Episode 4:光装
――瞬間、ナイトレイの足元に白金の光円が展開する。大小様々な円と、不可解な文字列で形成されたそれはまるで魔法陣のようで。
そのまま右手を前へと伸ばし何かを掴むような仕草をすると同時に、光円から強い風が巻き起こりカソックの裾をはためかせる。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな
万夜の女王よ、我が主よ
天と地は貴女の慈悲に満ち溢れている
どうかその慈悲をもって、我等を至高の天へと導き給え」
ヘンリエッタには理解できない言語で滔々と紡がれる言葉。その恋歌とも、祈りとも聴こえる不思議な響きに呼応するように、その右手に光が収束していく。
「光装――義を為し正を為せ、たとえその身が滅びるとも」
言葉と共に、収束した光が一気に拡散する。光を振り払うように横に振るった右手には、十字架を模した形状の、白金の細剣が握られていた。
「行くよ。舌を噛むから、口は閉じておいて」
「へ?」
腰を抱き寄せられた感覚、を知覚する前に、浮遊感と視界の急激な上昇がヘンリエッタを襲った。
少し視線を下げればナイトレイの頭があって、太腿には彼の左腕が添えられている。
片腕で抱き上げられたのか、など考える暇さえなく、そのまま彼は勢いよく地面を蹴り駆け出した。
「ひっ、ひゃあぁぁっ!?」
路地から飛び出したその脚で影獣を蹴り飛ばし、勢いのまま横から飛びかかってきた別の影獣を細剣で斬り伏せる。
「いい子だから、ちゃんと口を閉じて」
温度の無い声でそうヘンリエッタに言い含め、ひぅん、と細剣をしならせながらナイトレイは大通りを駆けていく。
時折襲い掛かってくる影獣を難なく両断し、踏みつけ、剣の柄で殴り飛ばし、ヒールの靴とは思えないスピードで走り続ける。
視線の先、距離にして数m程の場所に木製の古びた扉。速度を上げ、扉を眼前に捉えた瞬間、背後に迫る影獣を一瞥する。その数、ざっと数十。
「僕に掴まって」
先ほどの言いつけを聞き入れたのかいつのまにか無言になったヘンリエッタにもう一度告げてから、右足を振り上げ思い切り扉を蹴り飛ばす。そのまま扉の中へ転がり込み、半壊した扉に向けて細剣を横薙ぎに一閃すると、後に続こうとしていた影獣の群れが不可視の壁に阻まれて扉の外へと積み上げられていく。
その様子を確認してから抱き上げていたヘンリエッタを床に降ろすと、力尽きたようにそのままへたりと床に座り込んでしまった。
「……大丈夫?」
「っひゃ、はい!」
しゅん、と光の粒になって消えていく細剣をぼんやりと眺めていたヘンリエッタは、ナイトレイの問いに思わず裏返った声を上げる。
まだ心臓がばくばくとうるさい音を立てている。胸の下辺りも少しばかり違和感があり、内臓が丸ごとひっくり返ったかのような気分だった。
――いや、男性と至近距離で、とかあんなに軽々と抱き上げられて、とかそういう話ではなく。
怖かったのだ。それはもう、腰が抜けるくらいに。
尋常じゃない速度と、四方八方から押し寄せる影獣の群れ。ナイトレイが影獣を踏んだり蹴ったり殴ったり斬ったりする度にいつ落ちるかと気が気ではなくて、言いつけを聞いたというよりも恐怖で黙りこくっていたといった方が近い有様だった。できれば、もう二度と経験したくはないとヘンリエッタは疲れ切ったため息を吐く。
そんなヘンリエッタとは対照的に、あれだけの大立ち回りを繰り広げたにもかかわらずナイトレイは息一つ乱していない。それどころか床にへたり込んだままのヘンリエッタを不思議そうに見下ろしている始末だ。
「具合が悪い? それともどこか痛むところでも……また抱いて移動したほうが良い?」
「いっ、いいえ! 大丈夫よ! 立てるわ!」
思わず早口で返して勢い良く立ち上がる。本当に、もう二度とあれは経験したくない。
その様子にナイトレイは少しだけ首を傾げるが、さして気にした様子もなく「じゃあ」と奥へと足を向ける。
辺りを見回すと、どうやら放置されて長い廃屋のようだ。
昔は食堂か何かだったのだろうか。朽ちて埃だらけのいすやテーブルがあちこちに散乱している。
ヘンリエッタが周囲を観察する間に、ナイトレイは店の最奥にある一つの扉の前に立っていた。
「おいで」
と手招きされ、ヘンリエッタは扉に近づく。
「人に会うよ。あの男なら恐らくクラリッサ・オルゲルの居場所も知っているから」
そう言って開かれた扉の先、暗闇の先には石造りの階段が伸びていた。
そのまま階下へと足を進めるナイトレイを追いかけて、ヘンリエッタも急いで階段を下りる。
数分ほど長い階段を下りていく。そうして体感で2階分ほど下りた先、今度は鉄製の錆びかけた扉が鎮座していた。
ナイトレイがドアノブを握ると、ぎぃと耳障りな音と共にゆっくりと扉が開いていく。
「ついておいで。広いから、僕から離れないで」
扉の奥へ体を滑り込ませながら、ナイトレイはヘンリエッタへと手を差し出す。
その手をしっかりと握り、ヘンリエッタも扉の向こう、未知の場所へと足を踏み入れた。