第十一話 目撃者
「来たわね、待ってたわよ」
私が図書室に足を踏み入れると、まるで待ち構えていたように深沢先生が声をかけてきた。
お盆が明けて部活動が再開したせいか、閲覧室を利用している生徒の姿は前回とは桁違いに多い。ただ、それでも六人掛けのすべての机が埋まっているほどではなく、それぞれの机を利用しているのもせいぜい一人か二人といった具合。夏休みの宿題を片付けているのか、それとも受験勉強か。抑制されたさざめきの中にもほのかな気迫が感じられる。
「あ、ありがとうございました。この前の本、とっても役に立ちました」
私は挨拶代わりに小声で礼を言いぺこりと頭を下げると、読み終わった二冊の本を差し出した。
「これ、返却します」
「もう読み終わった?」
反射的に手を出して受け取り、自分もパラパラと確かめるようにページを繰りながら聞かれる。
「はい。とりあえずざっと、ていう感じですけど」
「へえぇ」
深沢先生は目を細めると、私の頭のてっぺんからつま先まで、まるでレーザースキャンでもするように鋭く視線を走らせ、小さく頷いた。
「で、それ、どうしたの?」
やっぱり聞かれた。できるだけ地味な肌色のパッドに張り替えてはみたものの、大きさが大きさだけあってやはり目立つみたいだ。
「目立ちますか? ちょっとひっかいちゃって…」
「あらま、猫か何かかしら?」
確かに、私の言うことをまったく聞いてくれないところは猫にも似てる。Nー1の”N”はネコのNだったか。
「まあ、そんなようなものです」
「気をつけなさいね。せっかく整った顔なんだから…」
「いやあ、そんなことは…」
私は思わず傷のない方の頬をポリポリと掻く。容姿をほめられたのは生まれて初めてで何だか照れる。
「そんな事より先生、私に何かご用ですか?」
「ああ、そう、この前のレファレンスのおまけをちょっと…ね」
言いながらプリントアウトの束を手渡される。
印刷されているのは航空宇宙関連書籍のリスト。
ざっと見ただけでも、やたらに“製作”とか“設計”という文字が多い。
「先生、あの、これって…?」
「ああ、これね、星川君の貸出記録からなんとなく傾向が見えたから、私なりにちょこちょこっと一ひねりしてみたの。上から順に借りていくといいわ」
「あ、ありがとうございます。でも、なぜ?」
たいして面識もない一生徒をどうしてそこまで気にかけてもらえるのかが判らず、つい疑問調になる。すると、深沢先生は一層声を落とし、内緒話でもするかのように私の耳に顔を近づけた。
「あなた、もしかしたらロケット作りたいんでしょ?」
「え…」
驚いた。走がこれだけの本をいつの間にか読破していたことにも驚いたけど、何よりたったそれだけの情報から私の企みが見抜かれてしまった事にもう、声が出ないくらい驚いた。
あんぐりと口をあけたままの私がよほどおかしかったのか、深沢先生はいたずらっぽい表情を浮かべながら、
「あとは図書委員会の子たちからの情報がヒントになったわね」
そのままの表情でクスリと笑う。
「!」
背中に冷たい汗が流れる。もしかして、あの実験を誰かに見られでもしたのだろうか?
「あの、どうもありがとうございました。では、あの」
慌ててレファレンスの礼を言うと、早速本を探しますと言い訳して小走りでその場を離れた。
別にわざわざ隠すようなことでもないのかも知れないけど、Nー1の失敗はやっぱり恥ずかしい。
これが夏休み中で良かった。学期中にクラスに噂が広まりでもしようものなら、アブナイ女と思われて一発で居場所を失い…。
「…居場所をなくして…あ!」
そうか。
ロケットの事が本当に大好きで、私より何十倍も知識豊富なはずの走がどうして今の今までロケット作りを躊躇していたのか、ようやくその理由らしきものに思い至った。
彼は多分、私のことを気遣ってくれていたんだ。
走が突飛なことを始めて学校で噂になると、中には色々言う人が出てくる。下手をすると、彼と親しい私にもその火の粉が降りかかるかも知れない。
そう、彼が本当に恐れていたのは自分の知識不足でも失敗することでもなく、”私が”学校に居づらくなることだったんだ。
不意に息苦しくなり、目の前の柱に手をついて大きく深呼吸をする。
(そんなことのために…)
大好きな夢を諦めようとするなんて…。
「私、友達失格だ」
私は俯いて唇をかんだ。気付かずにひどいことを口走った覚えが確かにある。
私がしがみついていたせいで、走が自由に大空を羽ばたけなかったのだとしたら…。
「…そんなの、単なる足かせ…厄介なお荷物そのものじゃない」
「…い、おい、聞いているのか?」
「ひっ!」
突然肩を叩かれ、変な声が出た。
慌てて振り返ると、そこには、見知らぬ大柄な男子生徒が私の視界を一杯に立ちはだかっていた。
「誰?」
思わず後ずさりしようとして、背後の柱に背中がどんとぶつかる。退路を塞がれ覚悟を決めて恐る恐る見上げると、襟章は3年生。たしか理系専科のもの。ただ、少なくとも私にはまったく見覚えがない。
「お前、IIー4の天野奈津希だな?」
「そ、そうですけど…」
ところがどっこい、向こうは私を知っているらしい。
「ちょっと聞くが、お前、おととい鷹見川の河原で…」
グビリと喉が鳴るのが自分でもわかる。額にすっと冷や汗が流れる。
「知りません! すいません、人違いです!」
私はそう言い捨てると一目散にその場を逃げ出した。
図書館棟の裏手からグラウンドをぐるりと大きく迂回して体育系部室長屋の裏を走り抜け、教室棟の外階段から特別教室棟の二階まで一気に駆け上がる。するとそこは東側のどんづまり。生物教室と地学教室がある。私達天文地学部の部室でもある地学準備室は地学教室の一つ手前だ。
でも、学校の敷地をほとんど半周してようやくそこまでたどり着いたところで私は躊躇していた。
半ば部室に住み着いているとしか思えない由里子に、ボロっカスに罵倒されたのはほんの一昨日のこと。どうにも顔が合わせづらい。
とはいえ、このまま廊下でうかうかしていたら、いつさっきの大男に見つかるか判らない。前門の虎、後門の狼とはこのことだ。
覚悟を決めて細く扉を開き、中の様子を伺うとなんとなく薄暗い。カーテンが引かれているらしい。どうやら主は留守のようだ。
「よかった」
ホッと安堵のため息をつき、扉を大きく開け放って勢いよく踏み込むと、予想に反してそこには先客がいた。
「おー、待ってたよ」
由里子もいた。当たり前だ。鍵が開いているのだから当然中には人がいる。そんな簡単な事実に思い至らなかった自分を恥じる。
反射的に回れ右をしようとして、ふと机の上で光を放っている物体に気付く。プロジェクターだ。ということは?
「だーっ、由里子! 何を!」
「いいからあんたも見なさい。第三者の目線で失敗の原因を振り返るのは技術開発の基本よ」
指さす先にはひょろひょろと妙な奇跡を描くクラスターロケット花火から逃げ惑う私の姿が。
「やめてー! 恥ずかしいから止めて」
私の悲鳴は無視される。ほどなく、パンと激しい炸裂音がして画面が白煙に覆われ、次いでガチャンと三脚の倒れる音がして抜けるような青空が映ったところでビデオは終わった。
「やー、何度見ても笑えるわ、これ」
あのクールな由里子が目尻に涙を浮かべて笑い転げている。そして、その向かいでこちらに背中を向けている男子生徒がスクリーンを背中に振り返った。
「天野奈津希、遅かったな」
「ひっ!」
さっき確かにまいたはずの上級生の姿がそこにはあった。
---To be continued---




