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雪の桜

作者: 蓮杜清

雪の桜


序章


この世の中のどれだけの人が、人に対して、この人が死んでくれたら、と本気で願ったことがあるだろうか。


どれだけの人が、自分を殺すしかないほどに、人を愛したことがあるだろうか。


これは、私が、愛した男を殺した記憶である。


第一章 業


自分で人生を終える時期を決めてはいけないと、誰が決めたのだろう。恋愛も結婚も仕事も、その始まりも終わりも人は全て自分の意志で決めるのに、何故生きることだけは自分で決めてはいけないのだろう。


人間には個性がある。得意なことと不得意なことがある。


生きるのが苦手な人間もいる。生きるのが苦痛だという人間もいる。そんな人間が、なぜ生きることを終わりにしてはいけないのだろうか。それは生きることが得意な人間の、傲慢さと押し付けではないのか。人間は、綺麗ごとで自分を飾った悪意の無い悪意の塊だ。多くの人は、自分の悪意に気付かないまま、その一生を終える。


私は生きることが苦手だった。ずっと、生きることが苦痛だった。もし生きることを辞めることが出来たらどんなに楽だろうと、ずっと思い続けてきた。恵まれた環境で育ったとか複雑な環境に育ったとか、苦労したとかしないとか、そういった後天的なこと以前に、人には持って産まれた性質がある。先天的に、生きることに苦痛を伴う人種が存在する。弱さと言われればそうなのかもしれない。甘さと言われればそうなのかもしれない。自意識が強いと言われればそうなのかもしれない。でも、そういう人種は必死に生きている。懸命に自分自身と戦いながら生きている。その結果、壊れた事を何故責められるのだろうか。


私のその願望は、気持ちのバランスが保たれている時にはひっそりとなりを潜めている。まるで自分とは別世界の、ある限られた特殊な人種のみが保有する稀有な感情であるかのように。ところがそれは、思いもつかない何かが起因し、私の全てを支配してしまうほどの力を持つ黒い大きな幕となり、あっという間に私を飲み込んでしまう。そして飲み込まれてしまったらもう、その力が気まぐれにその拘束力を緩めるまでは、決して抗えずにもがき苦しむしかない。その呻きは法則性を持たず、突如として私を襲う。町中であれ仕事中であれ友人達と食事を楽しんでいるときであれ愛する人と愛を語り合っているときであれ、いつ何時であれ彼はかまわずに私を襲う。


周囲の人間が私のこんな願望を知ったらきっと驚くことだろう。贅沢な悩みだと笑止されるだろう。けれども私の人生には苦痛が伴ってきた。生きる意味を見出せないまま生きることが辛かった。何度も自分が間違っていると自分の願望を否定し、幸せそうな人を真似て生きる努力をした。私を覆う黒い幕は、そんな私の努力と共に年を追うごとに徐々に小さく薄くなり、あるいは私を支配する力を弱めていったかのように見えたが、完全にその存在が消える事はなかった。


年齢を重ねる毎に、私はそういう自分を不幸だと思うと共に、これ以上無いほどの誇りも持つようになっていった。何故なら至福の時は、苦悩の後にしか訪れないということを知ったからだ。苦悩する事が出来るものだけが至福の瞬間という褒美を得る事が出来る。苦悩が深ければ深いほど、後に得る至福は得がたいものとなる。


そのひとつが、激しい愛に身を焦がす事だと思っていた。そういう人間だけが、生と死に繋がる恋愛に身を焦がすことが出来るのだと私は思っていた。


生きることは苦痛を伴い、常に死への憧れを意識することである。

人を愛するということは、その苦痛を和らげ、幻覚を見せる麻薬でもある。

生きることに苦痛を感じる人間ほど、麻薬が必要だ。麻薬が無いと、辛すぎて生きることを続けられないから。

そして麻薬は、確実に身体を蝕む。


そんな刹那的な生き方から逃れることが出来ないと私が確信したのは、三十歳を迎えた頃だった。


「君が死んだら、君の肉を食べたい」


修一は雪の降る夜、私を抱きしめながら、そう言った。修一と出会ったのは私が三十歳の時だった。あの出会いからまだ一年半しか経っていない。


第二章 思い出


 捨てる神あれば拾う神あり。


今から一年半前、私は「拾う神」に感謝していた。


三年間付き合っていた恋人と別れた事で全てに対して無気力になり、ただ時の流れに身を任せ怠惰な日々を過ごしていた秋、私は叔母に呼び出された。叔母は父の年の離れた妹で、私にとっては姉のような存在だった。型にはまらない自由な生き方をする叔母は堅実で真面目な父とは反りが合わず、何かあると叔母にとっては義理の姉にあたる母の方を良き理解者として頼ってきていた。私と叔母は姉妹のように一緒に旅行に行ったり買い物に行ったりする仲だった。一人っ子の私にとって、叔母の存在は貴重なものだった。


「ちょっと相談があるから、今週中に店に寄ってくれる?」

叔母はそう電話で伝えてきた。叔母は小さな画廊を経営していた。画廊といっても、繁華街から少しはなれた一角に狭いスペースを借り、自分の作品や知人の作品を展示販売したり、仲間達の個展を開いたり、趣味で仕入れた雑貨を細々と販売しているだけの店だった。叔母の本業は画家で、全く有名ではないが定期的に個展を開き一応それなりに食べていけるだけの収入はあるようだった。叔母に直接確認したわけではないが、私は叔母にはパトロンがいて、彼女の生活を面倒見ているのだろうと思っていた。何故そう推測するかと言うと、芸術家にパトロンはつきものだという俗説からだけではなく、叔母はまだまだ若く美しく十分に魅力的でいつも男性の影が感じられるという理由と、世間知らずな叔母一人の力で小さい店とは言え画廊の経営が出来るとは思えないからだった。

私は叔母の作品が好きだ。抽象的な画風で、いつも何を描いているのかわからない。タイトルを見て「なるほど」と思うかさっぱりわからないか、前者であるケースは血の繋がりのある私ですら二割程度だ。叔母の作品は色が美しい。鮮やかで深い海の底のような青や、噴き出したばかりの血かワインのように艶やで重みのある赤。時に金や銀も使われている。そのような独特な色がキャンバスの上を自由に行き来し織り成す世界は、何とも言えず魅惑的だ。叔母の作品は、決して数は多くは無いがその世界観を好む一部の人たちの間で大切に扱われている。叔母の画廊は私のマンションから電車で二十分ほどの繁華街の端に位置していた。月曜の会社の帰り道、私は叔母に連絡を入れ画廊に立ち寄った。


「ロンドンに行くことにしたの」

またいつもの気まぐれな旅行の話かと私は思った。画廊に着くなり、叔母は私に向かって話し出した。いつになく目が輝いて、希望と喜びを隠そうとしても溢れ出てきてしまう子供のようだった。叔母はロンドンには旅行で行くのではなくて移住すると言った。知人が日本人の作品を紹介する為にロンドンに画廊を開くので、それを手伝いながら拠点をロンドンに移したいという話を、夢を見るように、かつ現実的に話して聞かせてくれた。

「自分で言うのもなんだけど、私の作品は日本よりもヨーロッパで受けるみたい」

と叔母は自画自賛もしていた。芸術家はナルシストでないと務まらない。

大学を卒業してそろそろ十年。国内資本の小さな出版社に勤める私には別世界の話だった。叔母は私より一回り少し年上で離婚経験がある。子供はいない。いつも現実世界ではなく幻想の世界でふわふわと生きているように見える。好きなことを好きなようにして、それでも何とか、贅沢や大成功とはかけ離れているかもしれないが、十分に生活を楽しみながら生きている。両親は、私は両親よりも叔母に似ているという。叔母に似ていると言われるのは嬉しいけれども、私は叔母のように自由に生きていない。この年になるまで結婚もせず、子供も生まず、仕事も中途半端にこなし、出世もせず、目標も見つからず、未だに何一つ成し遂げていないという焦りが常にねっとりと私の身体に付きまとっている。叔母のように自由に生きるには、自分の才能を信じる思い込みの強さと、根拠の無い自信が必要なのだ。それこそが才能なのかもしれない。

「だから、このお店を舞ちゃんにお願いしたいのよ」

叔母はお茶を用意しながら話を続けた。

「私はもう帰ってくるつもりは無いから、基本的には好きなようにしてくれちゃっていいの。どんな作品を扱ってもいいし、何を売ってもいいし。ただ、ロンドンでアーティストを探す計画もあるから、東京で個展をやる時にはもちろんここを使うけど。その時は対応もお願いしたいの。でも、そんなの年に一回あるか無いかだと思うわ」 

給料は自給自足だという。このビルはロンドンに画廊を出す知人が所有するものであり、彼は叔母の作品の支援者でもあるのでもともと家賃は免除してもらっている。今後も家賃を払う必要は無いが、個展の為に画廊として残しておきたい。そのため、誰か任せる人を探している。という話だった。自分で売り上げた分がそのまま自分の手元に入る。そんないい加減な条件で引き受けてくれるのは、せいぜい自分の作品の展示場所を欲しがる売れない芸術家だけで、世間知らずの彼らに店を任せるなどという無謀なことはさすがに出来ない。そこで、身内であり、普通の社会人経験のある私に任せたいということだった。

今の仕事に将来性も目標も希望も持つことが出来ず、一方、この先も生きていく為に道を模索しなければならないと感じていた私は、言い変えれば今の生活に何の希望も魅力も感じられずに変化を求めていた私は、叔母の申し出を受けることを即決した。

叔母がロンドンへ移住するのは三月だそうだ。今の会社の引継ぎと有給休暇の消化、画廊での新ビジネスの準備には、十分な期間だった。叔母の面目をつぶさないため、建前上は両親に相談してから決める段取りにしようと二人で合意した。そういう時、叔母はいつも、同志としての確認を求めるかのように私に向かっていたずらっ子の如くウインクをした。私は、叔母との絆が深まるようで、そういう時には嬉しさを感じていた。叔母はロンドンに一緒に行く知人を紹介するので、その後に最終決定をして欲しいと言った。

「ここのオーナーでもあるから、もし会ってみて舞ちゃんがどうしても嫌だったら受けなくてもいいのよ。やっぱり相性ってあるじゃない?でも、舞ちゃんなら気に入ってくれると思うけど」

そう言う叔母の表情には、ほんの少しだけ色香が見えた気がした。私達はそのオーナーと翌日のディナーを一緒にとる事にした。叔母は口にしなかったが、そのオーナーが叔母の恋人でありパトロンであり、叔母が彼とロンドンで新たな生活を始めることは明らかであった。


翌日、仕事を終えた私は叔母に指定された銀座のレストランへ向かった。老舗として有名な和食店だった。柿谷と名乗ったその男性は、私の父より少しだけ若い年代に見えた。芸術関連の仕事に従事する人間らしく、高級感を感じさせる雰囲気と品の良さを兼ね備えた、紳士的な男性だった。美しい叔母の恋人としては申し分ないと私は心の中で第一印象の欄に合格印を押した。

懐石コースを注文し、柿谷と叔母は日本酒を飲みながら、私にありとあらゆることを説明してくれた。柿谷の素性、経歴、現在の仕事、今後の考え、ロンドンに移住する理由、叔母との出会い、叔母との仕事での関わり、叔母の作品について、日本の美術界の現状、ヨーロッパの美術界について、日本の若手芸術家の海外進出について、今の画廊を残して活用したい理由、自由に使っていいという説明、好きに使うための提案の諸々。

柿谷と叔母の息はぴったりと合っていて、私への説明も二人の自然な会話から派生するように滑らかに進められていった。私が聞き役に徹しないように時折私の意見も聞き、合間には料理とお酒を楽しむ会話も交え、誰にとっても居心地の良い空間を作る術に長けている人だと思った。私は心の中で彼の人物面評価に合格印を押した。

彼らのロンドン移住計画は、美術の世界について素人の私には非常に現実的で、志高く、限りなく成功に向かう可能性が高いと思われるものだった。恐らく、私の両親も賛同せざるを得ないだろう。反対する濁点が見当たらないのだ。しいて言えば、叔母は英語がそれほど堪能では無かった気がする、と言う点だけだ。

「今英会話学校に通って必死に勉強しているのよ。この年になって勉強するのは辛いわ。若い頃に比べると飲み込みが遅いのよね。舞ちゃんも悪いこと言わないから今のうちから英語くらい話せるようになっておいた方がいいわよ。これからはどんな仕事でも英語は必要よ」

私が大学生になった頃には既に世の常識だったことを、恐らくつい最近知っただろう叔母はさも最新のビジネス常識を説明するかのごとく私に向かって話した。

「舞子ちゃんは英文科を出ているし、今の仕事でも海外との取引で英語を使うこともあるだろう。舞子ちゃんの勤める出版社はヨーロッパの絵本も扱っているはずだ。君よりも舞子ちゃんの方が英語は達者だと思うよ」 

柿谷は私へのフォローと思われる言葉を、叔母を見つめ微笑みながら口にした。その表情と雰囲気で、私へのフォローの意味よりも世間知らずで少女のような叔母を慈しむ意味合いのほうが明らかに濃くなっていた。この二人の世界はこの世の中にすでに出来上がっていて、他者の介入を許さない。私は心の中で、柿谷の、叔母への愛情の強さに関しても合格印を押した。

その夜の叔母は可愛い女だった。もともと叔母は年齢よりもずっと若く見え、自由なお嬢様がそのまま大人になったような可愛い女性だ。いつまでも少女の雰囲気を持っているためか、私が初恋の事を友人よりも先に打ち明けたのはその当時学生だった叔母だったし、それ以来ずっと恋愛でも私の良き相談相手だった。ただ、叔母は三十になった頃から、私に自分の恋愛話をあまりしなくなった。私は、それはきっと言えない理由があるのだろうと思っていた。恐らく恋愛の相手に家庭があるのだろうと。柿谷の左手には指輪は無かった。息子がいるという話は出たが、当に独立して海外にいるらしい。今現在、柿谷が結婚しているかどうかは聞けなかった。聞かなくても、叔母がそれで良いなら私もかまわない。叔母が子供を産んで普通の家庭を持つという普通の幸せを望んでいないならば。

食事も一通り終わり甘菓子が出された。叔母が化粧室に行っている間、柿谷は私にこう言った。

「留守の間の画廊の扱いはお任せしますが、困ったことがあったら相談役を紹介して行きますので、彼に何でも相談してください。私のビジネスパートナーの一人ですが、彼とは近いうちに紹介の場を設けましょう」

それは有り難いと素直に思った。雇われオーナーになるとは言え、ひとつの画廊の経営を任されることは、未経験の私には重荷でもある。相談役がいるとそれだけで安心感を持てる。私が礼を言うと、柿谷は続けた。

「それと、仲の良い叔母さんが遠くに言ってしまうのは心細いと思いますが、真樹さんの事は私に任せて下さい」

私は心の中で、オーナーとしての評価に合格印を押し、最後の項目である「叔母が幸せになれるのか」は「限りなく合格に近い空欄」とした。後は祈るのみである。


そんな私の心の中の採点など何の役にも立たないことはよくわかっている。何よりの評価対象は、彼の横で嬉しそうに、幸せそうに、喜びを隠せずに微笑んでいる叔母の顔なのだ。

このような状態に身を置くことになった女は、どんな女性でも、たとえ世界中で一番大切な母親からの、あるいは親友からのアドバイスであっても、それが今の幸せに水を差すような苦言であれば、心の中で蓋付のスチール製のがっしりとしたゴミ箱に、その苦言を罪悪感のかけらも無く捨て去ってしまうものなのだ。その時に彼女たちは笑顔で感謝しながらその言葉を受け取る演技をすることを忘れない。そして、彼との関係に陰が差し込んできて初めて、そのスチール製のごみ箱の蓋を開け、捨ててしまったアドバイスを探し出し、そのお釈迦様の説法よりも有り難いアドバイスをくれた人物に泣いてすがる結果となる。女とは、非常に愚かな生き物だと、女の私は思う。だからこそ、可愛い生き物でもあるのだが。

だから私は、自分の採点の事は叔母に伝えるつもりはない。そもそも私の人を見る目が確かなのであれば、私自身が今の時点で既に幸せな結婚をして、尊敬できる男に守られて何不自由なく、思い悩む心の隙も与えられない状態でぬくぬくと微笑んで生活しているだろう。


マンションに戻った私は、ソファに横たわり大きなため息をついた。やっと音から介抱され、安心できる場所に帰ってきた安堵のため息だ。私は音が苦手だった。日常生活では幾種類もの、様々な音階の、あらゆるボリュームの雑音がひしめき合っている。私は時々、そういう音に精神を蝕まれてしまう感覚を覚えていた。例えば音楽や人の話し声など、ひとつの音は私を脅かさない。逆にそれらひとつひとつの音は私にとってそれぞれが意味を持つ大切なものだった。幾種類もの音が互いに遠慮することなく同時に主張し合う状況において、音のひとつひとつを認識できず、把握できず、理解できないことが、私には苦痛だった。ひとつひとつの様々な種類の音が混ざり合い雑音となり、それは耳の穴から私の中へ入り込み、脳を侵食していく。外の世界に身を置くことは、私にとっては音に脅かされ、怯えながら過ごすことだった。音の無い空間に、あるいは単独の静かな音だけの空間にひっそりと身を潜め、疲れた脳と精神を休めないことには、私はまともに生活を送れなかった。音に苛まれ続けたときには、あの重く暗い願望が突如として目を覚ました。


私のため息には、もうひとつ理由があった。ここ数日間私の心を騒がせていた叔母の恋愛が幸せなものになりそうだという安堵のため息でもあった。

女と言うものは、男もそうかもしれないが、人の身の上を心配しているときは自分の身の上のことを忘れている。心配すべきは人のことよりも自分のことであろうと言う厳しい現実を、人の幸せを祈るときには忘れられるものだ。強い人ほど優しいというが、弱い人ほど人の心配をするのかもしれない。自分の辛さを忘れるために。惨めな現実から目を逸らすために。そして人の心配をしているときは、面倒を見ているという事実に優越感を感じるのかもしれない。理由はなんにせよ、私はこうして大切な叔母の心配をしている時間、幸せを感じているのは紛れも無い事実である。

人の行いは、見る角度によって偽善者の行いにもなり聖人君子のそれにもなり得る。であれば、何にせよ幸せを感じるのはすばらしいことだ。


少し気になるのは、柿谷が電話をするために席を外したときの叔母の表情だった。柿谷から私への一連の説明が一段落し雑談を始めた頃、柿谷の携帯のマナーモードが唸るのに気付いた。ディスプレイ表示で電話をかけてきた相手を確認した時の柿谷の表情を見た叔母は、一瞬笑顔を翳らせた。柿谷は電話に出るかどうか迷った素振りをしたが、笑顔で手を差し出しどうぞ出てくださいというジェスチャーをした叔母を見て、五分ほど席を外した。柿谷が席を外している間の五分間、叔母は私に向かって料理の味について話をしたが叔母の口からでる言葉にはどれも気持ちが篭っておらず、私と目を合わせてもその表情から何か他に物案じをしている事は明らかだった。

柿谷が戻ると叔母はすぐに笑顔に戻り何の電話だったのかを尋ねた。軽い問いかけではあったがその言葉に重さを感じたのは女の私だけでなく、柿谷も同様だったようだ。少し戸惑った柿谷はそれが彼のいつものごまかしの手口であるのか、新しい彼女からだと叔母をからかうような笑顔で言った。叔母はほんの少しだが少女のように唇を突き出して拗ねる素振りをした。四十代半ばの女性でもこれほどまでに少女のような愛らしい仕草が似合うのだろうかと、私は叔母に見惚れた。柿谷には見慣れた表情なのだろう。愛おしいものに触れずにいられないように、かつ、目の前にいる彼女の姪の目を気にして、柿谷は慈しむように叔母の肩をぽんぽんと叩いた。


その時の、電話の相手を認識した柿谷の顔を見て一瞬翳った叔母の表情は、今までに何度も目にしたことがある、女性特有のものだった。それはこの世の全ての女の心に、その奥底にひっそりと、だが確実に根ざし、その恋愛のさなかに常に蠢いて増殖と衰退を繰り返す、疑心暗鬼の表情だった。

この世の全ての女は、この何よりも恐ろしい鬼に立ち向かいうまく飼い慣らさなければならない宿命を背負っている。飼い慣らすことができないと、その鬼に食い殺されて身を破滅させることになる。女の一生はこの疑心暗鬼との戦いなのかもしれない。果たしてその運命的な戦いに勝利した女はこの世に存在するのだろうか。


私は自分の中に微かに芽生えてしまった不安の根に、不吉な予感を覚えた。早く消さなければ。私がそんな不安を胸に抱いていると、現実になってしまうかもしれない。


私は気分を変えるために音楽をかけることにした。CDを並べた棚からショスタコーヴィチのワルツを選んだ。ショスタコーヴィチ「ジャズ組曲の第二番ワルツNo.2」。私の大切な曲のひとつだ。ノスタルジックで荘厳なのにもかかわらず、チープな雰囲気も併せ持つ曲だと私は思う。私はワルツを聴きながら、音楽の世界へと意識を傾けていった。私はこの曲に自分の人生を見出だす。私のような存在でも幸せを夢見る。何かのきっかけでその幸せを掴んだかのように思える一瞬を迎えても、やがてそれは幻としてはかなく消え失せ、私のようなものが掴むことが出来るわけがないという現実を思い知る。幸せは、苦悩の無い人生は、私にとってはかない夢だからこそ、切実で美しい。決して手が届かない、崇高なものに焦がれ、諦め、絶望する、所詮人生とはそんなものなのではないだろうか。人間は、泥臭く地べたを這いつくばりながら、幻を追い求めるしかないのではないだろうか。でも、だからこそ、泥の中にいるからこそ、その手に入らない幻は美しく輝いて見え、生きるたびに少しずつ少しずつその美しい幻の正体を理解する日が近づいてくる気がする。その美しい幻が微かに見せてくれる幻影が、私の人生のほんのささやかな希望なのだ。


そんな風にこの曲は私の人生を飲み込んでしまう。だから、この曲を聴くと涙が流れる。けれどもそれは喜びの涙だ。


ショスタコーヴィチがこの「ジャズ組曲の第二番ワルツNo.2」を作曲したのは一九三八年、彼が三十二歳の頃だった。今の私と同年代だ。彼はどのような心境でこの曲を創ったのだろう。政権の抑圧の中での表現に苦悩している時期だったのだろうか。それともその苦悩から離れている時期だったのだろうか。この曲が約六十年後の未来に、彼には馴染みのない、恐らくその風景や人々や、その生活の様を想像するも難しいであろう異国に暮らす一人の女に、こうしてその音色が慈悲となって降り注ぎ、微かな、だが確かな希望となってその人生を救っているなどと、この曲を作ったときに彼は少しでも想像を巡らせたりしただろうか。もし彼が少しでも想像していたとしたら、私はこの世は素晴らしいと心から思えるのに。


私に音楽の楽しみ方を教えてくれたのは叔母だった。叔母はクラシックが好きで、よく私をコンサートに連れて行ってくれた。ヨーロッパのオペラほどでは無いにしても、二人で着飾ってコンサートホールへいくのが私は好きだった。私の唯一の贅沢な楽しみかもしれない。叔母はよく言っていた。

「好きな曲が増えると、大切な思い出が増えるみたいで嬉しいわ」

自分だけの大切なもの。誰にも冒されない自分だけの美しい世界が人間には必要なのだと、大切な音楽が増えると共に気づいていった。


ふと、音楽を聴いたのは久しぶりだと気付いた。この数ヶ月、音の織り成す世界へ精神を委ねる心の余裕が全く無かった。


三年付き合った悟と別れたのは、三ヶ月前のことだった。付き合い始めてすぐに結婚を意識したものの、四十になろうとしている自身の年齢を考えてすぐにでも結婚したいと言う彼の胸に飛び込むことが出来ず、三年間私が待たせながら付き合いを続けた形となった。痺れを切らした悟が他の女性の方を向いてしまっても、私には責める理由を見つけられなかった。

別れは突然やってくる、と、別れを切り出される側は思うものだが、別れの準備は別れを切り出す側によって、水面下でひっそりと、だが確実に、着々と進められているものだ。ある日、彼が新しい、今までと趣味の異なる服を買っていた事に気付いた時には、もう彼の中での別れの準備は七割がた終わっていたのだろう。

徐々に彼の態度が変わる。発言も変わる。私の知らない彼の時間が増える。長い間なりを潜めていた恐ろしい疑心暗鬼が私の中で目を覚ます。私はその鬼と戦い、理性を取り戻すことだけに全神経を注ぐ日々を送ることになる。

悟から別れを告げられたとき、悟とその女性はもう既に付き合い始め、彼らの間には深い絆が出来上がっていた。これは私の推測だが、結婚の話も出ていただろう。悟を好きだったが、結婚と言う彼の望みをかなえられなかったのは自分だ。追う事もすがる事も出来なかった。だが、悟がその相手には私の存在を話していなかったことを知った時、そのことは私に大きな衝撃を与えた。私よりも相手を気遣う悟を目の前にして、私達の関係が終わった事を認めるしかなかった。別れ話を始めた当初、相手の女性について多くは語らなかった悟は、話を進めるうちに、こう言った。

「彼女といると、子供に戻れるんだ」

だから、私と別れて彼女と付き合うことを選んだ、と。私といるときは子供に戻れなかったということだろう。男にとって、子供に戻れる相手と言うのが、それほど大事なものなのだろうか。子供に戻れない私と、なぜ結婚したいと切望していたのか。きっと彼にも答えなどわからないだろう。私にもわからない。私には、愛というものがわからない。多くの人は、自分の欲望を満たすことと人を愛することを取り違えている。私に、愛が何なのかわかる日は来るのだろうか。


別れの後は、大きな耐え難い喪失感を抱えて暮らすことになるものだが、私の喪失感は想像していた以上に重かった。三年間一番近い場所に居た人を失うことは、自分の一部を切り取られることに相違ない。私は、いつのまにか自分の大切な臓器の一部になっていたものを切り取られ、もがき苦しんだ。悟が暖かく、友情に限りなく近いゆるゆるした湯気のような愛情を注ぎ続けてくれた三年間、私はこの人の胸に飛び込めたらどんなに幸せか、何故私は飛び込めないのかと、重く暗い願望と戦いながら苦悩していた。悟と生きることは、暗い願望との決別だとわかっていた。けれども、出来なかった。悟を失った喪失感と、そのいつまでも付き纏う願望と決別できないのかという絶望で、私は真っ暗な海を漂っていた。毎夜毎夜、完全なる暗闇が私を飲み込み、その中を私は怯えながら漂うしかなかった。夜が来るのが怖かった。


ここ数日は、叔母のおかげでその暗闇を感じることは無くなっていた。このように、私は激しい絶望と緩やかな希望を交互に抱きながらいつまでも生きてゆくのだろう。


その週の週末、私は横浜にある実家に帰った。叔母の話をするためだ。両親には叔母から既に事の次第を話してあった。父に話さなければならないことがあるとき、叔母はいつも母に話をする。そして母は父の機嫌を見計らい、父の言語に翻訳して説明をする。そうすればたいていの事はうまく進む。時に叔母や私が重大な話を直接父にしようものなら、母が父の言語に翻訳してから伝えるケースに比較すると五倍はこじれ、父の機嫌を損ね、私達も傷つく結果になる。母の代わりは誰にも出来ないのだ。そんな両親の特別な関係は、長い年月と父と母の努力により築かれたものであり、どの夫婦にもこの種の特別な結びつきがあるのだろう。私はそれを尊いものとして憧れを募らせつつ、自分がいつか誰かとそんな時別な関係を築く事を望みながらも、イメージが出来ないままでいた。

今回も事前に母が父に事の次第を翻訳して伝えてあり、私が家に着くと、すでに私が今の会社を辞め叔母の画廊を引き継ぐことが「決定事項」となっていた。後は柿谷から聞いた話を伝言するだけで良い。叔母のロンドンでの暮らしと私の画廊経営について両親が心配することがないように、柿谷から聞いた話を多少誇張して私は説明した。

「舞子はちゃんと売り上げをあげられるのかしら」

母は心配した。

「売り上げを上げられなくても、自分の稼ぎがなくなるだけで人様にご迷惑をおかけするわけではないのなら、まあ心配はしないがな。店番だと思えばいいだろう」

父は言った。私はいざとなったら実家に戻る腹積もりではあったが、あえてそのことは言わなかった。反対はされないだろう。一人っ子の特権だ。両親は私の事よりも叔母の行く末を心配しているようであった。一人で一生生きていくつもりなのだろうか、と。柿谷との関係については怪しんでいない様だ。私からしてみると何故怪しまないのか不思議なくらいだ。あるいは気付いて気付かぬ振りをしているだけなのかもしれないが。


その後、私は柿谷と叔母から色々な人を紹介された。画廊で個展を開いたことのある馴染みの画家、彫刻家、書道家、アクセサリーデザイナー、陶芸家、雑貨を扱っている業者、イベント専門の広告代理店の担当者、美術雑誌の編集者、他の画廊経営者、叔母の支援者、内装業者や修理業者など。その他画廊の経営に関わる関係者達。これだけ紹介してもらえれば、恐らく個展や雑貨類の販売で多少の売り上げは確保できるだろう。私は会社に退職願を出し、叔母が出発する一ヶ月前には有給休暇の消化に入るスケジュールにした。一ヶ月間、のんびり旅行をしたり叔母の手伝いをし始めたりするつもりだ。仕事の引き継ぎ、叔母の手伝いに追われ希望に満ちた忙しい日々を過ごすうちに、私はいつしか、悟を失った喪失感が消えていくのを感じていた。毎夜の暗闇も、もはや私を覆い尽くすことは無くなっていた。


拾ってくれた神に心から感謝した。こういう事があると、私はまだ大丈夫、と思えるものだ。希望のある忙しい日々は、私の胸に潜んでいる重く暗い願望にとって、心地よい子守唄となる。この日々が続く限り暗い願望は目を覚まさない事を、私は知っていた。


十二月に入った頃、柿谷が前に話した協力者に合わせると連絡をしてきた。何かあった時に画廊の経営について私が相談すべき相手だ。柿谷は銀座の中華料理店を予約していた。私の大好きなフカヒレ専門店だ。十年近く勤めているとは言え小さな出版社の、企画担当と言えば聞こえはいいが、実際は雑務全般を引き受けているに過ぎない私の給料ではそうそう高価な外食は出来ない。このフカヒレ専門店にはたまに来ることがあるが私が自分でオーダーできる料理は限られてしまう。特にフカヒレ姿煮は誰かにご馳走になる機会が無い限りはなかなか食べることが出来ないのだ。私は密かに久しぶりのフカヒレを楽しみにしていた。


その時に一緒にフカヒレを食べた相手が、修一だった。その時は、お互いの運命をこんなにも変えてしまう相手だとは思っていなかった。


修一との付き合いを報告した頃には、柿谷は既に私を妹扱いしていた。まるで、叔母が柿谷の妻で、私はその妹として扱われているようだった。

「舞子ちゃんはフカヒレの姿煮しか見ていなかった」

とからかわれた。柿谷が修一に対して、わざわざお祝いとして乾燥フカヒレを送ってきたと聞いたときは、柿谷に意外と子供のようなところがあることを知った。修一と私はそのフカヒレを二人で有難く頂いた。


出会いの日、柿谷に指定された銀座のフカヒレ専門店に私は少し遅れて到着した。思いがけず私の出席していた会議が長引いたためだった。出版社での私の最後の仕事は、イギリスの絵本の日本語版出版だった。その日の会議では翻訳内容の詰めに入っていたのだが、翻訳に問題が発生し、会議が長引いてしまったのだ。遅れて到着した私を、柿谷と叔母、見知らぬ男性、三人の和やかな笑顔が出迎えてくれた。その男性は思っていたよりずっと若かったので、私は少し戸惑った。柿谷と同年代の男性を想像していたのだ。黒のビジネススーツを着こなした色の白い、顔立ちの整ったその人の第一印象は、胡散臭いほどに良いものだった。先にビールで乾杯していた彼らは当然まだ酔っておらず、彼は礼儀正しい笑顔で私を迎えてくれた。

この二ヶ月の間に柿谷と叔母から多くの知人、関係者を紹介された私は、それら全ての紹介をビジネス上のものと受け止めるのが至極当たり前のことだと認識していた。中には当然男性もいたがビジネス以外の感情を抱くことも、抱くと予想することも一切無かった。それが私にとってはごくごく自然な流れとなっていた。その日も、同じ流れとなることが私の中で大前提として、意識するまでも無く頭の中に植え付けられているはずだった。だから、私は修一の笑顔を見て、いえ、正確には、私の顔を見たときの修一の目を見て、この人と繋がるだろうという予感を感じたことに戸惑った。

恋愛をしないよりも恋愛をする方がいともたやすいことだというのは私の持論であった。そんな私が何故、一人の男性と自分との間が、自分達には決して抗うことのできない深く強く、そして繊細で脆い縁で繋がれていることに気付く瞬間の、まるで大切な記憶を思い出したような、胸騒ぎがするような、嬉しいわくわくすることが起きたような、体の内から特別な官能的な液体が創られてそれが全身から溢れ出てきてしまいそうな、そのような感覚を、何故、忘れていたのだろうか。それほどまでに、悟との別離によって受けた傷は大きかったのかもしれない。その傷は叔母のお陰で自然治癒の方向に向かい、修一と出会った時には恐らくほぼ完治に近い状態になっていたのだろう。まるでこの出会いの為に癒されたかのように。

修一も私と同じ予感を覚えたはずだった。私達はそのときお互いの目で繋がりを感じた。修一はあとからその時の気持ちを

「抗えない縁を感じて、最初から諦めをつけていた」と言った。


その夜の食事は楽しいものだった。柿谷は修一と私の年代が近いためか、今まで他の知人を紹介してくれた時にはしなかった類の話をした。修一と私の趣味を聞いたり、今の生活の様子を聞いたり、お互いの恋愛感や異性の好みや結婚観にまで話が及んだ。というよりも、柿谷の私達に対する質問が及んだ。

「まるでお見合いみたいね」

叔母が笑いながら言葉にした頃には、修一も私も既に、どうにも出来ないほどに惹かれ合っていたのだろう。その日の私は、柿谷と叔母の恋愛模様を観察する余裕を一切持っていなかったことに、後から気付いた。


「今度、アロワナを見に行きませんか」

店を出た後、タクシーの中で修一は顔中を笑顔にしながら子供のように「元気良く」私に提案した。

中華料理店での食事中、フカヒレの姿煮が出された時に、柿谷が鮫の話から

「そういえば修一は以前アロワナを飼っていたな」

という話を出した。私はアロワナをとても美しい魚だと思っていたので、興味をもってどのようなアロワナだったのか、どのように飼っていたのかを修一に訊ね始めた。修一も自分の趣味に興味を持ってもらえたのが嬉しかったようで、銀色のアロワナで三十センチほどの大きさだったと語りだした。

「突然、水槽から飛び出して死んでしまったんです」

と、修一は言った。アロワナはその習性により水槽から飛び出してしまう事故は多いそうだ。叔母は突然話に割り込んだ。

「死んでしまったアロワナはどうやって処理をしたの?」

修一は即座に一言

「食べました」

と言い、すぐに

「焼いて」

と付け足した。私は一瞬フカヒレを食べるのを中断して修一の目を見た。その目は真剣な光を帯びていた。

「愛情、と言っていいのかどうかわかりませんが、とても大切に思っていたんです。だから死を無駄にしないために、僕の体内に取り込んだというか」

修一は、言葉を慎重に選びながら説明しようとしていた。この手の話は恐らく、多くの人には「気持ち悪い」と受け取られかねないと本人も自覚しているようだった。そこで叔母が

「捨てるよりずっと素敵ね」

と笑顔で褒め言葉を口にしてから、修一は子供のようにほっと安心したような表情になった。私も叔母と同意見だったが、もしかしたら彼はアロワナと一体になりたかったのだろうか、と考えもして、恐る恐る

「ひとつになりたかったんですか?」

と修一に尋ねた。修一は驚いたように私の目をじっと見て少し間をおいてから

「ええ。その通りです」

と頷き

「でも、単に一時的に栄養になっただけですよね。どんな栄養かもわかりませんし」

と照れるように微笑みながら会話を続けた。そこで柿谷が

「修一も舞ちゃんも、マニアックなところは気が合いそうだな」

と茶々を入れてきて中断された話の続きが、今のお誘いだったようだ。   

タクシーに乗ってすぐに何の前触れも無く突然話が再開されたようで、私はそんな彼を素直で可愛い人だと好ましく思った。その瞬間、私の方に身体を向けるために肩を傾けた彼から漂ってきた香りが、私の深い記憶を呼び起こした。


時として、香りで記憶が目を覚ます。眠っていた記憶が色鮮やかに鮮明に、その時に抱いた感情の波が身体全体に行き渡る感覚と共に。


彼のやわらかな香りは、私の忘れていた安心できる場所を思い起こさせた。そこがどこだったのかまでは思い出せない。ただ、間違いなく私が愛で包まれ安心できるなつかしい場所。唯一、私が無防備になれる場所の記憶を呼び覚ました。彼の香水と体臭が交じり合って、この世でただひとつの、私が産まれた喜びを感じる事が出来る場所を思い出させてくれた。麻薬のようだった。身体が緩やかに暖かく解き解されていく感覚を覚えた。私は彼の提案に笑いながら頷いた。この暖かな感覚をもっと感じたかった。包まれたかった。彼の香りに、早く包まれたかった。


柿谷の紹介によると、彼、田辺修一は私の二歳年上だった。柿谷が昔勤めていた商社での上司と部下の間柄で、修一は六年前に独立して自分で飲食店を経営していた。一時期よりも経営は厳しいが都内に三店舗あるカフェを何とか切り盛りしている状態だという。実は「画廊の件での相談役」というのは建前で、叔母の熱心な薦めにより独身で恋人もいない修一と私を引き合わせてみようと企んでのことだったらしい。確かに経営者と言う点では画廊で何かあった際に相談できる人物ではあるし趣味も合いそうだから、自分達がロンドンへ行った後も親交を深めてくれ。という言葉を残し、柿谷は叔母よりも一足先にロンドンへ発った。


「クリスマス前には私もロンドンに行くの。年明けに一度こっちに戻って、荷造りをして、三月には日本とさようなら」

画廊の打ち合わせと称し、なかなか予約の取れない白金台のフレンチレストランでランチを取っているとき、叔母は嬉しそうに言った。 

叔母と柿谷との付き合いは長いようだが、私の推測では恋愛関係になったのはここ二、三年のことだと思う。なぜなら、叔母はその頃から輝き始めたからだ。その直前の叔母はよどんでいた。もともと明るくセンスも良く美しい叔母だが、今から三、四年前、叔母が四十歳になって少しした頃、恐らく低迷期だったのだろう。仕事も停滞し、いつも綺麗に整えていた身なりにも少しだけ乱れが見られ、身体も顔も浮腫み、表情が死んでいた。何があったのかは具体的には聞いていない。ただ、色々な事がよくない方向に向かい、それが重なった時期だったのだろう。誰にでもそういう時期はあると私は思っている。男でも女でも、未婚でも既婚でも、美女でも醜女でも、明るくても暗くても、どんな人にでも人生の浮き沈みはある。もし、そのじっとりと湿った、日の光の射さない暗く蒸した絶望的な谷底で蹲る叔母に手を差し伸べて、明るい日の射す草原へと引っ張り上げてくれたのが柿谷だったとしたら、叔母は彼から離れることは出来ないだろう。私の、前に抱いた不安がまた一瞬首をもたげた。

叔母が幸せならばそれで良い。ただ、その幸せが長く続いて欲しいのだ。その幸せが長く続いているうちに、叔母に強くなって欲しいのだ。強くなって、もしその幸せが壊れても、崩れない叔母になって欲しいのだ。私はたびたび、叔母がガラス細工のように見えることがあった。美しいが今が完全なる状態であり、少しでも圧力がかかれば粉々に割れてしまう。危うい美しさを叔母はもっていた。叔母の美しさを守りたいが、私には壊れないように見守るしか出来ない。

「田辺さん、素敵な人だったでしょう」

叔母の問いかけに私はあれから毎日修一と電話やメールで連絡を取っていることを伝えた。私も担当の出版が大詰めであり、彼も新店舗の立ち上げ計画があることからお互いの予定が合わず、今週末にやっと会う約束が出来た。あの日から一週間経つが、私達はもっと長く付き合った男女のようにお互いの理解を深めていた。距離が縮まるペースがとても速かった。お互いを求める強さも。それを聞いた叔母は女子高生のように飛び跳ねるがごとく喜んだ。

「舞ちゃんと田辺さん、相性がいいと思っていたのよ。雰囲気もお似合いだし。絶対にうまく行くって思っていたの」

叔母はきっと自分もとても幸せなのだろう。女は自分が男に愛され満たされていると、周囲の女も自分と同じように男の愛情で満たされるべきだと思い込む生き物だ。愛されていない女を憐れだと不憫に思い余計な慈悲の心まで育ってしまう生き物だ。そういう時、女はまるでこの世の中には綺麗なものしか存在しないと思い込んでいる、苦労も穢れも知らない純真な少女になってしまう。自分が愛に満たされずに苦しんでいた時の記憶など、愛に裏切られて地べたを張ってもがいた時の記憶など、まるで忌み嫌うべきナメクジに塩をかけて溶かしてしまうかのように、跡形も無くとろけさせて消滅させてしまう。男の愛という偉大で、かつ不確かなものによって、世界で一番惨めで卑屈で不幸な乞食女から、世界で一番賞賛され大切にされるべき愛らしいお姫様に、一瞬にして変身できるのが女だ。

なんという愚かな生き物なのだろうか。かくいう私は最も愚かな女だ。女には、そんな幸せと不幸が交互に訪れる。お互いの立場を交代しながら、傷を舐めあい助け合いながら、時には足を引っ張り合い、故意に傷つけ合い、それを許し合いながら続けていくのが女の友情なのだ。私と叔母の間にも、きっとそんな友情に似たものが存在しているのだろう。

「ロンドンに行ったらこんなに美味しいフレンチは食べられないわよね」

食事を終えた叔母は、発した言葉に反して満足そうだった。例えこんなに美味しいフレンチが食べられなくても、ロンドンに行くことが嬉しいらしい。

「このレストラン、柿谷さんも連れて来たいわ。そうだ、今度帰国した時に四人でまた来ましょう」

そう言う叔母は、わたし達の輝かしい未来は確約されていると信じて疑っていないようだった。四人とはもちろん柿谷と修一と私達のことだ。

叔母が気に入ったそのレストランの名は、日本語に訳すと「真髄」という意味だった。その言葉は私の中の何かを刺激した。

「真髄って、奥行きのある良い言葉ね」

私は誰に言うでもなく呟いた。今思えばこの言葉は、私達四人がこれから、それぞれ自らの「真髄」に向かう事を予言するものだったのかもしれない。神からのサインだったのかもしれないと、今となって思う。


約束の日の昼前、修一は、私のマンションの前まで車で迎えに来てくれた。車は身体の大きい修一に似合う黒の旧型のボルボだった。車に乗った途端、出会った日にタクシーの中で感じた修一の香りに、私の身体全体が包まれた。あの日からずっとこの香りに包まれたいと望んでいた、この世で一番暖かい幸せの香り。その香りは私の感覚を少し麻痺させた。修一と目があった私は、戸惑いと緊張で自然に微笑む事が出来なかった。

このまま江ノ島まで行って、ランチを取った後にゆっくり水族館を見学しようと修一は提案し、私は頷いた。私は前日から浮き立つ気分を抑えられなかった。やっと修一に会えるのが楽しみで、気を抜くと自然に笑みが浮かんでしまう状態だった。そんな希望に満ちた気持ちが多くなるに比例して、不安な気持ちも育っていった。この十日間ほぼ毎日、電話やメールでお互いを知る事を求め合った。どのような手段でも良いから繋がっていたかった。繋がるたびに、関係が築かれた。そうやって築かれた関係が、実際に会う事で壊れてしまったら、という不安だった。でも、修一の笑顔はそんな不安を忘れさせてくれた。

私が車を褒めると

「一時期、景気が良かったんですよ。その頃に買った車なんです。今はもうそんな余裕はない貧乏人なんでこの車を維持するのも僕には贅沢なんですが、愛着があるので手放せなくて」

と、修一は丁寧に説明してくれた。修一の話し方には嫌味が無かった。そこは柿谷と似ていた。飾る事を必要としない人種の自然な振る舞いに見えた。私達は江ノ島に向かう車の中で色々な事を話した。話を始めてから十分もするともう最初の緊張は私の中からは消えうせていた。

「なんだか、ずっと前から知っているように感じます」

私が嬉しさのあまりに言うと、修一は満面の笑みで彼もまた嬉しそうに僕も同じだと言った。彼の笑顔は、私の全てを緩ませる力を持っていた。

第三京浜に乗ったあたりで

「何か音楽をかけましょう。選んでもらえますか」

と、修一はCDケースを私に渡した。ジャズが多かったが、私達の世代よりも多少古い傾向があるように思えた。修一は、音楽は柿谷の影響が強いと言った。確かに私達の一回り以上の上の世代が好む曲が多いようだった。修一と同じように音楽については叔母からの影響が強い私は、その世代の曲には多少の馴染みがあった。修一のCDケースの中には私の好きなショスタコーヴィチのジャズ組曲のCDがあった。

「このワルツ、私の大好きな曲です」

私は驚いて、修一の顔を見ながら思わずそう口に出した。修一は嬉しそうに自分も大好きな曲だと言った。クラシックは詳しくないが、この曲はたまたまCDショップで流れているのを聴いて気に入り、店員に曲名を聞いて購入したという。

「人生みたいな曲ですよね。この曲には喜びと悲しみが生々しく表現されている気がします」

と話した修一は少し黙った後に、変だろうか、と私に質問した。私は言葉が出なかった。私と同じような感覚でこの曲を聴く人がいたのだ。私は興奮して、自分がこの曲を聴いていつも感じるイメージを修一に話した。

「同じ事を感じる人がいたなんて、嘘みたい」

ここで運命を感じない女が居たら、一度会って顔を拝んでその人生観をじっくりと聞いてみたい。自分の中の、自分だけのファンタジーと同じものを持っている人がいたのだ。誰もがある種の縁を感じるだろう。何故なら人は、実際はそれがありふれたものだったとしても、自分のファンタジーだけは特別なものだと思い込むからだ。修一は嬉しそうだった。私も嬉しかった。私達はショスタコーヴィチのジャズ組曲を繰り返し聴いた。晴れた冬の空とこの曲という絶妙な組み合わせは、私たちを別世界へ誘ってくれた。喜びと悲しみを表現するノスタルジックで荘厳でチープな曲を聴きながら、私達はまた尽きることの無い話を続けた。


水族館で、私達は童心に還っていた。修一は好きな魚を発見すると嬉しそうにその魚の生態を私に説明し、私は自分が好きな魚を見ると修一の声が耳に入らないほど熱中して見ていた。

「こんな風に女性と一緒に楽しめるなんて思っていなかった」

修一は言った。私も同じだった。今まで付き合っていた男性やデートをした男性は、私が水族館は博物館に行きたいと行っても嫌々付いて来てくれるだけだった。彼らはそれよりも雰囲気の良いレストランやバーに連れて行く事で私が喜ぶと思い込んでいた。私はもっと子供っぽい事、どのようなものでも、好奇心を満たす事が好きだったのだが、あまり理解はされなかった。

アロワナの水槽の前に到着すると、修一は私に言った。

「舞子さんはアロワナと話せると言っていましたよね」

確かに初めて出会ったあの中華料理屋で私は、アロワナは古代魚に近いので特殊な能力を持っている気がする。じっと目を見ていると話が出来そうな気がする。とは話したが、話せると断言はしていない。でもそれを、修一は身を乗り出して嬉しそうな笑顔で興味深そうに聞いてくれていたことが、私は嬉しかった。

「あてっこしましょう。このアロワナが何を言っているか」

修一は私に提案した。私に気を使って私のレベルに会話を合わせてくれているのかと思ったが、彼は本気で楽しんでいるようだった。私はアロワナの目をじっと見つめて神経を集中させた。修一も同じようにじっとアロワナを見つめていた。龍のような威厳と神聖さを持った大型の美しい銀色のアロワナだった。いかにも特殊な能力を秘めていそうな神秘的な姿だった。とは言え、いくら見つめてもアロワナの気持ちらしきものは伝わって来ない。それどころか。湾曲した水槽のガラス越しにゆっくりと泳ぐアロワナをじっと見ていたら、船酔いしたように気持ちが悪くなってきた。修一は、僕が変な提案をしたばかりにすみません。とひたすら謝り、私をベンチに座らせお茶を買ってきてくれた。気分が落ち着いた後で

「結局、わかりそうでわかりませんでしたね。アロワナの気持ちは」と修一は言った。私達は笑いあった。


修一と私は、周波数が同じだった。興味の対象、ひとつの物事について感じる事、大切だと思うこと、好む事、好まない事、そういうあらゆる事が、そしてスピード感やテンポまで、私達は似ていた。私はこのことを相性が良いのだと解釈していた。こんなに自分と合う相手というものがこの世に存在するのかと、驚きと同時に、それよりもはるかに大きい喜びを感じていた。


水族館を出ると夕方になっていた。私達は横浜で食事を取る事にした。中華街で中華料理を食べた後、修一は雰囲気の良い落ち着いたホテルのバーに連れて行ってくれた。そこでも尽きる事の無い話が繰り広げられた。私達はお互いの生い立ち、現在に至るまでの様々な経験、何か好きで何が嫌いか、趣味、将来の夢、思いつくありとあらゆる事を話し合った。

「今日は私達、一日中話していますね。でも、時間がいくらあっても足りないくらい」

と、私は言った。修一は頷いた。突然修一はポケットから紙包みを取り出した。

「これ、今日の記念です」

と言って渡してくれたものは昼間に行った水族館の紙包みだった。私が化粧室に行っている間に買ったのだと言う。中を見るとシルバーのチェーンに小粒のパールと小さなガラスのイルカがついた携帯ストラップが入っていた。可愛い。と私は喜び、御礼を言った。すぐに携帯に付けるとシルバーのチェーンとイルカはキラキラとバーの照明を反射して輝いた。綺麗。と言った後に

「私、今すごく楽しくて嬉しいです」

と付け加えた。修一は

「もっと一緒にいたい」

と言い、私は頷いた。私は今まで少なくとも会って数回の男性と深い仲になった事はなかった。時間をかけてお互いを理解して初めて恋人関係になっていた。そこは両親の教育のせいか固いと女友達からも言われていた。けれども、会って二回目で修一の部屋に行く事にためらいは全く感じなかった。一緒に居ることが自然だと感じられた。逆に離れることが不自然だったのだ。私達は、修一のマンションに向かう車中でもまだ尽きる事の無い話を続けていた。楽しくて楽しくて、仕方が無かった。


修一のマンションに着くと、修一は私をソファに座らせコーヒーを入れてくれた。ミルクと砂糖の入ったコーヒーは私の身体を暖めてくれた。私は、今度は修一の好きな曲を聴きたいと伝えた。修一はモノクロ写真のジャケットのCDを選んだ。窓辺に置かれた花と花瓶を写した写真だった。Keith Jarrett/The Melody At Night, With Youと書いてあった。キース・ジャレットの名前は知っていたが曲を聴いた事は無かった。私達はソファに座り彼の優しいピアノを聴いた。

「一曲目が一番好きな曲です」

修一は言った。その”I Loves You, Porgy”と言うタイトルの曲はどこか物悲しく切ないけれども、とても綺麗なメロディだった。

「綺麗な曲」

と私は呟いた。

「この曲はいろんなアーティストがカバーしているらしいけど、僕はこのピアノしか聴いたことが無いんです。でも、このピアノはとても綺麗だから、他のカバー曲を聴きたいとは思いません」

と修一は言った。美しいが、切なく力強い曲だった。曲の世界に入り込み、私は彼に身を預けた。私達はゆっくりと、優しく、時間をかけて力強く、抱き合った。あの、幸せの香りが私を包んだ。はじめて会った日からずっと包まれることを望んでいたあの香りにやっと包まれた私は、既に現実から遠い世界に存在していた。ずっとこのままでいたい、と修一は言った。私も同じだと応えた。そのときの修一は子供の様だった。瞬時に顔を綻ばせ、嬉しさをこれ以上表現できないくらいの笑顔で表し、私を抱きしめる腕に力をこめた。修一の笑顔は私も笑顔にさせた。

修一は、今日は抱き合って一緒に寝るだけで良いと言った。その夜、私達は抱き合って何度も軽いキスをしながら寝た。修一の言葉に嘘は無かった。修一の目は真剣で、腕の動きは優しかった。


それから私達は急速にお互いの距離を縮めて行った。お互い仕事が忙しい時期だった為に平日はなかなか会えなかったが、必ず電話やメールでお互いの気持ちを伝え合い、週末から月曜の朝まではどちらかのマンションで一緒に過ごした。土日の昼間にはドライブに出掛けたり散歩をしたり映画を見たり、気の向くままに一緒に時間を重ねた。時間を重ねるごとに、私達は今まで経験が無いほどにお互いが深く結びついて行くのを感じていた。


私の生活も、私自身も、修一と出会う前と出会った後とでは全く別のものになった。修一に出会って初めて、出会う前の私の日常はねずみ色の霧に覆われていたという事に気付いた。修一のいる今の世界はくすみが無く、鮮やかな色で満たされていることに驚いた。いままで心華やぐ恋をしたり、充実した生活を送っていたときに感じていた色鮮やかさも、今の世界と比べるとくすんでいた。どんな時も、常に暗い願望が身を潜めながら私を監視しているのを感じ、その影に怯えながら、でも離れられずに生きてきた。その願望がねずみ色の霧となり、くすんだ世界を作っていたのかもしれない。今は、今まで視界に入っても興味を引かなかった日常生活で目にする物ひとつひとつが美しく輝き始めている。日の光の暖かな恩恵を感じ、月や星の光の静かなる美しさを感じた。何十年も変わらずに赤や黄色の葉をつける木々の力強さを感じ、道に生える草の生命力を感じた。人の優しさを感じ始め、人の笑顔が尊く感じられた。鏡を見るたびに自分の顔が柔らかくなっていくのがわかる。世の中の全てが素晴らしい希望あふれるものに見えた。生きる上で感じていた様々な恐れが、姿を消して行った。周囲から綺麗になったと言われた。修一そのものが、修一と一緒にいる自分が、修一と一緒に過ごす時間そのものが、愛しくて仕方なかった。修一と一緒に時を過ごす事で築き上げつつある私達の関係が、宝物だった。世の中に存在する全ての言語の、全ての良い意味の言葉を用いたとしても、決して表現する事が出来ないほどの大きな、特別な幸せだった。言葉で言い表せない事がもどかしかった。この時を迎えるために産まれてきたのだと、産まれて来た意味をやっと理解出来たのだと思った。こんな感覚を始めて知った事で、世の中の多くの人の仲間入りが出来たと思えた。暗く重い願望を抱かずに、生きる事を謳歌し、人生に多くの喜びを見出せる人達と、やっと同じになれたのだと思った。

私の人生はやっと変わったのだと、やっと暗闇から抜け出せたのだと、疑いなく信じる事が出来た。


こんな風に、まるで映画のように劇的に自分の生活が変わるなんて自分の人生にはありえないことだと思っていた。この幸せを失ってしまったら、と思うとたまらなく怖くなる。そうしたら今までよりもずっとずっと、この幸せを知る前よりも辛く悲しい人生になってしまう。と私は修一に伝えた。長年私を捉えてきた、今はそのなりをひっそりと鎮めている、私の重く暗い願望の話もした。

休日の午後、六本木の家具店で修一が欲しいと言っていたアジア調のローテーブルを買った帰り道だった。修一は前から気に入っていたローテーブルを、その店に通い詰め値切りに値切ってやっと購入する決意をしたのだ。修一の交渉術は見事なものだった。私はその店にあったガラスの棒を重ねて創られたランプが欲しいと思った。このランプからガラスを通して乱反射するいくつもの星のような光を見ながら、修一と未だ尽きぬ話を夜通ししたいと思った。修一はそのランプも一緒に買ってくれた。

帰りの車の中で修一は言った。

「僕も、自分の人生がこれほどまでに劇的に変化するなんて舞子と出会うまで思っていなかった」

三十二年かけてやっと会えた人だ。この幸せを絶対に壊したくない。もし壊れてしまったら、とたまに怖くなる。今が幸せの絶頂だとしたらここから落ちてしまう事がこの先起こるのだろうか。そう思うと怖くて寝られなくなる。だから、そんな事を考えるのは辞めよう。今が絶頂だとしたらもっと頂上を高く作っていこう。これから結婚して子供を産んで、もっともっと違う種類の幸せを作って行こう。不安は思うと現実になってしまうから、考えるのを辞めよう。そう言いながら私の手を握った修一の手には強い力が込められていた。その時私は、修一と同じ気持ちを共有している事に安堵し心強さを感じるとともに、もしかしたら私よりも修一の方がこの幸せを失ってしまう事への恐怖心が強いのではないだろうか、と彼の手から感じとっていた。


不安は現実になる。この私自身の不安も、叔母に対する不安と同じように葬り去らなければならない。


修一は柿谷と叔母の関係を知っていた。柿谷から聞いていたようだ。私も、修一と付き合い始めた報告をした後に、叔母から柿谷との関係を告白されていた。叔母のマンションへ荷造りの手伝いに行った時だった。

「舞ちゃん、プラナリアって知ってる?」

叔母は突然私に聞いてきた。私は何年か前、女子高生がプラナリアという生物の研究で何かの賞を受賞したニュースを思い出した。可愛い女子高生が母親手製だというプラナリアのぬいぐるみを持って微笑んでいた映像が思い起こされた。あのプラナリアのこと?と尋ねると叔母は笑いながら頷いた。

「プラナリアの事、柿谷さんは田辺さんから教えてもらったらしいわよ」

叔母は前置きした。修一ならそういう、世の脚光を浴びないマイナーな生物の事に詳しそうだ。

「プラナリアって、身体を二つに分断されると、その二つがそれぞれ一匹のプラナリアになるんですって。だから、一匹の体が十個に分断されたら、十匹のプラナリアになるの。凄い生命力でしょ。地球上で最後に生き残る生物はゴキブリでも細菌でも無くてプラナリアかもしれないわね」

と叔母は真剣な顔で言った。私は叔母のこういうところには慣れている。真剣な顔という事は本気で言っているのだ。そんな話を聞くと、SF怪奇映画に出てきそうなグロテスクな生物のイメージしか思い浮かばないが、実際にプラナリアの写真を見ると、意外にも愛着の持てる外見をしている事を私は知っていた。地球がこんな利己的で身勝手な人間に我が物顔で支配されず、そんな可愛らしい生物だけのものになるのであれば、それはそれで地球にとっては素晴らしく良い事なのではないだろうか。私も真剣にそう思った。こういう時、やはり私達には同じ血が流れているのだろうと思う。血は争えない。

叔母が言うには、柿谷は

「僕達はきっと一匹のプラナリアだったんだよ。ふたつに引き裂かれて、お互いに片割れを探して今まで生きてきて、やっと出会えたんだ。だからこんなに惹かれ合うんだよ」

と叔母に言ったという。私はあの、もう五十歳をとうに超えている紳士的な柿谷がそんなセリフを真顔で口にした所を想像して、飲んでいた紅茶を噴出しそうになりながらも、恋愛とはこういうものであり、きっと今の修一と私も同類だろうと我が身を振り返る余裕も持っていたことに、我ながら少し安堵した。


恋愛とは、どのような賢者であっても偉人であっても、瞬時に愚者に成り下がる事象のことである。脳が侵され、平常心では考えられない恥ずかしい事を平気で考え口に出すような、性質の悪い、この世で最も素晴らしくおめでたい病なのだ。叔母は、この年になってこんな気持ちになると思ってなかった。と呟いた。叔母の気持ちが痛いほどよくわかる私は、この私達の幸せが永遠に続くように、と、天に向かって心から祈った。


柿谷には、やはり家庭があるらしい。妻とは事実上別居をしているが、世間体を気にする妻は離婚に合意しないということだった。別居は叔母と知り合う前からずっと続いているそうだ。そういう場合、別れないという女の方にまだ愛情が残っているのは明らかだ。私は柿谷を信じ、頼り切っている叔母が傷つく事が起きないよう、願った。


柿谷のプラナリアの話をしたとき、修一はこれ以上できないほどの呆けた顔を暫く変えられなかった。その後に修一は悔しがった。プラナリアの生態を柿谷に教えたのは自分なのにこんなに良い喩えを自分は思いつかなかったと。そして二人で大笑いした。その笑いはもちろん自分達にも向けられたものだった。私達はここまで馬鹿になれるほどに愛し合えた自分達を、柿谷たちを、幸せだと思っていた。


叔母がクリスマスと年越しをロンドンで過ごす為に出発する数日前、修一と私と叔母は初めて三人で食事をした。叔母はこの世に永遠の春が到来したかのように華やいで軽やかに見えた。いつも笑顔の叔母だが、いつもよりもずっと多く笑っていた。鍋が食べたいという叔母のリクエストで、修一が神楽坂の比内地鶏がおいしい鳥鍋屋を選んだ。

「柿谷さんもとっても喜んでいたのよ。二人が付き合い始めたって聞いて」

叔母はロンドンでの今後の話や、私の画廊経営の話などにはもはや興味が全く無いようで、修一と私の恋の話が一番の関心事であるようだった。鳥鍋を囲みながら飛び交う会話は、主に修一と私の付き合いについての叔母からの質問や冷やかしであったが、叔母と修一が話す会話の中には、修一について私が知らない話の端々もあった。 

修一が仕事の事でつい最近柿谷に相談を持ちかけたという話、柿谷が修一の身体の調子を心配していたという話、一度ゆっくり修一と話したいので、近いうちに電話すると柿谷が言っていたという話。


修一の両親はもう亡くなっていた。兄弟もいない。修一の父親は真面目で誠実な公務員だったが、修一が幼い頃に事故で亡くなった。小学生になると母は再婚したが、修一は母親の祖父母の元に身を寄せ、祖父母に育てられた。中学生になり祖父母が亡くなると、母親と再婚相手と一緒に暮らした。母親と再婚相手の間には既に二人の子供がおり、居場所を見つけられなかった修一は高校生になってから一人暮らしを始めた。幸い母の再婚相手が裕福だった為、修一に与えられる生活費は高校生にしては多額で、経済的には恵まれていた。大学に入ってすぐに母親がガンで亡くなった。遠い親戚はいるが普段の付き合いは無い。母親の再婚相手は修一が大学を卒業するまで経済的に支援してくれたが、書類上の親子以上の感情をお互いに持っていない。

社会人になってからは上司だった柿谷がずっと親代わり兄代わりとして、お互いに会社を退職した後も彼の面倒を見てくれているという。柿谷には恩があり、柿谷がいたからこそ自分はこうやってまともに生活をして行けるのだと修一は話していた。父親に教えてもらう事が叶わなかった事を、柿谷に教えて貰ったと。

私は、私には理解する事が難しい傷が修一にあるならば、その傷を暖めて癒したいと願っていた。その頃の私は、自分に限界というものが存在するということを知らなかった。他人の苦悩を人はそう簡単に理解する事は出来ず、ましてや他人の傷を癒すことは意図して出来るものではないということも、知らなかった。安全で快適な浅瀬に生きてきた私は、海底の奥底から嵐の中を潜り抜け荒々しい岩場を通り抜けて浅瀬に辿り着いた人間の苦悩など、到底理解できるはずが無かった。私は修一を理解して癒したいという自分の浅はかさ故の驕りを愛情だと勘違いし、愚かにも自分にはそれが出来ると信じ込んでいた。


こってりとしただし汁が美味しい鳥鍋が終盤に近づき、しめの麺が用意される頃には、三人ともすっかりほろ酔い気分でくつろいでいた。

「今頃柿谷さん、一人で寂しがっているでしょうね」

修一は先日柿谷と電話で話したことを伝えてきた。恐らく、散々私達ふたりののろけ話をする結果になったため、この場に一人でいる叔母への気遣いのつもりで柿谷の話を出したのだろう。

「真樹さんに早く来て欲しいみたいでした」

「私が恋しいのか、寂しいだけなのかわからないわよ」

叔母は少し照れたような口調で言った。

「何を言ってるんですか。プラナリアの話聞きましたよ」

修一は返した。

「ああ。可愛いでしょ?あんな叔父さんが。あの人のああいうところは大好きよ」

叔母は照れもせずに言葉にしたが、その後に続けた。

「あの人は表現が素直だけど、その気持ちがいつまで続くかは別問題よね」

修一は叔母が何を言おうとしているのか、推し量りかねている様子だった。

「私はね、好きで柿谷に着いて行くの。自分の気持ちが大事なだけ。じゃないと、こんな関係は続けられないわ」

叔母は箸を休めて、決意するような口調で話を続けた。少し酔いが回ってきたようで、ほんのり顔が赤くなっている。叔母は酔うといつもよりも少しだけ饒舌になる。

「谷崎潤一郎の春琴抄という小説を読んだことある?」

私は谷崎潤一郎の小説は「痴人の愛」しか記憶していない。ある少女の存在によって人生を狂わせられる男の生き様が描かれた小説だが、その男女の立場が変わってゆく過程の描写が印象的で記憶に残っている。男女の心理の変化に、深い恐怖を覚えた記憶がある。春琴抄は修一も私も読んだ事が無いと伝えると、叔母はその小説のあらすじを話し始めた。

「盲目の美しい春琴という少女に佐助と言う少年が幼い頃から仕えるの。佐助は春琴をうやうやしく崇めて誠実に仕えるのよ。三味線の名手である春琴に影響され佐助も三味線をはじめ、盲目の春琴と同じように暗闇の中で目をつぶって弾いたりもするの。そうやって佐助は春琴を主人として師として、長年一途に仕え続けるの。ある日、他人の嫉妬によって春琴はその美しい顔にやけどを負わされてしまうの。春琴がこんな顔は世話役である佐助にも見られたくないと拒絶すると、佐助は自分の目を自分でつぶして、春琴のそばに行くの。『お師匠様、もう私には見えません。ご安心下さい』って」

「すごい話ね」

私は背筋に寒気を感じた。愛する人の為に自分の目を潰す。しかも、その人の「顔を見られたくない」という気持ちを汲み取った証として。

「究極の愛ですね。愛する人の為にそこまでするなんて」

修一は感銘したようで、そう口にした。

叔母は意外にも冷ややかに言った。

「それがね、物語の中では佐助が目をつぶしたのは春琴への愛からだけじゃなくて、佐助自身のためでもあると書かれているの。彼の中で美しい春琴のイメージを永遠に守るため」

叔母は熱が入ったようで、話し続けた。

「きっと佐助は春琴に尽くすことが生きる目的だったのよ。自分には観音様のような存在が必要だった。その対象が穢れてしまうのは彼にとっても困るから、自分の中で永遠に美しい春琴を留めておけるように目をつぶしたのよ」

叔母は続けた。

「恋愛って、結局は自己愛なんじゃないかしら。相手は単に自分が求める対応や反応をくれる人で、結局は自分の為にその人を失いたくないから思いやるとか大事にするとか尽くすとかの行為をして、そういう行為を愛だと解釈しているだけで」

それは私も同意見だった。叔母と私はその点の考え方が似ている。

「それは一理あるけど、冷めた見方ですね」

修一は反論した。

「そうすると、自分の求める反応をしてくれれば相手は誰でも良い事になって、運命の出会いなんて無くなりますよね。なんか空しいなあ。それは」

「男性のほうがロマンチストなのよ。女のほうが頼りなく見せかけて現実主義なの」

叔母は、その愛らしい笑顔で修一のぼやきをすぱっと切り捨てるかのように言い放った。

「柿谷さんには内緒にしておきますよ。真樹さんの愛情が自己愛だなんて聞いたらショックで寝込みそうだ」

修一はこれらは叔母の酔った上での発言で、本気では無いと思い込んでいるようだった。

だが、叔母の言葉の意図は、私には痛いほどよくわかった。叔母は、そう言葉にする事で自分に暗示をかけているのだ。そうやって理論的に解釈する事で、柿谷への愛情をセーブしようとしている。万が一、柿谷と離れることになっても自分が崩れないように、という彼女の自己防衛の手段なのだ。そして、柿谷の愛情にも過大な期待をしないように自分を抑えているのだ。私も叔母と似ているから、叔母の気持ちが痛いほどよくわかる。女も経験を重ねると臆病になる。若い頃のように全てを捨てて無防備に男性の胸に飛び込むことは出来なくなってしまう。年とともに、受ける傷も深くなるから。叔母は残った日本酒を飲み干して言った。

「でも、女には深い情があるの。女の愛情は情なのよ。きっと。だから、女を離れさせたくなかったら、情に訴えかけるしかないわよ」

 そして叔母は、少し反省したように一呼吸置いてから言った。

「なんて、これじゃ二人の盛り上がりに水を差しちゃうわね」

叔母は話を切り上げようとした。

修一は

「僕たちは大丈夫ですよ」

と私の目を見て言った。

「何があっても壊れませんから」

私は修一の目を見て笑って頷いた。

「あなたたちは安心だわ」

叔母は微笑んだ。

「最終的にはね、ロマンチストな男に負けるのは、女の情なのよ」

「一般的に、ね。舞ちゃん」

そう言って、叔母は私にウインクした。私は笑顔で頷いた。叔母は少し間を空けて

「貫けるものなら、貫きたいわよね。自己愛を」

と少し寂しそうに呟いた。自己愛を貫く強ささえあれば、女は幸せになれる。安定した心の幸せを掴みたいのなら、女は自分の自己愛に疑問を持ってはいけないのだ。疑問を持ってしまったら、安定した心の幸せは訪れない。自由奔放に、感情の赴くままに生きていると思っていた叔母の、弱い一面を垣間見た気がして、それがおそらく、叔母が脆いガラスのように見える要因なのだろうと気付いた私は、少し切ない心境に陥った。


食事が終わると叔母をタクシーに乗せ、私達は別のタクシーに乗り修一のマンションへ向かった。

「柿谷さんはきっと、真樹さんに救われている」

と修一は言った。

「うまくいって欲しいね」

修一はぼそっとつぶやいた。

「うまくいっているだろうけど、柿谷さんが叔母さんの色々な想いに気付いてないんだろうね」

と私は話した。

「もしかしたら叔母さんも柿谷さんの色々な想いに気付いていないのかもしれない。二人のことは二人にしかわからないね」

とも。修一は私の手を握ってこう言った。

「僕たちは、全て話し合おう。男と女は違うから話さないと分かり合えないことも多い」

私はそういう提案をしてくれる修一に感謝した。私たちはうまくやっていけると思えた。私は修一の手を強く握り返すことで、その言葉に応えた。

クリスマス直前の街は美しかった。いたるところがイルミネーションで飾り立てられ、昼間には目立つ街の薄汚さを隠しているようだった。多くの人間が自分の醜い内面を隠し、表面を綺麗に装う事に似ていた。

「さっきの春琴の話だけど、春琴は自分の目をつぶした佐助に、感謝したんじゃないのかな」

修一は遠くに視線をやりながらそう呟いた。

「佐助の中で永遠に美しい観音様で居続けることを、春琴も望んでいたんじゃないかと思う」

私は頷いた。人の行いは、見る角度によって如何ようにでも解釈が変わる。

「私は、究極の純愛だと思いたいな」

私は修一の目を見て、そう応えた。修一は私の肩を抱き寄せた。



クリスマスも年越しも修一と私は一緒に過ごした。クリスマスに、私は修一に白いセーターをプレゼントし、修一は私に小さなダイヤのついたペンダントをプレゼントしてくれた。まるで今まで別々に生きてきた時間を必死に埋めるように、私達は時間も想いも共有した。修一と私の会話には笑いが多かった。大した話でもないのにお互いにお腹が痛くなるほど笑いあった。私達には何も必要なかった。何も無い所から二人で楽しみを見つけられた。散歩するだけでも目にするものから会話を膨らませ、笑いにも夢にも希望にも繋がった。一万ピースの絵の無い難しいパズルが勘に任せてするするとはまっていくように、全ての相性がぴったりと不思議なほど合っていた。

私達はお互いを知れば知るほど、会う事にも話す事にも、お互いを理解する事にも、徐々に切実さが加わってくるようになった。もっともっと、ひとつになりたいとお互いに思った。溶けてひとつになってしまいたいという欲望が湧いてきた。抱き合っても抱き合っても、溶けてひとつの存在になれない事がもどかしかった。もう、決して離れられないと私達は思っていた。


年が明けたある日、私は神楽坂で叔母の口から出た私の知らない話について修一に聞いた。修一は仕事については少し売上げが良くないとだけ事を話してくれていた。普段の修一は仕事についてほとんど私に話さない。私は男性はそういうものだろうと特に詰問はしなかった。柿谷が修一の体調を心配していたという話については、修一は心当たりがないと言った。

「人間ドックも毎年受けているし、肝臓の数値があまり良くないだけで他に悪い所は無いよ。酒は控えめにするよ」

修一は私を安心させようとしたが、私はその修一の対応になにか違和感を覚えた。修一との関係で初めて感じた違和感だった。


人の脳は、生きるために記憶を曲げる。自分の幸せを壊す要因は記憶に留めておかないように、脳が自分を守りながら生きている。時として、いや、常に、人間の脳は、主人の都合の良いようにしか機能しない。脳は、主人に従順な哀願動物と似ている。人は、思い悩み、最も適切な選択をして崇高な人生を生きていると思いがちだが、脳は利己的な本人に都合よく感情や記憶を変化させているに過ぎない。私の脳は、その違和感を記憶の端に追いやった。


私達はお互いの全てを知りたいと切望した。私達はお互いの身体も隅から隅まで知り尽くし、探りあい反応を確かめ合った。お互いの感情の全ても出し合い探り合い理解しようと努めた。

修一は私に、私は修一になりたいと切望した。私達は別々の個体として存在する事に違和感を覚えるようになっていた。なぜ同一の個体になれないのだろうと、二人でよく話した。

「子供が出来れば、ひとつになれるのかもしれないね」

と修一は言った。

「人間である僕達は、お互いの細胞を結合させて子供を作ることでしか、ひとつになれないのかもしれない」

修一はそのあとにこう続けた。

「でも、僕は父親になるということが、どういうことなのかわからない」と。

修一は一緒に居るときにはいつも私と触れ合うことを望んだ。外にいても手を繋ぎ、肩を抱き、必ず身体のどこかが触れている事を要望した。修一がこれほどまでに私を求めるのは、きっと今まで彼が背負ってきた孤独があるからだろうと思っていた。一人になるのが怖いのだろうと、私と会う事を子供のように喜ぶ修一を心から愛しいと思い、守りたいとも思った。私達は自由になる時間の全てをお互いに費やした。その時の私達はそうしたかった。


二月になり、私の出版の仕事と引継ぎは大詰めを迎えていた。画廊の準備の方はマイペースな叔母の指示で動いているせいか、心配になるほど何もすることが無かった。

「三月から個展準備が始まるからそうしたら忙しくなるわよ。舞ちゃんがんばってね」

三月中旬には日本を発つ予定の叔母はすっかり人事のように言っていた。

おかげで私は出版の仕事に専念できていたが、二月半ばに担当していた絵本が出版されるまではほぼ毎日終電に間に合わず、タクシーで帰宅する日々だった。必然的に修一との会話の時間も十分に確保できず、自分自身の気持ちが安らぐ時間が無いだけでなく、修一が寂しがっているのではないだろうかという心配でも、同じように気が休まらなかった。修一はそんな私に理解を示し支えてくれた。土日には私のマンションへ来て、疲れて寝ている私にマッサージをしてくれて、掃除も料理もしてくれた。修一が忙しい時期には私は修一のマンションで掃除や洗濯や料理をした。私達は今の所、お互いの役割分担についても揉める事はなかった。自然にお互い足りない部分を補い合っていた。


二月半ばに絵本が出版された。

修一は中目黒のイタリアンでお祝いをしてくれた。その店は中目黒の駅から徒歩十分ほど歩いた川沿いに建ち、店内からは目黒川の桜が綺麗に見える店だった。柿谷から教えて貰ったその店を初めて訪れた時に修一と私はその店をたいそう気に入り、何かのお祝いにはまたこの店に来ようと約束をしていた。今回は二人で祝う初めてのお祝い事だった。私の担当した絵本の出版祝い。私達はシャンパンで乾杯をした。


「で、どんな内容の絵本なの?」

と修一は私に尋ねてきた。

守秘義務を忠実に守り、私はこんな発行部数の少ない絵本一冊であっても出版前には部外者に内容を漏らすことをしていなかった。私は修一に出版されたばかりの実物の絵本を見せた。単行本程度の大きさで絵本としては小さいサイズだった。イギリス人の若い作家が書いた物語と挿絵は、子供向けの絵本とは言え大人向けと言ってもおかしくない完成された美しさを持っていた。



何も持っていない少年がいた。

家族も、友達も、住む家も、着る服も、食べるものも、本も、もちろんお金も、何も持っていなかった。


持っていないことが当たり前の少年は、持つという事が理解できなかった。


いつしか色々なものを「持つ」ようになると「持つこと」が嬉しくてひとつひとつをとても大切に思うようになった。


ところが、大切に思いすぎて、手放すまいと思いすぎて、うまく「持ち続ける」ことが出来ない。


「持った」経験がないため、どうやって大切にして良いかわからない。


大切に思う気持ち、やさしさの表現がわからない少年に、どうやって表現したら良いか、彼を見守る女神がゆっくりと教えていく。という内容だった。


「大切なものは、やさしく、そっと包み込むのよ

 大切なものは、力を入れ過ぎると壊れてしまうから」


この言葉が、この絵本の世界をあらわす女神の言葉だった。最終的に、少年が大切なものを包むことが出来るようになったかどうかは、読者に想像させるように物語は終わっていた。


修一はこの絵本を読んだ後こうつぶやいた。

「僕も大切なものの扱い方や、やさしさをどうあらわすのか、わかっていないのかもしれない」

修一はとても優しい。私に対しても柿谷にも叔母にも。私は修一のこの発言の意図を読み取れずに、デザートを食べるのを中断して修一の顔を見た。

「修一は私に十分優しくしてくれているじゃない」

修一は俯いていた顔を上げ私の目を見つめた。その目は、すがるような悲しげな気持ちを表現しているように見えた。修一は私の目からワイングラスに目線を落とし、ゆっくり静かに言葉を発した。

「僕の愛情は、そのうち舞子を苦しめるかもしれない」

修一はグラスに残った赤ワインを飲み干し、言葉を選びながら続けた。

「大事だから失いたくなくて、僕はきっと、力を込め過ぎてしまうと思う」

そして不安そうな、すがるような目で私を見つめて言った。

「もし、そうなっても、僕から離れないで欲しい」

この修一の言葉の陰に、どのような過去が隠されているのか、その時の私には想像することが出来なかった。

「何があっても離れないよ」

恋愛の熱に浮かされている男女が当然言うべき言葉であろうと思われる一言を、その熱の最中にいた私はさも当たり前の如く口にした。私は、言葉の重みというものをわかっていなかった。自分が発した言葉がどのような意味を持つのか。相手にどれほどの影響を与えるのか。その重みが、その責任がどれほどのものであるのか。わかっていなかった。自分の許容範囲は愛によって無限になると信じるほどに、私は浅はかで無知で傲慢だった。

窓から外を見ると、昨夜から気まぐれに降ったり止んだりを繰り返している雪の粉をたわわに枝につけた桜が、少し悲しげに見えた。修一は私の言葉を聞いて安心したのか、私の大好きな笑顔で微笑んだ。修一の笑顔はいつも私に魔法をかける。そうだ、私達はもう、修一の悲しみにも、私の暗い願望にも、覆われてしまう事は無いのだ。もうそのような暗闇は私達に寄ってくる事は無い。私達は二人でひとつになった。暗闇を近づけない強さを持つことが出来たのだ。私達は出会った事で生まれ変わった。修一の目を見て、私は勇気を感じた。

愛は、希望と勇気を与えてくれる。

「舞子と一緒にいると嫌なことが無くなる」

と修一は言った。

「嫌なことを忘れられるし、今まで嫌だと感じていたことも嫌なことじゃなくなる」

「だから、舞子がいなくなったら嫌なことだらけになってしまう」

そう言い終えた修一は寂しげな子供のような目をしていた。私は修一を安心させるために、テーブルの上に置いていた修一の手を握った。

「もし僕が死ぬ事があるとしたら、それは舞子を失った時か、自分に絶望した時だ」

 修一は私をまっすぐに見つめた。その目は熱を帯び過ぎていて、私は見つめ返す事が出来ないほどだった。


食事を終えた私達は店を出た。ひらひらと舞い降りる粉雪の中、修一と私は目黒川沿いの遊歩道をゆっくりと歩いた。皮膚と内臓は耐え難いほどの寒さを感じ、心はお互いの気持ちがとろけあいひとつに結合される時に発生する、何よりも暖かい熱で暖められていた。お互いに言葉を口にすることなく、その黒い枝に真っ白な雪を積もらせた桜の木の下を歩いた。

私は“I Loves You, Porgy”を聴きたくなり、バッグからiPodを取り出した。イヤフォンの片方を不思議そうな顔をする修一の左耳に入れ、もう片方は自分の右耳に入れた。修一は左手で私の肩を抱き、お互いのイヤフォンが外れないように顔を近寄せて寄り添った。私は“I Loves You, Porgy”を再生した。修一の顔にほんのりと笑みが浮かび、私の肩を抱く手に少し力が入った。


目黒川の橋の上で、寄り添いながら“I Loves You, Porgy”を聴いた。見上げた目線の先一面に広がる、白く輝く雪の花を咲かせた桜の木は、満開の花を咲かせた桜の木よりも、ずっとはかなげで、美しかった。“I Loves You, Porgy”は、このはかなげな景色に溶け込んだ。私は、この瞬間に奇跡を感じた。


「君が死んだら、君の肉を食べたい」


キース・ジャレットがiPodの中で丁寧にひとつの甘い曲を弾き終えた後、修一は正面から私を両腕で抱きしめながら、小さな声でそっと呟いた。

それはとても微かな、静かな言葉だったが、修一の精一杯の、魂の叫びだと私には感じられた。その言葉と一緒に吐かれた修一の白い吐息を見つめながら、私は修一の全てを受け入れたいと願った。例え自分が壊れても、どうか修一の全てを受け入れ、この人の魂を暖めることが出来ますように。出会えた奇跡に、魂が震えた。今、ここに自分が存在する事に確かな意味を、産まれて初めて感じた。


この雪の花に覆われた桜は、あとひと月もすれば自らの内から淡いピンクの花々を芽生えさせ、世の人々を春の世界へと誘う役目を負っている。今だけは、修一と私の為だけに雪の花を咲かせ、私達に至福の世界を見せてくれている。この桜を、ずっと覚えていようね。と、私は修一に言った。


記憶は忘れ去られる。どんな記憶も、鮮やかなまま記憶しておくことはとても難しい。私は祈るような気持ちで、今この瞬間に私の全ての感覚で感じるものをこと細かに脳裏に、私自身に刻み付けた。決して忘れることの無いように。


この時の私は、修一は私にしか理解できないと信じ、私もまた修一にしか理解されないと信じていた。私達のこの魂の繋がりは誰もが経験するものではなく、自分たちだからこそ経験できる崇高なものだと信じていた。長く、深く、苦しんできた私たちに神から与えられた得がたいご褒美だと、至上の愛を得たと信じていた。このような感動を得られる人間が世の中に一体何人居るだろうと、限りなく傲慢に歪んだ自意識を持って、私は喜びに心を震わせていた。


狂人の行為は、概して崇高な愛と解される。


そのとき、すでに私達は狂気の世界へと足を踏み入れていた。この世で現実的に幸せに生きて行きたいのであれば決して一歩踏み出しては行けない世界へと。私達は止められなかっただろうし、止まろうなどとも思わなかった。何故ならそこが狂気への入り口だなどとは気付いていなかったから。必死だったのだ。麻薬中毒患者が、必死に麻薬を手に入れようとするように。そして、やっと手にした麻薬が手元から離れて行くことを恐れて、これからは生きなければならなかった。


それが、私達が最も恐れていた、自らの暗闇を引き寄せる結果になるとは修一も私も知らなかった。出会ったことでやっと暗闇を遠ざけたと思っていた。打ち勝つ強さを持てたと思った。でも、私達の出会いは、私達がそんな禍々しいものから逃れられない運命だという事を知らしめたに過ぎなかった。


私達のそれは、狂人の愛だった。いや、愛ではなく、強烈な自我であり強烈なナルシシズムであり、強烈な陶酔であり、そして強烈な祈りだった。単に、それだけだったのだ。


三月に叔母がロンドンへ発つ数日前、叔母と私は両親と墓参りをした。南麻布の高台にある墓に行くのは久しぶりだった。その墓には、父と叔母の両親、私の祖父母と曽祖父母、そして私の、産まれなかった兄が眠っている。私が生まれる前に母が死産した兄だ。私は、自分はこの世に産まれなかった兄の分も生きなければならない運命だと昔から思っていた。叔母は暫く日本を離れる事を先祖に報告した。

「血の繋がりは、何より強いものだ」

と、父は墓に手を合わせながら静かに言った。

「何かあったら、すぐに帰って来なさい」

と父が背を向けながら叔母に言った言葉は、私と母にも、父と叔母の繋がりの強さを感じさせた。叔母はひとこと

「ありがとう兄さん」

と言い、頷いた。その美しい目には涙が光っていたように見えた。墓参りの帰りに、麻布十番の更科堀井で蕎麦を食べようと言う話になった。父は東京で最も美味しい蕎麦屋は更科堀井だと昔から言っている。四人で食事をするのは久しぶりだった。


「舞ちゃんの画廊の準備はどうなの?ちゃんと出来そう?」

母は心配そうに叔母に尋ねた。

「もう一通り関係者にも紹介したし、舞ちゃんが何もしなくても回りが動いてくれるから大丈夫」

と叔母は応えた。舞ちゃんはいてくれるだけで良いんだから。と。

画廊の準備は、叔母の言うとおり周囲が動いてくれていた。六月に開催する叔母の知人である陶芸家の個展に向けて、イベント会社の担当者が仕切りながら陶芸家と私とで打合せを進めていたが、基本的に私には大きな役目は無さそうだった。

「舞ちゃんも慣れたら積極的に企画して進めて良いのよ。何か思いついたらイベント会社の井沼さんに相談したら良いわ。彼なら形にしてくれるから」

と叔母は言った。私は、いずれ今まで扱っていた絵本の展示をしたいと話した。叔母も母も賛同してくれた。

「あの絵本はなかなか良かったな」

と父が言った。私が最後に担当した絵本の事だ。父が褒めてくれる事は滅多にないことだ。嬉しかった。最後に良い仕事が出来てよかった、と私は言った。

「舞ちゃんはお兄ちゃんに報告したの?田辺さんのこと」

と叔母は口を滑らせた。母は誰の事かと問いただしてきた。父は無言だった。私は叔母を睨みながら、両親にそのうちちゃんと話すから、とその場は濁した。

「余裕のある男を選びなさい」

と、父は静かに言った。普段あまり話さない父の言葉には重みと、到底逆らえない威厳がある。

叔母は後で詫びてきた。もう両親に話していると思い込んでいた、と。私自身、そういえばそろそろ両親に話したほうが良いだろうか、と初めて気付いた。修一とはそんな話をした事は無かった。結婚をしようという将来の話はしていても、修一に家族がいないという事もあり、家族の話は無意識に避けていたのだ。


その日の夜、修一のマンションで二人で鍋を食べた。修一は鍋が好きだった。家でリラックスした格好をしながらビールを片手に大切な人と鍋をつつくのが夢だったと言っていた。その日はきりたんぽを入れた鳥つくね鍋にした。一緒に準備をしてコンロで暖めながらゆっくりと鍋をつついた。

冬の暖かい食べ物はどのような状況におかれている人間であっても、幸せにする力がある。修一は幸せそうだった。修一の笑顔を見る事が、私の幸せだった。きりたんぽを鍋に足しながら、私は今日の墓参りの話をした。叔母に両親の前で修一の話を出された事、そろそろ付き合っていることだけは話しておいた方が良いと思うことを話した。その時の修一の表情は、予想に反し、初めて見るものだった。私には困ったような戸惑ったような表情に見えたのだ。私はそのとき、それまで規則正しくスムーズに流れるように奏でられてきたオーケストラの演奏が、次第に観客に安心感を与え、次の旋律を期待させる盛り上がりを見せた段階で初めて、不協和音を奏でるような感覚を覚えた。

私が黙っていると修一は口を開いた。

「ごめん」

修一は俯きながら言った。

「誤解をしないで欲しい。舞子とは結婚したい。舞子以外とは考えられない。ただ、舞子のご両親に自分が認めてもらえるか、自信がないんだ」

修一は言葉を繋げた。初めて修一の口から、私には理解が出来ない言葉が紡がれた。その時の私は、過去がどれほど修一を苦しめてきたのかを想像出来ていなかった。そして修一の苦悩を知った後でも、自分に経験が無い人の苦しみを理解するには、私は無知で傲慢過ぎた。おそらくその時は私達にとって、お互いの気持ちが通じ合わない初めての瞬間だったのだろう。修一の目の前で寂しさと孤独を感じながら、時間が過ぎた。鍋が煮え立ち、きりたんぽが形を崩して溶け出していた。修一は私を抱きしめ、もう少しだけ時間が欲しいと言った。私は、修一の腕の中で、大切に築き上げ、曇りひとつ無く磨き上げたはずの宝物が、微かに曇ってゆく気配を感じた。壊れないと信じきって寄りかかっていた椅子が、予想に反して軋み出した。


叔母がロンドンへ発ってから、思いがけず画廊の仕事が慌しく動き出した。

六月に予定されている陶芸家の個展の企画が発展し、都内で催されるある大きなアートイベントの一環として扱われる事になった。陶芸家にとっては売り出す為の大きなチャンスであり、長年その陶芸家を支援しているパトロン達やイベント企画会社の担当者にとっては久しぶりに力を入れる一大イベントとなった。叔母の言う通り、業務はほとんどイベント企画会社の担当者である井沼という男性が主になって進めていたが、私は井沼の指示に従い、画廊のオーナーとして関係各所への挨拶周りや会議への出席、会食への参加などをこなすこととなり、夜も含めて平日のほとんどは拘束されるスケジュールとなった。

マイペースの叔母の説明を真に受けていた私は画廊経営を甘く見ており、今の自分には圧倒的に芸術に関する知識が足りない事を痛感し、短期間での知識吸収を目下の課題とせざるを得なかった。その勉強については、長年このような芸術関連のイベント企画に携わり、日本国内の美術界に精通している井沼に全て指導をしてもらう事になった。というよりも、勉強は井沼からの提案でもあった。

「舞子さんもせっかく藤堂先生から経営を引き継がれるんですから、本腰を入れて拡大したら面白いと思いますよ。日本の美術界はこれからますます発展しますから可能性は無限です」

と井沼は言った。

藤堂先生とは叔母のことである。私の苗字は叔母と同じ藤堂なので、井沼は私を苗字ではなく名前で呼んでいた。井沼は私よりも五歳年上で離婚経験があった。今は仕事一筋の真面目な男性だ。柿谷も叔母も井沼に全面的な信頼を寄せていたが、確かに信頼に値する人物だった。井沼の元での画廊経営に、私は思っていた以上にのめりこんでいった。


修一との時間は土日だけになった。修一も店舗の経営が思わしくなく、平日は自分も全ての店舗を廻り、店を任せている店長達との会議などに明け暮れていた。私達は金曜の夜から月曜の朝までの、一緒に過ごす時間を心待ちにしながら平日の仕事をこなしていた。お互いの存在が支えになっていた。忙しいからこそ、一緒に過ごす時間とお互いを今まで以上に慈しんだ。時間の経過と共に私達の関係も安定していくように見え、なにもかもが順調だった。


私は画廊の仕事の話を事細かに修一に話していた。それは恐らく、画廊の経営と言う未経験で未知の仕事に対し、十分な予備知識も無く飛び込んでしまったことで当然のごとく付きまとう不安を解消するため、信頼する修一のアドバイスを求めていたのだ。修一は自らが経営者というだけあり、都度適切なアドバイスをしてくれた。私は修一に話を聞いてもらうだけで安心出来ていた。結果、それが自信にも繋がって行った。

滅多に仕事の話をしない修一に対して、私ばかりが仕事の話をするのは負担になるのではないかと思って一度修一に聞いた事がある。修一は笑いながら応えた。

「舞子の仕事の様子を把握できる方が僕はうれしいよ。舞子の事は何でも知っておきたいから」

この頃には私は修一から変わらず注がれる愛情に安心しきっていた。胡坐をかくようになっていたのかもしれない。不変の愛など存在しないに等しいのに。


その日は六月のイベントのため、井沼と陶芸家の林さんと三人で打合せを兼ねて食事をしていた。林さんは私と同い年で、日本人形のような静かな美しさを持つ女性だった。林さんの真っ直ぐでさらさらの黒髪は行き交う人を振り向かせるほど見事なものだった。彼女の作る器は青磁の繊細なもので、私は彼女の作る作品は彼女そのものだといつも思っていた。

今までは叔母の作品くらいしか目にしていなかったが、画廊の経営を始めてからは必然的に色々な芸術家の作品を目にすることになった。音楽にも共通する事ではあるが、ひとつの作品を見れば見るほど、その作者を知れば知るほど、最初は気付かなかった美しさや独創性やメッセージなどというものに気付くようになる。その解釈に正解も不正解も無いことは万国共通で、思う存分自分の世界でその作品を自由に愛でる事が出来る。これは、芸術全般を楽しむことの醍醐味と言えるだろう。限りなく広がる自分だけの空想と甘美の世界。私はその世界に浸ることが好きだった。

井沼と林さんと三人で集まると話が尽きなかった。気が合うのに加えてテンポが合う為、食事の後に必ず二軒目三軒目と、時間を忘れて語りつくすことはしばしばだった。井沼は、前々から林さんに想いを寄せている、と叔母が言っていた。あながち嘘でも無さそうだった。林さんを見る井沼の目は、少年のように素直だった。井沼の目を見て私は井沼に尋ねた。男性にとって、その人の前だと少年に戻れる女性とはどのような存在なのか、と。井沼は即答した。

「そんな女性が居たら男は恐らく手離さないですよ。よほど酷い条件が無い限りは」

「酷い条件って?」

と林さんは井沼に聞いた。

「例えば、もの凄い浪費家だとか、借金まみれだとか、アル中だとか、浮気性だとか、片付けられない女だとか、とてもまともに結婚生活を送れないような条件ですかね。結婚しないとしても、パートナーとして一緒に生活するのが難しい条件ですね」

「そういう酷い条件がなければ、子供に戻れる相手って男にとっては理想の人なの?」

林さんはまるで私の心の声を代弁してくれるように質問を続けた。

「それだけ自分を素直にさせてくれる相手って、そうそう居ないものなんですよ。男は見栄っ張りで弱いですから、好きな人の前でもなかなか兜を脱ぎ捨てないものなんです」

と井沼は言った。

「ふぅん。男って大変なのね。肩凝りそう」

と林さんは芋焼酎を飲みながら言った。彼女はとてもお酒に強い人だった。そしてマイペースだ。恐らく井沼は彼女の自由なペースに心を振り回されているのだろう。

悟と別れてからもう半年以上が過ぎていた。悟が選んだ新しい彼女は、悟にとっては「子供に戻れる相手」だった。理想の人と一緒になったという事なのだ。私は悟が今もきっと継続しているはずの幸せを喜ぶことが出来た。別れた頃はこんなに短期間で新しい愛を手に入れているとは思っていなかった。人生、本当に予測不可能で何がどうなるかわからないものなのだ。

「舞子さん、今の彼に愛されてるんですねえ。彼にそう言われたんでしょ?」

 井沼は私に話を戻してきた。

「彼にそう言われてはいないけど、愛されてはいると思います」

 と私は悪びれずに堂々と口にした。

「今度舞子さんの彼も一緒に飲みましょうよ」

 林さんは提案してくれた。私も井沼ももちろん合意した。修一も喜んで参加してくれるだろう。

二人と別れた私はタクシーに乗った。マンションへ戻るまでの間に修一に電話をしようと携帯電話を見ると、修一からの着信が三回も入っていた。メッセージは無い。何か緊急の用事があったのかと思いすぐに修一に電話した。電話に出た修一の声は怒っている様だった。どうしたの?と私が聞くと、修一は低い声で静かに言った。

「どれだけ心配したと思っているんだ」

私は事が深刻だと察した。今日は仕事後に食事としながら打合せをすると伝えていたはずだ。着信に気付かなかったのは申し訳なかったが予定がわかっているのだから心配する事は無いし、今までも仕事絡みで飲んで遅くなる事はあったと私は修一に言った。タクシーが自宅マンション前に止まった。私はお金を払い、外に出て歩きながら電話を続けた。

「とにかく家の前にいるから」

修一の声が携帯電話から聞こえたと同意に、目の前のマンションのエントランスに、腕を組んだ修一の姿が見えた。


私は驚いて立ち止まった。そこまで心配をかけた自覚が無い子供のような気分だった。とにかく部屋で話そう。と言って繋いだ修一の手は氷のように冷えていた。部屋に入るとすぐに修一は私に抱きついてきた。頬も冷え切っていた。私は修一を抱きしめた。

「心配させてごめんね。こんなに冷えちゃって」

と私は修一の頬を両手で暖めた。私の両手の中に納まった修一の瞳は、捨てられた子犬のように頼りなげで私は胸を締め付けられた。修一はそのまま私をソファに押し倒し求めてきた。それはあまりに激しく荒々しく、いつもの修一ではなかった。私は恐ろしさを感じたのか反射的に修一を拒み、跳ね除けた。修一の表情が凍った。咄嗟にごめんなさい、と詫びると、修一は

「何故拒む」

と声を震わせながら呟いた。地底から響くような静かで重い声だった。

「何故僕を拒む」

修一ははじめて私の前で声を荒げた。目は充血し、顔の筋肉はこわばり唇は怒りに震えているように見えた。その表情は切実で、煮えたぎる何らかの想いを抑えに抑えているように感じた。いつもの修一ではない。

私は一瞬パニックに陥った。この状況が何なのか理解できずに黙ってその場に座り込んでいるしか出来なかった。彼は何故怒っているのか、私の何が彼をここまで怒らせてしまったのか、他に理由があるのか、私は冷静に状況判断をしようと努めた。

修一は膝を抱え、頭をその膝につけ、動かない。その背中の動きから彼は泣いているのだとわかった。私はゆっくり修一に近づき、「何かあったの?」

と修一を抱きしめ、髪を撫でながら私は聞いた。修一は、長い沈黙の後に囁いた。

「拒まないでくれ。僕を拒まないで、受け入れて」

私には、その意味がわからなかった。物理的な要望でない事だけは理解できたが、これ以上、修一の何をどう受け入れればいいのか、というのが私の正直な気持ちだった。十分すぎるほど修一の全てを受け入れていると思い込んでいた私は、どう答えれば良いのかわからないまま、修一の髪を撫で続けた。修一が少し落ち着きを取り戻すと、私はコーヒーを入れ、二人でソファに掛けた。 

誰と一緒に居たのかと修一は聞いてきた。私は笑いながら井沼さんと林さんと一緒だったと応えたが、その時に始めて修一が井沼との事を心配していることがわかった。

「井沼さんは林さんが好きなのよ?心配する必要なんて全く無いし、画廊の事でとてもお世話になっている仕事関係の人よ?」

と説明し、安心させる為にこう言った。

「私を信頼して」

この時初めて修一の中に眠る激しい嫉妬心に気付いたが、私はまだ複雑な生い立ちが起因して寂しいが故、心配するが故の嫉妬だと好意的に受け止めていた。特に男性は仕事がうまく行っていないときには不安定になる場合もある。私は出来るだけ修一を理解し支えたいと思っていた。

修一は私に約束して欲しいと言った。もう二度と、こんなに遅くまで僕以外の男と出歩かないで欲しい。出歩く時は僕も同席するか、まめに連絡をして欲しい。と。私は修一の取り越し苦労と知りつつも、修一が心配するならその約束を守ると言った。


その後、修一の嫉妬深さが徐々に束縛となり私を締め上げ、結果的に私たちを破滅に追い込むほどに育ってしまうのかもしれないと、その時の私はほんの小さな予感を感じていたのかもしれない。いや、感じても不思議ではなかった。けれども、私の脳は、その予感を、記憶の端に追いやった。やっと掴んだ幸せを守る為に。


六月の画廊でのイベントに先立ち、柿谷が帰国した。

私は柿谷の帰国目的はこのイベントだけではないと私は思い込んでいた。何故なら、わざわざ柿谷が出るほどの大きなイベントでは無かったからだ。井沼も柿谷がイベントにあわせて帰国すると伝えると、このイベントの為にわざわざ帰国されるということは無いでしょう。他になにか仕事があるのでは。と推測していた。

柿谷の帰国目的が他にもあると推測するもうひとつの理由は、叔母がロンドンに残っていたからだ。叔母とは毎週電話で話していた。画廊の事が主な用件だったが、言葉が思うように通じないストレスからか、叔母はいままで以上におしゃべりをしたがった。修一と私の事を尋ねてきたり、柿谷のロンドンの画廊の様子、叔母の生活、柿谷と叔母との関係について、日本では話さなかったことまで話すようになっていた。その結果、私はロンドンでの柿谷と叔母の生活を事細かに把握せざるを得ないことになっていた。もちろん柿谷には言わなかったが。

その叔母からの電話がこの二週間無かった。画廊の状況報告をメールで送っても、返事が無かった。返事を要する内容ではなかったこともあり、私も自分の忙しさにかまけてそのままにしておいたが、柿谷から突然帰国の知らせを受けた時、私の不安が芽生え始めた。

そして柿谷の帰国直前、叔母から電話があった。叔母は泣いていた。ずっと泣いていた。何を話しかけても泣いていた。本当は私に抱きついて泣きたかったのだろう。でも、異国にいてはそれは叶わない。私は黙ってずっと、叔母の泣き声を聞いていた。最後に叔母は

「ごめんね舞ちゃん。ありがとう。大丈夫だから」

と言って電話を切った。

私は、私達と叔母の身体に流れる、血を信じた。どんな時にも、誇りを失わない血を。


久しぶりに会った柿谷は、少し痩せたように見えた。帰国の翌日、柿谷と私は井沼の手配により主要関係者と会食を持ち、イベントの成功を願った。その翌日には修一と三人で食事の約束をしていたが、柿谷はイベント関係者達との会食が終わると、私をもう一杯飲みに行こうと誘った。

「修一の話をしておきたい」

と柿谷は言った。加えて、真樹の事も、と言った。私達は柿谷がよく知っているというバーへ入った。 


「修一とはうまく行っているようだね」

柿谷は笑顔で言った。私も笑顔で頷いた。

柿谷は

「修一の生い立ちと、過去の恋人の話は聞いた?」

と何の前置きもなしに修一の話を始めた。

生い立ちについては聞いたが、過去の恋人の事は聞いた事が無かった。修一は私の過去も知りたがらなかった。柿谷は続けた。

「修一から電話があった。舞ちゃんのご両親に認められる人間なのかどうか、自分にはわからないと」

私は驚いて柿谷の目を見つめた。あの、鍋をした日の会話を思い出した。

「修一は家族の関係がどういうものなのか自分はわからないと思っている。そんなに難しいものじゃない。舞ちゃんが好きで大事なら、その気持ちが家族を思う気持ちと同じだと説明しても、経験をしていないという事が恐らく彼の不安の要因になっているんだろう」

私は黙って聞いていた。

「舞ちゃんには修一を理解してやって欲しいと思っている」

という柿谷の横顔は、悲しそうに見えた。柿谷の話は、修一から聞いた話とほぼ同じだった。一部を除いては。


修一は幼い時に父親が事故で亡くなった後、母親と暮らしていた。母親は美しい人だった。その為か、勤めに出た会社の社長に見初められ、愛人になった。母親は優しい人だったが、意志の弱い人でもあった。そして経済力も無かった。年の離れた見知らぬ男が毎晩自分達の部屋を訪れ、その度に別室で母が呻く声を聞く生活を修一は嫌がった。優しかった父親と母親との、微かな幸せな思い出が汚される様だったと言っていた。父親のことは、家族三人で一緒に水族館に行った記憶しかないと修一は言っていた。まだやっと言葉を話せるようになるかならないかの修一に、一生懸命魚の説明をしてくれる父親の笑顔を覚えていると。

徐々に修一はそんな男の言いなりになる母親も憎むようになり、自ら母親の祖父母の家に身を寄せた。祖父母は修一を猫可愛がりしたそうだ。利発で思いやりもある修一は高齢のために寝込みがちになっていた祖父母の面倒を見ながら学校に通った。あの時代にそんなに苦労している子供は居なかったのは舞ちゃんも知っているだろう。不平不満も言わずに祖父母の介護をしたり、家事を手伝ったりしていたそうだ。先に祖父が亡くなり、その一年後に祖母が亡くなった時には、修一は亡骸から離れなかったそうだ。祖母の亡骸の横にじっと正座して涙も出さず一睡もせず何も食べず、何かを睨みつけるように動かなかったらしい。親族が葬儀のために祖母の亡骸から修一を離そうとしたら、亡骸に抱きついて大声で泣いたそうだ。おばあちゃん僕を置いてかないで、一人にしないで、と泣いていたらしい。それから修一は笑わなくなった。これは、彼の義理の父親から聞いた話だ。

修一が入社して僕の部下になった頃、彼はとても扱い辛い男だった。ただ、筋は良いと見込んで他の部下よりも気にかけていた。修一が仕事に慣れた頃、修一の義理の父親が僕を尋ねてきた。亡くなった母親の再婚相手だ。その頃、修一は自分が住むマンションの保証人になって欲しいと僕に依頼してきて、僕は引き受けていた。彼の父親は、修一がマンションの保証人を見つけたから父親を保証人から外すという連絡をしてきた為、保証人になってくれる人物に会って挨拶をしておきたいと言って、僕に会いに来た。まっとうな礼儀を持ち合わせた父親だった。彼から、修一の過去の話を全て聞いた。もちろん、修一も全て話してくれていたが。母親はそのパトロンだった社長、僕に会いに来た義理の父親と再婚していた。社長の妻が病死したので、後妻に入ったそうだ。生活は裕福だったが、その新しい父親と母親との間には二人の子供が産まれていた。当然修一の居場所は無い。小さい頃に憎んだ新しい父親は、思いがけず修一に気を使ってくれる優しい人間だった。だからこそ修一は、祖母を亡くした後一度は母親家族と一緒に暮らしたが、新しい父親と母親に気を使って高校進学と同時に家を出た。生活だけは父親が十分な仕送りをしてくれて不自由はなかった。ただ、修一は愛情に飢えていたのかもしれない。彼が受けた愛情は、幼い、あまり記憶に無いころに両親から受けた愛情と、数年の間祖父母から受けた愛情だけだった。母親からの愛情は、彼はあまり受けた記憶が無いと言っていた。

学生時代はとにかく勉強したらしい。人並みに仲間達と遊びもしたらしいが、女性を本気で好きになった事は無いと言っていた。修一は見かけが良いから女性には困らないと周囲からは思われていた。あの頃は多くの女性が言い寄っていたが修一は一切相手にしていなかった。入社して少したった頃、修一は一人の女性と付き合い出した。その子は地味でおとなしい子だった。修一と同い年くらいで、何が良かったんだかはわからないが、急速に親密になった。修一はよく笑うようになったよ。ところが、付き合って二年くらい経った頃、あっさり別れたんだ。どうしたのか聞いたが応えてくれなかった。

それから数年間修一は仕事に打ち込み、独立してここまで成功した。その間、ちゃんと付き合った女性がいるという話は聞いた事がなかった。独立して落ち着いた頃に修一は、昔付き合っていた子は死んだと言った。精神的に脆い子で病院にかかっていたと。あの時は自分を保つのに精一杯で本当の事を誰にも言えなかったと。

「でも、それは修一の嘘だった」

と柿谷は続けた。


柿谷は修一が付き合っていた子に偶然仕事を通して再会したと言う。数回しか会った事が無かったがよく覚えていたそうだ。彼女は自殺したと聞いていたため、驚いた柿谷は彼女に真相を聞いた。すると、修一の話は彼女の話とは反対だった。彼女と付き合ううちに、修一は過去に経験した、大切な人が居なくなる記憶に苛まれるようになったらしい。父親や母親や祖父母のことだろう。修一は睡眠薬を飲むようになり、極度に彼女を失う事を恐れるようになった。彼女は一緒に居ると修一も自分も壊れると思い、自分から逃げるように離れていったそうだ。修一は追わなかったらしい。彼女は今は他の人と結婚して幸せに暮らしていると言っていた。自分には修一を受け入れられなかったと泣いていた。

修一は、きっと彼女との記憶を葬りたかったんだろうな。だから死んだなんて言ったのかもしれない。


修一の脳は、生きる為に記憶を曲げたのだ、と私は思った。

柿谷は話を続けた。


修一にそのことを話すべきかどうか長い間悩んだ結果、話さないことに決めた。彼女を死んだ事にしないと過去と決別できないなんて、尋常じゃない。僕が話を蒸し返す事で、修一がまた睡眠薬や安定剤に頼るようになってしまったら今度は取り返しがつかなくなるかもしれないと思ったからだ。柿谷は続けた。

「舞ちゃんに誤解して欲しくないんだが、修一は至極まっとうな人間だ。頭は切れるし仕事は出来る。仲間からも信頼され好かれている。だからこそ、今もこうやって成功している。ただ、人間には得意分野と不得意分野があるだろう?」

 私は頷いた。それは、私もいつも感じている事であり、私の暗く重い願望はそれ故存在している。

「修一は、人と愛情を交わすことが不得意なのかもしれない。与える事も、受ける事も」

柿谷は、ひときわ重い表情を見せながら話し続けた。

「不得意な事を強いられ、自分の許容範囲の限界に達すると、心が悲鳴を上げる」

 柿谷の話はわかりやすかった。

「ロンドンもそうだが、欧米ではカウンセリングは一般的だということは舞ちゃんも知っていると思うけど、僕は決して特別な事では無いと思っている。一時的に精神バランスを崩すという事は」

 私は黙って、野菜スティックをつまんだ。

「誰にでも起こりうることだ。人の人生は予測不可能で、人間は脆い」

 私は柿谷の考え方に共感した。叔母が柿谷を好きになる理由がわかる気がすると、このバーに入ってから感じ始めていた。

「修一はその子と別れた後も、一度だけ安定剤を飲んでいた時期があった」

 私は、叔母が神楽坂の鳥鍋屋で口にしていた、柿谷が修一の健康を案じていたという話は、このことだったのだとやっと気付いた。

「店をオープンしてすぐの頃、修一は思いがけず彼女に再会してしまったんだ。それもよりによって、彼女は修一の店に客として来てしまった。彼女の旦那と一緒に。もちろん修一の店だとは知らずにね」

 運命は残酷なものだ。どうやってもその必然性を見出せない、酷い仕打ちが人を襲うことがある。

「その時は人手が足りないといって僕も店に借りだされていた。修一より先に彼女に気付いた僕はあわてて彼女を店の外に出そうと話しかけた。そこで、修一が気付いてしまった」

 修一は冷静だった。異様なほどに。彼女に対して「お久しぶりです」なんて礼儀正しい挨拶をしていたよ。修一がそんな態度を取ったものだから、彼女の旦那まで僕と修一に「お知り合いですか?家内がお世話になってます」なんて挨拶して来て、僕と彼女だけが真っ青な顔をしていた。彼女はすぐに旦那を促して逃げ帰るように店を出て行った。今思うと、彼女の顔には恐怖の感情が浮かんでいた。僕と話したときは泣きながら「私が悪かった」なんて言って悲劇のヒロインになりきっていたのに、女とは身勝手なものだとつくづく思ったよ。

その夜修一に、前に彼女に会って全て聞いたことを話したら、拳を握り締めて泣いた。彼がああいう姿を見せるのは俺だけなのかもしれない。その時に修一はこう言った。

「僕には人を愛する事は出来ない。愛して失う事が怖い。おかしくなりそうなほど怖い。おかしくなって壊してしまう」

俺は、無理するな、いずれ自然に愛し合える人が表われる、今は無理する必要はない、と、言った。男は皆臆病者だよ、とも言った。その時の修一には全く響かなかっただろうけどな。その直後、暫く修一は睡眠薬と安定剤を飲んでいたよ。眠れないというので僕が知り合いの信用できるカウンセラーを紹介した。


ここまで話して、柿谷は水割りのおかわりを頼んだ。私は暖かいコーヒーを頼んだ。私の鼓動は早くなっていた。


修一を舞ちゃんと引き合わせるのは少し悩んだ。二人は気が合いそうだと真樹は言っていたが、舞ちゃんが修一のことを受け止められるかわからなかった。それは、正直今でもわからない。もう僕と真樹の関係については知っていると思うけど、僕は真樹を大切に思っている。その姪御さんである舞ちゃんを苦しめるわけにはいかないと思った。でも、あれからもう六年経った。仕事も軌道に乗って修一は立派な男に成長した。カウンセラーからは、気持ちの問題ももう大丈夫だろうと聞いていた。もちろん長年薬も飲んでいないはずだ。修一もそろそろちゃんと女性と向き合えるのではないだろうか、という賭けのような気持ちもあって、引き合わせたんだ。


「今は、二人を引き合わせて良かったと思っている。舞ちゃんと付き合う事になってすぐに修一から電話があって一晩中話したよ。舞ちゃんとならやっていけると、修一の声は希望に満ちていた。だから心配してなかったが、この前の電話があったから、舞ちゃんには全て話しておいたほうが良いと思った。修一からは話さないだろうから」

柿谷は水割りの氷を溶かしながら、少しずつ飲んでいた。


「どんな経験をしたかは、人がどう生きるかに関係は薄いかもしれない。過去の経験を、生き難いことの理由にするのは甘えかもしれない。でも、理由が何であっても、修一の苦悩は僕らが思っているよりも重い。それが、修一なんだよ」

柿谷は、きっと叔母のことも同じように受け止めてくれているのだろう。柿谷と叔母は分かり合える部分が多いのだろうと、柿谷の言葉から感じた。

「人の視野は自分が思っているより圧倒的に狭い」

柿谷は続けた。人それぞれ感受性は全く違い、ひとつの物事も自分では思いもつかないほど色々な角度から判断され、色々な受け止め方をされる。拒絶する人も居れば受容する人も居る。無関心な人も居れば、共感する人も居る。血の繋がった家族でも、愛し合う人でも、意外とその人の想いはわからないものだ。

年を重ねれば重ねるほどその多様性を知ることになり、自分の感覚が不確かなものに思えてくる。

「何を信じるか、大事に思うかは人それぞれだよ」

柿谷は私の方を見てそっと微笑んだ。


私は頭の中でたった今柿谷から聞いたばかりの修一の人生を反芻した。この数ヶ月間の、修一の言葉、行動、態度、表情、パズルのように私の脳裏に張り付いていた修一のひとつひとつが、一枚の絵画となって完成したような気がした。

それは、私の想像をはるかに超えた、悲しい色の絵画だった。ここまで深い付き合いをしていても察することさえ出来なかった、哀しみが詰まった色であり、風景であった。

まるで、この世で生きるうえで経験する、様々な人としての試練は軽く乗り越えたと言わんばかりの明るさと余裕を感じさせる風格で日々を過ごす修一が、こんな悲しさを秘めていたのかと思うと、最も近くに居る存在としての罪悪感に、私の心臓が締め付けられた。気付くことが出来なかった自分が、とても小さく浅い人間に思えた。

人の気持ちはわからない。私と修一はひとつになり、誰よりも理解し合えていると過信していた。修一はきっと、私よりもずっと脆い。私は修一を守りたいと思った。修一が愛しかった。


柿谷のもうひとつの話は、叔母の事だった。

「妻が真樹のことに気付いたんだ。訴えると言い出した」

私は間を空けず柿谷にどうするつもりなのか聞いた。来週、妻と話し合う。と柿谷は言った。それ以上の事は何も言わなかった。私も聞かなかった。

私は叔母の気持ちを思った。柿谷はすぐに叔母を選ぶと決めなかったのだろう。何年も妻と別居し、何年も叔母と付き合い、それなのに何故決められないのか。結局は男というものは、女の言いなりに流される生き物なのか。もしくは楽な方へと流されるのか。だとしたら、私達女は、男の何を信じるべきなのだろうか。


翌日、私と修一は柿谷と食事を共にした。

修一はとても楽しそうだった。修一は私との事をまるで子供が親に遠足がどんなに楽しかったかを報告するように、嬉しそうに柿谷に伝えた。柿谷はそんな修一を見て目を細めていた。二人の、兄弟のような親子のような絆が感じられ、私達は幸せだった。叔母の事を除いては。私は柿谷に、奥様との話し合いの結果を私にも教えて欲しいと頼んだ。離れている叔母が心配だから、と。柿谷は頷いてくれた。


その日は、仕事の話があるからと言う柿谷と修一をバーに残し、私は先に帰った。私がタクシーに乗るまで送ってくれた修一は

「今日は先に寝ていて」

と頬に優しくキスをしてくれた。私はいつものようにタクシーの中から後ろを振り返り、見えなくなるまで修一に手を振ろうとした。タクシーが角を曲がり修一の姿が見えなくなる瞬間、修一は私に向けて振っていた手を降ろし、それまで自然なものに見えていた笑顔を急激にある表情に変化させた。その顔は、この前部屋で言い争いをした時にはじめて見た、世の中の全てを諦めたような悲しい表情だった。私は胸の奥がわずかに騒ぎだす感覚を覚え、すぐに、たった今別れたばかりの修一に電話をした。

「今日は、私のマンションに帰ってきて。先に寝ているし、朝でもいいから」

と私は早口で言った。その後、ゆっくり

「柿谷さんとゆっくりして来てね」

と付け加えた。修一は少し間を置いて

「わかった。気をつけて帰るんだよ」

と優しい声で言った。


修一が帰ってきたのは明け方だった。修一は酔ってはいなかった。修一は眠れずにベッドに横になっていた私の頭を撫で、横に座った。

「寝れなかったのか」

私の好きな、修一の優しい声だった。

「うん。うとうとしてた」

「そうか。起こしてごめん」

修一は寂しそうな笑顔を作り、こういった。勇気を出して声を絞り出すように。

「店、うまく行ってないんだ。柿谷さんに相談してた」

私はベッドに横になりながら、私の頭から肩に移動していた修一の手をそっと握った。

「ごめんな」

という修一は、切なそうだった。修一にこんな切ない悲しい顔はさせたくない。

「まだ舞子のご両親を安心させられない」

と辛そうに言う修一に

「私は、修一と一緒にいられたら、それだけでいいから」

私は、心から自然に出る言葉を伝えた。本心からそう思っていた。

何も無くても、修一となら一緒にいれさえすれば大丈夫だと信じていた。私達は何も無いところから楽しみを見つけられる。仕事も生活も同じだと思い込んでいた。でも、そう思っていたのは私だけだった。

修一は

「怖いんだ」

と私の胸に顔をうずめ、背中に手を回して抱きついて来た。

「何もかも失いそうで怖い。店を失ったら舞子も失う」

修一は怯えていた。

「僕には何も無いんだ。他の人みたいに色んなものを僕は持っていない。僕には店と舞子しか無い。やっと手に入れたものなんだ。それが無くなったら、僕が生きてきた意味が無くなってしまう」

昨日柿谷に聞いた過去が、彼をここまで怯えさせるのだろうか。私にはどの要因が彼の怖れの原因なのかわかっていなかった。ひとつひとつの経験が、ひとつひとつの修一の想いが、ひとつひとつの修一の傷が複合的に複雑に折り重なり、その姿を巨大なモンスターのように成長させ、次第に修一を飲み込み、決して取り除くことの出来ない彼の一部になっていることなど、私にわかるはずが無かった。


私は修一をこれ以上出来ないほど精一杯、優しく抱きしめ愛した。修一の魂も身体も、ほんの少しの愛し忘れも無いように、時間をかけて愛した。その最中、修一は私に懇願した。何度も何度も、子供のように。

「安心させてくれ。不安を消してくれ。頼むから。舞子」

私は必死に修一に応えようとした。その反応を見ながら、丁寧に、激しく。その夜私たちは何度も交わった。ひとつになりたいのに、どうしてもなれないそのもどかしさを打ち消す為に。愛しくて愛しくて、どうしていいかわからなかった。


その日から、修一はゆっくりと狂っていった。


修一は必死で店を建て直そうと、自分の時間を全て注いだ。朝から深夜まで仕事をしていた。帰りは夜中だったが眠れないと言って、柿谷から紹介されたカウンセラーに処方してもらったという睡眠薬を飲んでいた。週末私と一緒に居るときは、まるで死んでしまったかのように眠り続けた。私は修一が睡眠薬を飲み始めた事を、柿谷に知らせた。

「舞子と居ると安心して眠れるみたいだ」

と言う修一に、私は落ち着くまで平日も私のマンションへ泊り込むことを提案した。洗濯物や食事も私がケアできるし、修一も睡眠薬を飲ますに眠れるかもしれない。幸い画廊の仕事は、六月のイベント本番を控えるのみで私の役目は特に無く、余裕のある時期だった。修一の為に私が出来ることがあるなら何でもしたかった。

修一は病的なまでに私に触れていることを望んだ。触れていないと安心できないと言い、常に私の肌に触れていた。一緒に居る時間はほとんど抱き合っている状態となった。それは、生活としては不自然なものだった。


修一の帰りは深夜だったので、私は平日も夜中に一度起きて修一を出迎え、修一が眠りにつくまで抱き合う生活を続けた。

修一はなかなか眠りに付けず、毎日のように肌を重ね、終わると修一は子供のような顔で私に抱きつきながら眠った。そんな日々が続くと、私も寝不足になり精神的な余裕が徐々に無くなってきた。そして修一も、その表情にも態度にも言葉にも、切実さが増えていった。修一に切実さが増えると同時に、修一の私への要求も比例して増加していった。常に触れ合うことの次は、私の全てを見ることだった。修一は肌を重ねるときに明かりをつけることを望みだした。入浴する姿も見たいと言い出し、一緒に入浴するようになった。私の排泄する姿も見たいという修一に私は恐怖を覚え、断った。すると修一はいずれ寝たきりになった時には世話をしあうのに、何故今見せられないのかと執拗に問いかけてきた。愛しているなら拒む必要は無いと責めてきた。理論攻めは彼の得意技なので、私はそういう時は黙るしかなかった。


次に修一が要求してきたのは、私の全てを知ることだった。私の携帯電話の記録も、PCのメールも、全て見たいと修一は言い出した。その頃の私は修一に隠し立てをする交友関係は無かったため、全てを見せた。これで修一の気が済むなら、それでいいと思った。逆に、私がどのようなものであっても修一の要求を拒むと、修一は私に対して怒りを露にするようになっていた。そういう時の修一は

「何故僕を拒むんだ」

と、地底から響く声で繰り返した。その目は彼が生まれてから今までに抱いた負の感情全てを込めたかのような力を帯びていた。私はもうそんな修一を見たくないが為に、彼の要求に応えるようになってしまっていた。

歯車が逆に回転を始めているのは、わかっていた。


時に不安の波に襲われた修一は、私に抱きしめて不安をなくすように懇願した。

「安心させてくれ。不安を消してくれ。舞子」

と彼は必死の形相で、地の底から響いてくるような低い静かな声を絞り出して私に抱きついて訴えた。私は必死に彼に応えようとしたが、彼の不安はいつまでも消えず、私はどのように応えたら良いのかわからなくなり、途方にくれることが多くなっていた。


窮地に立たされ攻め立てられ続けると、人は思考回路を止めることがある。


私の思考回路は徐々にその働きを放棄していった。執拗な修一の愛情と、執拗な攻めを交互に受け、私の神経も徐々に侵されていった。気を確かに持ってこの流れを止めなければ、いつかすべてが壊れる。私はそう気付いていたが、今だけだと信じ込もうとしていた。修一の仕事が落ち着けば、元の私たちに戻れるはずだと。何故なら、私たちはやっと生まれ変われたのだから、と思い込んでいたからだった。いや、私自身、そう思い込みたかった。もう二度と、重く暗い暗闇には戻りたくなかったのだ。


修一の店舗経営は悪化の一途を辿っていた。修一はある日、ひとつの店舗のクローズを決めた。柿谷と相談した結果だったらしい。丸一日眠り続けた修一は

「あと二店舗あるから、そっちを残せるように頑張るよ」

と、気持ちを切り替えたようだったがこの一月で大分痩せてしまったその顔色は悪く、目に力が無かった。暫くは休み休み、体力を戻しながらやるとのことだった。もともと店舗は店長に任せているから、イレギュラーが無ければ修一は店に出る必要はないのだ。彼の経営者としての主な仕事は、資金作りと集客だった。

これでやっと元の修一に戻ってくれると思った。今まで修一は追い詰められていただけなのだ。休めば、元の修一に戻る。私は甘い期待を抱いていた。


修一の状況が落ち着いた一方、私のほうは六月のイベント本番で忙しくなった。ほとんどが立会いで済んでいたが、イベントが大盛況だったためか雑誌の取材やインタビューなど、画廊のオーナーとしての出番が増えてきた。画廊のイメージがあるため、私は服装や髪型、化粧にも気を使って毎日朝から夜まで仕事をこなしていた。

一方、修一は私の為に家で食事を作り、掃除をし、帰りを待っていてくれる生活になった。疲れた私に気を使い修一は一度自宅マンションに戻ったが、まだ一人では眠れないため暫く私のマンションで一緒に住む事になった。私は修一に出来るだけ薬を飲んで欲しくなかった。柿谷も言っていたように、薬は修一を壊してしまう気がしていた。前の彼女のようになりたくなかった。彼女が乗り越えられなかったことを、私は乗り越えたかった。それだけの愛情を持っていると思っていた。


そんな生活も当初はお互いに新鮮で楽しかった。修一は家事を楽しんでいた。生活面ではお互いのバランスが取れていたが、修一の私に対する要求は減る事が無かった。常に私に触れ、行動をも束縛するようにもなってきた。一日のスケジュールや誰と合うのかを把握したがり、男性、特に井沼の名前が出ると不機嫌になった。仕事に出かける私の服装や化粧にも注文をつけ始め、他の男に私を見られたくないという無茶な理由で、露出も少なく化粧も地味にするよう要求された。私が要求通りにしていると修一は良い状態になっていった。ところが要求を拒絶すると良い状態になった修一の全てが壊れ、またマイナスからやり直すような日々だった。

私の帰宅が深夜を過ぎる日があると、修一は

「舞子が居ないと眠れないのに、何故帰ってこないんだ」

と言って私を責めた。

修一は壊れると、暗い目をして後で必ずこういった。

「もう別れよう。僕は舞子まで駄目にする」と。

その度に私はその提案を否定した。


私の時間は全て修一に拘束されるようになっていった。仕事が終ると真っ直ぐに修一の待つ家に帰り、翌日仕事に行くまでの時間全てを修一に費やした。私はいつしか、画廊に居る時間だけ、自分に戻れるようになっていた。恐ろしい事に、修一の待つ部屋を、地獄のように思うようになっていた。そして今度修一が別れを提案したら、次は否定せずに頷こうと心に決めるようになっていた。

だが、それは出来なかった。別れに合意したら修一がどのように壊れてしまうのか、自分がどのように壊れてしまうのか、考えるだけで恐ろしかった。修一が壊れるたびに、私はいっそ私を殺して欲しいとまで思うようになった。それほどまでに、この世界から抜け出したくもあり、前の世界にも戻りたくなかったのだ。私は修一を包み込む事も出来ず、離れる事も出来ずに、流されていた。

そんな日々が五ヶ月続いた。別れ話を繰り返し、お互いからよりを戻し、傷つけあい、愛し合い、私達は疲れ果てていた。この狂った歯車を元に戻したい。どうやったら戻せるのか。相手の気持ちをどうにも出来ず、自分の気持ちですら持て余す日々が続いた。お互いに限界を感じていた。


ある日、林さんが都内のホテルのグルメショップで売っている、私が好きなキャラメルパウンドケーキを手土産に、画廊に遊びに来た。六月のイベントが終わると林さんに会う機会は減ったものの、メールや電話で定期的に連絡は取っていた。最後に会ったのは九月だった。もう二ヶ月会っていなかったのだ。私は日にちの感覚も薄れ、季節がもう冬になろうとしている事も意識していなかった。

「井沼さんが心配してた」

画廊の応接スペースでお茶を入れ、パウンドケーキを食べながら、私は林さんが心配して様子を見に来てくれた事を知った。

「舞子さん、ずっと元気が無いって。顔色も悪いみたいだけど、声をかけると元気そうに振舞っているから僕からは深い事は何も聞けないって」

 井沼との接点はイベントが終わった後も多く、よく顔は合わせている。男性なので誤魔化せるだろうと思っていたが、甘かったようだ。

「彼との事でしょ?」

 林さんは単刀直入に聞いてきた。

「そう。仕事は落ち着いたんだけど、まだ元に戻れなくて」

と私は応えた。林さんには、修一の仕事がうまく行かず、その為関係が少しバランスを崩しているとだけ以前話した事があった。

「そうか。このケーキ、本当に美味しいね。舞子さんの言ってた通り」

林さんは、私が今抱えている事がさもそこら中に転がっている事象であり、気にかける必要も無いと言うかのように応えてくれる。今の私にはそれが有り難かったようだ。

「でしょ。ここの抹茶クッキーもびっくりするくらい美味しいの。あ、林さんチョコレート好きだったわよね。ここのチョコブラウニーもとても美味しいの。バレンタイン時期に売り出すから、今度のバレンタインの時に買っておくね」

私はこの数ヶ月、すっかり忘れていた「他愛も無い話」を楽しみ始めた自分に気付いた。

「うん。チョコレート大好き。楽しみ。今回は本命チョコもあるし、私も今からチョコレート研究しようかな」

林さんは二切れ目のケーキにフォークを入れた。この五、六人分はあると思われるパウンドケーキを二人で全部食べてしまう気らしい。

「え?林さん好きな人出来たの?誰?」

「舞子さんも知ってる人」

「え?…まさか、井沼さん?」

「うん。舞子さんのおかげなのかも。貴方といると、子供に戻れますって言われた」

いつの間にか、新しい愛がひとつ、この世に芽生えていた。私と修一が壁に突き当たり苦悩している間に、世の中にいくつの愛が芽生え、いくつの愛が消えていったのだろうか。そういえば、叔母と柿谷はどうなったのだろうか。柿谷からは、六月の奥さんとの話し合い結果は「結論は出なかった。長期戦になりそうだ」とだけ報告されていた。叔母とは連絡を取っているが、特に柿谷との話は出ていない。叔母はきっと耐えられなくなったら私に話してくるだろう。

「私もね、彼といると暖かい気持ちになれたの。だからお受けした。お付き合いする事」

「そうだったのね。おめでとう」

私は嬉しかった。笑っていた。作り笑いではなく、心から笑っていた。数ヶ月ぶりの笑いだった。

「私ね、過去に凄い失恋したの。もうどろどろ。嫉妬の鬼になって、彼を責め立てて、彼をノイローゼにさせて、多分自分もノイローゼになって、終わった。だから、もう恋をしたくなかった。恋って、辛くなって終るものだと思っていたから。そういう恋愛しか出来ないと思ってたの」

林さんは二杯目の紅茶に口をつけて話を続けた。

「井沼さんもね、離婚がトラウマになってたみたいで、きっとお互いに傷つけあって終る事になると思ってたんですって。だから、私との事もどうせ壊れるなら始めない方が良い。今の良い関係を維持していた方が幸せだと思ってたんだって」

 私は井沼が長い間林さんに想いを寄せながらも、行動に移さなかった理由を初めて知った。

「でもね、舞子さんの言っていた『子供になれる相手』っていうのがひっかかって、私がその相手だって気付いたんだって。そんな相手を男は逃さないって、自分が舞子さんに言ったんだから、逃しちゃいけないんだって思ったんですって。舞子さんのお陰で勇気を持てたって」

 確かに、私といる時の井沼と、林さんといる時の井沼は違っていた。林さんの前では少年のような目をしていた。だからこそ、その井沼の目を見て、私はかつて悟が言っていた男心がどういうものなのか、井沼に聞いてみたくなったのだ。

「それで、彼は精神誠意自分の気持ちを話してくれて、待ってくれたの。私がその気になるまで。私も徐々に恐怖心がなくなってきた。過去の恋愛と新しい恋愛は全く別物なんだって、彼が教えてくれたの」

 林さんはケーキの三切れ目にフォークを入れた。この人は良く飲み、良く食べる。それなのに太らずほっそりしているのは羨ましい。

「だから、私思うんだけど、過去は過去。なのよ。過去は忘れちゃって良いのよ。まっさらな気持ちになればいいのよ。恋はひとつひとつ、必ず違うものなのよ」

 林さんは、私の苦悩の理由に気付いていたのだろうか。修一の過去については一切話していない。彼女が単に、自分と井沼との話をしたに過ぎないのであれば、私はまだ神に味方されている。私は自分の感覚が何かを乗り越え、上昇していくのを感じた。林さんの一言で、私も修一も、修一の過去に捕らわれすぎているのだ、と思えた。沼地から一歩外に出れた気がした。

 

その日は朝から冬晴れだった。刃物のように鋭く研ぎ澄まされた空気が澄んだ景色を創造し、駅からは、富士山が綺麗にその姿を日の光にさらしていた。電車に乗り暫くの時間を地下で過ごし、到着した地下鉄の駅を出ると、いつも通る画廊へ向かう歩道が綺麗になっている事に気付いた。

画廊は最寄駅を出てから徒歩七分ほど、大通り沿いの歩道を歩いた場所にあった。大通り沿いには雑貨店や家具店などの店舗が多く、視覚を楽しませることにより距離を感じない道だったが、なぜか歩道が綺麗に舗装されておらず、ピンヒールの踵の減りが早いこと、走ると段差で転びそうになることを叔母はいつも愚痴っていた。雨の日は今時都内では見つけようとしてもなかなかお目にかかれない大きな水溜りがいくつも出来て、常に足元に気を配っていないと靴の中まで水溜りの濁った水による水害を免れなくなってしまう。私も実際に通ってみて確かにその不便さを実感していた。

今日、その歩道が綺麗な石畳になっていることに気付いた。今までの不快感を微塵も感じず、通り慣れたその道が、全く違う道に見えた。段差でよろめくことも無く、ピンヒールの踵もそうそう減りそうになく、画廊に着くまでの七分間が、快適な短時間の散歩になった。

こうやって凸凹を均せば良いんだ。いつの間にか出来てしまった凸凹を均すだけでこんなにも快適なものになる。

私は、修一とやり直したいと思った。まだ私達は修復できる。初めてデートした水族館に行こう。そうすれば、何かが変わる。


「今度の休み、水族館に行こう。初めてのデートで行った水族館」

修一は少し驚いた顔をしていたが

「いいね。久しぶりだね」

と、すぐに合意した。疲れ果てた修一の表情にほんのり明るい色が差した気がした。


次の土曜日、私達は微かな希望を胸に抱き水族館へ向かった。きっと私達の胸のうちは同じだったに違いない。一瞬一瞬が嬉しくて楽しかった一年前に戻ろうとしていたのだ。今度こそはきっと、修復できる。壊れかけた私達の「形」を修復できる。そしてまたひとつになれる。そう祈っていた。


水族館は一年前と変わっていなかった。

「このアロワナ、一年前のアロワナかな」

「うん。きっとそうだよ。こんな綺麗な銀色だった」

私達は目を合わせて、同じことを思った。

「また、あてっこしようか」と。

結果、私はまた船酔いをする事になった。


その日、私達はとてもよく笑った。久しぶりにお腹が痛くなるほど、馬鹿みたいに二人で笑った。何も無いところから生まれた笑いは、私達の自信になりそうな気がした。こんな風に、ふと気付いたら自然になれる。気負わない二人になれる。私達は大丈夫だと思えた。


その日は、初めてのデートと同じように中華街で食事をし、ホテルのバーに行った。

私達は出会った頃の思い出を話した。初めて会ったときは楽し過ぎてフカヒレの味は正直覚えていないとか、第一印象はこうだったとか、目黒川の雪は綺麗だったとか、思いつくだけの幸せな思い出を話し尽くした。柿谷と叔母の話にもなり、画廊の話にもなった。

そこで、修一は、これまでの事を詫びてきた。束縛して私を苦しめたことを、私に詫びてきた。

「あの絵本の少年と同じだよ。どうやって大切にしたらいいかわからなかった。僕は舞子を苦しめたからもっと酷い」

と修一は呟いた。

「もう苦しめない」

と、力強く言ってくれた。


私達は修一のマンションへ帰った。修一の部屋へ着くとすぐに、私達は待ちきれなかったようにお互いを求め合った。求め合い長い長いキスをした。私は希望に満ち溢れ、幸せな気持ちに包まれた。私達は、久しぶりにキース・ジャレットの”I Loves You, Porgy”を聴いた。

「一緒にゆっくり音楽を聴くの、久しぶりだね」

私が修一の腕に抱かれながら言うと、修一はこう言った。

「これから、出会った頃に話したことを二人で全部やろう」

全部って?と私が聞くと修一は、かつて私達が尽きない話を夜通ししていた頃、二人で一緒にやりたいこと、行きたいところ、食べたいものなど、希望に満ちて話し合った事を順番にあげていった。

「まずは、月島でもんじゃ焼き。次に最初に出会った店でフカヒレ丼。築地で海鮮丼。とろとろのオムライス。ロシア料理屋のボルシチ…」

「食べ物ばっかりじゃない」

「ほかにもあるよ。蛍を見にいく。目黒川の桜を見る。奈良に仏像を見に行く。オホーツクの流氷を見に行く。アラスカにオーロラを見に行く。ガラパゴスでトカゲを見る。パラオのジェリーフィッシュレイクに行く。サバンナで野生の動物を見る…」

修一は嬉しそうに続けた。私達は一年前に戻れたのだ。笑いながら私は言った。

「実現するの、大変そうだね」

「一生かけて、ひとつずつ実現していこう」

今までの辛い日々が嘘のようだった。私達は乗り越えられたのだ。私達は、現実で生きていけるのだ。そう思ったとき、私の携帯が鳴った。修一の表情が一瞬固まった。その修一の表情の変化を見て、私は携帯を見るべきか見ざるべきか悩んだ。まだぎくしゃくしている。修一は表情を元に戻し「普通」を装うように言った。

「出たら?」

私は「うん」と返事をし、携帯を開いた。林さんからのメールだった。

「そうそう。林さんと井沼さん付き合うことになったんですって」

私はこの前林さんがケーキを持ってきてくれて長話をしていたこと、井沼さんとの事を聞かされたことを修一にかいつまんで説明した。修一は表情を一切崩さず相槌も打たず、静かに私の話を聞き、こう言った。

「林さんのメールは何て?」

私は責められているような気分になり少し圧迫感を感じた。

「井沼さんが舞子さんに御礼をしたいらしいから改めて食事をしましょう。って書いてある」

私は慌てる必要は無いのに、修一のその気迫に圧倒され、慌てるように説明した。

「お礼って言うのは多分、さっき話したように私の一言で井沼さんは林さんに告白する勇気がもてたらしいから…」

「どうしてなんだ」 

話の途中で修一は、あの地底から響くような声で、震える声で、ゆっくり話した。

「この数ヶ月、僕は舞子との関係を何とか修復しようと必死だった。仕事と舞子のこと以外には何も出来なかった。それだけ真剣だった」

修一は声を荒げだした。私は驚いて動けなかった。

「それなのに舞子は、外の世界で今まで通り楽しんでいたのか」

私は、違う、そうじゃない、と小声で言ったが、すぐに修一の声にかき消された。

「僕は舞子の事しか考えられなかった。眠れなかった事も知っているだろう。君も一緒に真剣に向き合ってくれていると思っていたのに、だからこそ舞子の気持ちにも応えようと必死になっていたのに、それなのに君は外では楽しくやっていたのか。君にとって僕との事は、その程度のことなのか」

修一は私の肩を持って激しく揺さぶりながら、そのような言葉を大声で怒鳴り続けた。他にはどんな事を言っていたか、覚えていない。私は生まれて初めて経験する恐怖に、目をつぶって耐えようとした。きっとこのまま殴られるのだろうと予感した。とても長い時間が過ぎたように思えた。気付くと、修一の手の動きが止まっていた。

私は閉じていた目を開いた。目の前に修一の目があった。血走り潤んだ修一の目が私の目をじっと見ている。恐怖は大きくなった。何も言えなった。何も考えられなかった。何が起きたのかもわからなかった。誤解だと弁明することも、何故こんなに怒るのかと修一を問いただす事も出来なかった。修一は脱力したように私を抱きしめて泣きながら謝り続けた。

「もう元に戻れない。僕には無理なんだ。ごめん舞子」

と修一は繰り返した。

私は少し落ち着くと、修一の腕から逃げた。ゆっくり立ち上がり、ドアに向かって歩いた。全身に力が入らず、足は震えていた。床に、クリスマスに修一から貰ったペンダントが落ちた。肩を激しく揺さぶられた拍子に鎖が切れたのだろう。私はペンダントを拾わずに、そのままゆっくりと部屋を出た。修一は追ってこなかった。


私はあの日から、修一に連絡が出来なかった。連絡をして、修一がどのような反応をするのか、それを知るのが怖かった。私はもう、疲れ果てていた。毎日起きて、画廊へ行き、仕事をこなすだけで精一杯だった。何も考えられなかった。私達はこのまま終息を迎えるのだろうか。

苦しかった。お互いに離れる事が出来ず、別れと修復を繰り返すたびに、お互いの狂気が育っていった。私は修一の狂気が怖かった。修一の狂気を受け入れようとする自分の狂気も怖かった。修一と一緒に奈落の底へ落ちて行く過程が、たまらなく怖かった。

そんな私の思いが修一に伝わっていないわけが無かった。私達は、この一年をかけて、ひとつの存在になっていたのだ。二人でひとつの魂になっていたのだ。お互いのどんな些細な変化にも、自分の事と同じように気付く存在になっていたのだ。修一は、私が修一を恐れている事に気付いていたはずだった。それで、修一はもう無理だと諦めを感じていたのかもしれない。

鈍感な方が圧倒的に幸せなのだ。人の気持ちに敏感になればなるほど、それが大切な人であればあるほど、身を引き裂かれるほどの辛さが増してくる。


あの日から一週間が経つ。修一からは何の連絡も無い、私もしていない。きっと修一は眠れぬ夜を過ごしているだろう。安定剤の力に頼っているかもしれない。私達はまた戻るのだろうか、このまま終わるのだろうか。このまま終った方が、お互いの為だろう。私は、自分が修一との関係を終らせたいと望んでいると、徐々に気付いてきた。自分の中に、もう戻りたいと思えない自分がいることを、戻ることに恐怖と絶望を感じている自分がいることを、私は認識し始めていた。

私は画廊に飾ってある、私が最後に担当した絵本をおもむろに開いた。修一は、自分は主人公の少年と同じだったと言った。という事は、私は彼の女神にはなれなかったということになる。最後の女神の言葉を読み返した時、気付いた。


「大切なものは、やさしく、そっと包み込むのよ

 大切なものは、力を入れ過ぎると壊れてしまうから」


 私と修一の事だった。少年と同じだったのは修一だけではなくて、私も少年と同じだった。修一は大切にしようと力を込めすぎて、私は切実に祈りすぎていた。やっと手に入れた幸福を、安堵を、手放したくなくて、事実を曲げて受け止め、私たちが進む道を曲げてしまったのは私だった。私と修一は、同じように恐れ続けていたのだ。恐れが付きまとう関係は、やはり叶うはずが無かったのかもしれない。 

これが、私達の業なのだ。暗く重い何かを背負ってしまった人間の業なのだ。その業は、時を変え形を変え、私たちの前に現れる。業は背負っていくしかないのだ。逃れる事が出来ないのだ。

私は、この一連の事象を初めて俯瞰的に見る事が出来た気がした。これは私達には抗えない、それぞれの運命だったのだ。そして涙がとめどなく流れた。


十日が過ぎたある夜、修一から電話があった。修一が苦しんでいる時の、あの地底から響くような声だった。私は背中に寒気を感じると同時に、懐かしさを感じた。

「舞子」

修一は言葉を搾り出した。

修一の声の後ろで、キース・ジャレットのピアノが聴こえていた。

「元気だったか」

修一はゆっくりと、沈黙を合間に入れながら、丁寧に一言ずつ話した。

すまなかった、と。

もう、苦しませないよ。と修一は言った。

舞子を、幸せに、したかった。幸せに、出来なくて、すまなかった。本当に、こころから、舞子を、愛している。と修一は一言ずつ、言った。

薬を、飲んだ。雪の桜、綺麗だったね。いつも、楽しかった。ありがとう。

電話は切れた。


私は目が熱くなるのを感じた。頬が濡れる感覚を感じた。鼓動が早く、大きくなった。胃が収縮する。手のひらに汗が滲んでくる。呼吸が激しくなる。私は何故か口を押さえた。修一。


修一を、失いたくない。


私は財布だけ手にして、すぐにマンションを飛び出し大通りまで走った。冬の夜風が冷たかった。裸足の足に何かが刺さった。痛みを無視して大通りでタクシーを拾った。修一のマンションまでは急いでも三十分かかる。

修一の笑顔が脳裏に浮かんだ。出会ったときの人懐っこい笑顔、水族館へ誘ってくれた子供のような無邪気な笑顔、初めて抱き合った夜の修一の真剣な目、私を抱きしめる力強い修一の腕、一番好きだった暖かい修一の胸の中、子供のような修一の寝顔、仕事をしている時の真剣な顔、柿谷に見せる素直な少年の顔、やっと会えたと抱き合った時の透き通る目、抱きついて離れない子供のような修一、包まれていると幸せだった修一の香り、私を守ってくれた修一、いつもいつも、真剣に私に向き合ってくれた、私の言葉に必死に耳を傾けてくれた、真剣に私を愛してくれた。修一のすがるような瞳。失いたくない。やっと会えたのに、失ってはいけない。まだ、やり直せる。やり直して、二人で誰よりも幸せになりたい。


マンションに着くと走ってエレベーターホールに向かった。エレベーターが一階に着き扉を開けるまでが、とても長い時間に感じた。修一の部屋がある階で降りるとすぐに修一の部屋へ向かい、インターフォンを何度も押しながら鍵を開けて中に入った。


キース・ジャレットのピアノが流れていた。修一が一番好きな“I Loves You, Porgy”だ。


修一、と私は呼んだ。返事は無い。


リビングへ足を踏み入れた。一緒に選んだローテーブルが置かれているベージュのカーペットが、赤黒く染まっていた。私が気に入っていたガラスのランプから放たれるきらきらした光が、赤黒いカーペットを照らしていた。修一はソファに横たわっていた。私の好きな、子供のような、あどけない修一の寝顔だった。私は修一に近づいた。私の目からは涙が止まらずに溢れ、視界が曇っていた。


「修一」


私はゆっくり修一の名前を呼び、修一の頬に手をあてた。冷たかった。いつもの修一の暖かさが感じられなかった。修一の首から下が、赤黒く染まっていた。私がクリスマスにプレゼントした白いセーターが、赤黒く染まっていた。私は修一の名前を呼びながら、修一の肩を揺さぶった。修一は応えてくれなかった。私は何度も何度も修一の名前を呼び、肩を揺さぶった。頬をなでた。抱きついてキスをした。もう一度、修一、笑顔を見せて。お願いだから、目を覚まして、出会った頃に戻って、やり直そう。もう一度笑顔を見せて。片割れなのに、先に行かないで。やっと会えたのに、一人にしないで。笑顔を見せて。しゅういち、置いていかないで。ごめんなさいしゅういち。置いていかないで。一人にしないで。ゆっくり包み込むから、これからはそうできるから。戻ってきて。やっと会えたのに、一人にしないで。


私の記憶はそこで途切れている。


目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入った。私は病院のベッドの上に横になっていた。ベッドの横に、母と叔母の顔があった。母も叔母も泣いていた。


部屋着のままで裸足の私が修一のマンションのエレベーターホールを駆け抜けた時、管理人がただ事ではない事を察知し、後から修一の部屋へ見回りに来たそうだ。私は修一の部屋へしょっちゅう出入りをしていたので、管理人とは顔見知りだった。玄関は空いたままで、私が倒れている修一に抱きつきながら泣き叫んでいたそうだ。私が気を失った後、管理人は救急車を呼び、修一の緊急連絡先であるロンドンの柿谷へ連絡を入れた。柿谷と叔母はすぐに帰国した。私は、二日間目を覚まさなかったそうだ。足の裏にはガラスの破片が深く刺さり、五針縫う怪我をしていた。


修一は、睡眠薬を大量に飲んだ後、自分で自分の首の頚動脈を、ナイフで切っていた。私が部屋に着いたときには、既に死亡していたと、聞いた。

修一のPCには、私と柿谷への侘びと、遺書が書かれていたそうだ。過去の経験に苦しめられ、克服する事が出来なかったこと、これ以上続けていると柿谷にも私にも迷惑をかける結果になる事、だから死ぬ事を決意したと記されていた。

私に対しては、幸せに出来なくて申し訳ないということ、真剣に私を幸せにしたいと努力したが、出来なかったことが、なにより悔しいと書かれていたそうだ。幸せになって欲しい、とも。

修一はこの数ヶ月、柿谷の紹介したカウンセラーのクリニックに通って安定剤を服用していた。それは私も柿谷も知っていた。ところがこの一ヶ月はカウンセリングに来なかったらしい。修一の部屋に残されていた抗うつ剤と睡眠薬は他の病院で処方されたもので、その病院では仕事のトラブルで不眠症になったと診察を受けていたそうだ。


私は、修一を永遠に失った。修一の笑顔も永遠に失った。もう何を思っても何を後悔しても、決して戻らない。


第三章 記憶


私はあの日からずっと、頭の中に靄がかかっていた。修一の死を認められないのだろうか。自分の身の上に起きた事を、理解出来ていないのだろうか。あれが、現実だったのか、夢だったのか、記憶が定かではない。いずれにしても、感情を持ちたくない。一切の感情を、自我を、意識を持ちたくない。このまま生きるなら、海月の様に、漂うだけで良い、そんな存在になりたい。もう一度修一に会いたい。修一の笑顔が見たい。


違う。何か違和感があった。


あの後、柿本も叔母も、私をしきりに励まそうとしていた。決して自分のせいだと思うな、と優しく話してくれた。叔母は両親と相談し、暫く日本で私と一緒に暮らす事に決めた。それは叔母にとっても、柿谷との関係を清算するのに良いタイミングだったと後から叔母は言っていた。柿谷の妻は精神を病んだ。そして柿谷は、離婚を諦めたのだ。


柿谷は、決して自分のせいだと思わないで欲しい、と私に言った。相手が誰であっても、修一一人であっても、結果は同じだった、と。過去を知りながら二人を引き合わせた自分の責任だと。


私のせいではないのだろうか。私と修一の出会いは確かにあった。確かに、出会ったときに繋がりを感じ、抗えない縁を感じ、一年間を二人で一緒に過ごした。あれは、なんだったのだろうか。私はこの先、修一の事を忘れ、修一以外の人と恋愛をするのだろうか。単に弱い人だった、と、それだけなのだろうか。


違う。また違和感を感じた。


「何故おまえは彼の後を追わなかった?」


あの日からずっと、どこからか声がしていた。


「片割れが死んでしまったのに、何故おまえは一人で生きている?」

 

冷たい声が頭の後ろから響く。何故私は、修一の後を追っていないのだろう、何故私はひとりで生きているのだろう。片割れが死んでしまったのに。生きる意味などもう無いはずなのに。何故。後悔しているはずなのに。


退院し、体力、精神とも回復してきた私は、自分の部屋の片づけをしていた。もう数か月もすれば、仕事に復帰することが出来るだろう。暫くは叔母の手伝いをして、落ち着いたら別の仕事を探そう。そして、徐々に普通の生活に戻り、いつかまた恋をする日も来るのかもしれない。


そんな事を考えながら、なんとなく部屋に存在する物を整理しようと、目につくものを手に取っていた。


私の記憶が目を覚ましたのは、その時だった。私の記憶を呼び起こしたのは、私を包んだかすかな香りだった。甘く青々した、幸せの香り。


修一の香りだ。私が愛した、修一の香りだ。私の部屋の、修一の荷物に残っていたかすかな香り。


「修一を殺したのは、私」


時として、香りで記憶が目を覚ます。

私の脳が、生きるためにねじ曲げた記憶を、ほんとうの記憶に戻そうとしていた。香りに刺激されて。


「だから私は今、一人で生きている」


あの日、修一からの電話が切れた後、私は、すぐに修一のマンションへ向かわなかった。それが真実だった。


私の修一に対する恐怖は、憎しみに形を変えようとしていた。別れられないのなら、私はいっそ、修一が死んでくれれば良いのに、と考えがよぎる事もあった。そんな自分が恐ろしかった。


あの電話で、修一が死のうとしている事を知った私は、心の中でほっとしたのだ。これで開放される、と。


だから、すぐに行かなかった。行けなかった。行かない事が、修一を見殺しにする事を意味すると、理解していた。もう、私の愛情は、修一の狂気によって形を変えていたのだ。


私は修一を見殺しにする決意をした。


一時間後、私は修一のマンションへ向かった。修一の死を確認する為だったのか、まだ間に合うと思ったからか、どちらなのか記憶は曖昧だ。ただ、行かなければならないと思っていた。


部屋に入ると、修一は生きていた。別人のような顔をして、ソファにうなだれて座っていた。


キース・ジャレットのピアノが流れていた。修一が一番好きな“I Loves You, Porgy”だ。


一緒に選んだローテーブルが置かれているベージュのカーペットを、私が気に入っていたガラスのランプから放たれるきらきらした光が照らしていた。


修一は私を見なかった。ずっと黙っていた。私は立ったまま修一を見下ろしていた。私は、修一に殺される事を予感し、覚悟した。


どのくらい時間が経ったのだろう。感覚が曖昧だった。


修一はゆっくりと立ち上がった。垂れた頭を前に向け、私の目に視線を合わせた修一の目は、私の愛した修一のものではなかった。私は自分の頬を流れる涙の暖かさを感じた。


何故、こんなことになったのだろう。愛する人の死を望むなんて、何故、こんなことになったのだろう。やっと会えた、ひとつになれる相手だったはずなのに。あんなにも、愛し合い求め合ったのに。あれほどまでに慈しみ合ったのに。初めて、産まれてきた喜び、意味を感じたのに。


修一は私に近寄り、左手で優しく私の頬の涙を拭い去った。


「僕を、見捨てたんだね、舞子」

 

修一はゆっくりと、いつもの優しい修一の声で言った。


私は言葉を発する事は出来なかった。きっと、修一が右手に持つナイフで私は刺されるのだろう。


修一はゆっくりと、私を抱きしめた。強く、初めて抱き合った時のように優しく、抱きしめた。


修一も、涙を流していた。修一は長い時間、ずっと私を抱きしめていた。私は修一の暖かさと、大好きな修一の香りを感じながら、死への覚悟を強めた。今までの幸せだった思い出が、脳裏を巡った。


修一が私から離れた。一瞬だけ、私の大好きな、優しい笑顔を見せた。すぐに表情を無くした修一は、右手に持つナイフを、自分の首にゆっくりと当てた。


修一の目は、じっと私の目を見ていた。

すがるような、子供のような目で、私を見つめていた。


鼓動が早まった。全身の筋肉が収縮し、血液が体中をものすごいスピードで巡り始めた。


私はその時どんな目をしていただろう。


止めるなら、これが最後だ、と私の心の中で誰かが叫んだ。修一の笑顔が大事なら、もう一度やり直したいのなら、これが最後だ。と。


同時に、これで開放される。とも叫ぶ誰かがいた。やっと、開放される。


私が自分の心の中に響くふたつの声に耳をすませている間に、修一のすがるような澄んだ目が瞬時に翳り、その目に絶望の色が見えた。同時に修一の右手が素早く動いた。


私の耳はその瞬間、全ての音を受け入れることを拒絶した。


ほんの一瞬だった。その一瞬が過ぎると、私の耳には、自分の鼓動と、血液が循環する音だけが聞こえるような幻聴が起きた。その幻聴が小さくなると共に、キース・ジャレットの“I Loves You, Porgy”がゆっくりと聞こえてきた。世の中で一番悲しい旋律に聞こえた。私は、この曲を聴くたびに、修一とのことを思い出すのだろう。修一の、このすがるような悲しい目を思い出すのだろう。一人では生きて行けない子犬を見捨てるような重い罪悪感で身を引き裂かれるのだろう。と、思った。


この曲を一緒に聴いた、目黒川の雪の桜のきらめきが目の前に現れた。ずっと覚えていようと約束したその桜のきらめきのなかで、私は、私の目の前で、誰よりも大切だった修一が、倒れていくのを、見つめた。


私の目をじっと、見つめながら。すがるような悲しい色の目で、私を見つめながら。


自分で自分の首の、頚動脈を、ナイフで切り裂いて。


目の前の光景はスローモーションでゆっくりとゆっくりと過ぎていき、キース・ジャレットの甘く哀しい、丁寧なピアノの音だけが、頭に、大きく、響いていた。


危機が訪れたときには、視覚よりも聴覚の方が鋭敏になるのだ、と知った。


目の前に、赤い色が見えた。

修一が、床にひざまづき、倒れこんだ。

修一の悲しい目が、私の目からゆっくり離れた。

修一の唇が微かに動いた。

修一の身体が、痙攣した。

ベージュのカーペットが、修一を中心に赤く、鮮やかに赤く、染まっていった。

キース・ジャレットのピアノが、切なく部屋に響いている。

修一の背中が、微かな動きを、完全に止めた。


そのとき、私はひとつのことだけを思った。


―やっと、終わった―


この世で最も愛した男の死を、生から死へと移りゆく様を、私は穏やかな気持ちで、安堵の気持ちで、見つめていた。


―やっと、終わったね 舞子―


修一の声が、聴こえた気がした。けれどもそれは、スピーカーから流れるピアノの音だったのかもしれない。


あの瞬間、きっと修一も、あの目黒川の雪の桜を見ていたと私は確信している。あの奇跡を感じた瞬間が、私達の人生で最も幸せな一瞬だったから。死にゆく修一が私の目を見つめた時、私達は出会った瞬間と同じだったのだ。何一つ変わってなかったのだ。


私は、修一を見殺しにした。私が修一を殺したのだ。これが、現実だった。


私が修一を愛し、受け入れ、拒絶し、絶望させ、死に追いやった。

修一は、私に裏切られ絶望して死んだのだ。私が、苦悩の連続だった彼の人生の、最後の希望だったのだ。


あの目黒川沿いのレストランで、修一は言った。

「もし僕が死ぬ事があるとしたら、それは舞子を失った時か、自分に絶望した時だ」

 

修一は、あの時から予感していたのだろう。私の裏切りを。予感しながら最後の希望を託し、私を愛したのだろう。そして、自分に絶望して死んだのだ。

あるいは、修一の死は私の為でもあったのかもしれない。修一の死を望んだ私の為。春琴と自分の為に、自分の目を潰した佐助のように。


私は修一を裏切った。修一を見捨てた。泣きも叫びもしなかった。


修一の香りに導かれ、私は全てを思い出した。


人は記憶を作り変えて生きている。作り変えなければ生きて行けないからだ。


私はあれから、あの雪の桜ほど美しいものを見ていない。


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