら戦う様が美しいと当時話題になり、テイマー達がこぞってテイムに向かったが全滅だったとか。
そんな暴風天馬という名前から分かる通り、先程のように通常時には突風を飛ばして空中からのみ攻撃してくる。しかしある程度ダメージを与えると攻撃パターンが変わる。
一挙手一投足すべてが荒くなり、動きが速くて読みにくくなる上に被ダメージが増加する。
俺たちMMOプレイヤーはそのことを【怒った】あるいは【キレた】状態と呼んでいる。
昔プレイしていたVRMMOゲームに出てきたモンスターだからキレたあとの行動パターンも全て把握してあるのだが、色んな意味で俺はその戦いを見ていることしか出来ない。
一つ。俺は武器を持っていない。武器が無いと戦えないのはどんなゲームでも同じだが、その上戦闘能力値が与えられていないこの現実的仮想世界で素手で戦えるとは到底考えられない。
仮に武器を少女から借りて戦うとしよう。武器のない彼女を護りながらアレを倒すことが出来るのかといえば到底無理だろう。そもそも武器の戦闘力とかそれ以前に、彼女のような非現実的な跳躍力が俺にはない。
あの馬はキレるまでの戦闘中に地上に降りることはまず無いので、あの娘のように仮想ゲームに設定されてあるジャンプ力が無ければダメージを与えることは出来ない。そもそもなんで彼女はこの世界であんな跳躍力を持っているのかも謎だ。素で三メートルは飛んでるぞ。
もし何らかの方法で馬に剣が届いたとしても翼を僅かに震わせるだけで瞬時に数メートル移動する高い機動力から、俺の攻撃を当てることは非常に困難を極める。これが二つ目だ。
三つ。ワケの分からない物に対処するのは困難なこと。何故モンスターがこの場にいるのか。さっき見たあの黒い渦。あれから出現したと考えてまず間違い無いだろうが、あれは何だ?ワープゲートにでもなっているのか?だがゲームとRVワールドを無理矢理に繋げるワープゲートが存在したなんて話は聞いたことがないし、そんなものあっては困る。
だが、そいつはこうして現れた。
「あのワープゲート・・・マジの現実世界で出たり・・・・しないよな?」
ヴォオオオオオオオオオフフフフフ!!!
猛獣の怒声の割り込みによって俺の思考は一時的に途切れた。何とか彼女が当てた数撃によりキレた状態へと移行したようだ。しかしそのダメージを与えた傷はかなり浅いようだ。
・・・・・・・。
え・・・・・???
「き、傷・・・?」
そもそもモンスターがいること自体おかしな話だが、それを脇に置いて敢えていうならばこの事態は異常だ。ゲームはもちろん、現実的仮想世界を含め仮想世界では痛みはすべてシャットアウトされている。その上現実的仮想世界においては、痛みを伴うようなものはそもそも存在しない。料理するにも包丁などは必要ないから刃物の類いは存在せず、戦闘や痛みを伴うと思われるボクシングやレスリングなどのスポーツなどは全て別のゲームや現実世界の方で行われている。
いわば完全安全地帯なのだ。
なのにあのユニコーンの胸元に入っている傷は何だ?ゲームでモンスターを傷付けた時に入る傷跡はポリゴンの身体を抉るように少し角ばっていて、これは現実じゃないんだとプレイヤーに区別させるようにわざと設定されてある。
しかし目の前のユニコーンの傷跡・・・。
それはあまりにも生々しく、僅かだが血の雫が滴り落ちている。本物の血に見えるゲームなんて国から規制されまくって今じゃ存在すらしないというのに。
おかしい・・・おかしいぞ。この世界はどうなっちまったんだ?違和感と不安を感じながら汗に蒸れた右拳をぎゅっと握りしめ、戦いの行く末を見守ろうとしたその時だった・・・。