ブラックロックシューター 01
「ナツのロケット」番外編です。
主人公、ナツが渡米したあと、地元に戻ってきた走目線でのストーリーです。
四月。
僕はこの春、二回めの高校二年生になった。
半年を超える入院生活を終え、ようやく退院したのは二月の頭。そこから連日の補習漬けはとにかくしんどかった。
一応、元のクラスに戻って授業そのものは受けたものの、半年間のブランクはどうにも挽回できず、特に数学や物理はお手上げだった。
結局、放課後は毎日、さらに土曜、日曜は朝から補習。
毎日のように付き合ってくれる先生達もしんどかったと思うけど、もう少し病人を思いやってくれと言いたかった。
それでも三月末までに二年生の単位は履修しきれなかった。
「走、どっちにしてもつきあってやるからそろそろ決断しろ。来年度も補習漬けで過ごすか、あるいはもう一回二年生をやるか」
担任でもある真弓先生はそう言って、僕にどちらかを選ぶようにと宣言した。
悩んだ結果、僕は後者を選択した。
入院が決まった時から留年はある程度覚悟していたことだったし、真弓先生にこれ以上わがままに付き合わせるわけにもいかない。
それに、無理して三年に上がったところで、クラスにナツの姿を見ることはできないのだ。
そう。
僕がようやく家に戻ってきた時、ナツはすでにこの街から姿を消していた。
真弓先生の話では、交換留学制度を利用してカリフォルニアの高校に移籍したのだという。
彼女が父親と二人で住んでいた建売住宅は無人になり、いつのまにか売家の看板が掲げられていた。
安っぽいベニア板の看板が風に揺れるのを見るたび、胸が詰まり、やるせない気持ちになる。
――だけど。
彼女を拒絶したのはほかならぬ僕なのだ。
寂しがる権利などない。
あのクリスマスイブの夜、約束を果たし、そのまま一直線に僕の元に駆けつけてくれた彼女に対して、僕は相当に酷いことを言った。
彼女を拒絶し、遠ざけた。
メッセージアプリから彼女のアカウントを削除し、メールアドレスも電話番号も消した。
なぜって?
文字通り全身全霊をかけて彼女が打ち上げたロケットに僕は打ちのめされ、同時に、彼女の一途すぎる想いが怖くなったんだ。
彼女は、この先も僕のためならどんな貴重なものでもためらわずに打ち捨てるだろう。
もしかしたら、僕がそう言えば自分の命だって簡単に差し出すのかもしれない。そう思い知った。
一方、僕はこんなにもちっぽけで中途半端だ。
どう考えても彼女が自分の一生を賭ける価値がある人間とは思えなかった。
彼女はきっと、僕みたいな余計な重石がなければどこまでも高く、もっと遠くまで飛べるはずなのだ。
僕は、これまで彼女が僕のために犠牲にしたあらゆるものに対し、僕は、たとえ残りの一生をすべて費やしたとしても、それに見合うだけのものを何一つ返してあげられそうにない。
天高く一直線に駆け昇るナツのロケットを見上げながら、あの日、僕は決断しなくてはいけないと心の底から悟った。
このまま僕と一緒にいたらナツは絶対に不幸になる。
そう確信した。
それでも。
あの夜彼女が見せた、絶望と悲しみに満ちた表情を僕は一生忘れない。
◇◇◇
「星川走というのはあなたですか?」
二度目の二年生の二日目。
短縮授業を終えて帰ろうとした僕は、昇降口で見知らぬ三年生にいきなり呼び止められた。
「は、はい」
動きを止めて硬い表情で答える僕に、彼女は少しだけ表情を緩めながら自己紹介をした。
「ロケット部三年の大野です。少しお時間をもらえませんか?」
肩にかけた、いかにも使い込んだ無骨なデジタル一眼レフカメラが妙にしっくりくる、不思議な雰囲気を持つ女性だった。
「少しだけなら大丈夫ですが……」
この後は病院で検査がある。退院後はじめての検査なのでできれば遅刻したくはない。
「大丈夫、それほどお手間は取らせません。では……、図書室にでも行きましょうか」
余計なことは何ひとつしゃべらず、先に立って無言で歩く彼女の背中を見つめながら、僕はそこはかとない不安を感じずにはいられなかった。
“航空宇宙飛翔体研究部”、通称“ロケット部”は、今、この学校でもっとも有名な部活動と言える。
瞬間風速的な知名度で言えば、県内有数の強豪と言われる野球部やサッカー部をさえしのぐだろう。
昨年秋からのナツの大胆な挑戦はネットを中心に大きな話題となり、この春神奈川のローカルテレビ局で放送された一時間の特集番組はその後動画投稿サイトにも転載されて今も驚異的なペースで再生回数を伸ばし続けている。
地元駅の掲示板や駅前の学習塾に貼られたポスター、それに神奈川技術工科大の広告で挑戦的な表情を見せる謎の女子高生はついにその正体が割れてしまい、彼女に憧れてロケット部の扉を叩く新入生で部室棟の周りを二周するほどの行列ができたのはつい昨日のことだ。
部員たちはその対応でてんてこ舞いのはずで、本来こんなところでしょぼくれた留年生に関わっている暇などないはずなのだが。
「先生、視聴覚ブースお借りします」
ニコニコ笑う小柄な司書先生に声をかけ、迷いのない足取りで二人がけの小間に区切られたブースに入った大野さんは、肩にかけていた一眼レフとモニターをケーブルで繋ぎ、二つあるうち片方のヘッドフォンを無造作に差し出しながら椅子の背を引く。
「座ってください。見ていただきたいものがあります」
そのまま自分も隣の席に座り、カメラを抱え直してメニューをいじりはじめた。
ナツ以外の女性とこれほど近い距離で接するのは初めてだ。なんとなく落ち着かずキョロキョロする僕の肩を軽くつつき、大野さんは無言のまま仕草でモニターを指差した。
『えー、ロケット部のみんな、元気ですか?』
画面の中からいきなり懐かしい人物に呼びかけられ、僕はギョッとした。
思わず大野さんの顔を見やる僕に、彼女は黙って見ろとでもいうように再び画面を指差す。
『私は今、ネバダ州、ブラックロックの砂漠地帯に来ています。サクラメント高校ロケットチームのみんなと一緒でーす!』
風が相当に強いのか、あるいはカメラマンの操作が雑なのか、マイクにはボコボコと風の音が入って声が聞き取りづらい。
ようやく気持ちを落ち着けてよく見ると、渡米してから日焼けしたらしい。
あの夜、病院で出会った時より少しだけ健康的で、整った顔がより精悍に見える。
『私がこっちに来てから、まあホントに色々あったんだけど、今日、ようやく一号機の打ち上げにこぎつけました。そこで、みんなにも見てもらいたくてこの映像を撮っていまーす。あ、倒れる!』
画面がぐらりと傾ぎ、あわてて引き起こす誰かの手が画面に入る。
ナツが笑いながら英語で冗談を言い、カメラマンらしき若い男性の声が親しげにそれに応えているのが風の音の向こう側からかすかに聞こえる。
『じゃあ、前置きはこのくらいにして早速行きましょう。Everyone, Are you ready?』
“イエス、マム!”
まるでブートキャンプの様な規律のとれた唱和に続いて笑い声が弾け、何人もの声がそろって秒読みが開始された。画面がパンすると、荒野に設置されたランチャーが蜃気楼のように歪んだ景色の向こう側で揺らめいている。
ゼロアワー。
まばゆいレモンイエローの炎を噴きながら、強い風に流される気配も見せず、真っ白いボディロケットが磨いたような青空に一直線に吸い込まれていく。
ナツの手がけるロケットに特徴的な、明るい夏みかん色のフェアリングと尾翼が青空でひときわ映える。
『おー飛んだ飛んだ。意外と伸びるね。How far is the distance?』
しばらくして、遠くから“シックスタウザントファイヴ”というどなり声が聞こえる。
『えー、高度六千五百フィートだって言うから、だいたい二キロくらいかなぁ。初めてにしては結構飛んだ方だと思います』
ふたたび画面がガクガクと動き、ナツの姿がフレームに戻ってくる。
『今飛ばしたのは、全米コンテストのレギュレーションで作った機体です。去年の文化祭で飛ばしたN-3よりちょっとだけ大きいかな。まあ、サイズとか使う燃料とか、結構厳しい規定があってなかなか思うに任せないんだけど、これでようやくスタートラインに立ったかなって感じですね。これからもっと煮詰めていきます』
そこで言葉を切ると、精悍な表情を崩して不意にニコッといたずらっぽい笑顔になる。日焼けした肌に白い歯がまぶしい。
『ところで、コンテストの事務局が私に面白いことを提案してきました。日本の高校ロケットの実力校に、今回のコンテストに特別参加しないかって話です。つまり、みんなのことだよっ!』
反応が気になって隣を見る。でも大野さんは身じろぎもしない。
『どう? 興味ある? もし良かったら詳しいレギュレーションは後でメールしますね。挑戦してくれるととっても嬉しいなあ。もし実現したら、サクラメントのチームとロケット部の対決になるね。どっちが勝つかな。ちょっと楽しみです。できればみんなにも会えるといいなあと思っています。ところで……』
映像はそこで不自然に途切れた。
「今のは、昨日ロケット部に届いたビデオメールです」
大野さんはそう説明しながら素早くケーブルを回収してくるくると丸め、ヘッドフォンを所定の位置に納めながら立ち上がる。自然、僕は見下ろされる形になった。
「私達ロケット部は、顧問とも相談の末この提案を受けることにしました。部長代理の指示で、部員を何チームかに分けて対抗戦を行い、一番成績の良いチームをアメリカに派遣します」
「はぁ」
「走さん、あなたはこの試みに興味がありますか? つまり、ロケット部に入部するおつもりはありますかというお尋ねなのですが……」
「え?」
予想外の質問に理解が追いつかない。
「すいません、どういうことでしょう?」
「アメリカに発たれる前、ナツさんは、もしあなたがロケット部に入部するのであれば快く迎えて欲しいと私達に言い残しました。ただ……」
彼女はそこで言いにくそうに口ごもると、手の中のデジカメをなでながら、小さく息を吸う。
「真弓先生には、あなたは昨年度補習漬けで部活に打ち込むような時間的余裕がなかったとうかがっています」
「……はい、確かに」
「新年度になりましたので、多少は状況が変わったかと思い、念のため確認にお伺いしました。あなたはどうしたいですか?」
「あ、え?」
答に詰まった。
僕は以前天文地学部に所属していて、休学が決まった時点で同時に休部扱いになった。
ロケット部も天文地学部も顧問は同じ真弓先生で、今ならどっちでも好きな方に所属していいぞと言われている。
でも、大野さんの態度は硬い。
とても勧誘に来たようには思えない。
「あの、一つ聞いてもいいでしょうか?」
「はい」
「僕のこと、ナツから何か聞いていますか?」
「全部です」
「は?」
さすがにそれではぶっきらぼうすぎると思ったのか、大野さんは考え事をするように少しだけ頭を傾けると、抑揚を抑えた口調でつけ加えた。
「私は、映研が解散になった時にロケット部に移籍し、それ以来ずっと記録係を務めてきました。あなたがもしあの番組をご覧になったのならお判りだと思いますが、ナツさんが泣いたときも笑ったときも、そのすべてを私は彼女の一番近くで見てきました……」
そこで一端言葉を切ると、大野さんはわななくように小さく体を震わせ、大きく深呼吸する。
「夜啼鳥……あのロケットの名前です」
“ナイチンゲール”と発音する時の彼女は、それまでの硬い表情から一変して、まるで幼ない子供の名前を呼ぶように優しげな雰囲気をまとう。
「彼女が何を思ってあのロケットに打ち込み、高校生の身には気が遠くなるほど多額の借金まで抱えて完成させたのか。番組では何も触れてはいませんでしたが、私達はそれを知っています。だから……」
そこで不意に言葉に詰まり、ついに彼女はポロリとひとしずくの涙をこぼした。
「……クリスマスイブの夜、何があったのか。彼女は何も言いませんでしたが、あの日以来……」
そこでぐいと涙を拭うと、再び厳しい目つきで僕をねめ付けた。
「私はあなたのことを許してはいません」
彼女はテーブルから一眼レフを抱え上げ、その重さを感じさせない仕草でひょいと肩に引っかける。
「あなたが彼女に何を告げたのか……知りたくもありませんが、元来楽天的なナツさんがあれほど悲しい顔をするのだから、きっと酷いことだったに違いありません」
「……」
「ですが、他ならぬナツさんが言うのですから、もしあなたがロケット部に来るのなら、拒むことはしません。これでいいですか?」
まるで氷の刃の様に冷たい敵意に圧倒され、僕は言葉もなくただ頷くことしかできなかった。
---To be continued---




