第十六話 ミーティング
朝になってようやく面会できた父はあっけらかんとしていて、こっちが逆に拍子抜けするほどだった。
「いや、しばらく前から時々痛みはあったんだよ」
だったらせめて精密検査ぐらい受ければいいのにと思うけど、忙しさにかまけて放置していたのだと言う。
父の胆石はどうやら十年ものらしく、毎年の健康診断で再三再検査を勧められていたのだと聞いてあきれ果てる。
「今父さんに何かあったら、私一人になっちゃうんだよ」
昨日の走とのやり取りもあり、なんとなく物寂しい気持ちのままため息交じりにそう漏らした私の顔を、父は穴が開くほど見つめた後、ふと思いついたように言う。
「なあ、だったら、奈津希もこっちで暮らさないか?」
「何言ってるの、家だって向こうにあるし…」
「多分、今回の転勤は長引くと思う。下手すればこっちで定年までという可能性もある。家は売ったって人に貸したっていいし、お前の成績ならこっちの学校に転入するのもまったく不可能という訳じゃじゃないだろう?」
さあ、どうだろうか?
私が今の高校を選んだ基準は成績ではなく、第一に家に近いこと、第二は単純に走が志望したからだった。
当時、私と彼には結構な成績差があってそれなりに苦労はしたけれど、私達の関係をよく知る先生の恩情で推薦ももらえたし、入学が絶望的という訳でもなかった。
それに、私の通う高校は地元ではそこそこの進学校という位置づけだけど、それで神戸のレベルに太刀打ちできるかどうかは判らない。土地柄も上流階級っぽいイメージがあるし。いや、よく知らないけど。
「やだよ。今さら人間関係をゼロから再構築なんて面倒だし、やりたいこともあるし…」
そう返しながらも、胸の奥に一抹の罪悪感がないわけでもなかった。
ホテルの硬く冷たいシーツにどうしても馴染めず、結局昨夜はほとんど眠れなかった。少しでも眠ろうとさんざごろごろ寝返りを打った挙げ句、あきらめて暇つぶしに色々検索した情報の中には父の病気の原因もあった。
最近増えているコレステロール性胆石の場合、脂っこい食事がその原因になるらしい。私が自炊の手間を放棄して走ママに頼ったせいで、一人放置された形になった父は離婚以来ずっと外食が続いていた。小学生の頃ならともかく、中学、高校にもなって今まで一瞬たりとも手作りの夕食を考えなかった私にもきっと責任の一端がある。
とりあえず、今後は何かあればすぐに病院に行くことを約束させて、細々とした手続きをこなして病院を出たのはもう昼近い時間だった。
帰りの新幹線でようやく少しだけ眠れたけど、さすがに地下鉄、バスと乗り継いで学校に着く頃には寝不足と移動の疲れでぐったりだった。
それでも部室には顔くらいは出しておこうかと思う。大遅刻は確定だけど、何の連絡もせずミーティングをサボった詫びぐらいはしておきたい。
とはいえ、気が進まないことには変わりがない。のろのろと階段を上り詰めると、特別教室棟の二階はしんと静まりかえっていて、すでに人気がなかった。
「ああ、もう終わっちゃったか」
いくぶんホッとしながら地学準備室の扉を開く。だが、まるで待ち構えていたような予想外の鋭い視線に射すくめられてギョッとする。
「あ…」
由里子がいるのは、まあ、わかる。なんたって部室の主だし。でも、このぬりかべとちっちゃいのはなぜここにいるのだ?
「天野奈津希、待ちくたびれたぞ」
体だけでなく態度も微妙にでかい元生徒会長が口火を切る。
「ご、ごめんなさい。ちょっと非常事態が…」
反射的に頭を下げながらあれっと思う。そもそもこのミーティングを招集したのは部長のトモヒロだし、百歩譲って副部長の由里子に叱られるのはまあ、判る。でもなんで勝手に待っていた部外者にいきなり叱られなきゃならないんだろう?
「でも、あれ、ぬりか…真壁先輩はなぜここに? この前の話はてっきりなくなったものだとばかり…」
「ナツ、確かにあれは私の配慮が足りなかったわ。ごめんなさい」
「ちょ、え?」
今日は立て続けに意外なことばかり起こる。あのプライドの高い由里子が殊勝にも頭を下げてきた。
「それに大変だったわね。お父様が入院ですって? 独身に聞いたわ」
「あ、まあ、それはなんとか…」
助かった。どうやら遅刻の件は真弓先生がとりなしてくれていたらしい。
「だから、もしかしたら今日は来ないかもって話したんだけど、先輩方が“天野奈津希に会うまで帰らない”っておっしゃるものだから…」
言い訳しながらぬりかべと猫っ毛茶髪のちみっこを手のひらで指し示す。ちみっこの方は間違いなく昨日、私に体当たりしてきたあの娘だ。
よく見れば彼女は地下鉄で一駅離れた丘の上にある中高一貫の名門女子校の制服をまとっている。どう見ても中学生にしか見えないが、由里子が微妙に敬語なのが余計に怖い。
「天野奈津希、こいつの曲は聴いてくれただろうか?」
真壁先輩の問いに私は小さくため息をついた。
「はい。聴かせて頂きました。あれは…」
「…実は、この前の交渉の様子を撮影せてもらって、あの後すぐにこいつに見せた」
真壁先輩が言いにくそうに口を挟む。
「え゛ーっ?」
私は赤面した。
先輩がごそごそやっていたのは私を盗撮するためだったのか! 支離滅裂なセリフを吐く私の半泣き顔を? なんてことをするんだこの人は。
「酷いです! あんなみっともない顔を! 肖像権の侵害です! すぐに消してください!」
だが、慌てふためいて真壁先輩に飛びかからんとする私の注意を引くように急に立ち上がった彼女は、背筋をピンと伸ばして私の目を見つめると、無言のまま深々と頭を下げた。
「こいつはサレジオ学園高等部三年、宮前翼。俺とは中学時代の同級だ」
すかさず真壁先輩のフォローが入る。いや、今はそういう話ではないのだけど。そう睨みつける私の視線を誤解したのか、
「悪いな、こいつ、極度の人見知りで。初対面の人間とはうまく話ができないんだ」
肯定するように無言でブンブンと首を振る彼女。確かに、その顔は私に負けないほどに真っ赤だ。加えて目の下の隈は昨日に輪をかけてひどい。
でも、昨日とはキャラが違いすぎる気がする。確かもっと高圧的で、一方的だったような。
「…最初から、決まったセリフなら、しゃべれる。でも、会話が、難しい。反応が、できない」
彼女は必死でどうにか絞り出したという感じでそれだけ言うと、そのまま俯いてしまった。
「こいつ、絶対誤解されたって凹みまくっていたんだ。だから無理矢理引きずってきた」
俯いたまま小さく頷いた彼女は、そのまま力尽きたという風に真壁先輩のとなりにぺたんと座り込んでしまう。
「昨日は、悪かった」
蚊の鳴くような声でそう詫びられ、私は思わず目を見開いた。
「本当はさりげなく声をかけるつもりだったんだそうだ。だが、思わぬアクシデントでお前に思い切り体当たりをかけてしまったと聞いた」
まあ、確かに。ぶち当たっておいてあのセリフだったから、一体何様だと思ったのは確かだ。その上脱兎のごとく逃げられて私も地味に傷ついた。
でも、真壁先輩と同級ってことは…。
「って、私より年上ぇ?!」
思わず発した声が裏返る。その声に一瞬だけ反応し、すぐにまた伏せられた表情を恐る恐る覗き込むと、傷ついたような目つきでじとっとにらまれた。
「すいません! あんまり予想外だったもので…」
言い訳のつもりで墓穴を掘った。
余計な一言で宮前先輩は顔をさらにそむけ、赤い顔のままぷくっと膨れた。でも、そんな子供っぽい仕草の方がむしろ見た目にマッチしていて思わず和む。
「実は、あの実験のビデオも含めて宮前に見せたんだ。そうしたらこいつ、いきなり目の色を変えてたった一晩であの曲を仕上げてきた。お前の映像を見てインスピレーションが湧いたんだと」
真壁先輩の説明に私はあらためて驚嘆した。
音楽の才能はさっぱりの私でも、バンド構成各楽器のパート譜をDTMソフトに打ち込み、加えて自分の歌声をミキシングして曲を仕上げる手間だけでもそれなりのものだというのは簡単に予想できる。作曲と作詞の手間がそこに加わるなら、目の下のひどい隈もなるほど納得できる。
「…できれば、感想を、聞きたい」
俯いたまま、宮前先輩はおずおずと切り出した。
「…確かに、以前の曲は、お前には似合わない。私なりに、考えて、ああいう物を作ってみた、けど…」
この人は…。
歌声はあんなに伸びやかで力強く自信に満ちあふれているのに、なんと自信なさげに問うのだろう。
私は彼女の目を見つめ返して小さく笑みを返す。
「実は、曲を聴いてジンと来ちゃって…」
あの歌を聴いた瞬間、私の全身に鳥肌が立った。
私自身うまく説明できないでいる感情をはっきりと言葉で表現されて、泣きそうなほど感動した。
「これは、私だ。聴いた瞬間にそう思いました。嬉しかったです」
そう。嬉しかったのだ。
つい最近まで、私は自分の気持ちをわざわざ言葉にしなくても察してくれる親や幼なじみと、なんの前触れもなくこんな形で引き離されると思ったことはなかった。
柔らかな羽毛布団にくるまれたような居心地の良い関係を突然失い、いきなり丸裸にされたような不安な気持ちで、ここ数週間、すがる物を必死に探していたように思う。
ようやく見つけたそれは、走の夢でもあるロケット。
きっと他人には意味不明なこだわりだろうと自分でも思っていたのに、そんな胸の中のモヤモヤをこれほど深く理解してくれる人に出会えるなんて。
でも、私の返事を聞いて、宮前先輩は誰が見てもはっきり判るほどほっとした様子で胸に手を当てた。
「…ありがとう。評価、してくれて」
ようやく少しだけ和らいだ笑顔を見せる宮前先輩を見て、彼女もきっと同じなんだと気付いた。
さすがに眠気と疲労には逆らえず、その日、結局ガッティーナでのバイトは休ませてもらうことになった。
就業時間ギリギリの連絡で絶対に叱られると思っていたけど、ここにも真弓先生の気配りは届いていたようで、「落ち着くまで何日でも休んでいいから」と逆に気を遣われてかえって恐縮する。
「いえ、明日からは絶対行きます」
どうにか空元気で宣言し、電話を切った私はソファにへたり込んでぼんやりと天井を見上げる。
結局、私は真壁先輩の求めに応じてPVへの出演と天文地学部としてのモデルロケット打ち上げに同意した。
喜んだ真壁先輩の動きは素早く、その場で無資格でも打ち上げられるA型ロケットエンジンが発注され、私は求められるままにライセンス申請書にサインさせられた。
明日にはエンジンが届き、その日のうちに全三回の打ち上げを済ませた時点ですぐに上位ライセンスの申請をするのだという。
その後は被服研に連れて行かれ、身体のサイズを測られた。
撮影用に架空の高校があり、そこに通う生徒という設定でわざわざオリジナルの制服まで用意していると言う。明日の打ち上げも素材として撮影するらしく、私は真壁先輩が私を待つ間に手書きで書いた簡単な台本を手渡され、明日までに動きを飲み込んでくるように言われた。
「あ、それから、今後はロケット花火で遊ぶのはなし。勝手に改造して飛ばすのは法律違反だからね」
マネージャーよろしく被服研まで付き従ってきた由里子に釘を刺されて少し凹む。どれだけ物を知らずに思いつきで動いていたかを思い知らされたからだ。
結局、ようやく一連の作業から解放されて家に着いたときはもう五時を回っていた。
私が走と交わしたささいな口げんかを発端に周りを巻き込む渦が生まれ、今度は私がその渦に巻き込まれる形になってどんどん事が大きくなる。この渦はどこまで大きくなって私は最後にどこにたどり着くんだろう?
後悔はしていない。私はロケットを飛ばす。
それがたとえ走の思い描く“宇宙へ届く機械”には遠く及ばないとしても。
知識も経験も皆無の私にとって、今はこれが精一杯だ。でも、一歩を踏み出す勇気がきっと何かを変える。宇宙にだってきっと届く。
---To be continued---




