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第五十九話 インビテーション(Ⅱ)

「だから、あんたは絶対にアメリカに行くべきだって!」

 アルコールは没収されたものの、コーラのグラスを片手に由里子のテンションはひたすら高い。

「どうせこっちにいたって同じでしょう? 会社は来春まではナイチンゲールの評価作業で新型機を開発する予定もないし、部活の方はあんたがいなくたってどうにでもなるわ」

「でも、途中で色々ほったらかしっていうのは……」

「この業界、やっぱり本場はアメリカよ。人脈作りとマーケットの把握は社長の務めでしょう? つまんないルーチンワークは他人わたしに任せておけばいいの!」

「でも……」

「あー、もう煮え切らないわね。走のためならいくらでも突っ走れるくせに、なんなのよその優柔不断は!」

「由里子さん、それ、本当にコーラですか?」

 大野さんも呆れている。

「距離を置こうって言われたんでしょ? だったら上等よ、この際どーんと一万キロ、どうだ?」

「いや、どうだって言われても」

「それに、早ければ来月には帰ってくるんでしょ? 走。 今の精神状態であんた、前みたいにちゃんと仲良くできる自信ある?」

 確かに。まだ無理そう。姿を見かけるたびに無駄に逃げたり隠れたりしちゃいそうだ。

「無責任に焚きつけてるわけじゃないの。多分、今のあんたにはどこか環境を変えてしっかり気持ちを整理する時間が必要だわ。それに、このまま中途半端な再会なんてしたらあんた、最悪ロケット部を辞めかねないし」

 驚いた。昨夜から、眠れないままぼんやりと考えていたことをいきなり言い当てられて冷や汗が出る。

「ど、どうしてそれを」

「ほーら」

 由里子は勝ち誇ったように言うと、ケラケラ笑いながらグラスのコーラをグビリと飲み干し、「お代わり!」と大野さんに突き出した。

「あんたのことだから、走に居場所を譲って自分は引っ込もうとか思ってたんでしょう? バカなことを考えないでよ。ロケット部はあんたが立ち上げたのよ。中村だって、坂本だって、あんたが退部したらきっと辞めちゃうわよ」

「ちなみに、私も同じ気持ちです。走さんが仲間入りするのはいいですけど、ナツさんが辞めるなら私も辞めます。私はナツさんを撮るためにあそこにいるんですから」

 由里子にコーラをお酌しながら大野さんまでそんなことを言い出す。

「本当は、あの二人もここに来たいって言ってたのよ。今日は女子会だから来るなって追い返したけど」

 なみなみと注がれたコーラを再び一気に飲み干すと、由里子はいきなりうなだれた。

「お願いよー、ナツ、お願いだから辞めないで」

 今度はいきなり涙声になる。

「あんたがいなくなって天文地学部、本当につまんなかった。また勝手にいなくなっちゃ嫌だからねー」

 ぐいと顔を近づけ、妙に座った目つきで凄まれる。

「おい、お前、本当に酔っ払ってる訳じゃないんだよな?」

 部屋の隅でワイングラスを片手にひたすらフライドチキンをぱくついていた真弓先生までもがギョッとした目で由里子を見やる。

「酔ってませーん。コーラなんて初めて飲んだけど、私はほーらこの通り、酔ってなんかないわー」

 いきなり宣言して脈絡もなく立ち上がり、足元をもつれさせてソファーに倒れこんだ。

「由里子!」

 そのまま起き上がらない由里子に恐る恐る声をかけてみると、もうすっかり寝息を立てていた。

「驚きました。炭酸でここまで酔っ払う人なんて初めて見ましたよ」

 大野さんがコートをかけてあげながら目を丸くしている。

「由里子の家は厳格なの。買い食い厳禁、外食禁止。本人の好みもあるんだろうけど、食べるものも飲むものも全部天然素材。多分こんなジャンクな食事は生まれて初めてだったんじゃないかな」

「昨日は眠れなかったって言ってましたし、そのあたりもあるんでしょうかね?」

 顔にかかった後れ毛をかきあげてあげながら、大野さんは感心したように呟くと、私に向き直った。

「由里子さん、今朝からずっとテンションおかしかったです。最初は走さんコロスって言ってましたし、ナツさんが心配で心配で仕方なかったみたいですよ。気持ち、わかってあげて下さい」

 大きな目でじっと見つめられ、深々と頭まで下げられた。

「ほら、いい加減判っただろ? お前ってそういう奴なんだよ。そばにいるとなぜか周りが放っておかない。訳もなく手助けしたくなるんだ」

 真弓先生には真剣な顔でそう諭された。

「お前が暗い顔をしてると周りの人間の健康にまで被害が及ぶ。頼むから早く立ち直ってあのバカっぽい笑顔を見せてみろ」

「……あ、ありがとうございます?」

 褒められてる? いや、バカにされていいるよね? とりあえず適当に頭を下げようとしたところで、それを遮るかの様に三たびインターホンが鳴り響いた。

「うわ、今度は誰だろ?」

 とても昨日まで一ヶ月以上も留守だった家とは思えない千客万来っぷりだ。

 慌ててモニターを確認すると、

「あれ、走ママ?」

 玄関を押し開けると、何だか微妙な表情の走ママが立っていた。

「お久しぶり。昨日は走に会いに来てくれたんでしょ? 立ち会えなくてごめんなさい」

「い、いえ。それよりどうしたんですか? 走、何か言ってました?」

「いいえ、昨日はこっちに戻ってたの。あの子の転院の件で手続きがあったから」

(やっぱり戻ってくるんだ)

 あれほど待ち望んでいたはずなのに、今はかすかな気後れを感じる。

(私って心が狭いな)

 私の浮かない表情を誤解したのか、走ママは下げていた紙袋を慌てて差し出しつつ言う。

「お邪魔してごめんなさい。お客様がみえてるのね。これ、預かっていた郵便物。それでね……」

「いつもありがとうございます。はい?」

 走ママの視線を追いかけるように紙袋の中を覗くと、一番上に理髪店の看板みたいな派手な縁取りの封筒が載っていた。

「それ、昨日の晩から今朝早くの間に届いていたんだけど」

 言われるままにつまみ出してみる。

 国際郵便の封筒。本物を見るのは生まれて初めてだ。

 表面右下には青いゴシック体で[AIR MAIL]の文字が印刷され、真ん中に女性っぽい柔らかな手書き文字で「天野なつき様」と書かれているだけだった。住所も消印もない。

「あれ? これって……」

「恐らく、あなたのお母さんね」

「でも、どうみても直接持って来たって感じですよね。どうして手紙だけ……」

「そこまではちょっとわからないわ。じゃあ、また来年ね」

 まるで何かにせき立てられるように小さく手を振ると、走ママは足下に置いていたボストンバックをひょいと持ち上げ、門の前で待っていたタクシーにそそくさと乗り込んだ。

「あ、良いお年を!」

 最後まで聞こえたかどうかは判らない。みゅーんというモーター音を響かせ、タクシーは小雪の舞う坂道を一直線に遠ざかっていった。

 手元にはエアメールの封筒だけが残った。


「なんだそれ?」

 リビングに戻ると、真弓先生が私の持つ封筒をめざとく見つけてきた。その顔はいつの間にか桜色に上気し、テーブルのワインボトルを見るともう半分も残っていない。

「うわ、先生! ひとりでそんなに飲んじゃったんですか?」

 庭先にはいつもの赤いスポーツカーが路駐してある。一体どうやって帰るつもりなんだろうこの人。

「いいから開けてみろ!」

 人の私信をなんだと思ってるんだこの酔っ払い。そう思いつつも私も気になる。台所からキッチンはさみを持ち出すと、封筒の縁を切り落とす。

 中には、折りたたまれた数枚の薄い便せんとエアチケットが一枚だけ入っていた。

「おお?」

 さっぱり意味が判らない。

 私はちょっかいをかけてくる真弓先生を無視してまずは便せんを開く。


『なつき様


 拝啓

 

 ずいぶんと久しぶりですね。

 今、こうして突然のお手紙を差し上げることを許してください。

 あなたが、学校でロケットの開発をしていることをしばらく前、星川の奥様から伺いました。

 さすがに血は争えないものだと(厳密な意味では血縁ではありませんが、親子ですものね)少しおかしくなりました。

 貴女は知らないかとは思いますが、私は今、アメリカで一般の人でも簡単に乗れる事を目標にした宇宙船の開発に関わっています。

 若い頃からの夢を諦めきれず、まだ幼いあなたを置いて単身アメリカに渡る決意を固めた私を、貴女のお父さんも最後には快く許してくれました。

 夢は遠く険しく、しかも離れがたく、どうにか業界の一角に食い込むまで大変な苦労と時間を要しました。

 結果的に、ずいぶん長いこと貴女をほったらかしにしてしまったこと、本当に申し訳なく思います。

 もし、貴女が私のことをまだ親だと考えていて、かつ貴女のロケットへの夢が本物なのであれば、是非、一度お話ししたく思い、こうして文をしたためました。

 本当は直接話したかったのだけど、身勝手な親だと恨まれているだろうと思うと、なかなかその勇気がわきません。

 そこで、同封のチケットに思いを託します。

 もし、貴女にその気があれば、当日、空港で待っています。

 最後に。

 打ち上げ成功、本当におめでとう。

 もしかしたら、貴女が本当の意味で私達のライバルになるのも、そう遠い先の話ではないのかもしれませんね。

 

 かしこ』


 私は、ずいぶん長いこと放心していたらしい。

 フリーズ状態の私を不審に思った真弓先生は私の手から滑り落ちた便せんを勝手に拾い上げて状況を確認し、すぐさまどこかに電話をかけはじめる。

「おい、私の車、お前の家のカーポートに入れてもいいか?」

「あ、ええ」

 突然聞かれ、ようやく我に返った所で本日四組目の来客がチャイムを鳴らした。

「お前はいい、私が呼んだ客だ」

 真弓先生は勝手に応対に出ると、すぐに大きなバスケットを持って戻ってきた。

「おい、これでも食べて待ってろ。私はちょっと出てくる。夜までに戻るから。くれぐれも全部食い尽くすんじゃないぞ」

 どさっと大野さんに手渡し、それだけ言い残すと慌ただしく出て行った。

「ナツさん、これは?」

 大野さんに言われるままバスケットの中を覗いて見ると、飲み物の他にもブルスケッタと呼ばれるイタリアンのおつまみとフリッティがたっぷり詰め込まれていた。さらに紙ナプキンには優月シェフの文字で「差し入れです。夜は食べに来てね」と書かれている。

 どうやら真弓先生が何やら急用の運転手代わりに呼んだらしい。

 バスケットからフリッティを一本つまみ、テーブルに置かれた手紙をあらためて読み返す。

 私は、母が家を出ていった理由は私の顔を見たくなかったからだとずっと思っていた。

 幼い私が寝床に入った後、毎夜のように続く口論を夫婦仲が冷え切っているせいだとずっと思いこんでいた。

 もし、その前提がそもそも間違っていたのだとすれば……

 私は父親に対して、母のことでずいぶんと酷いセリフを吐いた記憶がある。何度も。

「あの。ナツさん」

「あ、はい?」

「私、さっきから状況が全然わかんないんですが、一体何が起きてるんですか?」

「ああ、ごめん。勝手に別の世界に行っちゃってた。うーんと、これ」

 説明が難しいので母の手紙をほいと手渡す。

「ええ! 読んでもいいんですか?」

「うん。感想聞かせて」

 私の頭ではもはやすべてを消化できそうにない。ずっと私を撮り続けている大野さんならきっといいアドバイスをくれるだろう。

 大野さんは時間をかけて二度、三度と手紙を読み返し、やがてぽつりとつぶやく。

「ナツさん、養子だったんですね」

「うん」

「しかも、お母様はアメリカにお住まいなんですね」

「うん」

「その上、宇宙船をお作りなんですね」

「そうらしいね」

 大野さんはそこで一度言葉を切り、さらに考え込むように首を傾ける。

「不思議なご縁ですよね。お母様は、ナツさんがロケット作りを始めたことは知らなかったし、ナツさんもお母様が宇宙船を作っているなんて知らなかった。なのに……」

「そうなんだよね。両親からロケットや宇宙船のことを聞かされた覚えは一度もないの。その辺りは全部走の受け売りだったから……」

(ああ、そうか)

 突然思い至る。

 父の寝室にあった大量の飛行機の模型。

 あれはもしかしたら、父の趣味ではなく、元々は母の物だったのかも知れない。

 母が残した模型を引き継いで、いつしか自分も航空機の模型作りを始めたのだとすれば、父は私が思うよりはるかに純情で、もしかしたら今もずっと、母のことを思い遣っているのではないだろうか?

(あれ? そもそも私の両親は離婚してるの? それとも、単なる別居なの?)

 その辺りもきちんと聞いてみたことはなかった。ある日いきなり「母さんは出て行った」と、聞かされただけで、それ以上細かいことに触れるのはタブーのような気がしていたから。

「だとしたら、ナツさん」

「うん」

「真弓先生の話は別にしても、やはり一度向こうに行かれた方が」

 大野さんの言葉は私の気持ちを後押しした。

「……そうだね。やっぱり、一度ちゃんと話はしてみたいかな」

 いつの間にか雪もやみ、わずかな雲の切れ間から西日がリビングに差し込んでいた。。


---To be continued--- 

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