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第五十話 嵐の中の転進

 暴風雨のせいで、今朝から予定していた打ち上げの準備作業はすべてキャンセルになった。

 おまけに、雨の中出かけていった中村君はいつまでたっても帰ってこなかった。

 私はいい加減待ちくたびれ、乾燥機から取り出した衣類を部屋のベッドにぶちまけると、そのままうつむけに突っ伏してうつらうつらし始めていた。

 と、いきなり部屋中に響く大音量のバイオリンソナタ。

「な! 何?」

 寝ぼけまなこで枕もとを探るがスマホは見つからない。

「え、どこどこ?」

 ようやく意識がはっきりしてきて、さっき洗濯物を取り出した時に自分でジーンズのおしりのポケットに突っ込んでいたのを思い出す。

 風が強くて着信が聞きずらかったので、昨日から音量最大にセットしてそのまま忘れていた。

 慌てて引っ張り出し画面を見ると”森川研究室”とある。

「森川先生?」

『やあ、酷い天気だねえ』

 森川教授はこちらの焦りをまるで人ごとのようにのんびりと笑う。

「教授! 笑い事じゃないです!」 

『うん、報告は中村君や森川研うちのメンバーからも聞いた。そっちはかなり風雨が強いみたいだね』

 神技工大は県内でもかなり山寄りに立地しているから、大島ここより風の影響が少ないのだろう。

「そうですよ。もう大変なんです! こっちはもう、打ち上げどころの話じゃなくて……」

『どうする? いっそのことこっちに戻すかい?』

「!」

 唐突に聞かれて言葉に詰まる。確かに、このまま島にいても何もできない。とはいえ、

「戻りたいのはやまやまなんですけど、貨物船は出港しちゃったしジェットフォイルは欠航だし、全く身動きが取れないんです」

『じゃあ、これから大学の船でそっちに向かうから、機体含めて一旦撤収しようよ』

「え! でも大丈夫なんですか? 素人の私が言うのもなんですけど、港の外は結構波も荒いみたいで……」

『八十フィート級だから、無理をしなければ大丈夫。まあ、かなり揺れるとは思うけどね』

 声の調子からするとどうやら面白がっている様子。絶対だ。

 一方で私は塩を振られた青菜のようにうなだれた。比較的揺れが少ないと言われるジェットフォイルに乗ってでさえあれだけの醜態をさらしたのだ。ご自慢の八十フィート級とやらがどんな凄い船だか知らないけど、あれよりさらに酷い目にあうことだけは間違いないだろう。

「では……お願いします」

 これも走のため。私は胸の内で自分にそう言い聞かせると渋々提案を受け入れた。

『了解。じゃあ、夕方までにはそっちに着くよ。ウチの学生には私から言っておくから、準備を進めておいてくれるかな』

「あ、あの!」

 それきり電話は切れた。どうして私の周りにはこうせっかちに電話を切る人ばかりいるんだろう。


 午後になり、少しだけ風雨が和らいだ。

 天気予報そのものに大した変化はないから、台風と伊豆半島の位置関係で一時的に大島に吹きつける風が遮られただけらしい。

 その証拠に、見上げた空では相変わらず分厚く垂れ込めた鉛色の雲が猛烈な勢いで流れている。

 とはいえ、たとえわずかな時間でも、この千載一遇のチャンスを活かさない手はない。

 私達はナイチンゲールの納められた木箱を防水のブルーシートと銀灰色のダクトテープでぐるぐる巻きにして、中村君いわく”海に落っことしでもしない限り大丈夫”なレベルに防水した。

 それにしてもダクトテープはすごい。さすがに一般用ではなく軍用の特別仕様らしいけど、凍る様に冷たい豪雨の中でもまったく問題なく使えて逆にビックリした。国産のガムテープではとてもこうはいかないだろう。アメリカ人がダクトテープをあれほど愛している理由が今日ようやくわかった。

 それはともかく。

 私達は打ち上げ施設に隣接した波浮港のマリーナ管理事務所に全員びしょ濡れのまま押しかけて土下座する勢いで頼み込み、普段はヨットやボートを陸上に上げ下げするクレーンでナイチンゲールの木箱を吊ってもらうことになった。

 いく分弱まったとはいえ、風は相変わらず不規則に吹き荒れ、吊られた木箱はぐらぐらとまるで振り子のように揺れている。

 居並ぶ全員がハラハラしながら見守る中、クレーンオペレーターは揺れのタイミングを慎重に図る。

 お尻からバックで入渠してきた真っ白な大型クルーザーの後部甲板は木箱を下ろすぎりぎりのスペースしかなく、少しでもタイミングを誤ろうものなら船体か、ロケットか、あるいはその両方が大破する。

 木箱もクルーザーも不規則に大きく揺れる中、オペレーターは一瞬の隙を突いてさっとクレーンを降ろす。同時にまるで迎え入れるかのようにぐぐっと海面が持ち上がり、クルーザーの甲板と木箱の底がまるで臆病なキスのように微かに触れあった。

「今だ!」

 待ち構えていた男子学生がキャビンから飛び出し、クレーンのフックから一瞬の早業でワイヤーが切り離された。

 まるで魔法を見ているようだった。

 そのまま、木箱は物音一つ立てずクルーザーの甲板に収まった。

「よーし、君達も来なさい!」

 操舵室の窓から森川教授が大声でどなる。

 手すりもなく、ぐらぐら揺れる渡し板の上を、森川研のメンバーは大荷物を抱えて次々とネコのように渡っていく。

 一方私はというと、念のためにと腰に結ばれたロープで、一気に引っ張り込まれるように渡らされた。まるでリードで引かれる犬のようだ。

 情けないけどしようがない。あまりの慌ただしさに怖いと思う暇すらなかった。それどころか、マリーナのスタッフに手を振って礼を言うこともできなかった。

 私の乗船を最後に、クルーザーはバスドラムのように下腹に響くエンジン音を響かせながら結構なスピードで港の出口に向かって動き始めた。

「では学生諸君はロケットを甲板に固定。必ず安全帯とライフベストを装着して作業すること。いいね!」

「はい!」

 ビシビシと氷のように冷たく痛い雨粒に打たれながら、それでも森川研の先輩たちはまったくひるむ様子を見せない。

 全員が素早くオレンジ色のヘルメットを装着すると、レインコートの上から腰紐付きの安全帯と救命胴衣をいかにも慣れた様子で着用し始めた。

「あの、いつもこんな感じなんですか?」

 すっかりかじかんで感覚のなくなった手で救命胴衣を装着しながら、私は大声で三回生の男子学生に尋ねた。

 強風で飛ばされて声が届かなかったかと思ったけど、どうやら質問の意味は通じたみたいだ。彼は苦笑いしながら頷いた。

「さすがにこの大きさは初めてですけど、僕らの機体も毎回こうやって運んでますからね。もう慣れました!」

 甲板には等間隔に何箇所もネジ穴が埋め込まれてあった。みんなはそこに虫眼鏡のような形の金具の柄の部分をくるくるとねじ込むと、輪っかになっている部分にはステンレス製のずっしりと重いカラビナを掛ける。さらに太さが二センチ近くもあるワイヤーロープを木箱の両側に交互に投げ渡しながら手早くカラビナに通し、あっという間に木箱を甲板に縛り付けた。その上に分厚い防水シートをかぶせ、隅に取り付けられているゴムのロープを手すり部分にあるフックに引っ掛ける。

 ここまでわずか数分の早業だった。

「よし、これで船が転覆したって大丈夫だ」

 激しい雨を日に焼けた顔に受けながら、いつの間にか背後に立っていた森川教授はにっこりと白い歯を見せた。

「転覆したらその時点でダメじゃないですか!」

 教授はそれには答えず、ただいたずらっぽい目つきで私の背中をポンと叩くと、先に立ってキャビンに誘った。

「いやー参った参った、覚悟はしてたけどとんでもない雨だね」

 そのまま、ほのかに潮の香りのするバスタオルをバサリと頭にかぶせられる。

「君が船に弱いのは中村君から聞いてる。鎮静剤をあげるから、それを飲んで少し休んでいなさい」

「ええ、でも……」

「遠慮しなくていい。今は頭数が足りてるし、君には陸に上がってから存分に働いてもらうから」

 そのままポンポンと頭を撫でられる。

「島影を抜けると相当揺れるから。早く薬飲んで下のキャビンに下がりなさい。私も操縦を交代しないと」

 そこまで言われて意地を張るのも逆に迷惑かと思い、私は渋々頷くと渡されたコップの水で薬を飲み干した。

「じゃあ、また後で」

 教授はさっと片手をあげて奥の操舵室に立ち去った。

 しばらくその場でボーッとたたずんでいたけど、朝食をほとんど食べていなかったせいか、あるいは船内の暖房せいか、ほんの数分で頭がクラクラと揺れ始めた。

 私は慌ててあてがわれた船室に入ると、私は救命胴衣やレインコートに加えて冷たく濡れた服まですっぽり脱ぎ捨て、ほとんど滑り込むようにベッドに飛び込んだ。


「……さん。天野ちゃん」

 誰かが身体を揺すっている。

「天野ちゃん、熱海港だよ。起きて!」

「ふぇ?」

 固く張り付いたまぶたを引き剥がすように無理矢理目を開けると、そこにいたのは森川研の紅一点、佐々木さんだった。

「あれ、佐々木先輩。乗ってましたっけ」

 確か、大島組の学生達の中に佐々木さんの姿はなかったように思う。

「こっちから乗り込んだの。それより早く下船して。トラックが待ってる!」

「トラックぅ?」

 私はかなり怪訝な顔をしていたと思う。

 とにかくナイチンゲールを本土に戻すことに必死で、こっちに戻ってからのことは何も考えていなかった。

 そもそもなぜ熱海に入港しているのかすらちゃんと理解してない。

 まだ半分ぼんやりした頭のまま、促されるままにもたもたと服を着て甲板に出てみると、岸壁には十一トンのアルミカーゴトラックが横付けされていた。サイドウイングがパッカリ開き、フォークリフトが今まさに木箱を積み込んだところ。

「え、なになに?」

 私は慌てて船を下りると、トラックのそばで積み込みを見守っていた中村君に駆け寄った。

「中村君!」

「ああ」

 さっと振り向いた中村君は、私の姿を見ていかにもほっとした表情を浮かべる。

「ナツさん、なんともないですか? 相当揺れましたから心配していました。外から呼んでも全然起きてこないし……」

「え? ごめん、全然気付かなかったよ」

 どうやら、森川教授に飲まされたのはかなり強力な薬だったらしく、ベッドに倒れ込んだ瞬間からまったく記憶にない。おかげで船酔いせずに済んだのは助かったけど、いまだに状況がちゃんと把握できていない。

「ねえ、どうなってるの?」

 尋ねたところでちょうどトラックのウイングが降ろされ、横腹に大きく描かれたロゴが目に入った。

「え、AZUMI! これ、安曇のトラックなの?」

 私のぼんやりとした思惑では、本土に戻ったら神阪さんに相談して、安曇窯業が山梨や長野に持っているという採土場跡地を貸してもらうつもりだった。

「どうやら森川教授が神阪さんと打ち合わせ済みだったみたいです。森川研のメンバーが熱海駅前でレンタカーを手配するそうですので、我々も……」

「ねえ、どこに行くの?」

「まだ聞いてません。安曇窯業さんのどこかの工場か、鉱山跡地か、多分そんな所だと思いますが……」

 どうやら、中村君も持っている情報は私とそれほど変わらないらしい。

「ねえ、ロケット研のみんなには?」

「さっき由里子さんに電話しました。真弓先生が車を手配して、当初の予定通り、打ち上げ前日には現地に入れるように手配してもらうそうです」

「良かった……」

「よー! ロケットの姉ちゃん、何だったら乗ってくかい?」

 会話を遮るようにトラックの運転手が声をかけてきた。思いがけない申し出に一瞬戸惑ったけど、私としてもなるべくナイチンゲールと離れたくない。

「あ、はい! お願いします!」

 私は大きく頷いた。


---To be continued---

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