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長篠城の落日

作者: John B.Rabitan

 元亀三年(一五七二年)十月、武田信玄入道は将軍足利義昭の織田信長追討令に呼応し、三万の軍を率いて甲府を発して上洛の途についた。

 まず、秋山信友の別働隊五千は木曽路から美濃へと入り、十一月には東美濃における織田家の拠点である岩村城を落とし、秋山は信長の援軍も破った。これで、かつては同盟関係であった信玄と信長の敵対関係はこれで明白となった。

 信玄の本隊は諏訪を経て遠江に侵攻、岩村城降伏の頃までには遠州の徳川方の各城を落とし、十二月には徳川家康と一言坂で戦い、二俣城を落とし、そして年末も押し迫った頃に遠州三方ヶ原にて浜松からおびき出した家康の軍と信玄の軍は全面衝突して、家康軍を蹴散らした。年が明けて元亀四年(一五七三年……後に天正元年と改元)の一月には奥三河の徳川方の菅沼定盈(さだみつ)の野田城を一ヶ月かけて包囲、その後体調の不調を覚えた信玄はその北にあるすでに武田に(くみ)していた菅沼正定の長篠城に落ち着いて療養し、体調を整えていた。

 もはや引き返せないところまできてしまった。

 ひしひしと感じている恐怖とは裏腹に、欲望の赴くまま暗闘の中で、奥平(おくだいら)貞能(さだよし)は熟女の熱い肌に手をすべらせていた。荒い息づかいが耳元で聞こえるが、それが自分のものなのか相手の女のものなのか、貞能自身分からなかった。

 彼の胸は高鳴り、足は小刻みに震えていた。女と交わるというだけでそうなるほど、彼はもはや若くはない。しかし現実として、彼の胸は激しく鼓動を打っていた。そしてそれは行為が進むにつれ、ますます激しさを増していく。本来なら熱く燃えてくる頃なのに、彼は寒気さえ感じた。

 ふと貞能は上半身を起こし、まわりの様子を伺った。今、微かにだが物音がしたのだ。とたんに彼の心は恐怖感に支配され、それ以上は進めなくなった。

 ――誰かに見られているのか……?

 背筋に悪寒が走る。

 こんな状況でもまだ貞能の中に冷めている部分があって、こういうことになってしまったことについて(いぶか)っていたりする。

 ここは自分の居城ではない。他人の城だ。自分の城へ帰っても、彼の妻は徳川に人質にとられていていない。独り寝の続く鬱憤からついに爆発した欲望が自分を動かし、この女を抱いてしまったのか――。

 しかし、抱いてはいけない女を、彼は抱いてしまっていた。

 腰を絡ませている熟女――三十七歳の貞能より、いくらも若くはないだろう。若い女好みの貞能が、平静なら見向きもしない年増だ。それが今は新鮮に感じられたりもする。

 しかしどう考えても、絶対にまずい――。

 頭がそう考えてもからだは勝手に動く。

 ままよ――自分は武田家と、昔からの縁があったというわけではない。その分、背徳の度合いも少なかろう――。

 一所懸命自分を説得しながら、貞能は行為を続けていた。

 長篠城の夜は静かだった。

 

 信玄の天下号令は目前であった。すでに信玄は小田原北条氏と、一時は破棄された同盟を取り戻していた。それは北条氏と越後の上杉謙信との同盟の破局を物語っていた。今や信濃、駿河も信玄の支配下であり、相模も同盟国。上洛を阻む存在といえば、美濃の織田信長のみといえた。信長はすでに上洛を果たしていたが、まだ天下に号令するには至っていない。越後の朝倉、将軍義昭、一向衆など信長の足かせは多い。だが、信玄が上洛して天下に号令となると、どうしてもその信長との全面衝突は避けられようもない状況だった。

 その当時、奥三河の長篠城主菅沼正貞、田峯城主菅沼定忠らとともに信長の同盟者である徳川家の山家(やまが)三方衆(さんぽうしゅう)と呼ばれていたのが、同じく奥三河の作手(つくで)亀山城主奥平(おくだいら)監物(けんもつ)貞能(さだよし)だった。その奥平貞能はじめ山家三方衆は、甲府を発した甲州勢が破竹の勢いで遠江に迫り、徳川家康のいる浜松城の支城である二俣城を落としたとの情報を受けた十二月に、こぞって徳川を離反して武田方についていたのである。もっとも、菅沼一族の本家である田峯城の菅沼貞忠はすでに一昨年、武田家の秋山信友がこの奥三河にゲリラ的に侵攻して来た時にすでに武田家に降伏し、近隣の奥三河の土豪への説得工作を進めていた。この時は武田家への帰順を断乎としてはねのけ、徳川への忠誠を誓った貞脳であった。しかし、今回の信玄上洛軍発動とともに五千の兵を預かった別働隊の山県三郎兵衛尉昌景が奥三河を通過し、近隣の土豪を説得して味方に引き入れつつ南下していったのを機に、かねてより菅沼貞忠に説得されつつあった菅沼正貞、そして貞能も武田家への帰順を考え始めていた。山県の部隊がわざわざ別働隊として奥三河を通過したのが、そもそもはそれが狙いだったともいえる。武田家としても、山岳戦に強い彼らをどうしても味方にほしかった。もともとは今川家に仕えていた奥平家だが、桶狭間の戦いの後に徳川家に仕え、姉川の戦いには徳川の一将として参戦した貞能である。それがまた、いわば敵方の武田家に寝返ったことになるが、国境(くにざかい)近辺に本拠を持つ土豪としては、情勢を見ての寝返りはいわば普通のことであり、そうしないと生き残れない時勢である。また、奥三河は武田家の勢力圏と徳川家の勢力圏のちょうど中間に位置しているという地理的特徴からも、それが可能だったのである。そして信玄が二俣城を落としたことによって、山家三方衆は意を決したのである。

 やがて信玄は先にも述べた通りに年末に徳川家康も三方ヶ原で蹴散らしたのだが、山家三方衆は早速この(いくさ)に武田側として参戦、貞能も五百騎を率いて山県正景の旗下に入り、旧主の家康に弓を引いた。また信玄は明けて元亀四年――後に天正元年と改められるこの年(一五七三年)の一月には三万の兵で徳川方の菅沼定盈(さだみつ)の守る野田城への攻撃を開始し、わずか四百の兵で守るだけのその野田城をひと月以上もかけて二月の半ばに落としたのだが、山家三方衆はその戦にも加わり、現地の地理に明るいという強みをもって功績を立てている。

 その野田城攻防戦のあと、ようやく作手に戻った貞能は、折しも満開の桜の中を信玄が落ち着いたこの長篠城へとやって来た。初めて新主君の信玄に(まみ)えるためであった。ところがその場で直ちに貞能は、信玄からある重い役目を仰せつかった。

 

 女は今日、甲斐よりこの長篠城へ着いたばかりだった。その世話役を命ぜられた貞能は、挨拶言上のために女のもとに参上した。が、女は愚痴ばかりを言っていた。

 「もう四ヶ月もお屋形(やかた)(さま)の留守を預かって、やっとお呼び寄せ下さったと思ったら、お屋形様は陣中のこと(ゆえ)とてお会いになっても下さらぬ。もう(わらわ)(からだ)は火がつきそうで……お屋形様のお情けが頂けるものとばかり思っておったのに…!」

 貞能が何と答えてよいか迷っていると、女は貞能のそばまで寄り、その腕を引いた。

 「あ、何をなさいます!」

 「その(ほう)、お屋形様の代わりに、妾にお情けをたもう」

 一度抵抗しようとしたが、女の甘い香が鼻にとびこんでくると、あとは貞能の男としての慾情の方が理性より表面に立ってしまった。

 今日、作手からここへ向かう途中には思ってもいなかった状況が、今ここで展開されている。抱いてはいけない女を抱いてしまっている。先ほど初めて(まみ)えたばかりの信玄の眼光の鋭さが、今でも目に焼きついていて、それが行為の最中でも彼を怯えさせた。その信玄は、同じ城中にいる。男と女が裸になって肌を接していても、社会という柵からは逃げられないようだった。だが体は正直で、おかまいなく女の中で暴れまわっていた。

 頭の中が真っ白になった。もはや彼には、過去も未来も存在しなくなった。今ひと時の官能がすべてだった。それだけが恐怖から抜け出る道だと、彼は思ったのである。

 

               ※  ※  ※

 

 悪夢だと信玄は思いたかった。知りたくはなかった。知らずにいたかった。しかし彼は知ってしまった。

 目の前に控える情報元の忍びの三ツ者を、今にも一刀両断で斬り捨ててしまいたいという衝動を、信玄は必死に抑えていた。

 なぜ、知らせたのか――なぜ、自分は知ってしまったのか――。

 「もうよい! 下がれ。よいか、このことは、ゆめ他言無用ぞ」

 ほとんど怒号に近い声を三ツ者にあびせ、信玄は唇をかみしめた。

 今日、甲府より(ゆう)(かた)が、この長篠城へと到着した。信玄が呼んだのである。祐は信玄の最愛の女だった。かつて彼が愛した諏訪御料人――かつては敵方であった諏訪頼重の娘である。その御料人は十七年前、信玄が三十四歳の時に死んだ。そのすぐ後に、心にぽっかり空いた穴を埋めるべく、信玄は自分と同郷になる甲斐の出で身内の中でも最もその美貌をうたわれていた祐姫、今の祐の方を側室として迎えた。わずか十五歳だったその姫も、今では三十を超えている。ほぼ正室的地位にあった三条夫人も、一昨年に死んでいる。

 その祐の方が、この長篠城に着くや否や……

 そもそも今回の出兵は(いくさ)を目的とした出陣ではなく、あくまで上洛の軍だ。だからこそ最愛の女とともに都の地を踏むべく、信玄は祐の方を呼び寄せた。遠江と三河を平定した今こそが、その好機だと思ったのだ。

 それにしてもなぜあのような男に祐の方の世話役などを命じてしまったのかと、信玄は悔やまれてならなかった。所詮徳川からの寝返り者の、新参者なのだ。新参者など、信じるべきではなかった――。

 それに祐も祐だ。上洛軍とはいえ都の地にわが旗を立てるまでは戦の陣中と心得、愛する女が同じ城中に来たからとて自分は逢うのも慎むつもりでいたのだ。それなのに世話役ごときに体を許すなどとは、祐の自分に対するあてつけなのだろうか――。

 誰にも打ち明けられない悩みに、信玄は苦しんだ。あらためて怒りが湧き起こる。猛将の山県三郎兵衛あたりに間違えて漏らそうものなら、

 「今がいかなる時か、お屋形様はお心得あるや。戦の陣中でござる。しかも上洛を目前に控えている時ではござらぬか。そのような大事を前にして家臣の色恋沙汰など、たとえその相手がお屋形様の御側室といえども、大事の前の小事でござる。離反謀叛なら話は別でござるが!」

 などと言って、血相をかえて詰め寄ってくるに決まっている。そのことは充分に分かってはいるがやはり口惜しくて、その晩信玄は一睡もできなかった。

 

               ※  ※  ※

 

 翌朝早々に、奥平貞能のもとに、信玄からの通達があった。

 祐の方の世話役は解任。ただちに作手城へ戻れとのことであった。

 貞能は全身が震えた。信玄に知られてしまった。そうとしか考えられない。昨日のことが、できればあの女が主君の側室だと知らないでのことであったのならと思ったりしたが、無駄であった。彼は知っていた。知っていて慾情に負けた。妻が人質にとられているのだからということを心の中で繰り返すことだけが、唯一の精神の逃げ場だった。もちろんそのようなことが、何の言い訳にもならないことは分かってはいる。いずれにせよ昨夜はあくまで過去であり、決して未来にはならない。

 作手に帰る途中の馬上でも、彼はいろいろと考え続けた。

 武田家にとっては新参者の自分を側室の世話役にしたということは、よほど自分を信頼してのことだったろう。ところが自分はその信頼を裏切った。そうなると、自分の徳川から武田家への寝返りさえをも疑われるのではないか、自分は徳川の間者だと思われはしないか――。

 作手城に戻ると、気分がすぐれぬと言って彼はひとり部屋に閉じこもった。

 まだ妻は徳川に人質になったままだから、いっそうのことまた徳川に帰参しようかとも思ったが、大義名分がない。

 貞能は頭をかかえこんだ。こんな年になってこのようなことをしでかし、そしてそれで悩むなどとは思いもしなかった。息子の九八郎にも会わせる顔がない。もし血気盛んな若武者である息子が同じことをしたとしても、若気の至りですませることもできるだろう。しかし自分はもはや、そのような言い訳ができる年でもない。

 そのまま幾日かが過ぎた。信玄は依然、長篠城から動かない。そんなある日、とうとう信玄の使いが作手城に来た。長篠城へ出頭せよとのことであった。

 貞能の胸騒ぎは、いつしか全身の震えに変わっていた。重い足取りではあったが、主命である。だがまだ信玄が、自分とあの女との不義を知ったと断定できるわけではない。別に現場をとりおさえられたわけではないのだ。そう思うことだけが、かろうじて貞能に馬を長篠城へ進めさせていた。

 

 寒狭川(かんさがわ)(現・豊川(とよがわ))と大野川(現・宇連(うれ)川)の合流点に、長篠城はある。東と南の二方が川に面しており、その川はいずれもかなり低い所を流れているので、城域から川へは垂直の深い断崖となっていた。このあたりが山地と平地の境目だが、平地にあってもこの城は天然の要害であった。

 呼ばれたのは貞能ひとりではなく、当長篠城主の菅沼正貞、田峯城主の菅沼定忠が、すでに本丸の奥座敷に着座していた。いわば山家三方衆がそろったわけである。何のために――分からない。ただ、三人で雑談をかわす間もなく、信玄が現れた。三人は一列に並んだまま、そろって平伏した。信玄は本来ここの城主である正貞のすわる座についた。

 「(おもて)を上げてくれ」

 信玄は穏やかに言った。心なしかその声に、力が入っていないように感じられた。

 全身が小刻みに震え、呼吸をするのさえ困難になっていた貞能は、信玄の穏やかな顔を見て、幾分の安堵の感からゆっくりと息も吸えるようになっていた。

 「この城内に」

 低い声で、信玄は語りはじめた。

 「捕虜として捕らえておる野田城主の菅沼新八郎定盈(さだみつ)と、徳川方の武将の松平与一郎忠正のことだが」

 「は」

 自分の不安とは別の所へ、信玄の話は飛んでいく。ようやく貞能も、かなり平常心を取り戻しつつあった。

 「わしはその捕虜を、徳川方へ帰そうと思う。徳川との交渉も成立した」

 驚いて顔を上げたのは、菅沼正貞だった。

 「もしやお屋形様は、野田城主の菅沼新八郎が我らと同族ということで、お情けをかけて下さるおつもりで?」

 信玄は黙っていた。

 「それには及びませぬ」

 菅沼定忠も信玄を直視し、膝を一歩進めて言った。

 「かの新八郎は我らの誘いをも断って、徳川へ残ったのですから徳川方。我ら二人、それに奥平殿を加えての山家三方衆は、今や(れっき)とした武田家の家中の者でございます!」

 信玄はその時、ちらりと貞能を見た。貞能は一瞬身をすくめた。定忠はさらに言葉を続けた。

 「同じ菅沼一族とて、我らと新八郎は今や敵味方。我らへのお心遣いはご無用に」

 「さよう。新八郎を徳川へ帰したとて、我われは嬉しうもございません。むしろ説得して新八郎をお味方へということでしたならば、大歓迎でございますが」

 正貞の言葉のあと、信玄は微かに笑った。

 「ちょっと待てい。たしかにそなたたちのためというのは、それはその通りだがな。そなたたちはこの武田軍の三河における最先鋒、なくてはならぬ存在だ。だが、わしが考えているのは、それだけで定盈を許すということだけではないわい。わしもただで、捕虜を返したりはせぬ」

 「と、おっしゃいますと?」

 正貞が信玄の顔を見据えた。信玄はその笑みの度合いを強くした。

 「もともとは定盈の切腹を条件に野田城の降伏を認めたのだが、その定盈に腹を切らせなんだのは考えがあってのこと。つまり定盈を、徳川に人質になって浜松にいるそなたたちの妻子と交換しようと思ったのだ。何日か前から交渉しておったのだが、ようやく先方が承知したのでな、それで今日そなたたちを呼んだのだ」

 菅沼家の二人の顔は、パッと輝いた。ただ、貞能だけが浮かぬ顔をしていた。

 「どうした、監物。嬉しうはないのか!」

 「は」

 貞能は慌てて平伏した。

 「有り難き幸せで、御恩、骨身に染みて感じまする」

 そう言ってから顔を上げた時、もはや笑みの消えた信玄の顔から、刺すような鋭い眼光が自分だけを直撃しているのを感じ、貞能は心臓が破裂しそうになった。

 何も言葉が出ない。全身が金縛りにあったように身動きができないのだ。信玄の視線はますます鋭く、自分を射る。

 額に汗がにじみ出た。糾問を受けているようなその視線を浴びて、貞能ははっきりと悟った――信玄は知っている。その側室と自分との不義を知っていると、貞能は魂を縮みがあらせた。

 信玄はすぐにもとの表情に戻り、三人をそろって見渡した。

 「いずれにせよ、三河の小僧を蹴散らして野田城も落とした今、わしはいよいよ本格的な上洛の途につくことになろう。その前に信長と正面きって、ぶつかり合うことになるやもしれぬ。そこで三河と遠江を、そなたたち山家三方衆に任せようとわしは思っておるんだ。そのための今回の計らいなのだ」

 「は、かたじけのう存じまする」

 三人は一斉にひれ伏した。

 「大義であった!」

 信玄は立ち上がると、すぐにその場をあとにした。貞能は恐れていた「監物は残れ!」の声は、かろうじてなかった。

 広間には山家三方衆の三人だけが残されたが、信玄がいなくなると早速、あとの二人の菅沼正貞、定忠の二人は互いに笑みを交わし、手を取り合わんばかりにして喜んだ。だが、そこに貞能は入っていなかった。二人は笑みを消して、貞能の顔をのぞきこんだ。

 「監物殿、いかがした? どうもご様子がおかしい」

 定忠の言葉を、すぐに正貞が受けた。

 「さよう。このようないい話を頂戴したというのに、お元気がないではござらぬか。今日最初にお会いした時からご様子が変だとは思っていたが、お屋形様からこのようなお話を伺ってもそのままであるし」

 貞能は、ゆっくりと首を横に振った。

 「いえいえ、ご心配なく。なんでもござらぬ」

 平静ならどんな些細なことでも互いに話し合い、行動を一にしてきた仲間なのである。しかし今回ばかりは、たとえこの二人に対してでも言えない事態を貞能は抱え込んでいるのであった。

 

 長篠城南東の角で寒狭川と大野川は合流するが、その合流点の角に本丸よりかなり低くなっている野牛郭がある。さらにその角の先端に野牛門があるが、門の外にはさほど川幅はない二つの川の合流点へ降る道があるだけだった。ここはちょうど城の断崖の下で、ちょっとした石の河原になっていて、道はそこで行き止まりだ。左右から来る激しい川の流れが目の前でぶつかり一本になった川は、ここから急に川幅が広くなる。両岸とも川岸までは、かなり高い断崖を登らねばならない。まるで地の底のような、谷底の空間だ。

 あたりはもうすっかり春の陽気でぽかぽかと暖かく、風の中には初夏の香りさえ感じられた。緑も濃くなりつつあったまわりの山々も見下ろすその河原で、捕虜と人質の交換は行なわれた。貞能たちが信玄に呼ばれた翌日の午後だった。

 「苦労をかけたな」

 もはやあり得ないかもしれぬと思っていた妻との再会に、冷淡ともいえるような態度を貞能はとった。妻も武家の妻らしく、取り乱したりはしなかった。妻との再会の喜びを押し殺してしまうほどの恐怖――怯え、それらが今の貞能のすべてを支配していたのだった。

 

                 ※  ※  ※

 

 祝宴でも聞いてやろうと、信玄は思った。

 戦の陣中なので華やかにはできないが、妻子を取り戻した山家三方衆にこれからの働きを促す上でも必要なことだと、彼は考えたのだ。

 だがその今の武田家にとってなくてはならぬ山家三方衆の中に、どうにも困った存在がある。奥平監物貞能――この男もなくてはならぬ男ではあるが、自分の側室に手を出した。本来なら即刻お手打ち者だが、やつが恐怖に震えているのが昨日の会見でわかった。自分がその不義を知ったと察したのだろう。

 やつは自分が恐いのだ。それは当たり前だと、信玄は思った。自分は恐がられている。家臣たちはおろか、近隣諸国の大名たちに自分は恐れられているという自負が、信玄にはあった。

 北条も自分を恐れているからこそ、同盟を復活させたのだ。そればかりではなく、行く手を阻む織田信長も、自分を恐れているに決まっている。だからこそ年が明けてから、自分の同盟者の家康が信玄に歯向かった三方ヶ原の戦いを「信長の迷惑!」などという書状を送ってよこしたのだ。

 酒宴はその日の夜に、長篠城の大広間で行なわれた。

 自分を恐れぬ者は誰もいないという自信があるだけに、その席でもおとなしくしている貞能があわれでもあり、その分怒りも鎮火していくのを信玄は感じていた。宴が始まって以来、貞能は全く自分と視線を合わせようとはしない。怯えきった猫のように背を丸め、黙々と杯を口に運んでいる。

 だがその姿を見ているうちに、やはり信玄の中に耐え難いものがこみあげてきた。

 「監物、飲んでおるか!」

 「は、はい!」

 やっと貞能は、信玄の顔を見た。充分に罪の意識を感じているらしい。もしそうではなく彼が自己正当化を計るように平然としていたら、信玄の怒りは爆発したであろうし、その反面必要以上に悩まなくて済んだかもしれない。

 「わしの杯をとらす。もっと飲め」

 貞能の恐縮は、破格の杯を頂戴するという恐縮にあきらかにとどまってはいなかった。

 「さあ、飲め!」

 貞能に渡した自分の杯に、信玄は侍女に酒をつがせた。

 「飲め!」

 「ちょ、頂戴致します」

 貞能は、それを震える手で口に運んですぐに飲み干した。

 「さあ、もう一杯!」

 「あの…」

 突然貞能は、信玄に向かって平伏した。

 「せっかくのご好意でございますが、ここのところ体もすぐれず、酒は医者よりも自重するようにと…」

 「ならぬ! 飲め!」

 信玄は怒号を発して、立ち上がった。

 「何をしておる。杯を持たせい。酒をつげ!」

 今度は侍女へ怒鳴りつけた。しかたなく貞能が持った杯に、侍女が酒をついだ。貞能はそれを再度口に運んだ。

 「さあ、もう一杯!」

 「ご、ご勘弁を」

 「ならぬ!」

 また、酒がつがれる。しかたなくそれを飲む。

 「さあ、もう一杯じゃ!」

 貞能はもはや、抗うことをしなかった。その罪の意識からか、黙って酒の責め苦を受けているかのように見えた。

 この状況の異常さは誰もがすぐに察し、一同静まりかえって貞能の酒を飲む口元を凝視していた。

 信玄は思った。自分に対する不義をはたらいたこの男を、この場で一刀両断にしようと思えばできる。しかし彼は冷静に、それを思いとどまった。

 さきほど貞能が平伏した時、実は信玄は一瞬冷やりとした。自分への不義をこの男は、この場で告白して詫びる気なのかと思ったのだ。最愛の女と臣下が密通したなど、主君にとって最大の不覚である。いや、男としても最大の屈辱だ。幸いその恥を一同の前にさらされずには済んだ。それでも屈辱感は残るが、今は忍ぼうと信玄は思った。今やつを罰すれば、自分の恥を人前に披露することになる。しかも今は上洛途上。とにかく上洛という大目的が逹せられるまでは、目をつぶろう。今は何をおいても上洛を果たし、天下に号令することが最優先だ。それに比すれば今の自分の感情は、ささやかな私事だ。いわば大事の前の小事ではないか。

 「さあ、どうした、監物。もう一杯!」

 「い、いえ、本当にもう……」

 「ならぬ!」

 まるで機械的に、侍女は貞能の手の杯が空になるたび、それへ並々と酒をついだ。

 ついに貞能は倒れた。

 信玄は席を立った。うしろに貞能が運び出される気配があった。今なら貞能の寝所へ行き、刀を使わずにその首をしめて、酒で中毒死したということにすれば、自分の恥もさらさずにやつの命もとれる。

 やめておこう――信玄は廊を歩いた。

 貞能を許そうと思った。やつは自分の酒の責め苦を受けて倒れた。それで充分としよう。男としての屈辱を思えば、絶対に許せない。しかしそれは「ひとりの男!」として許せないのであって、今や自分は「ひとりの男」ではない。天下に号令すべき天下人にならんとしている身だ。自分の中の「ひとりの男」は消してしまわねばならない。

 そこまで考えてふと、信玄の頭に父のことがよぎった。信玄の父の信虎は少し気に入らないことがあると、どんどん家臣を手打ちにした。重臣とて例外ではなかった。それだけではなく、弟の信繁を偏愛していた父は、この自分さえをも手打ちにしかねないことがたびたびあった。そんな父のやり方に家臣団の心は離反していき、やむなく自分が父を追放しなければならない事態にまで陥っていったのだった。

 人の罪は責められない。父を追放した罪は罪で、自分にはまだ残っている。しかしその父にも罪はあった。そしてその父と同じ罪を重ねることだけは、信玄はしたくなかった。

 許そう――もう一度信玄は繰り返した。父のように家臣を手打ちにはしたくはない。まして全くの私事では――。それに今奥平貞能を罰したら、同じ山家三方衆の菅沼家も動揺しよう。それは困る。勢力の近接地点の豪族は、それをいかに先に味方にとりこむかで、勢力拡張の優劣が決まる。だからせっかく手に入れた山家三方衆にこんな小事で武田家から離反されたりしたら、武田家にとっては絶対の不利だ。

 とにかく今は上洛直前、貞能を許すしかなかった。

 

  

                       2

 

 翌日は、貞能は昼まで起きられなかった。

 頭ががんがんと痛い。その激痛の中で、昨夜の記憶が蘇る。

 信玄は自分を酔い殺そうとしたのか、それとも酔わせて罪を白状させようとしたのか。いずれにせよ、かろうじて自分は生きていた。

 とにかく作手城に戻ることにした。途中馬上で、何度も彼はもどしそうになった。信玄が自分を見据えていため、それを思い出すたびに汚物が咽からこみあげそうになる。

 今はもう何も考えたくはなかった。一刻も早く自分の城に帰りたかった。

  一足先に帰していた妻が、城内の屋敷の玄関先まで出迎えてくれた。しかし貞能は笑顔ひとつ見せずに、さっさと寝所へ入ってしまった。

 城内には、今までと全く変わっていない空気が流れていた。やっとたどり着いた我が城である。今はとにかく考えることを放棄して、眠ることだけを彼は欲していた。

 翌日の昼まで、死んだように彼は眠った。体力が回復すると頭脳も回復し、その分いろいろと考えこんでしまったりする。

 夕刻になって、彼は櫓に上った。窓からは奥三河の山々が見えるばかりで、視線はそう遠くまでとどきはしない。山々は冬の枯れ木に新芽が吹き出しはじめ、まさしく春爛漫である。こうして見ている限り風景は何ら変らず、それだけに自分の身上にも何ら事態の変化はなかったという錯覚に陥ってしまう。しかし今や自分は土壇場の状況におかれているのだということを、我に返るといやでも認識しないわけにはいかなかった。

 誰にも相談できない。妻にも一族の者にも、重臣にも打ち明けられない。苦しみを自分ひとりで抱えこまなければならないのだ。

 いや、苦しみを共有する人が、もうひとりいる――彼には共犯者がいた――祐の方だ。

 ――お方様は、お屋形様が自分たちの不義密通に勘づかれたことを、ご存じなのだろうか――。

 お知らせしなければならない。そう思った貞能は、供も連れずにすぐに馬をとばし、長篠城へと向かった。本当だったら近づきたくもない長篠城だが、そうは言ってはいられない。夕暮れに出発し、夕焼けに追いかけられながらも貞能は駆けた。作手から長篠まで直線距離はそうないのだが、その中間の雁峰山を迂回して行かなければならないので、到着した頃はもうすっかり暗くなっていた。幸い月はあった。暦の上では仲春といっても、まだまだ冬の続きのような冷える夜だった。

 長篠城に信玄は仮に居住しているだけで、城主は貞能の盟友の菅沼正貞である。だから彼は、城の造りには熟知していた。作手の方角から来ると、ちょうど大手門へと道は通じている。門兵も皆顔見知りで、城内に貞能が入るのに苦はない。ただ問題は、今や祐の方の世話役でもなんでもない自分が、どうやって祐の方の部屋に忍びこむかだ。

 実はこういう時こそ、奥平一族の血がものをいう。一応家系伝説では、奥平氏は平安朝天暦の帝――村上天皇の皇子の具平(ともひら)親王の子孫ということになってはいる。しかし実際彼の中を流れている血は、山の民のそれだった。山の民の出といえば、すでに亡き美濃のまむしの斎藤道三もそうであったし、信長の軍の中でちょうど頭角を現わしはじめている武将の木下藤吉郎などもそうだ。また正統源氏を称してはいるが、三河の徳川とてその出自は怪しい。いずれも同じ山の民の間ならではの情報だった。

 貞能は大手門を入ってから、馬を適当な木につないだ。城の、二本の川に面していない平地側には、まず柵が設けられていた。そのあとは人工の水堀と、その掘った土を堀沿いに盛り上げた土居で守られており、三重目の水堀の中が本丸だ。そこは祐の方はいる。

 信玄がいるのも同じ本丸だから、かなり危険な侵入だ。正面から入れば、小姓はすぐに自分の来訪を信玄に告げるであろう。

 城には医王寺の方から流れてくるもう一本の小川が、寒狭川と大野川の合流点に向かって、城域を縦断するかたちで流れていた。それが本丸の表門の手前で右に折れ、そこが滝となって深い渓谷を刻み、南側の寒狭川に流れこんでいた。つまり本丸と弾正郭の間は、自然の険しい谷となっているのだ。

 貞能は本丸の表門に入らずに闇に紛れ、城中のかなり大きな滝沿いに渓谷へ下り、小川の寒狭川への注ぎ口から再び本丸への断崖を登った。

 土居をよじ登って本丸へ侵入した彼は、すぐに屋敷の床下へと入った。祐の方の部屋の下と覚しきあたりまで来ると、一度庭へ出て縁側へ上がり、そっと襖を開けた。

 すでに眠っていた祐の方は、あわててはね起きて身構えた。貞能はその場に平伏した。

 「先日の世話役、奥平監物でございます。本日はこの前のようなことのために、参ったのではございません!」

 貞能は、声を押し殺して言った。祐の方からため息がもれた。それでも声は厳しかった。

 「では、何をしに参ったのか」

 「お方様は、後悔されておられましょうか」

 「後悔も何も…、そなたが勝手に致したこと。妾は拒みきれなかっただけじゃ!」

 何と理不尽な――。貞能は目がつりあがる思いだったが、それでも、

 「お詫び申し上げます」

 と、言って、深く頭を下げた。しばらくは闇の中からは、何も返事は返ってこなかった。やっと低い声が、頭上でした。

 「もう、済んだこと。時は戻りませぬ。そなたも忘れてたもう。妾も夢とかたづけておりまする!」

 「それが、お方様」

 貞能は、膝を進めた。

 「どうやらお屋形様は、ご存じのようでして」

 「え?」

 その声はひきつっていた。

 「なぜ?」

 やっと聞き取れるほどの声だった。

 「分かりませぬ!」

 その時、(ふすま)が荒々しく開けられた。その手に持つ手燭(てそく)で、襖を開けた僧形(そうぎょう)の男の顔が照らされた。信玄の怒髪天を()形相(ぎょうそう)が、はっきりと見えた。

 「一度は許そうと思ったのだ。それを、それを……」

 はじめは呆気にとられていた貞能は、あわてて信玄の方を向いて座り直した。

 「ち、違います。今日は不義を致すために、参ったのではございませぬ!」

 「何か違うのか! 現にこうしてうぬは、祐の部屋におるではないかッ!」

 「ですから!」

 信玄は手燭を畳の上に置いた。その光に、信玄の全身が怒りに震えているのがよく見えた。もう何を話しても無駄だと、信玄は思った。

 貞能は脇差をぬいた。

 「この通りでござる」

 その脇差を腹にあてて力を入れ、貞能は自らの腹を裂こうとした。ところが腹の筋肉に無意識に力が入っており、脇差は刺さらなかった。その手首を、信玄が蹴り上げた。脇差が宙に飛んだ。

 「うぬのような泥棒猫に、人間様のような最期を遂げさせてたまるか!」

 怒鳴りながら、信玄は太刀を抜いた。

 「手打ちにしてくれる!」

 「お待ち下さい!」

 太刀が振り下ろされたのと、祐の方が貞能の前に飛び出したのは、ほとんど同時だった。

 鋭い音がした。血しぶきが飛んだ。

 すべての動きが止まった。その中で祐の方のからだが、畳の上に崩れる音だけが響いた。

 信玄は太刀を落とした。

 「お祐!」

 信玄は祐の方に駆け寄り、自らも血まみれになって、そのからだを抱いた。

 「お屋形…様…」

 祐の方はあえぎながら力をふりしぼって、細い声で言った。

 「監物様は、今宵はほんに妾に謝罪に来られたのです」

 首が垂れた。信玄の腕の中の女の、全身が重くなった。

 「お祐ッ!」

 祐の方はもはや、何も答えなかった。貞能はただ、呆然と成り行きを見ていた。

 「とにかく、うぬは帰れ!」

 信玄は涙まじりに、貞能へ叫んでいた。

 

 翌日も一日、貞能は作手城に篭っていた。

 もはや事態は、もしかしたら信玄に知られたのではないかという憶測の域を出ていた。もはや、すべてが現実である。その憶測を祐の方にも知らせんとする仏心が仇になって、取り返しのつかないことになった。単に祐の方とともにいたところを信玄に目撃されたという現実に加え、自分の所為(せい)で信玄は祐の方を斬殺してしまうという結果になってしまったのである。

 昨夜は一睡もしていない。もちろん、食事ものどを通らない。それだけでなく、家族の誰もの顔も見たくなかった。

 このままで済むはずがない。それは、いやというほど分かりきっていることだ。この作手の城を、信玄の兵が取り囲むのではないか。ただその軍勢の喚声と駒音が響いてくるのを恐れていたが、いつまでたっても周りの山は静かだった。信玄の軍に包囲されたのならば捕獲される恥辱から逃れるための切腹も辞さない覚悟はできていたが、周りが静かである以上はそれもできない。名誉を守るためとか、責任を取って詰腹などという考え方は、この時代の誰もがまだ持ってはいない。まだ「武士道」というものが確立していないのに加え、こういう山奥の小城の城主はいわゆる土豪であって、半士半農の色合いが強い。だから今の貞能にできることは、ただ怯えながら時間を送ることだけだった。

 気持ちは()いて、いらいらと落ち着かない。胸をかきむしり転がりまわって暴れ、壁に頭を何度もぶつけたい衝動に駆られた。だが、彼の年齢がかろうじてそんな衝動を制御した。もし若い頃だったら、そうしていたであろう。その代わりに時には部屋の中をうろうろと歩き回り、外の景色を眺めたりもした。外は何もかもが明るく陽光輝く春である。暖かい風に明るい陽射しと、景色が明るいだけに余計に自分の心の暗さが際立ってしまう。

 そしてため息をつく。この春が自分の生涯最後の春になるのかと、そんな気がしてますます外の春の明るさと心は隔離される。だが、心の片隅では、これまで多くの合戦に出て生死と隣合わせでよくぞこの乱世にここまで生き延びてきたものだと思うから、今回も何とかなるのではないかという気持ちがなきにしもあらずである。しかし冷静に考えたら、今度ばかりはだめだろうという気にもなる。ここまで生きてきたのだからもう十分だという気もするが、父に反抗してでも徳川にいればよかったとも思う。しかし、後悔先に立たずで、時間を戻したいとさえ切実に願った。目覚めればすべてが夢であったということにもなってほしいと思うが、まぎれもない現実である。そうなると、その現実の前に、自分という一個人が跡形もなく消えてしまえばいちばんいい、いや、消えてしまいたい、消えてしまうべきだと、そんなとりとめのないことを考えているうちに、一日も終わろうとしていた。

 そしてとうとう、時が来た。

 夜になってから信玄の召しがあった。貞能の体は、とめどなく震えだした。だが、それを断ってはそれこそ義理が立たない。落ち度は自分にある。だが、その召しがあったことを貞能に伝えに来た父道文は、自分もさっさと支度を始めている。

 「父上も、お出かけでございますか」

 力なく貞能が尋ねると、

 「だから、お召しはこの近辺の武田方の(すべ)ての城の城主、重臣を含めてだと、先ほど伝えたではないか。わしも、九八郎もともにのお召しだ。田峯の定忠殿も参られよう」

 と、父は不機嫌そうだ。そして、

 「こんな暗くなってから急に」

 と、ぼそぼそと愚痴をこぼしながら身支度を続けていた。貞能は気が動転していて、父が告げてきたお召しの使いの言上の内容などは頭に入っていなかったのだ。しかしそうなると、どういうことなのだろうかと思う。自分を処罰するためならば、自分だけ召されるはずだ。近隣の城主も召される。何かの軍議かとも思う。だが、信玄とて昨日のことがあった翌日に軍議ができるのだろうか。いや、乱世の御大将ともなれば、そういった私情を振り捨てることが必要なのかもしれない。それともまさか、大勢の家臣たちの前で、自分を断罪するつもりなのか。

 とにかく、どうせ行かなければならないのだから行くしかないと、貞能は腹を決めた。

 松明(たいまつ)を先頭に、父と息子の三人はわずかの家臣を連れて馬で城を出た。馬上、貞能は何度も城門を振り返って見た。城門といっても瓦の乗った櫓門などではなく、屋根のない物見が脇についた柵程度の塀の木戸のような門だ。この門も、これが見納めかもしれないのである。だが、状況的には、そうとも決まっていないような気もする。そんな貞能の心を知りもしない父と息子は、どんどん馬を月明かりの夜道にと進めていた。

 

 長篠城の大広間には武田家家臣団のほとんどが、ひしめきあう状態で集められていた。

 そこで信玄から直々に、側室の祐の方が急な病で身罷(みまか)ったと告げられた。人々はどよめきたった。

 「よって、この地にて葬儀を行なう。今や上洛の途上ゆえ、甲府に戻るわけにはいかぬ。そしてその菩提を弔うため、お祐の四九日が過ぎるまで、全軍この地に留ることになる。おのおの、そう心得よ」

 信玄の声が広間に響きわたっても、人々のざわめきは一向に収まらなかった。

 それが終わって集まった人々が広間を退出する際に、ひとりの小姓が貞能をつかまえて耳打ちした。

 「お屋形様がお呼びです」

 全身の血の気がひいた。ついに時が来た。すでに腹を決めていた貞能は、それも当然のことだと、ボーッとした頭とともに信玄のいる部屋へと向かった。

 信玄はすでに上座についていた。開けられた襖の外の廊に貞能が平伏すると、

 「お入りあれ」

 と、いう信玄の声がした。妙に優しい声だった。

 「そこもとたちは下がれ」

 信玄は案内(あない)の小姓を払うと、自分の前の場所を貞能に示した。その座に貞能がついた時、彼は自分と信玄との間に、柴の布がかぶさった何かがあるのを見た。

 信玄は布をとった。そこにはまるで碁石のような形に鋳造された甲州金の金貨が、山と積まれていた。信玄はそれを両手ですくって、貞能に差し出した。

 「頼む」

 と、言った信玄の目はうつろだった。

 「これをくれてやる。そのかわり、祐のことは、他言無用ぞ。特に……」

 一度言葉を切って信玄は、甲州金を持つ両手をさらに貞能の方へと差し出した。震える手で貞能は、それを受けとった。

 「特に、仁科の五郎と葛山の十郎には」

 「承知…」

 貞能の声も弱々しかった。信玄は手渡した碁石金の他、まだ畳の上に残っていた山をも風呂敷に包み、それを貞能に渡した。

 貞能は何か肩透かしを食らったような気がして、あとは口数少なく呆然として静かに退出していった。

 

                ※  ※  ※

 

 その晩、信玄は泣いた。老いの涙を誰にも見せることなく、ただ亡き愛する人へ、しかも自らの手で冥土へ送ってしまった人へと捧げた。

 とにかく今は、貞能の口さえ封じておけばよい。貞能を殺すわけにもいかない。だからといって罪を祐の方にきせることもできず、そこで祐の方は病死ということにした。

 もしあの時自分が貞能を斬っていれば、山家三方衆を失うことになったであろう。となると祐の方は身をもって、武田家を救ってくれたことになる。だから信玄は今さらながらに、祐の方が哀れに思えてしかたがなかった。

 しかし今信玄がもっとも恐れているのは、家臣よりも身内だった。自分自身がまず、父を追放した張本人だ。さらに長男の義信が、まるで自分が父にしたのと同じようなことを、自分にしようとした。だから義信を幽閉し、義信は自刃して果てた。

 五郎盛信や十郎信貞とは、同じようなことになりたくはない。盛信には仁科家を、信貞には葛山家をそれぞれ継がせているとはいえ、二人は自分と祐の方の間の子だ。特に盛信は十七歳という多感な年頃、真実を知れば自分に刃を向けてくるは必定。だから貞能に口止めしておく必要があった。

 そう理性で考えながらも、信玄にとって最愛の女性を失った悲しみは、別の次元で紛れもない事実だった。天下人を目指す彼が抹殺しなければならない感情であることは分かってはいても、今宵だけはひとりの女を愛した「ひとりの男」でいたかった。明日になれば、武田家の当主という立場に戻らなければならなくとも……。

 もはや誰を怨むでもなく、信玄は声を殺して泣き続けていた。

 

 祐の方の葬式は、長篠城から山間(やまあい)に入った鳳来寺で行なわれた。そこは山家三方衆の帰依も厚く、奥三河随一の大山岳寺院であった。

 時にすでに初夏を迎え、ともすれば汗ばむ陽気であり、山の麓は色とりどりのさまざまな花が満開であった。戦々(いくさいくさ)で倦み疲れていた信玄の目には、よく晴れた空の下に明るく輝く景色は心を和ませるものとして映った。だがそれも束の間、この郷へ来た目的が祐の方の葬儀であるという現実が、暗く重く彼にのしかかる。

 鳳来寺は文武天皇の勅願寺という古い由緒のある寺で、鳳来寺山という山全体がその寺域だった。麓の鳳来寺郷は本当にまわりが山に囲まれたわずかな谷間の里で、まるでここだけ時間が止まっているかのようにひっそりと静かにまとまっていた。ところが今やその静かであるはずの里に、長篠城をひきはらった武田軍三万の兵が入り込み、宿房や民家に駐屯していた。里から見上げると、周りを囲む山々の中でも鳳来寺山はひときわ高くそびえ、緑の中の所々に垂直の岩肌を見せているという奇観だった。

 本堂は、山の中腹まで人工の石段を登った所にある。山に入ったとたんに、鬱蒼たる杉木立の中を石段は蛇行して登るので、なかなか先が見えない。葬儀の行列は厳かに、そんな神秘な霊山を登っていった。石段とほぼ並んで沢が流れ落ちてくる。まわりは杉の大木の密林だが、時々巨大な奇石が姿を現したりもした。

 やがて本堂にたどり着いた。葬儀の導師は法性院(ほうしょういん)大憎正の称号を持つ信玄が、自ら勤めた。祐の方の死因が死因だけに、読経の声すら重々しく堂内に響きわたった。

 祐の方を荼毘(だび)に付した後、信玄は弟の信廉(のぶかど)と山の麓の宿房で対座していた。二人は同母兄弟であり、ほとんど双生児に近いくらいよく似通っていた。

 「兄上は本当に、お方様の四九日が過ぎるまで、この地にお留まりになるおつもりか」

 信廉のことばには、あきらかに不満がこめられていた。

 「ああ」

 信玄の答えは力がなかった。(せい)(こん)も尽き果てているような様子だった。

 「心中お察し致すが、今は上洛目前のいちばん大切な時。その時にこのような所へ長期滞在しては、近隣諸侯はどう思いますやら。下手をしたら徳川が、一気に巻き返しにくるのではとも思われましてな」

 「あの小僧に、そんなまねはできんよ」

 信玄は微かに笑った。

 「野田城も落とした。山家三方衆もわが味方だ。地の利も当方にある。それに朝倉と盟約して信長を挟み討ちすることになっているのは五月、まだたっぷり日はある。それまでの時間かせぎと兵たちに休養を与えるという意味でも、しばらくここにおってもよかろう。こんな山の中だ。まさかこのような所に武田軍が潜んでいるとは誰も思うまい」

 甲斐も山国だったが、遠くを山に囲まれている盆地であった。それに比べれば、ここは本当の山中の谷間の里だ。すべてが外界から遮断されているような気にもなってくる。

 「しかしその朝倉ですが、信長が近江から兵を引いたとたん、本国の越前へひっこんでしまったではありませんか。これでは信長包囲陣は成り立ちませぬ」

 信玄は少しうなって、首を垂れた。が、すぐに顔を上げた。

 「わしとの盟約を忘れずにいてくれたなら、五月には必ず朝倉義景は出てこよう。わしは信じておる。すべては五月に命運が決まる」

 「はあ…」

 信廉はまだ、浮かない顔をしていた。

 

               ※  ※  ※

 

 甲州軍は山に囲まれた鳳来寺郷で、静まりかえっていた。その孫子の旗が示すように、「山の如く」動かなかった。祐の方の四九日が過ぎるまでという信玄のことばどおりだとすれば、四月に入るまでこの状態が続くことになる。

 それが貞能には心苦しかった。

 信玄がこの地を去って西上してくれたら、心の闇も過去のものとなるかもしれない。しかし信玄は我が本拠地の近くに、どっしりと山の如く動かないのだ。手打ちにならずに済み、しかも口止めに甲州金まで山と積まれた以上、自分は許されたということは明日だ。ただそれでも、あの出来事は彼の中に今でも暗い影を落とし続けていた。

 「父上、信玄公は本当に、天下人になりましょうや」

 ある日貞能は人払いをしたあと、父の道文入道に聞いてみた。日焼けした顔に幾筋ものしわを浮かべて、父はじろりと貞能を見た。

 「そなたは、そうではないと言うのか」

 貞能は急に反問され、何と答えはよいのか分からず、ただ黙ってうつむいていた。

 かつては今川氏に仕えていた親子が桶狭間で今川義元が信長に討たれて以来、松平元康――今の徳川家康へついた。そして今は武田家に属している。いずれも父の決断に、貞能は従ったまでのことであった。

 その武田軍は、今は動きを止めてしまった。その間、天下の状況はどう変るかわからない。何しろ刻一刻と状勢が激しく変化する乱世である。そのことを言おうとして、貞能は顔を上げたがやめた。思えば甲州軍の今のような状況を作ってしまったのは、自分ではないか。

 「そなた、なぜ急にそのようなことを? 武田家の命運に、不安でもあるのか?」

 「は、はい、それが……」

 貞能はうつ向いたまま、ふと思いついたことを言った。

 「御年筮(ごねんぜい)に出ました()は『馬前に人去りて、仮軍となる』ということでございました。馬すなわち午歳の前は巳歳。お屋形様は巳歳のお生まれですし」

 御年筮――一年の始めに行なう武田家のその年の吉凶を占う易では、たしかにそのような卦が出ていたのも事実である。

 「それで近々、信玄公は亡くなるとでも?」

 道文は声をあげて笑った。すぐにその顔を、厳しい表情に戻すと、

 「そのようなこと、ゆめ他言するなよ!」

 と、父は低い声で言った。

 

 作手城に来客があったのは、その日の夕刻であった。

 油川(あぶらかわ)左馬介(さまのすけ)と名乗る男は、貞能よりほんの少し年配のようであった。

 「はじめてお目にかかり申す!」

 城内唯一の畳座敷で、みごとな髭をたくわえて武骨そうな男は、貞能の前に両腕をついた。

 「それがし、お屋形様の身内の者にて…!」

 「え?」

 貞能は慌てて上座を譲ろうとしたが、左馬介はそれを辞退した。

 「身内と申しても、お屋形様とは又従兄弟(またいとこ)でございましてな、武田一族の中でも祖父の代より油川の姓を名乗っておりますので、今や家臣の一員でござる」

 「さようでございますか。で、今日は?」

 さっそく貞能は、左馬介の来意を尋ねた。あの事件以来、人づきあいにも神経質になっているのだ。

 「妹の祐のことでござる!」

 「祐?」

 「お屋形様の側室であった…」

 「お方様のことで? それが、お妹御?」

 「さよう。それがし、祐の兄でござる」

  一瞬からだが硬直した。貞能の額には、汗さえにじんできた。そして、少し間を置いて、

 「み、みどもに何用で?」

 と、震える声で貞能は言った。

 「それがし、妹の死についてどうも不審な点がござってのう。急な病と伺ってはおるが、どうしても納得がいかぬ。病というよりも斬殺された形跡があるとも、一部では取り沙汰されておりましてな。で、貴殿はたしかその折、妹の世話役でございましたな」

 「は、はあ!」

 今度は声だけでなく全身が震えだすのを、貞能は感じていた。

 「貴殿ならば何か、ご存じではないかと思いまして、お伺いした次第でござる」

 貞能は目を伏せて、しばらく黙っていた。返す言葉が見つからなかった。

 「いかがですかな。何かご存じのご様子だが、聞かせては頂けませんかな!」

 「い、いえ、あの折はすでに、世話役は解任されておりまして……!」

 「ん?」

 左馬介の眉が動いた。

 「あの折…と申すは、やはり何かあったのでございますな。教えて下され」

 「い、いえ、それは申せませぬ!」

 貞能はしまったと思った。狼狽のあまりそう言ってしまったが、それが左馬介の膝を、一歩進めさせることになってしまった。

 沈黙が流れた。どうしたらいいのか、貞能には分からなかった。どんなに時が流れても目の前に左馬介がいて、自分を見据えているという状況からは、逃げ出せるすべもなかった。

 「何も存じませぬ。お方様は御病(おんやまい)で…」

 「いや、貴殿は申せぬと言われた。と、いうことは、何かご存じのはず!」

 左馬介の視線に汗びっしょりになった貞能は、もはやこれまでと覚悟を決めた。

 「申し訳ござらぬ!」

 大声で叫ぶと、一歩下がって貞能は、畳に頭をこすりつけた。

 「お方様は長篠城内である者と不義密通され、その者ともどもお屋形様にお手打ちになったのでございます。すべて、世話役としてのそれがしの至りませなんだこと。なにとぞ、お許しを!」

 「そうか、お屋形様が祐を斬ったのか…やはりな…」

 左馬介は、すくっと立ち上がった。

 「いかにお屋形様といえども…」

 それまでの紳士的な物腰ではなく、悪鬼のごとき表情で吐き捨てるように言った左馬介は、平伏したままの貞能を見下ろした。

 「貴殿のせいではござらぬ。憎きはお屋形様よ。いや、よう話して下された。礼を申す!」

 立ったまま一礼して、左馬介は出ていった。

 まずは、貞能は大きくため息をついた。

 しかし後味が悪かった。あれほど口止めされていたことをしゃべってしまった。しかも自分に都合の悪い部分のみは、嘘でごまかしたのだ。せっかく過去の出来事となりつつあったあの事件が、これで貞能の中で蒸し返されることになる。左馬介が信玄を糺弾したりしたら、真実を知るのは自分だけなのだから、自分は必ず信玄の怒りにふれよう。

 信玄には特に五郎盛信と十郎信貞にだけは言うなと釘を刺されていた。だが、自分がしゃべった相手は、その五郎君や十郎君ではない。そのことで自分を正当化しようともしたが、いずれ左馬介の口から五郎君、十郎君の耳にも入ろう。正当化はもろくも崩れた。

 そればかりではない。左馬介が真実を知ったら、自分は左馬介の怒りをも被ることになる。

 貞能は時間を逆戻りさせた上でどこかへ奔走してしまえればと、とにかく悔やんだ。今川、徳川と仕え、武田家で三家目だ。だがこんな事態に追い込まれたことは、今まで仕えていた所ではなかったことだった。

 父の意に反してでも武田家から離れた方が、身のためではなどと考えてしまう。しかしいざ信玄が天下人になったりしたら、この奥平家は……。こんな時に、ふとあの御年筮が思い出された。一層のこと、信玄が死んでくれたら、……。しかしそれは、あまりにも大それた考えだった。

 「どうしたらいいんだ」

 貞能はひとりの畳座敷で、頭をかかえてうずくまった。

 

 

                        3

 

 貞能にとって砂をかむような毎日が続いていたが、三月の半ば過ぎになるまで信玄から何の音沙汰もなかった。甲軍三万は、相変わらず山間の村落にいて動かない。一気に上洛を果たすため機を伺い、時が熱するのを持ち構えてひたすら息をひそめているようにも思われる。その間、周りの山々はますます新緑の濃さを増し、一年でいちばん緑が美しい季節となっていた。

 幸い左馬介に自分がしゃべった内容は、まだ広まってはいないらしい。しかしこのまま何ごともなく時が過ぎるということは、どう考えてもあり得ない。

 そんな時に貞能は、鳳来寺郷に呼ばれた。無論、信玄にである。またいやな予感がする。本当に一刻も早く軍を動かし、この三河の地から立ち去ってもらいたいものだ。

 鳳来寺郷は、春の真っただ中であった。

 信玄の投宿する宿房の畳書院に通されると、相も変らず信玄は力ない様子だった。どこぞ病でもと、ふと思ってしまうほどだ。

 「すまんが」

 いきなり信玄は、用件を言いだした。

 「そなたを信用しないではないが、やはり事が重大であるゆえ…」

 「は」

 「人質を出してくれい」

 貞能は一瞬信玄を見上げたが、すぐに頭を下げた。口止めの甲州金を積んだだけでは、信玄は安心できないらしい。なだめと脅迫の両方で自分を縛り上げようとしていることから察すると、信玄はよほど事の露顕を恐れているようだ。ただ、この信玄の申し付けは、左馬介がまだ何も信玄に言っていないということを物語ってもいた。

 「さすれば作手に戻りました後、一族の者とも計らいまして」

 「うん、明日、明後日のうちにもな」

 奥平家はもともと敵方から寝返った家だけに、人質を取られるのは仕方がない。それにしてもさすがに甲軍三万の兵を動かし、戦をすれば連戦連勝の大将だ。このような些事に対する用意周到さにも、貞能はかえって舌を巻く思いだった。

 作手に戻ると、さっそく一族の者を広間に集めた。

 「仕方のないことじゃろう。今まで要求されなかったことの方が不思議」

 詳しいいきさつを知らない父の道文入道は、ただ徳川から武田へ(くみ)したための人質としか思っていない。

 「お屋形様に忠誠を誓い、武田に弓ひくことなど決してないと誓えるのなら、人質のひとりやふたりくらい出したとしても何の不安もなかろう」

 信玄の真意をただひとり知っている貞能は、父のしたり顔が歯がゆかった。

 「しかし出すとしても、誰を」

 貞能のことばに、七、八人ほどいた一族の者たちは、互いに顔を見合わせた。人質として、いちばん相手が納得するのは妻であろう。しかし貞能の妻は長く徳川の人質となっていて、最近ようやく解放されて戻ってきたばかりだ。しかもそれ以来病がちになり、この日も朝から寝込んでいた。

 「父上!」

 鋭い声で貞能を呼んだのは、彼の次男の仙千代だった。わずか十四歳である。

 「みどもが参りましょう」

 「仙千代!」

 貞能の長男で十九歳になる九八郎が、驚いて弟を見た。

 「今人質になったりしたら、お屋形様といっしょどこに連れて行かれるのかわからないのだぞ。この三河には、おそらくいられない。それでもいいのか?」

 「しかし母上を差し出すわけには……」

 それは誰もがそう思っていた。だからといって家臣級の者を出したのでは、信玄は納得するまい。しばらく誰もが無言でいた。

 「ほら、みどもが参るしか、ないではござらぬか」

 仙千代は笑みさえ浮かべていた。

 「よう言うた!」

 道文入道の声が、沈黙を破って響いた。

 「男児としてのその心意気、祖父は感じ入ったぞ。それでこそ末は立派な大将じゃ、九八郎は長男ゆえ行かせられぬ。そなた、頼むぞ」

 もはや父には逆らえず、貞能もしぶしぶ承知した。

 翌日にはさっそく家臣の黒屋甚九郎をつけて、仙千代は鳳来寺郷へ送られることになった。その一行に、貞能も自ら同行した。

 そしていよいよ引き渡しの時、貞能は仙千代の両肩に手を置いた。その体のぬくもりが、自分の手のひらに伝わってくる。親として子を思う気持ちはないではないが、今の乱世ではそれを全面に出せないことが多すぎる。しかし、ただの徳川から鞍替えしたからというだけが理由の人質なら、その時の貞能の目を潤ませはしなかったであろう。この人質の本当の理由は、自分と信玄しか知らない。それだけに複雑な思いであった。だから、じっと仙千代の顔を見つめただけで、貞能は何も言わなかった。

 仙千代の人質としての引き渡しもすんだ後、村落の間の小径を馬で通っていた貞能に、近づいてきた小者(こもの)がいた。いかにも貞能を待ち受けていたかのようなその小者は、貞能の前で身をかがめ、

 「油川の身内衆でござる」

 とだけ言って、貞能に一通の書状を差し出した。書状は油川左馬介からで、「今宵お屋形様を招いての宴を開くので、ぜひ貞能にも出席してほしい」とのことが簡潔に書かれていた。

 どうもいやな予感のする話だ。しかし断わる口実も見つからず、また出なかったら後が恐いような気もしたので、貞能は承知した旨を答えた。

 そのまま作手に帰ることはやめにし、寺の塔頭に参拝などしながら時間をつぶし、貞能は夕を待った。もはやあらかじめあれこれ考えることはやめよう。疲れるだけだ。すべて成り行きに任せよう……鳳来寺山の杉木立の中の石段を下りながら、貞能はそう考えていた。

 

 妹の祐の方の葬儀では、お屋形様になみなみならぬお世話を頂いた――これが油川左馬介の、信玄を宴に招いた口上であった。まだ喪も明けてはいないし戦の陣中ということで一切の歌舞楽曲はなく、ただ酒肴が運ばれただけであった。

 「お、監物も参ったのか」

 少し遅れて参上した貞能は、まずは信玄の前にて遅参の詫びを入れたが、その貞能の顔を見て信玄の眉が少しだけ動いた。信玄はもうすっかり出来上がっているようで、赤い顔をしていた。

 「そなたが招いたのか?」

 信玄は左馬介を見て言った。

 「は」

 また少し信玄の眉が動いた。信玄はそのあとまた何か言いかけたが、そのまま口をつぐんで杯を干した。

 貞能は末座に着き、一同を見回した。金剛堂の庫裏の一室なので、そう広い部屋ではない。座を占めているのは五人。すべて油川家の郎党ばかりであった。貞能の前にも酒肴が運ばれてきた。寺の庫裏での宴ゆえ酌をする侍女もなく、貞能は手酌で一杯飲んだ。その時、

 「時にお屋形様」

 と、左馬介が身を乗り出した。貞能の来着により、これまで続いていた話も話題がとぎれたのであろう。そして左馬介は、信玄の前まで進み出た。

 始めに感じたいやな予感が、貞能の中でますます大きくなった。もしや左馬介はこの場で祐の方斬殺の、事の次第をはっきりさせようとしているのか。そしてその証人として自分は同席を求められたのか――そう思ったとたん足がむずむずしてきて、貞能は座っていられないような気分になってきた。左馬介はまさか自分が、信玄から金子をもらって口止めされたとは知るまい。だから自分を証人として立てるかもしれない。しかしそれは困る。そんなことになったら祐の方の死の真相を、左馬介にしゃべったことが信玄にばれる。ばれたら人質としてとられたばかりの仙千代の、身の上さえも危なくなる――。

 頼む、左馬介殿、おやめ下され、――貞能は心の中で祈っていた。

 「お屋形様。実は南蛮渡来の珍しい酒が貞能に入りましたので、ご賞味賜わりたく持参致しました」

 左馬介の手には、白い陶器の瓶があった。

 「そうか。ではせっかくの勧め、これにて頂戴致そう」

 信玄は脇に置いてあった大杯をとった。

 「それがしの手にて、お酌致します」

 左馬介が自ら、信玄の大杯に酒を注いだ。赤い色をした酒だった。

 「ほう、たしかに珍しいのう。そなた、どこでこれを?」

 「はい。先に野田城を落としました時、城中にあったものでございます。織田・徳川両家は堺の商人を通しまして、このような南蛮物をいくらでも買い付けている様子。この酒の赤い色は、武田家赤揃えにふさわしいと存じ、ぜひお屋形様にと思いまして、それがしが頂戴して秘蔵していたという次第でございまする」

 「この赤い色は、何の色かのう」

 「それがしがお毒見致しましたるところ、どうも葡萄の実から作られた酒のように拝察致しました。赤い色は葡萄の実の色ではないかと」

 「ほう、唐詩にもある葡萄の美酒か。では、飲んでみよう」

 ひと口だけ口をつけて、信玄はまた杯の中の赤い液体を見た。

 「妙な味じゃのう」

 「なにしろ南蛮の酒でございますれば」

 今度は一気に、信玄は赤い酒を飲み干した。

 「うむ、なかなかじゃ。返杯をつかわそう。そなたも飲め」

 「恐れ入りましてございます。ですが今、すべてお注ぎ申しましたので」

 「もうないのか。しかし葡萄の実からこのような美味な酒ができるとはのう。我が領国の甲州でもひとつ葡萄でも栽培して、同じ酒を作ってみようかのう」

 力なく笑ったあと、信玄は別の瓶子(へいじ)をとった。

 「ま、普通の酒でもよかろう。わしの酒を飲め」

 「は、頂戴致しまする」

 左馬介は信玄の杯を受け取って酒を注いでもらったあと、これもみごとに飲み干した。

 「失礼つかまつります」

 左馬介は席に戻った。信玄はもう他の者と、別の話題をしている。貞能はまずは安心した。だがいつ左馬介が例の話題をもちだすかと思うと居ても立ってもいられず、とにかく適当な口実を考えて早々に退出しようと思っていた。だが、なかなかその機会も得られない。仕方なく仏頂面で、ただ杯を重ねていた。信玄は上機嫌だ。だが、完全に自分は無視されていると貞能は感じていた。

 だいぶたって、夜も更けてきた。歌舞はなく、ただ酒肴を口に運んで談話するだけでも時間はずいぶんと早く立つものだ。だいたいこういう陣中での酒宴での話題といえば、(いくさ)での手柄話がほとんどだ。国元を偲んでの話はなるべくしないという不文律もある。だがそのような話に加わるような気に、貞能はなかなかなれなかった。話しかけられたら相槌を打つ程度だ。そして、いい加減そろそろ抜け出そうと貞能が考えていた矢先、上座の方で鋭い音がした。続いてすぐに、人々が騒ぎだした。

 「お屋形様!」

 警護のため次の間に控えていた信玄の小姓や侍たちが、飛び出して来て信玄に駆け寄った。信玄は前向きにかがみ、苦しそうにあえいでいた。

 「御酒(ごしゅ)を過ごされましたか」

 侍のひとりが話しかけても信玄は何も答えず、ひたすら苦痛に満ちた顔で腹を押さえているだけだった。ただちに侍たちに信玄は運び出されていたが、部屋の外に出てから激しく嘔吐していたようだった。信玄はそのまま帰還、宴も打ち切りとなった。

 貞能はことの成り行きに、ただ呆然としていた。信玄は俄かに発病したのか、それともただ酔いつぶれただけなのか。確かに野田城の戦いの時より持病が悪化し、そもそも長篠城滞在はその療養のためだったとも聞いている。だが気になるのは、先ほど左馬介が信玄に飲ませた南蛮酒だ。それほどまでに強い酒だったのか、あるいはその酒が(あた)ったのか……。

 ――いかにお屋形様といえども――。

 その時ふと、左馬介の言葉が記憶の中に蘇ってきた。左馬介を見ると、彼はまわりと同調してあわてふためいている。もしやあの南蛮酒――いや、まさか――さまざまな思考が、貞能の頭の中を巡り廻っていた。

 

              ※  ※  ※

 

 その夜のうちに油川左馬介とその一族郎党は、手勢を置き去りにしたままどこぞへ出奔した。

 信玄が目覚めたのは翌日の夕刻で、目を開くと弟の信廉をはじめ、重臣たちが自分を囲んで見下ろしているのが目に映った。

 「あ、お屋形様!」

 「お目覚めあそばされましたか」

 室内にいた他の者たちも、どっと布団の脇に寄ってきた。寝かされていたのは、鳳来寺の庫裏のようだ。

 信玄は応えようとした。が、口が開かない。布団の中から目を動かして、人々を見回すのがやっとだった。起き上がろうとしても、全身が自分のものではないかのように、微動だにしなかった。

 (ひたい)に脂汗がにじんできた。

 「お屋形様、もうしばらくお休み下さい!」

 侍医の板坂法印が、静かに枕元で言った。

 それから数日間、意識はあるものの全く体が動かない日が続いた。そして激しい腹痛と嘔吐、下痢を繰り返した。時には喀血もした。もちろん食物は、何も受け付けない。頭痛もするし、手足の先の感覚がない。その手も激しく痙攣(けいれん)するし、胸も激しく動悸を打つ。そして皮膚には、紅斑が出はじめた。顔も別人のように腫れあがっている。そんな状態が二、三日続き、そんな中で油川左馬介が出奔したという報告はを信玄は横になったまま聞いた。

 「捨ておけ」

 やっと短いことばなら発することができるようになった信玄は、ただそれだけを言った。自分が重病であるということは、もはや全軍に知れわたっているかもしれない。ただどうも普通の病ではないと、信玄自身は思っていた。そして毒をもられたに違いないという考えは、しだいに確信に近くなっていった。そうでなければこの急激な体調の変化は納得いかないし、だいいち最初に倒れたのが、他ならぬ祐の実家の油川家の宴でだ。しかもその油川左馬介は出奔したという。

 喀血したことから家臣たちからはどうも労咳だと思われているようだが、自分の病が服毒のためであることは、あるいは侍医なら薄々感づいている可能性はある。だが、その動機に到っては絶対に自分しか知らない。

 妹を殺された左馬介の怒りは、当然であろうと信玄は思う。それに左馬介は身内だ。信玄自身いちばん恐れていたことだったが、自分が父に、そして長男の義信にしてきたことが、とうとう自分に返ってきてしまった。しかたがないといえばしかたがない。

 そもそも祐の方や左馬介の祖父の油川信恵(のぶしげ)は信玄の父の信虎の叔父であったが、信虎と敵対して戦って戦死している。その自分の父の信虎を滅ぼしたのは信玄自身だ。それに今の油川家は親族とはいえ、信玄配下のなくてはならない家であり、左馬介の兄の彦三郎は川中島で壮絶な最期を遂げてはいたが、その遺児の四郎左衛門は若いとはいえこれもなくてはならない武田家の武将なのである。左馬介の(とが)を責めて、四郎左衛門までもが離反するのが恐かった。だから左馬介の出奔を、信玄は放置することにした。

 だが、問題はなぜ、左馬介がその妹の死の真相を知ったかだ。要は左馬介は利用されただけだと、信玄は床の中で考えていた。

 ――おのれッ、奥平監物! 

 信玄は心の中で、何度もうなっていた。

 あの宴席に、奥平貞能はいた。唯一真実を知る存在だ。だからやつが、左馬介にしゃべったに決まっている。そして左馬介をそそのかして仇を打たせて自分を殺させ、お家乗っ取りをたくらんだに違いない。

 所詮は徳川からの寝返り者だった。やはり斬っておくべきだった。しかし今さらそう思っても遅い。自分の体が刻一刻死に近づいていっていることは、信玄自身がいちばんよく知っていた。

 ――わしは死ねぬ。今が一番大切な時なのだ。それなのに……

 信玄の中で、貞能への怒りが煮えたぎっていた。

 ――この大事な時に、うつけ者が! 奥平監物ッ! うぬの思惑通りにはさせぬぞ! 

 床の中にいても信玄は、しきりに策を弄していた。

 ――わしは死ねぬ。死ぬわけにはいかぬ。たとえ死んだとしても、死ぬわけにはいかないのだ。監物の思う通りにさせぬためにも……

 信玄はまだ起き上がることはできなかったが、とにかく一族と重臣をその枕頭へ集めた。

 「皆の者、よく聞け!」

 横になったままの、言い渡しだった。

 まず武田家の後嗣は四郎勝頼の子、信玄にとっては孫である七歳の武王丸とすることが告げられた。さらに武王丸が十六になるまでは、勝頼を陣代とすること。諏訪法性の兜は勝頼に与えるが、武王丸元服の折は武王丸に譲るべきこと。孫子の旗は武王丸にのみ許すことなどを信玄は述べた。

 久々にこれだけの長いことを一気にしゃべったので、信玄は息が切れた。まだ何か言おうとしたが、もはや無理であった。

 「お屋形様、ご無理なさらずに!」

 侍医の板坂が口をはさんだが、少し間をおいたあと、信玄はまた話し始めた。

 「わしは死ねぬ。たとえわしが死んだとしても、死んだことにしてはならぬ。三年間は隠し通せ。その間、決して甲斐を出るな。三年たったら、わが旗を瀬田の橋にかけよ!」

 皆、うなだれてそれを聞いていた。

 信玄は三年間喪を秘せと言う。確かに今ここで信玄が死んだと知ったら、近隣諸侯のうち敵対者は甲斐へ攻め込み、同盟者までが一斉に反旗を翻すであろう。

 だが信玄の真意は、もっと別のところにあった。喪を秘すことによって、奥平貞能のお家乗っ取りを成就させないことである。自分が生きてさえいれば、人質もとられている関係上、貞能は何もできないはずだ。だが、懸念もある。左馬介による自分の毒殺が貞能との共犯であったとしたら、自分が服毒させられたことを貞能は当然知っていることになる。やはり、貞能は誅殺しておくべきではないか、そう思った信玄は、

 「それから」

 と、言いかけたがやめた。貞能の処分を今ここで、自分が家臣たちに命ずる訳にはいかなかった。そうしたら、祐の方のことを含めてすべての事件が明るみに出てしまう。だから信玄は言い()して口を閉じ、唇を噛み締めた。それだけではなく、これ以上何かをしゃべるのを、彼の体力が許さなかったということもある。

 ――奥平監物! 許さん! 怨霊(おんりょう)となって子々孫々まで(たた)ってやる! 

 信玄は心の中で怒号を発した。しかしその声はまわりの人々には、ただのうめき声にしか聞こえなかった。

 

               ※  ※  ※

 

 作手城に篭っていた貞能の耳に、風説が入ってきた。

 三万の甲軍は鳳来寺郷を引き払い、全軍北上を始めたという。そのことについて貞能は、信玄から何の連絡も受けていなかった。

 もっとも、やっとこれで信玄が奥三河からいなくなってくれたわけである。「鳳来寺郷からのお屋形様のお使者です!」という小姓のいやな取り次ぎも、もう聞かなくてすむのだ。

 空も青さを増し、新緑が目に痛い季節に、甲軍は甲府に到着したという情報が入った。信玄は馬上人々の歓声に応えながら、堂々と躑躅(つつじ)ヶ崎の別館へと帰還したという。おそらく次男仙千代も、甲府に連れていかれたであろう。

 しかし、なぜなのだろうと思う。馬上で帰還したということは、病ももうすっかりよくなっているということになる。それなのに信玄は、なぜ上洛を中止したのか――? そもそもは上洛とは名目だけで、最初から今の時期には甲府に戻るつもりだったのか……それはあり得る。武田軍三万とはいっても、そのほとんどが平時は農民である。従って、農閑期にしかこのような大規模な遠征軍は出せないのであり、農繁期もさらに彼らを拘束していたら領内の農産物の出来高に影響する。そのような理由も、可能性として貞能の頭の中を飛来していた。

 ある日、作手の城に届けられた一通の書状が、そんな貞能の疑問をすべて氷解させた。

 

  「信玄公(しんげんこう)服毒(ふくどく)之事(のこと)南蛮(なんばん)渡来(とらい)()砒霜(ひさう)てふ毒薬(どくやくに)(して)微量(びりゃう)也者(なれば)雖不即死(そくしせずとはいへども)、四月中ニ(しがつちゅうには)逝去(せいきょ)必定(ひつぢゃう)(さうらう)(それがし)仇討(あだうち)之事果(のことはたし)畢候間(をはりしさうらふあいだ)往何処者(いづくにゆくかは)不知候(しらずさうらふ)(なんじ)(よく)(おもんばかりて)可決(かうごを)向後事(けっすべきこと)肝要(かんえう)而候(てさうらう)

 

 元亀四年四月

 左馬介(花挿)」

 

 貞能は書状を握りしめた。

 ――馬前に人去りて、仮軍となる――

 御年筮の卦をもう一度つぶやいてみて、そしてほくそ笑んだ。

 信玄は死んだ。もうこの世にはいない。甲府に帰還した信玄は、信玄ではなかったのだ。おそらく弟の信廉あたりが、信玄に化けていたのだろう。だが、そのような策を弄したということは、信玄の死は天下には公表されてはいないらしい。上杉も織田も徳川も、そして北条もおそらく、信玄の死をまだ知らずにいるのであろう。

 しかし信玄は死んだ――自分は知っている。そして知っているだけではない。直接殺したのは左馬介だが、もし自分が徳川にいたならば信玄は殺されずにすんだであろう。自分の所為(せい)で天下の形勢が大きく変った。

 「信玄は死んだ。信玄は死んだ。信玄は死んだ。信玄は死んだ!」

 と、貞能は何度もつぶやいていた。そのまま、櫓に上った。奥三河の山々は、真っ赤な夕陽に染めぬかれていた。

 空は晴れていた。もうひとついえることは、もうびくびくして暮す生活は終ったということだった。恐怖の元であった信玄は、もういない。貞能の心も空と同様に、いつしか晴れていった。

 これでよかったのだと、もう一度彼はつぶやいた。

 あとはこれからのことを、考えねばならない。

 貞能はさっそく一族の者を、本丸屋敷の広間に集めた。

 

                          4

 

 もともと貞能には、武田家お家乗っ取りの意志などなかった。だからいつまでも、武田家にいる必要もない。今度こそ父が何と言おうと徳川へ帰属しようと、実は一族の待つ広間に入る前から貞能は決心していた。勝頼は(いくさ)上手だが、武田全軍を統括する腕を持っているとは思えない。そんな大将に仕えても意味がない。国境(くにざかい)の土豪はいかに天下をとる大将に仕えるかで、その家の運命が決まる。だから形勢を見ての寝返りは、彼らの宿命であった。

 一族を前に貞能は固く口止めした上で信玄の死を知らせ、自らの徳川への帰属の意志を告げた。

 「だが徳川が、また受け入れてくれるかのう」

 やはり不承知のような態度を見せた父に、貞能ははっきりと言った。

 「信玄の死の情報という手土産を持参すれば、かつての裏切りも許してくれて、徳川は喜んで迎えてくれるに違いないと存じますが」

 ところがその貞能に向かって、

 「父上、それがしは絶対に反対です!」

 と、突然大声を出したのは息子の九八郎だった。

 「甲府には仙千代が、人質としてとられているのですよ。それがしにとっては、大切な弟です。今徳川についたら、仙千代はどうなるか… 父上はご自分の息子が殺されてもいいのですか」

 「おだまり!」

 そこへ母、つまり貞能の妻の一喝がとんだ。

 「あなたは何を言うのです。小義のゆえに大義を害しては、家は滅びて自身も殺されますよ。今は奥平の家のことだけを考えなさい。弟を思うてもそれで家が滅んだら、智者とはいえますまい!」

 封建思想が根本理念であった頃である以上、それは全くの正論であった。個人の情よりも、お家大事なのである。もはや九八郎は何も言えなかった。

 「その通りだ!」

 貞能が妻のことばを受け継いだ。

 「信玄亡き武田家は、これからは落日だ。これにひきかえ徳川はまさしく日の出の勢いだ。徳川の盟友の織田弾正忠は、この三月にもまた上洛しているというぞ」

 そのひとことで、ついに奥平家の徳川帰参は決定した。

 

 天下の大勢も大きく変っていった。秋になってから京では織田信長が将軍義昭を追放し、ついに室町幕府は滅亡した。その同じ頃に奥平家は信玄の死という情報、それを手土産に徳川方に再び寝返った。これまでなら山家三方衆は常に合議して、その行動をともにしてきた。しかし今回は他の菅沼二家を出しぬいての、奥平家の単独行動であった。これで山家三方衆は、敵味方に分かれてしまったわけである。その菅沼二家のうち菅沼正貞の居城である長篠城は徳川の攻撃を受けて開城、徳川の手に移った。貞能によって徳川にもたらされた信玄の死という情報は、徳川の勢いをますます盛んにさせたのである。貞能が寝返らなかったら家康も信玄の死をまだ知らずに、未だに情勢を様子見していたかもしれなかったのである。

 その頃、年号も元亀から天正と改められた。

 秋も終りの頃、武田家に人質となっていた貞能の次男仙千代は、奥平の寝返りに対する武田勝頼の激怒にふれて殺された。それもわざわざ甲府から三河まで送り付けられ、鳳来寺郷で磔刑(はりつけ)にされたのである。もとより貞能にとってはあらかじめ覚悟していたことだったので、さほど驚かなかった。しかしその刑場が鳳来寺郷の金剛堂の前だったと聞いた時は、さすがに背筋に冷たいものが走った。それは信玄が毒殺された場所ではないか。勝頼がそのことを知るはずもない。しかし、偶然にしては話ができすぎている。信玄の幽冥からの復讐が始まっているのか……ふと貞能は、そんなことを考えてしまった。

 それから二年後の天正三年二月、貞能にとって因縁の深い長篠城の城番に、彼の長男の九八郎貞昌が任じられた。武田勝頼が三河に侵攻してきたのは、まさしくその直後の三月であった。そして手始めに武田軍は六千の兵で、わずか五百ばかりの手勢が守る奥平貞昌の長篠城の攻略にかかった。つまり甲軍は真っ先に、奥平の城を攻めたのである。無論勝頼の奥平の造反に対する恨みもあるだろうが、貞能にとってはまたしても信玄の幽冥からの復讐を感じないではいられなかった。

 長篠城には家康が援軍を申し入れてきた。だが九八郎貞昌は信長の援軍をも依頼した。よって援軍は一万八千もの大軍となり武田軍と設楽原(しだらがはら)で激突、世にいう長篠の合戦の火蓋(ひぶた)が切って落とされた。織田・徳川連合軍は鉄砲三千挺の鉄砲隊を使って大勝、以後武田家は衰退をたどることになる。

 一方その後の奥平家だが、貞能の長男九八郎貞昌は織田信長から(いみな)の一字をもらって信昌と改名、家康の娘の亀姫を妻に迎えた。

 その後信長は、本能寺にて非業の最期を遂げる。そして秀吉の時代には貞能は秀吉の労によって美作守に叙任、そして時代は秀吉の死と関が原の戦いを経て徳川の天下になるわけだが、奥平家は譜代大名とはなっても信昌が上野(こうずけ)・小幡藩三万石を経て関が原の戦いの後に美濃・加納藩十万石に封じられ、その加納藩は三男の奥平忠政が継いだがその子の忠隆の代で絶家となった。

 一方、信昌の長男の家昌は宇都宮藩十万石、その子の忠昌下総・古河藩十一万石を経て宇都宮藩に十一万石で再封され、その子昌能は「興禅寺刃傷事件」の責任を取らされて山形藩へ九万石の減石移封、その後二代で再び宇都宮へ転封、さらに丹後・宮津藩九万石を経て豊前・中津藩十万石で入封して九代後に明治四年の廃藩置県に至る。

 また、信昌の次男家治は徳川家康の養子となって松平性を名乗り、早世したため信昌四男で弟である忠明がさらに家康の養子となって松平を名乗り、各地を転封させられた後にその子孫は七代にわたって伊勢桑名藩十万石、最終的には武蔵忍藩十万石で五代、明治維新に至っている。

 奥平貞能がはじめ徳川から武田へ寝返ったことが、信玄謀殺の発端となった。つまり結果として徳川には幸いしたのである。貞能がそのまま徳川にいたら信玄も死なず、信玄は上洛して、織田・徳川を破り、天下人となっていたかもしれないのだ。そして三年は喪を隠し通せと遺言した信玄の意に反してすぐに家康が信玄の死を知り得たのも、貞能を通してであった。そのことを考えると徳川幕府の奥平家への処遇は、冷淡といえるかもしれない。

 しかしそれは当然のことであった。奥平貞能は徳川へ帰属した後も信玄が死んだことは語ったが、その死因に自分が関係していたことや信玄の死に関する深いいきさつについては終生黙し通し、家康には野田城攻防の折り、毎晩野田城から聞こえる笛の音に聞きほれていた信玄が野田城からの鉄砲に耳を撃たれ、その傷が悪化して死んだなどと適当なことを言っておいた。

 無論、真実は何の記録にも記されてはいない。


(長篠城の落日 おわり)

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