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Episode 1:歪みだした日常

――そして、目が覚めた。

 瞼を開けば、視界には見慣れた天井とアンティークのペンダントライト。

「……夢」

 ほぅ、と思わずため息を吐く。

 そう、夢だ。また、いつもの夢。

 このところ数か月もの間、毎日見る悪夢。

 何かに怯えて、逃げ出して、ひたすら暗闇の中を上へ上へと上り続けて……そして、奈落の底へと墜ちていく夢。

 最初は、ただ闇の中を駆けるだけの夢だった。それが1ヶ月経った頃には足元の地面が消えて、また1ヶ月経った頃には体が虚空に投げ出されて。

 そして今日――墜ちていく体を、伸ばした手を、誰かが掴んで引き上げてくれた。

 自分以外の誰かが夢に出てきたことなど、この数か月間で初めてだった。

 顔も見えなくて、声も聞こえなくて、それでも、なぜか掴まれた手首の感触だけは現実のことのように思い出せる。

 それに、いつもなら脳の錯覚による浮遊感と、内臓が反転するような言いようのない不快感で目が覚めるのに、今日は違った。

 安堵と、困惑と、少しの懐かしさ。

 こんなに穏やかな目覚めは久しぶりだった。窓の外の月はいつものように丸く大きく、ベッド横のサイドテーブルに置かれた卓上時計の短針は七を指し示している。

「早く準備をしないと、クラリッサを待たせちゃうわ……」

 誰に言うでもなく呟いて、少女――ヘンリエッタ・ノーマンは静かにベッドを降りた。



 ――この世界に朝は来ない。

 蒼黒(そうこく)の夜空には常に大きな満月がかかり、一日の半分を使って天球を東から西へ、南を経由して渡っていく。人はこれを”(つき)(こく)”と呼ぶ。人間が動く、人間のための時間だ。

 もう半日は、空には何も無くなる。月は沈み、星は消え、世界は漆黒の闇に包まれるのだ。人はこれを”(かげ)(こく)”と呼ぶ。人間の活動が不可能な、獣のための時間だ。

 なにしろ、その闇から影獣(オネイロス)と呼ばれる凶暴な獣が湧いて出てくるのだから。

 建物の中にこそ侵入しないものの、いかなる武器でも倒せず、ただ月の光によってのみ撃退される。そんな獣を恐れて、人は誰しも月が沈めば家の扉を閉ざし、月が昇るまでは絶対に外へ出ようとしない。

 そんな有様だから、どうしても行動範囲は月が出ている間に動ける程度に収まってしまう。

 街の内部は繁栄するものの、他の街との交流は無いに等しい。

 人々は街で生まれ、街で育ち、街の中で外の世界を知らないままに死んでいく――。これが世界の常識であり、これまでもこれからも変わらない理だった。

 理由は定かではない。この世界を作ったとされる女神、”月夜の女王”が太陽を、朝を嫌ったから、と伝えられている。そんなおとぎ話など今時誰も信じてはいないが、それでも朝という事象が存在しないのは(くつがえ)しようのない事実だ。

 ”朝”や”太陽”といった言葉は、この世界に生きる者達にとって、女王の物語と同じおとぎ話に過ぎないのだ。



 ガス灯と石畳(いしだたみ)の街、ブリオングロード。

 街のシンボルである噴水公園から放射状に広がった街並みが特徴の城郭都市(じょうかくとし)

 白と黒が交互に敷かれた、まるでチェス盤のような石畳をガス灯の光が照らして、辺りがほのかな黄金に浮かび上がる。

 月の光すらもかすむようなまばゆい街中を、ヘンリエッタは急ぎ足で進んでいた。

 ボブカットの白金髪(トウヘッド)に、垂れ目がちなコバルトグリーンの瞳。生成(きな)りのブラウスとワインレッドのコルセットスカートは、先月の誕生日に遠方(えんぽう)で暮らす父が送ってくれた、お気に入りの服だ。

 革製のブーツのかかとが石畳に触れる度、カツカツと硬質的な音がする。

 親友であるクラリッサ・オルゲルとの待ち合わせにはまだ少しだけ早いが、彼女はいつも約束の10分前には噴水前のベンチに座っている。

 ――遅れるわけではないが、それでも待たせてしまうのは申し訳ない。そんな心持ちで、ヘンリエッタは少しだけ足を速める。

 競歩(きょうほ)並みのスピードではあるが、決して走らない、というよりも走れない。

 どうやらクラリッサはヘンリエッタを深窓(しんそう)令嬢(れいじょう)か何かだと思っているらしく、激しい運動をして息でも切らせようものなら烈火のごとく怒るのだ。「エッタの体に何かあったらどうするの!」と。

 確かにヘンリエッタは体の強い方ではないが、それにしてもあの心配様は少しばかり度が過ぎるのではないか。

 そんなことを考えている内に、ヘンリエッタは目的地である噴水公園へと足を踏み入れていた。

 花と木に囲まれた円形の広場の中心。広場の形に添うように同じく円形をした噴水は、昨日と変わらず静かに水を落とし続けている。

「……あら?」

 ヘンリエッタは思わず疑問符を漏らす。いつもならもう来ているはずのクラリッサが、まだ来ていないのだ。

 寝坊だろうか、早起きのクラリッサにしては珍しい。少しばかり首を傾げながらベンチに腰を下ろす。

 だが、まだ始業時間までは30分もある。学校までの道のりを考えても、20分は余裕があるのだから心配はないだろう。そう思い直して、ヘンリエッタは読みかけの推理小説を開いた。

 しかしながら――結局、クラリッサは約束の時間どころか、始業時間になっても学校には来なかった。


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