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09 代表取締役社長

 あこがれ続けた菜苗と恋人になってから、二か月が過ぎた。宇宙展望台のような定番のデートスポットに行ったり、たがいの家にお邪魔したり、夜は濃密な時間を過ごしたり、仁史は、スキップでもしたいような浮かれた日々を送っていた。

 この前は仁史の家で、ひさびさにピアノの連弾をした。簡単な曲だったが、菜苗の音色はとてもロマンチックで色っぽかった。昔から彼女の気持ちは、音に出るのだ。

「うおーーーっ! 僕はなんて幸せなんだ!」

 仁史はいすから立ち上がって、さけんだ。同じ部屋にいる義則、トニオ、ヨンハ、アンジーは、もう仁史のおたけびに慣れたらしく、無反応だった。仁史は興奮さめやらず、窓から向かいの研究所に向かってさけんだ。

「今日もいい天気だー!」

「今日も楽しそうだな、仁史!」

 研究所の二階から、陽気なエンジニアたちの声が返ってくる。

「ここは、天然の溶岩トンネルを利用してつくられた地底都市。うっとうしい雨とは無縁さ」

 確かにそうだ、と仁史は笑う。月面都市の天井は、ただ白く明るいだけだ。夜になれば、都市全体が暗くなる。そんな無機質なものがいい天気と思えるほど、仁史は上機嫌だった。仁史の背後では、

「仁史さんが、どんどんトニオに似ていく」

 あきれた義則の声がする。

「さけびたい気持ちは分かるよ! 仁史はずっと片思いしていた女性を射とめたのだろ」

「トニオは何もなくても、さけんでいるじゃない」

 元気なトニオの声と、冷静なアンジーの声。仁史は振り返る。仁史を見て、ヨンハがにこにこと笑った。

「予約開始直後から無重力ピアノが三台も注文されたのだから、さけびたい気持ちは私も分かります」

 仁史は窓枠にもたれて、へらっと笑う。無重力ピアノの成功により、もうサポート課を変人のそうくつと言う人はいない。

「あんな値段なのに、よく売れたな」

 トニオが机にほおづえをついて、ひとごとのように口にする。

「君がそれを言うか」

 義則が片手で頭を抱える。それからまじめな顔になって、

「今、宇宙はバブルだからな。低価格低クオリティのものより、高価格の特別なものが売れやすい」

 義則の言葉に、仁史もうなずいた。

「それにアンジーの作ったウェブ広告もよかった。富裕層の特権意識をうまくくすぐり……」

 義則が話している途中で、部屋のドアがノックされた。もともと立っていた仁史が、すぐにドアに近寄る。

「Hello. サポート課に何のご用でしょうか?」

 仁史は愛想のいい笑顔で、ドアを開く。それから驚いて、両目を丸くした。

「おじさ……、宮部(みやべ)社長?」

 子どものときのくせで、おじさんと呼びそうになった。そこに立っていたのは、代表取締役社長の宮部(つとむ)だった。彼は五十代の男性で、仁史の父の友人のひとりだった。そして父の死後、仁史を閑職に追いやり、自分は社長の座におさまった。

 つまり仁史にとって、敵のようなものだ。が、仁史は彼を恨んでいなかった。逆に勉は、気まずそうな顔をしている。彼の背後には秘書の男が控えていて、心配そうに勉を見ている。

 部屋の中にいるトニオたちも状況に気づいて、警戒するように勉を見たり、心配げな視線を仁史に送ったりする。あたりはとたんに、嫌な雰囲気になった。仁史は全員を安心させるように、できるだけ明るい笑顔を作った。

「よかったら部屋の中へどうぞ。お茶を出します」

「いや、立ち話でいい。ちょっと寄っただけだから」

 勉は居心地悪そうに、サポート課の面々を見回した。それからぎこちなく笑う。

「無重力ピアノの成功、おめでとう。無重力ピアノは今、社内外で大変な評判となっている。知り合いのピアニストから、『さすがTSUBAKI』とほめられたよ」

 仁史たちはピアノの発売予約に先がけて、アムダリアリバー国際宇宙ステーションのコンサートホールにピアノを特別に売った。ホールではすでに、無重力ピアノを用いたコンサートが何度も開かれている。

 世界初の無重力対応アコースティックピアノは、予想以上に衆目を集めた。開発責任者であるトニオのもとには、音楽雑誌の記者などのマスコミが押しかけてきた。

「ありがとうございます。トニオとアンジーの異動や無重力ピアノの開発継続を、社長が認めてくださったからです」

 実際にはそれらの許可を出したのは、仁史の上司である開発部部長だ。しかし部長が許可を出せたのは、社長の勉が認めたからだ。

「君は変わらないな」

 勉は苦笑した。黒色の瞳が、昔のように優しく仁史を見つめている。

「今は、月対応アコースティックピアノの改良も手がけていると聞いた」

 仁史もほほ笑んだ。仁史が勉を嫌っていないように、彼もまた仁史を嫌っていないのだろう。

「はい。開発一課と合同で行っています。無重力ピアノの開発で得たノウハウが、月対応にもいかせると考えています」

 さらにピアノの改良には、菜苗を含めガルシアミュージックスクールのピアノ講師たちが協力している。仁史は、スクールの経営者と良好な関係を築いていた。

 菜苗たちは時間の空いたときに、TSUBAKIの研究所へ行き、開発中のピアノを弾く。そして、感想や要望を仁史たちに伝えるのだ。仁史は公私ともに、菜苗とべったりだった。美しい菜苗がそばにいるために、仁史には嫉妬の視線が突き刺さる。

 勉はひといき置いてから、しゃべった。

「私は、血縁者を会社の後継者に据えるのはよくないと考えている。生前、君のお父さんにもそう伝えた。が、彼は聞き入れなかった」

 勉は仁史と、仁史の背後にいる義則たちを静かに見つめる。

「君のお父さんがなくなったとき、君を新しい社長におす声は多かった。けれど私はそれらをつぶして、社長に就任した。そしてこれからも紛争の種になる君を、閑職に追いやった。私は、君が辞表を出すのを待っていた」

 けれど、と勉はうれしそうに笑う。

「私の期待は外れて、君は開発部の若きホープだ」

 手放しでほめられて、仁史は照れた。

「君は、君自身の力で上にいける。私はもう、君の道をふさがない。私のところまで、上がってきたまえ。ただし容易には、社長の座は渡さないぞ」

 勉はにっと笑い、仁史も笑った。

「はい。……いつか、きっと」

 仁史はこの会社が好きだ。楽器が好きだ。実際に入社して、その気持ちは強くなった。父が急死して、自分の置かれた状況が一変したが、それでも好きという気持ちは変わらなかった。

「今日はそれだけを伝えに来た。――あぁ、それと」

 勉は思い出したように言う。

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