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Episode 2:失踪と出逢い

 終業の鐘と共に周囲がざわめき始める。

 近くのカフェに行こうとか、誰それの家で宿題をしようとか、そんな何気ない話の数々。

 放課後独特の浮足立った空気の中で、ヘンリエッタは一人小さくため息を吐いていた。

 結局、クラリッサは学校には来なかった。昨日別れたときはいつも通りの元気な彼女だったけれど、もしかしたらヘンリエッタが気付かなかっただけで具合が悪かったのだろうか。

 クラリッサはヘンリエッタと同じく一人暮らしをしていたはずだから、きっと心細い思いをしている。体調不良で寝込んでいるのならお見舞いに行かなければ。気丈で明るい親友が実は人一倍寂しがりなのを知っているのは、ヘンリエッタだけなのだから。

 スクールバッグに私物を収め、クラリッサの家へ向かおうと教室から廊下へ踏み出したヘンリエッタに、背後からゆっくりとしたバリトンの声が投げかけられる。

「ミス・ノーマン、少しいいかね?」

「エルズバーグ先生……」

 歳に見合わずすっと背筋の伸びた長身に、見事なカイゼル髭。その下に穏やかな笑みを(たた)えた白衣の老人――ヘンリエッタたちの学級担任であるサー・エルズバーグだ。

「ミス・オルゲルのことなのだが……」

「クラリッサに、何かあったんですか……?」

 不安で顔面を蒼白にするヘンリエッタに、エルズバーグは「それがだね……」と困り切った顔をする。

「昨日、ミス・オルゲルは君と別れて一度学校へ戻ってきただろう?」

 そう問われて、ヘンリエッタはおずおずと肯定する。

 昨日の放課後、街の中心部にあるカフェに寄った帰り。クラリッサは「宿題を忘れてきた」と言って一度学校に戻ったのだ。もちろんヘンリエッタもついて行こうとしたが、もうすぐ月が暮れるから危険だと、いつもの過保護で一喝され、しぶしぶ一足先に帰宅した。

 その旨を告げると、エルズバーグは眉を寄せ「ううむ」と唸る。

「実は、私は昨日学校に戻ってきたミス・オルゲルに会ったのだよ。(かげ)(こく)も近かったものだから帰ったらちゃんと私の家に電信(でんしん)で連絡を入れるように言ったのだが、それ以降連絡がなくてね。忘れただけかとも思ったが、今日になって君が珍しくミス・オルゲルと登校をしてこなかったものだから心配に……ミス・ノーマン? 大丈夫かい?」

 名を呼ばれて、そこで初めてヘンリエッタは自身が全身に嫌な汗をかいていることに気づく。もしかしたら、クラリッサは陰の刻に迷いこんで影獣(オネイロス)に襲われてしまったのかもしれない。やっぱり昨日、ヘンリエッタもついていけばよかった。

 不安と後悔が脳裏(のうり)を支配する。そんなヘンリエッタにエルズバーグは腰をかがめ、しっかりと目線を合わせ告げる。

「ミス・ノーマン、気をしっかり保ちなさい。ミス・オルゲルのことは官憲(かんけん)に頼んでおくからあまり心配はしないように。

 ……陰の刻は危険だ。君はまだ14歳の子供なのだから、間違っても、彼女を一人で探しに行ったりしてはいけないよ」

 その言葉に、ヘンリエッタは弱々しく頷くしかなかった。




 走る、走る、走る。

 月は天頂(てんちょう)をとうに過ぎ、既に西へと沈みかけている。

 どこか冷静な自分が「帰らなければいけない」と脳内で騒ぎたてるが、今のヘンリエッタはそんな声に従う余裕などかけらもなかった。

 ――探さなきゃ、助けなきゃ。エルズバーグ先生は官憲に任せたとおっしゃっていたけれど、クラリッサを放って私だけが普段の生活を続けるなんて、そんなことできるわけがない――!

 じわ、と目尻が熱くなり、涙が勝手に溢れそうになる。唇を噛んで涙をこらえて、がむしゃらに走って、走って、走り続けて。

「きゃっ……」

「……あ」

 ぼす、と何かにぶつかる。地面に尻もちをつく前に、誰かに手首をつかまれ助け起こされる。ふと、淡い白昼夢(はくちゅうむ)のような軽い既視感(デジャヴ)を覚えた。

「……大丈夫かい」

 既視感()の正体を突き止める間もなく、頭上から声が落ちてくる。

「あ……ごめんなさい。私、ちゃんと前を見ていなくて……」

 そう謝罪して、声の主を見上げる。

「……え?」

 そこにいたのは青年だった。

 思わず息を呑むような、神秘的(しんぴてき)で恐ろしいほどに美しい青年だ。浅黒い肌に、夜空を切り取ったような蒼黒(そうこく)の髪。長身だがしなやかな痩躯(そうく)を持っており、そこに威圧感(いあつかん)は無い。体の線に沿った漆黒のカソックに身を包み、手には純白の手袋、ブーツも同じく白だ。

 モノクロ写真のような容貌(ようぼう)の中で、首にかけたマドンナブルーのストラと、感情の読めないブルーアシードの双眸(そうぼう)がひときわ鮮やかに映る。特に瞳は美しいながらもどこか(くら)く、人間離れした無機質な輝きを放っていた。

 しかしヘンリエッタが驚いたのは、彼の容貌にではなかった。

 彼と目線を合わせた瞬間に体を駆け巡る、身を焦がすような郷愁(きょうしゅう)慕情(ぼじょう)。初めて出逢ったはずなのに、ヘンリエッタは間違いなく()()()()()()()

「あ、あの……」

 どこかで会わなかったか、そう問おうと口を開くが、青年はその問いを静かに(さえぎ)る。

「……探し物が、あるんだろう。それとも、探し人か」

 感情が抜け落ちたような声。甘く滑らかで、少しかすれて、存在感が希薄(きはく)で……まるで純白の鳥の羽根か真冬に降る粉雪のような音だった。表情もどこか虚ろで、彼の顔立ちも相まって精巧(せいこう)なビスクドールと話しているような気分になる。

「どうして、それを」

 言葉尻が少しだけ震えた。クラリッサの知人には到底見えない。エルズバーグの知人にも、当然ながら官憲にも。不審者かもしれない。神父のふりをした犯罪者だったら?

 思考を巡らせるが、それでもなぜかヘンリエッタは彼から逃げようとは考えもしなかった。

「君のことならなんだって知っている。ヘンリエッタ、僕の女王(クイーン)

 そう言うと青年は、無駄のない動きでヘンリエッタの前に(ひざまず)く。主に(かしず)く従者のように――あるいは、姫を迎えに来た王子のように。

 その様子にヘンリエッタはたじろぐ。何もかもがイレギュラーすぎて、すでに思考は状況に追い付かなくなっていた。

「ヘンリエッタ・ノーマン。僕の(マスター)、僕の女王(クイーン)、僕の運命。

 君は、すべてを知る必要がある。すべてを知って、選び取る必要がある。

 辿るべき道は、必要な事柄は、全て僕が知っているから。

 ――だから、君は君の意思でこの手を取るんだ」

 青年は、言葉の通りに右手を差し出す。

 何もわからない。彼の言っていることも、今自分が置かれている状況も。

 でも、ここで逃げてしまったらきっといつか後悔するのだろうと、それだけはなぜかはっきりと理解していた。

 ヘンリエッタは一つ大きく息を吸い、震える手で青年の手を取る。冷たいのだろうと思っていた手は意外にも暖かくて、少しだけ気持ちが落ち着くような気がした。

「……お願いがあるの」

 一つ息を吸って、ヘンリエッタは口を開く。

「わ、私、探している人がいるの。クラリッサっていう女の子よ」

「ああ」

「ピンクブラウンのツインテールと、紫の瞳。少しツリ目がちで気が強そうに見えるけれど、本当はとっても優しい子なの」

「ああ」

「その子を、一緒に探してほしいの。もしかしたら陰の刻に迷い込んじゃったかもしれなくて……私の力だけじゃ、何もできないから」

 不安で、少しだけ脈が速くなる。断られたらなす(すべ)がない。もうヘンリエッタは彼の手を取ってしまった。それが(わら)にも(すが)るような行為だとしても、今頼れるのはこの青年しかいないのだ。

「……当然だとも、ヘンリエッタ。君がそれを望むなら」

 長い沈黙(ちんもく)の後に――否、ヘンリエッタにとって長かっただけで、実際はそう経っていないのかもしれない――青年はなんでもなさそうな口調で了承する。

 笑みこそしていないものの、雰囲気が少しだけ柔らかくなったような気がした。

「僕は君のためにある。君のためだけに存在するんだ。

 僕のエゴを通す以上、君が願うことはなんだって叶えてみせる」

 そう言い切る青年に、ヘンリエッタは張りつめていた心の糸が緩むのを感じた。彼なら安全だ、彼なら自分を否定しない。自分の中の何かが断言する。

 初対面の相手にこんなのおかしくて、それなのに何もおかしいことは無いような、矛盾した気分だ。

「あ、ありがとう……。私、本当にどうしたらいいかわからなくて……」

 はらはらと目尻から涙があふれてくる。幼子のように嗚咽(おえつ)を漏らすヘンリエッタを、青年は何を言うでもなく静かに見つめていた。

 ――月は、もうほとんど沈みかけている。陰の刻は、もうすぐそこまで近付いていた。


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