ブラックロックシューター 02
検査の結果は思ったより良かった。
「もうほとんど健康体だね」
馴染みの老医師にそうお墨付きをもらう。
彼は、やせ衰えてあばらの浮いた僕の上半身に聴診器をあてながら表情をほころばせる。
「君はもう少し筋肉をつけたほうがいいね。無理のない範囲で少しずつ運動をしてみよう」
「はい」
二週間後に再び検査に来るよう指示を受け、気を抜いて薬を飲むのを忘れないようにと釘を刺された。
だが、そのくらい、一度は最悪を考えた立場からすれば大した負担でもない。
気分良く精算を済ませたところで昼食をすっかり忘れていたことを思い出した。
「何か食べていくか」
勝手知ったる院内のコンビニでおにぎりを見繕っていたところ、いきなり後ろから肩を叩かれる。
「よー、走くん、久しぶりだね」
最初は誰だか判らなかった。
「もしかして忘れられたかな? 宮島ですけどー」
と額をつつかれる。
「あ、私服なんで判りませんでした」
改めて見れば何度もお世話になった看護師だった。
「あらあら、君は顔じゃなくてナース服で私を認識しとるのかね。このスケベ」
「いや、だって普段はマスクとかされてるし、しかも今日は微妙におしゃれじゃないですか、見違えたんですよ」
「ほーう」
宮島さんはそれを聞くとニヤニヤ笑いながら僕の全身を上から下までねめ回す。
「言うようになったね、君。ま、元気になったのはいいことだ。妹さんにきちんとお礼言っとかないとだめだよ」
「……妹?」
「ほら、天野のなっちゃんよ。この病院で君のために骨髄採取したんだ」
「え!」
耳の奥でごうという、激しい突風の様な音がした。
呆然とする僕の様子に、宮島さんは見るからにしまった!といった顔で口元を隠す。
「あちゃ、これは言っちゃいけないヤツだったのか。ね、忘れて、私も忘れるから。じゃ」
彼女は目の前でパタパタと手を振り、呆然とする僕を放置して棚のサンドイッチをひょいっと取ると、慌ただしくレジの方に駆けていった。
(妹? ナツが?)
驚きを通り越し、もはや僕は完全に思考停止状態だった。
(どういうことなんだ。父さん母さんは知っていた? じゃあナツは? それに一体いつから?)
三重の担当医が言っていた、”他人の骨髄がここまで適合するのは奇跡に近い”という言葉が不意に脳裏によみがえる。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
僕はようやく我に返ると、慌てて宮島さんの後を追う。
病院の中庭で僕はようやく宮島さんに追いついた。
左手をつかんで強引に引き留めると、観念したのか抵抗をやめ、ベンチを背にしてくるりと振り向いた。
「はあ、ちょっと、はあ、まって、はあ」
ところが、ほんのわずかな距離にもかかわらず、むしろ自分の方が息が上がってしまってまともにしゃべれない。
膝に両手を突っ張ったまま荒い呼吸を繰り返す僕を見かねたのか、宮島さんは僕の体を抱えるようにしてベンチに座らせ、自分も隣に腰掛けて小さく嘆息した。
「ごめんなさい。てっきり知っている話だと思ったのよ。それに、ご両親があなたに伝えなかったと言うことは何か別の事情があるはずよ。忘れてくれないかしら?」
「いえ、教えてください。宮島さんを困らせるつもりはありません。一つだけでいいんです」
僕はようやく息を整えると、慎重に言葉を選んで口を開く。
「ナツは……天野奈津希は、僕と血のつながりがあるんですか?」
眉をしかめて困り果てた表情をしていた宮島さんだったけど、僕がそれ以上質問を重ねなかったことに安心したのか、やがて観念したように無言で頷いた。
「子供の頃に天野さんご夫婦に養子に出されたんですって。正真正銘、あなたの双子の妹さんで間違いないわ」
そっぽを向いたままぼそりと答えた宮島さんはしばらく無言のままたたずむと、やがて静かに立ち上がった。
「悪く思わないでね。本来漏らしていい個人情報じゃないし。じゃあ、私はこれで」
「はい……ありがとうございます」
宮島さんは一瞬立ち止まって振り返りかけたけど、結局、そのまま歩み去って行った。
(一体、どういうことなんだ)
取り残された僕は、その場にじっと座り込んだまま動けなかった。
まずは、ぐちゃぐちゃに混乱したこの頭をどうにか整理する必要があった。
ナツ。
天野奈津希。
言うまでもなく僕の一番古い幼馴染。
誕生日も一日しか違わない。
性別こそ違え、家がすぐ隣ということもあって保育園に入る前から両家の間には親交があり、朝晩の食事をお互いの家でとることなどは日常茶飯事だった。
というか、ナツの母親がいなくなってからは、ナツが一方的にうちに入り浸っていた。
現に、僕が入院する前日も、ナツはうちで夕食を取り、食後は僕の部屋でしばらくゴロゴロとくつろいでから自宅に戻っていった。
僕は彼女のことを“家族同様”に思っていた。
多分、彼女も似たようなものだろう。
でも、あくまでそれは他人だからこそという前提だ。
僕が彼女に対して向けていた親しみも、ほのかな好意も、僕は今、この瞬間まで親しい異性に抱くそれだと思いこんでいた。
一度も口に出して言えなかったし、もちろんナツは気付きもしていなかったけど。
でも。だとすると。
僕はなんと酷いことを言ってしまったんだろう。
他人同士であれば、万一関係が壊れて他人に戻ってしまってもそれはただの無関係、知り合う前の距離感に戻るだけだ。
でも、血の繋がった家族が自分を遠ざけるセリフを吐いたとすれば、それはもはや絶縁宣言に等しい。
その重さは、天と地ほども違う。
(なんてことを言ってしまったんだろう)
僕は魂が抜けるほどの長い溜息をついた。
◇◇◇
僕には、小さな頃から夢があった。
病弱で、しょっちゅう身体を壊す僕がベッドに横たわったまま見上げられるのは、天窓からのぞく小さく切り取られた空ぐらいしかなかった。
退屈で単調な毎日が続くうちに、僕は日ごと移り変わる空の情景、とりわけ星空に次第に魅せられていった。
いつの日にか、自分の作ったロケットでこの夜空に飛び出したい。そう夢見るようになったのはごく自然な成り行きだったと思う。
そして、小学校二年生の夏、たまたま訪れた種子島で、本物のHーⅡAロケットの打ち上げをこの目で見た瞬間、その夢は確固たる願望に昇華した。
太陽系を遥かに超えて、ボイジャー探査機のように無限の宇宙空間に飛び出す宇宙機を自分の手で作り出したい。
いくら病弱な僕でも、そのくらいの時間は与えられているのだと信じていた。
でも、それは勘違いだった。
去年の六月、一度はねじ伏せたはずの白血病が再発し、このままでは長くても半年という余命宣告を受けて、僕は絶望した。
心の全てが真っ黒に塗りつぶされ、何も知らずいつものように無邪気にじゃれついてくるナツの笑顔を見るだけでひどくイライラした。
生まれた時からずっと双子のようにいつも一緒で、同じものを食べ、同じように暮らしているのに、なぜナツではなく、僕ひとりだけがこんな理不尽に苛まれるのか。
どす黒い感情に突き動かされるまま、彼女にはなんの落ち度も責任もないのに、僕は一方的に彼女を遠ざけ、逃げ出してただ絶望の中に身を置いた。
そのはずだったのに……
彼女はひとつも怯むことなく、僕の閉じこもる硬い殻をいとも簡単にこじ開けた。
そして、その隙間から、僕がとうに諦めたはずのキラキラした夢を、これでもかとばかりに見せつけてくる。
最初のうちは、いつもの無謀なチャレンジだと笑っていられた。
ところが、彼女は持ち前の一途さと意外なほどの手先の器用さを発揮して、あっという間にとんでもない性能のモデルロケットを作り上げた。
工学的にはオモチャと大した違いのないD型エンジンで高度六百メートルを記録するなんて、日本はおろか、世界的に見ても普通とは言えない。
それだけじゃない。
いつまでも逃げ回っている僕に対し、動画投稿サイトを使って挑戦状を投げてきた。どんなに逃げても、きっと追いついてみせる、と。
彼女は言葉でも、態度でも、そのまっすぐな思いを少しも隠さない。
そんな様子を見せつけられているうちに、僕は子供のようにふて腐れている自分が次第に恥ずかしくなってきた。
いくら無様に逃げ回っても、彼女は僕を見つけ出す。どんなに冷たく突き放しても、彼女は僕に追いついてくる。
その姿勢に損得や打算の影はどこにもない。ただただ愚直で、ひたすら真摯だ。
なんのてらいもなく、真っ直ぐに僕の心を射貫くその瞳に、僕は一体どんな風に映っているのだろう?
いつの間にか、僕は彼女に引きずられるように闘病生活に真面目に取り組むようになった。
だが、病魔との戦いは長く、過酷だった。
はじめに移植された骨髄は定着せず、無期限に無菌テントの中から出られなくなった僕は再び絶望感に襲われるようになった。
そんな時、一筋の光になったのは新しい骨髄提供者が見つかったというニュース。
程なく再移植された二度目の骨髄は医者も驚くほどの定着を見せ、無菌テントを卒業したその日、僕は病院の屋上でナツのロケットを見た。
まだ薄暮の残る夜空に、緩やかな弧を描いて飛翔する白いロケット。
キラキラと規則的に光を放ちながら遙かな高みに達し、やがて水平線の向こうに消えたその姿を目にした瞬間、自然と涙が出た。
彼女と僕との、格の違い、いや、人生に対する覚悟の違いを見せつけられたと思った。
素直にそれを認めることのできなかった僕は、約束を果たしたあと、一直線に僕の元に駆けつけてくれた彼女に対して、取り返しのつかない言葉を吐いた。
彼女こそが僕に、一度は完全に諦めていた健康な体を授けてくれた存在だと知りもせず。
「ああ!」
病院の中庭にうずくまったまま、僕は人目をはばかることもせず後悔の涙をこぼし続けた。
---To be continued---




