第二十話 文化祭
『ナツ、こっちは最後の曲が始まったわ。準備はどう?』
ザッというノイズに続き、トランシーバーから由里子の声が響く。
「こちら奈津希、準備はOK」
私は左腕に握りしめたトランシーバーを口元に持ってくるとそれだけ答え、ついでに左手首のGショックに目を落とす。打ち合わせ通り。事前のリハーサルと三秒とずれていない。さすがは宮前先輩だ。
グラウンドのステージでは、観客の興奮とどよめきが次第に高まっていることだろう。でも、残念だけど、発射場所に指定されたここにまでその熱気は届かない。
水を抜かれたプールの中央。私は三つ並んだ発射台を改めてチェックすると、はしごからプールサイドによじ登った。
安全確保のため、ここを中心に半径五十メートル以内に人影はない。物理技術部に所属する設営スタッフはすでに待避を終え、無人のプールサイドでは記録用に何台ものビデオカメラがそれぞれのアングルで被写体を狙っているばかりだ。
『間もなく一号発射、安全確認よろし?』
「上空飛行物体なし、地上よし。準備OK」
答えながら、私はPVの撮影映えを最優先して作られた派手でゴツい発射装置を持ち上げた。鉄アレイかと呆れるほどの重さには毎度閉口するけど、とにかく頑丈だし、わざわざ作り直してもらうのも面倒なので結局そのまま使っている。
素早くカバーを起こして安全装置を解除。注意喚起のためのブザーがうるさく鳴り続けるがここは当然無視して、発射ボタンに指をかける。ステージ後方の超大型スクリーンで上映されているPVでも、同じ発射装置がアップで映し出されているはずだ。
『秒読みいくわ、五秒前、三、二、一、発射!』
シュゴッという鋭い発射音と共にN-Ⅲ型、1号機がオレンジ色のまばゆい炎を吹き出しながら天を突いた。噴射された煙が周囲にたゆたい、まるで雲のようにプール全体を覆い隠す。さっきまで微かにしか聞こえていなかったどよめきが今度こそ大きく学校中に轟き渡った。
『タイミングは今のでバッチリ、受けてるわよ!』
由里子が笑い声混じりにそう報告してくる。彼女が言っているのはまるでPVの画面を飛び出すようにスクリーンの裏側から打ち上げられたN-Ⅲのこと。おまけに言うと、今画面上では背中を向けて仁王立ちする私の姿が映し出されているはずだ。
『続いて二号、安全確認よろしく』
「了解、上空よし、地上よし、スタンバイ!」
私は火照る頬を左の手のひらで撫でると両手で発射装置を持ち直す。さすがに、PVの撮影開始から完成まで、合計三十数発のN-Ⅱ改を打ち上げた今となっては、打ち上げのたびにいちいち興奮することもなくなってきた。
だが、D型エンジンを搭載してさらに一回り大きくなったNーⅢ型は迫力が段違いで、判っていても思わず身震いがする。
『秒読み…五、四、三、二、一、発射!』
シュゴッ!
二号機も無事に発射。まるで温泉地のような硫黄臭い煙がさらに濃くあたりを覆う。
『OK、じゃあ、ラストよろしく!』
「確認OK!」
『秒読み、四、三、二、一、GO!』
発射と共に、内部に小型のサイレン笛を仕込んだ三号機はキーンというまるでジェットエンジンのような鋭い音を響かせながら上空に舞い上がった。轟き渡る超高音は、周囲の民家の団らんさえも邪魔したに違いない。だが、続いて沸き起こったウオオッ!という歓声の方がさらに数倍大きく、夕闇が迫る空に響き渡った。
「まあ、文化祭のフィナーレだしね。文句言う人もまあいないでしょ」
私は舌を出して用の済んだ発射装置を脇のフォールディングチェアに落とす。
『ナツ、あんたやったわね! …まあ、盛り上がったからいいか』
この仕込みは誰にも言ってなかったので向こうでもかなり驚いたらしい。私なりの宮前先輩への感謝の印だ。
これで今回の依頼は全部終了。あの日以来、授業とバイト以外のすべての時間をPV撮影と撮影用のロケット作りに注いできたかいがあったというものだ。おかげで私は三十数発のモデルロケット制作、打ち上げの実績と、特注のめちゃくちゃ頑丈な発射台や発射装置のような打ち上げインフラをただで手に入れることができた。そして、宮前先輩のバント”Терешко́ва《テレシコワ》”も、受験に向けて有終の美を飾ることができた、はずだ。多分。
『天野発射管制官、こちら回収班、Nー3型全機の回収を完了、これより部室に帰投します』
ノリのいい一年の男子部員が妙な役職で私を呼び出し、嬉しい報告をくれる。
「お疲れ様、副部長から後夜祭食べ放題チケットが人数分支給されます」
無線の向こうで歓声がはじける。
天文地学部の一年生チームも、由里子の号令で回収係を強要され、空を見ながらロケットの軌跡を追って走り回っていたはずだ。本当にありがたい。
一方で、私がいくら考えてもいまだに判らないのは、あのぬりかべ先輩が何を考えて今回の依頼を持ち込んできたのかという点だった。
確かに、”ロケットガール”は動画投稿サイトでの評判もかなりよかったらしい。あの緑色の超有名ボーカロイドが歌うバージョンで人気に火が付き、今回のPV映像を乗せたバージョンも私の想像を遥かに超えた猛烈な勢いで再生数を伸ばしている。
驚いた事に、地元にフランチャイズ本部を構える学習塾チェーンがCMに使いたいという話さえ舞い込んでいるらしいけど、それは棚からぼた餅みたいな話。元々はこの曲でPVを作る話じゃなかったし、あの計算高い元生徒会長が動くきっかけとは考えにくい。
そんなことを考えながらぼんやり暮れなずむ空を眺めていた私は、不意に背後に迫る巨大な人影に、心臓が口から飛び出るくらい驚いた。
「わっ! ぬり…真壁先輩! 驚かせないで下さい。はずみでプールに落っこちたらどうすんですかっ!」
「…天野奈津希、前々から思っていたが、もしかしたら内心で俺のことをぬりかべと呼んではいないか?」
「めっ! 滅相もない。誤解です誤解です!」
私は目の前で慌てて手を振る。
「…疑わしいが、まあ、いい。とりあえず礼を言っておきたくてな」
フッと表情を和らげながら真壁先輩は右手を差し出した。
「君のおかげで私の代で文化祭に刻まれた汚点を一つ払拭することができたよ」
「はい?」
話がいきなり変な方向に転がって困惑する。
「吉田先生から演劇部の事故の話、聞いたことはないか?」
「ええと、確か火気の使用が大幅に制限されたきっかけが何とか…」
「そうだ、演劇部の無計画な火気使用が教師サイドのいらぬ警戒を生むきっかけになった。ちょうど俺が生徒会に入った年に起きた出来事で、それ以来、喉に刺さったトゲのようにずっと気になっていたんだ」
「そういうものなんですか?」
「天野奈津希、君はうちの学校をどう思う? 公立校にしては極めて自由闊達な校風、これは一朝一夕に得られたものじゃないぞ」
「まあ、私なんかに平気でロケット打たせるくらいですからね」
「これは最初から我々に与えられた訳じゃない。歴代の生徒会が慎重に慎重を重ねて少しずつ勝ち取ってきた自由なんだ。それが、あの事故をきっかけに大幅に制限された。直接許可を担当していた人間として、内心忸怩たる思いだったよ」
「でも、それが私とどういう関係が?」
「今回の打ち上げが再検討のテストケースだったんだ。君には絶対に知らせないことが教師側の条件だったから話さなかったが、知識の乏しい生徒による明らかに危険な火気の使用を、生徒会がどうコントロールするかが問われたんだ」
「うゎ、もしかして私、危険物扱いだったんですか?」
「まあな」
真壁先輩はそう言って薄く笑う。
「PVの制作時期も含めれば、君が期間中に消費した火薬の総量は優に一キロに迫る。花火職人でもない限り、普通は大人でも一生縁のない数字だ。だが、最後まで一切事故らしい事故が起きなかった上、PVの出来もさっきの演出も極めて評価が高かった」
「あー、だから生徒会全面協力だったのか」
私はようやく納得した。今回の打ち上げについても、D型エンジンの購入にあたってはなんと県知事に許可が必要だった。その申請を裏書きしてくれたのが生徒会や校長だったのだ。
まあそういうことだ。と真壁先輩は頷いた。
「おかげで、来年の文化祭から火気については一切の制限がなくなった。多分、君がこれからやろうとしていることについてもかなり有利になったことと思う。もちろん今後も生徒会には全面協力を約束させる」
なんだか、便宜をはかるついでにうまく利用されたような気がしないでもないけど。
「それと、君に礼を言いたいことがもうひとつある」
真壁先輩は居ずまいを正すと、わずかに顔を赤らめながら続ける。
「宮前のことだ」
「宮前先輩?」
その言葉に合わせて、これまで真壁先輩の背後に隠れていた宮前先輩がすいっと私の前に姿を見せた。
「うわ、先輩! バンドのみんなと一緒に居なくていいんですか?」
確か、例の学習塾チェーンの広報担当者がわざわざ演奏を見学に来るとか言っていたような気がする。
「ちょっと、だけ、抜け出した。直接、お礼が、言いたくて」
先輩はそう言って真壁先輩のとなりに立つと、小さな頭をぴょこんと下げる。
「いや、あの、お礼を言いたいのはむしろこっちの方で」
恐縮して頭を下げようとする私を押しとどめるように私の肩に手を置くと
「…そうじゃ、ない」
彼女はそのまましばらく沈黙すると、ぽつり、ぽつりと、まるで言葉を探すように話し始める。
「私、自信を、なくしていた」
「ええ?」
「こんな、性格。それに、唯一、人並みの、歌も、全然、評価されなくて」
そんなものだろうか。私には十分常人離れした才能に感じられるのだけど。
「確かに、こいつが作る曲がどんどん後ろ向きになっているのは俺も感じていた。三年になって、いよいよ受験も迫ってくるし、音楽を取るのか、進学を取るのか、選択を迫られていた。これが最後のチャンスだったんだ」
「それなのに、あんな、お葬式のような…」
「あああ、すいません! 私がボロクソに言っちゃったせいですよね。本当にあの時はごめんな…」
「違う!」
ビックリした。
宮前先輩がこんなに力強く言葉を発するのは、歌っているときを別にすれば初対面以来のような気がする。
「ナツキ、あなたが私に勇気をくれた。前を向く力をくれた。あの言葉、今でも頭の中に響いている」
私の肩に乗せられた両手に力がこもる。
「ナツキは言った。私のロケットは、いつも前にしか、上にしか飛ばないんだって。私はあれで目が覚めた。頭を殴られたような衝撃だった」
私は赤面した。あんなに魅力的でクールな詩を書ける人が、私の口走った戯言をこんなに評価してくれるなんて。
恥ずかしさを通り越していっそ逃げ出したくなる。でも、宮前先輩の細い両腕が私の肩をガッチリ捕らえて放さない。
「ありがとう。本当にありがとう!」
そのまま飛びつくように抱きつかれた。
うわあ、どうしようとわたわたあたりを見回した私は、真壁先輩がそんな宮前先輩に向かって慈愛のような微笑みを浮かべているのに気付いてなぜか逆に腹が据わる。
そうだ、ちゃんとお礼を言わないと。
「わたしも…私のこんな変なこだわり、誰も理解してくれっこないと思ってました。だから」
宮前先輩の背中をトントンと撫でるように叩き、顔を起こした宮前先輩の目を見ながら、心を込めて言う。
「理解してくれて、応援してくれて、本当にありがとうございます」
そのまま、彼女の薄いせなかをぎゅっと抱きしめた。
「あ、ええ、おほん!」
わざとらしい咳払いでふと我に返った。
「あー、絶賛感動中のところ悪いが、二人ともそろそろ行かないと」
あ、そうだ、宮前先輩には大事なお客さんが。慌ててパッと抱擁を解き、しがみついてくる先輩の身体をむりやり引き離す。
「先輩、夢への第一歩が待ってますよ」
不安を浮かべ、うっすらと涙ぐんでいるその表情は、同性の目から見てもドキッとするほど可憐に見える。
でも、宮前先輩はステージの上の彼女がまさにそうであるように、自信に満ちた勝ち気な笑顔がやっぱり一番よく似合う。
「行ってらっしゃい」
私は小さく首をかしげ、バイバイというように手を振ってみせた。
「おい、何を他人事みたいに。天野奈津希、君もだ」
「え? へ?」
すいません、何も聞いてないんですけど?
---To be continued---




