ひっくり返ったセミのはなし
マンションのドアを開けると、ひっくり返ったセミが落ちていた。
玄関ドアのすぐ前。気付かなかったら踏み潰してしまいそうな位置で、思わず足を引っ込める。
そう遠くない場所に山があるので、たぶんそこから飛んできて死んでしまったのだろう。
セミはひっくり返ると自力で元に戻ることが出来ないと、どこかで聞いた事がある。
気持ち悪いので、なるべくそれに近寄らないようにしてドアを閉め、階段に向かって歩く。
4階建ての4階に住んでいる僕は、風の抜けが悪くて蒸した階段を下りながら、どうしてうちの両親はエレベーターの無いマンションなんかを自宅に選んでしまったのかと腹の中で悪態をつく。
薄暗い集合ポストの前を通りすぎて、両開きのガラスドアを開けると、獰猛な夏の陽射しが僕の目を貫いた。
ただひたすらに白く眩しく痛い。
出たばかりだけどもう帰りたい。
こんな日はエアコンの効いた部屋にこもって、きんきんに冷えたサイダーを飲みながら血も凍るホラー小説でも読んでのんびりしているのが真っ当な人間ってものだ。
だけど僕には外に出なくちゃいけない用事がある。
つい昨日の事、竹馬の友である佐々木涼から携帯にメールが届いた。
久しぶりに遊びに来いよって話だった。
小学校も中学校も一緒で、近所に住んでいる僕達は、
別々の高校に入ってからも、こうして時々一緒に遊んでいる。
涼は明るい性格で、妹がいて、友達も多くて、運動神経が良くて、男の僕が言うと気持ちが悪いけれど顔もそれなりに良いようだ。だから女子にモテる。羨ましい。勉強の成績は悪いけれど、頭は悪くない。本当に頭が悪いのなら、あんなに友達が多いわけがない。
僕はと言えば、まあ、慎重な性格で、一人っ子で、友達は少数精鋭で、体を動かすより静かに本を読んでいるのが好きで、顔について女子に言及された事は一切なく、勉強は良くも悪くもない、といった感じで、目立ったところが何もないやつだと自分で思う。注目されると緊張するので、目立たない方がいいんだけれども。
こうして比べてみると、まるで正反対の僕達だけど、何故か不思議と馬が合うのだ。
そんな涼と最後に会ったのは1ヶ月くらい前だろうか。
高校に入って、お互い色々と忙しくなった。
涼は中学からバスケ部を続けているし、高校の友達との付き合いもあるだろう。
まあ、正直言うと、僕は毎日暇なんだけど。
高校でも友達なんて出来ないし。
けど男同士ってのは、見栄の張り合いを楽しむみたいな部分もあって、忙しいフリをしているのだ。
そんな僕なので、いつも心のどこかにかすかな孤独を抱えている。
だから、僕は誘いを断らないし、熱中症にかかるリスクくらい、なんともないのである。
なんて事を考えながら歩いて、コンビニに立ち寄った。
冷房の効いた店内に入ると非常に気持ちいい。
このコンビニは涼の家の目の前にある。
手土産に冷たいものでも買っていってやろうという粋なはからいである。
アイスを二本買って、車道を横断すると、そこは涼の家だ。
2階建ての家で、3年前に改築したばかりなのでとても綺麗だ。僕が住むボロマンションとは違う。
インターフォンを押すと、涼がドアから顔を出す。
その顔が、人懐っこい笑みを浮かべて、
「よう」と言う。
「よう」と僕も言う。
「早かったな」と涼が言う。
「夏だからね」と僕は途方もない事を言う。
「今日は特に暑いな」と涼は空を見上げる。
「立ち話もなんだから、中に入れろ」と僕は冗談を言う。
「はいはい」と涼は笑う。
玄関から中に入ると、ひんやりしていて、僕の熱中症リスクはゼロに回復した。
靴を脱いで階段を上がって右が妹さんの部屋で、左が涼の部屋だ。
中に入ると涼はベッドに座って、
「適当に座って――ってもう座ってるか」
僕は既に部屋の中央にあるガラステーブルの横に陣取っている。
勝手知ったる他人の家とはまさにこの事。
「アイス買ってきたよ」僕は言う。
「おっ、マジで? ちょうだい」涼は嬉しそう。
「スイカバーとメロンバーとどっちが好き?」僕は言う。
「スイカバー。種が美味いんだよな」と涼は言う。
僕は白いビニール袋からアイスを出して涼に渡す。
涼は袋を開けて、テレビのCMみたいな爽やかさでアイスを噛んでから、
「これ『ガツンとみかん』じゃねーか!」とノリつっこむ。
「なんでスイカバーかメロンバーが聞いたんだよ!」ツッコミを重ねる。
「いや、今度買って来る時の参考にするからさ」
「相変わらずだなーおまえ」涼は笑いながら部屋に置いてある冷蔵庫からコーラを二本だして、一本を僕に放る。
もちろん僕はかっこ悪くキャッチしそこねて、あと30分は蓋を開けられなくなる。
僕達は、話をする。
会っていないのは、たったの1ヶ月だ。
けれど、僕達には話す事が山ほどある。
涼がバスケ部で1年なのにスタメンに選ばれた事とか、それで涼が告白された話とか、涼が他校の生徒と喧嘩になりそうになったけどバスケ部のために我慢した武勇伝とか、涼が原付バイクを買うのを目標に貯金している事とかだ。
僕は夜中に散歩していたら酔っぱらいのおじさんが電柱を支えているワイヤーに絡まった話をした。身振り手振りを交えて話したので、涼は笑ってくれた。
アイスが棒だけになって、コーラも底をついて、話題が途切れ、穏やかな空気が流れた時、涼が頬を人差し指でぷにぷにし始める。
僕はもちろん、ぴんと来る。
それは涼が大事な話をする時の癖だ。
真剣味を帯びた涼の顔を見て、悪い話でなければいいなと思いながら、僕は待つ。
「おまえさ」涼がぽつんと呟いた。
「小説とか、読むよな?」
「へ?」
どんな話が出るか、身構えていたのに肩透かしを食らったような気分。
「読むよ」と簡潔に答える。
「ちょっと見てもらいたいサイトがある」
そう言いながら、壁際に置いてある机に向かった涼は、パソコンの電源を入れて、操作を始める。
「これ、見てくれよ」
僕は涼の隣に立って、モニターに映されたサイトを見る。
背景は真っ黒。
画面中央にひたすら白い文字が並んでいるだけのサイトだ。
「これがどうかしたの?」
「悪いけど、最初から全部読んで欲しい。話はそれからしたい」
涼の顔は真剣だった。
何かの冗談ではない。
何がなんだかわからないけれど、僕は椅子に座って、画面をスクロールする。
ブログの形式で、はじめの投稿が一週間前だ。
毎日更新されているが、一日の文章の量が凄まじい上に、改行も段落もないので病的な印象を受ける。
語り手は『私』
『私には気に入らないヤツがいる』
『私はそいつのせいでいつも一人だ』
『私はそいつのせいで家から出られない』
『私はそいつのせいで夜も眠れない』
『私は誰かに助けて欲しい』
『けれど誰も助けてくれない』
『私はきっとそいつに殺される』
『だから殺される前に、殺すしかない』
『私は行動をはじめる』
『私は夜中に家を抜けだしてそいつを監視する』
『早くしなければ』
『早くしなければ死んでしまう』
『私は死にたくない』
『私は絶対にそいつを殺す』
『私は準備を終える』
『そして私は覚悟を決める』
『長年私を苦しめて来たそいつを絶対に殺す』
『今晩、私はそいつをぶち殺す』
そこでブログの更新は終わっている。日付は今日だ。つまりこのブログを書いた人間は、今日誰かを殺すと言っている。
僕は暗い気持ちになりながらも、後ろに立っていた涼に向かって、
「読んだ」と言う。
「これ、小説だと思うか?」
「わからない」正直に言った。
「タイトルも無いし、改行も段落も無いけれど、もしかしたら小説を読んだ事がない人が書いた創作かもしれない。けど、この文章から伝わってくる怨念、っていうか恨みっていうか、負のエネルギーは本物なんじゃないかな」僕は感じた事をそのまま言った。
「そっか……まあ読んだだけじゃ、なんとも言えないよな」涼はため息をつく。
「確かに気になるサイトだけど、これがどうかしたの?」
「ああ」と涼は頬をぷにぷにする。
「たぶんそれ、妹が書いてるんだ」
*
涼はベッドの上に戻り、僕はガラステーブルの横に座る。
なんとも言えない空気が僕達の周りを渦巻いているようだった。
「俺に妹いるの知ってるよな?」
「知ってる。子供だった頃に、何回か顔見ただけだけどね。おとなしそうな子だったな」
「ああ、お前に似たところあるよ」涼は言う。
「あいつさ、中学に上がってから、なんつうか、ひきこもりになってるんだ」涼は普段見せないような暗い顔を見せる。
「ひきこもり?」
「学校に行ってないんだよ。飯の時も顔見せない。ずっと部屋にこもって何かやってるんだ。親も最初は怒ったよ。教師も家に来た。けどダメだった。ドアに鍵かけて、出てこない。理由も話さない。いつも何をやってるか知らないけど、あいつだってトイレくらい行くだろ? いつもは鍵がかかってるんだけど、その日は忘れたんだだろうな。少しドアが開いてた。俺、悪いと思ったけど、一回だけ部屋に入ってみたんだ。めちゃくちゃだったよ。テレビで見たことあるだろ、ゴミ屋敷とかさ、あんな感じ。んでさ、偶然パソコンがついてたんだ。モニターにあのサイトが映ってて、横にメモ帳が表示されてた。そのメモ帳、めちゃくちゃ文章が書いてあるんだよ。俺、その文章見て少しだけ覚えて、部屋に戻ってパソコンで検索した。今までで一番努力したかもしれない。んで、ついにあのサイトみつけた」
吐き出すようにして涼が言う。
心が痛い。
なんでも上手くやる僕の親友は、誰よりも悩んでいたのかもしれないと思う。
「どうして言ってくれなかったんだよ」僕は悔しい。
涼の妹は3歳年下のはずだ。
中学に入ってからひきこもっていたのなら、もう4ヶ月ほどになる。
僕に出来る事なんて何もないだろうし、親友であろうと家庭の事情に首をつっこむのはただのお節介かもしれない。
けれど僕は、相談くらいして欲しかったのだ。
「悪い。最初はすぐ出てくると思ってたんだよ。けど、こんなに長引いちまってさ。俺もどうしたらいいかわかんなかったし」涼はいつもの陽気を少しだけ回復させる。
「でも、今話したからいいだろ。俺も誰かに言いたかったんだだろうな、なんかすっきりした」
「勝手にすっきりするな。早く僕に出来る事を言え」僕は冗談を言う。
「じゃあ、頼まれてくれるか?」
「もちろん」
「俺の妹、あのサイトの通りに、夜中に家抜けだしてるっぽいんだ」
僕はなんとなくぞっとする。
あの文章は創作ではなく、本当に誰かに恨みを抱いていて、夜中に監視しているのだろうか。
「家族が寝ちまってからだから、午前2時とかかな。俺も最初は気づかなかったけど、俺の部屋とあいつの部屋近いからさ、あいつはバレてないつもりかもしれないけど、階段を下りる音とか、聞こえたりするんだよ。大体1時間くらいで戻ってくるんだけどな」
誰にも気づかれないように気配を消して家を抜け出す妹の姿を想像する。一体どんな気持ちで外に出て行くのだろう。
「あのサイトの話がまさか本当だとは思わないけど、誰かを殺す日って、今日だろ?」
「確かにそうだった」僕は文面を思い出す。
「もし今日、家を抜け出すようなら、その、やるかもしれないだろ?」
殺人を、とは言わなかった。涼だって、そんな言葉を使いたくないに違いない。身内が誰かを殺そうとしているだなんて、そんな事、僕だって考えたくもない。
「そこでおまえの出番だ」
「うん」
「だから、今晩、あいつを尾行する」
「え?」
「俺と一緒にあいつの後を追うんだ。あいつが何かしようとしたら、止める」
涼はいつになく真剣な目で僕を見て、
「頼むよ」
僕は大きく息を吸い込んだ。
「待ち合わせ場所は?」
「俺の家の前のコンビニ。あそこからならあいつの姿が見えるだろうし、もし俺が気づかなくてもすぐに連絡出来るだろ?」
僕は頷いた。
ふうとため息をついて、涼はベッドに寝転がる。
「おまえが友達で良かったよ」
僕は今晩のために寝ておこうと思う。
涼に別れを告げ、炎天下を歩き出す。
暑さが気にならないくらい、今晩の事で頭がいっぱいだ。
妹さんは本当に誰かに殺されそうなのだろうか?
だとしたら誰に?
妹さんは誰かを殺そうとしているのだろうか?
どうやって?
気が付くと自宅のマンションの前についている。
4階分の階段を上がって家の前について、ふとセミの姿がないことに気がついた。
野鳥に食われたのかもしれない。
管理人さんが掃除の時にちりとりの中に入れたのかもしれない。
弱いもの、動けなくなったもの、死んだものは、そうやって、誰かが葬ってしまう。
そして誰も気にしない。
*
ずいぶん前から店員さんが僕の周りをうろうろしている。
明らかに邪魔にされているが、僕は気もそぞろに雑誌を取り上げては開き、ガラスの向こうの家を見ている。
妹さんはまだ出てこない。
携帯を確認すると、そろそろ午前2時になろうかという時刻。
3時間ほど眠れたので眠気はない。
むしろ緊張で目が冴えているくらいだ。
心の中で店員さんに謝罪しつつ僕は立ち読みするフリを続けている。
『この夏のトレンド先取り!』を眺めている時、目の端に動くものがうつる。
涼の部屋から誰かが出てくる。
女の子。
黒いTシャツにジーンズ。
伸びた髪を頭の後ろにまとめている。
大きめの斜めがけバッグを身につけている。
僕は即座に涼にコールする。
もちろん涼はすぐに出る。
「妹さん、出たよ」
「今行く」
僕は電話を切る。
今度たくさん買い物するんで勘弁してくださいと再び心で謝罪しつつコンビニを出ると、向かいの家から涼が出てくる。
僕は無言で右を指さす。
涼は頷く。
僕達は並んでぶらぶら歩く。
こそこそしたら不自然だ。
妹さんはまるで決まったルートでもあるかのように確かな足取りで進む。
黒いTシャツが夜に紛れて見づらい。
「どこに向かってると思う?」僕は声を潜め聞く。
「わかんね。でも、方角的に山じゃないか?」涼が答える。
確かに僕と涼の家の近くには山がある。
あのセミが飛んで来たであろう山だ。
妹さんは、確かに山に向かっているように見える。
「でもさ、もし妹さんが何かするとして、山に人を呼び出すってこと?」僕は不審に思う。
「山奥なら目撃される事もないだろ」
「でも、夜の山で待ち合わせなんて、呼び出されても行きたくないんじゃないかな」
「キャンプとか天体観測とか、まともな理由があれば来るかもな。いや、別に山で何かするってわけでもないのかもしれない」
「どういうこと?」
「わかんねーけど、例えば凶器を隠してるだけかもしれない」
妹さんはついに町から続く山道に入る。
街灯のない、本当に真っ暗な道だ。
斜めがけのバッグから何かを取り出すと、ぱっと光の輪が砂利道を照らした。
僕達は懐中電灯なんて持っていないし、そもそもここで足元を照らしたりなんかしたら妹さんにバレてしまう。
なるべく足音を立てないように光の輪を目印にして後を追う。
すると妹さんは突然道を外れ、木々の間に入って行く。
草をかき分けるような音だけが聞こえる。
僕と涼は木の影に隠れてそれを見る。
懐中電灯の光が一瞬それを照らした。
妹さんが持っているのは長い棒のような物だ。
「見た?」
「ああ、たぶんスコップだろ、あれ」
「隠してあったんだ」
妹さんはさらに奥に進んで、懐中電灯を枝にぶら下げて穴を掘り始める。
静まり返った山の中に、土を掘る音だけが不吉に響く。
「何してんだよ、あいつ」涼が苛立たしげに言う。
「少なくとも人殺しではないね」僕は言う。
「なんで穴なんか掘ってんだ」
妹さんは額の汗を拭いながら、一生懸命に穴を掘っている。
スコップを地面に置いて、バッグから何かを出した。
手で持てるくらいの大きさの何かだ。
ここからではよく見えない。
穴の中にそれを落とすと、今度は埋め始める。
「何だ? 何を埋めた?」
「見えなかった」
「くそっ、わけがわかんねーよ」涼が悪態をつく。
「でも最悪の自体は免れた」僕は混乱している涼をなだめる。
「ああ、そうだな」
穴を埋め終えると、スコップを元の位置に隠して、妹さんは山道を戻る。
僕と涼は慌てて、道の脇の草むらに伏せた。
妹さんが僕達のすぐ近くを通りすぎていく。
心臓が爆発しそうになるくらい高鳴っていた。
足音が遠ざかる。
僕達は再び尾行を再開するが、妹さんは公園で手を洗ったくらいで、後は家に帰ってしまった。
「なあ、今回のこれは、なんだったんだ?」涼が言う。
「わからない」僕は考えこむ。
僕も涼も、なんとなくばつが悪い。
「なんか、つきあわせちまって悪かったな」涼が申し訳なさそうに言う。
「いや、何事もなく終わって良かったよ」僕は言う。
「また何か出来る事があったら言ってよ」
僕達は別れる。
一体妹さんは何を埋めたんだろう?
何故埋めたんだろう?
僕はそれを考えながら自宅に戻る。
*
携帯が震えている音で目を覚ました。
着信は涼から。
寝ぼけながら電話に出る。
「もしもし?」声がガラガラだ。
「すまん、寝てただろ」涼が言う。
「どうしたの?」
「あのサイト、更新してある」
あのサイト。
僕の脳が一気に覚醒する。
「なんて書いてあるの?」
「全部終わったって。おまえも見てくれないか」
僕は机に飛びついて、生ぬるくなったサイダーと読み飽きたホラー小説を寄せてパソコンを立ち上げる。
涼がURLを教えてくれた。
確かに更新されている。
『私は全てを終わらせた』
『私が嫌いな奴は、もうこの世にいない』
『これから、私は自由だ』
『私は幸せになれる』
『これで私は絶対に大丈夫』
僕は急いで目を通す。
「妹さんは誰も殺してない」と言う。
「ああ、でも全部終わったって」
「どういうことだろう。妹さんのサイトじゃないのかな」
「でもそれにしてはサイトの内容とタイミングが合いすぎてる。家を抜けだした時も、昨日だって何かしてたのは確かだ」
僕は考える。
「涼、妹さんが何を埋めたのか、確かめよう」
「俺もそう思ってた」
「今から、どう?」
「コンビニで」
「わかった」
服装を着替えて、急いで家を出る。
昨日に引き続いて炎天下だ。
足早に歩き、いつものコンビニに急ぐ。
涼は既に自宅前のコンビニについていて、雑誌をめくっていた。
僕が店内に入ると、軽く手を上げて、
「行くか」と人懐っこい笑顔で言う。
「あ、ちょっと待って」と僕は言い、ペットボトルのジュースを4本買った。
「そんなにどうするんだよ」と涼が言うので、
「穴掘りしたら、汗かくから」と言う。
それに僕は、義理堅いほうなのだ。
昨日妹さんが通った道をたどって町を抜け、山道に入る。
夜中とは全く違って、木漏れ日が涼しげだ。
山全体が生命に満ち溢れていて、セミの大合唱、木々のさざめき、野鳥の声で騒がしい。
僕達は妹さんが隠したスコップを何とか探し出した。
草がかけられていて探すのに苦労した。
きっと妹さんにだけ分かる目印があったんだろうけど、それは僕達にはわからない。
埋めた穴はすぐにみつかった。
掘り返した土が新しいので、他の部分とは全く色が違うのだ。
「ここだな」と涼が言う。
「ここだね」と僕が言う。
一瞬の沈黙。
「どっちが掘る?」と涼が言う。
「頼むよ、お兄ちゃん」僕は冗談を言う。
「じゃあ5スコップ交代な」と涼が言う。
「ジュース代よこせ」と僕は脅す。
「よし、お兄ちゃんに任せろ」と涼は要求を飲む。
涼はざくざくと穴を掘り始める。掘り返した土は柔らかい。簡単に穴が深くなっていく。途中で水分を補給しながら涼はスコップを土に突き刺す。
がつ、と何かに当たる音がした。
「出た!」涼が歓声を上げた。
埋められた何かを傷つけないように、丁寧に土をどけていく。
そこに埋まっていたのは金属製のお菓子の缶だ。
涼は土を払ってそれを持ち上げ、僕を見る。
「開けるぞ?」涼が真剣な顔で言った。
僕が頷くと、涼は缶の蓋を開けた。
中に入っていたのは、日記帳だった。
文庫本くらいの大きさで、4冊入っている。
涼は少しためらってから、大きく息を吸い込んで、一番上の日記帳を開いた。
僕は地面に座って、セミの声を聞きながら、葉の隙間から差し込む幻想的な光を見ることにした。
きっとその日記帳には、大事な事が書いてあるはずだから。
だから僕は親友の方を見ない。
それは涼と、涼の家族が読むべきものであり、僕はきっと首をつっこむべきではないのだ。
どれくらいの時間が経っただろうか、涼が缶の蓋を閉める音がした。
僕は涼を見た。
涼は僕に背を向けて、顔を擦っていた。
肩を震わせて、何度も何度も、顔を擦っていた。
僕は俯いた。
「なさけねーなぁ」と涼は鼻が詰まった声で言う。
「俺、あいつの事、なんにも分かってなかったよ」涼は絞りだすように言う。
「どうして俺に言ってくれなかったのかなあ」涼は悲痛な声で言う。
「自殺まで考えたって言うんだぜ」涼は消え入りそうな声で言う。
「あいつをイジメた奴らなんて、俺がぶち殺してやるのに」
涼が泣いている。
押し殺した声で、鼻水をすすって、歯を食いしばって、泣いている。
僕は俯いて、心の中でセミに悪態をついた
俺の親友の泣き声をかき消すくらい、もっとでかい声出せよ。
*
結局缶は埋め直した。
赤い目の涼と、僕は山道を歩いている。
「わりい。恥ずかしいとこ見せた」涼はぎこちなく笑って言う。
僕はそれには触れない。
「どうするの?」僕は言う。
「妹さん、イジメられてたんでしょ。誰がやったのか知らないけれど、ぶっとばすなら手伝うよ」僕は興奮して言う。
「いや、たぶん、もういいんだ」涼は明るく言う。
「どうして?」僕は疑問に思う。
「だからさ、たぶんあいつは、ちゃんと殺人を決行したんだよ」
「どういうこと?」僕はきっと頭が悪い。
「サイトに書いてあっただろ、あいつが嫌いなヤツの話。そいつのせいで外に出られない、そいつのせいで夜も眠れない、そいつに殺されるって」
「書いてあった。でも妹さんは誰も殺してない」
「物理的にはな」涼は笑う。
「あいつはきっと、弱い自分を殺して埋めたんだよ」
なるほど、僕の親友はこれだからモテるんだな。
*
僕と涼は、またなと言って別れる。
僕は不思議と清々しい気分だった。
きっと涼の妹さんは、本当にもう大丈夫だ。
涼がいるし、何かあったら僕だって黙ってないぞ。
そんな事を考えながら歩いているとマンションの前につく。
4階分の階段をひいひい言いながら上がって通路を歩くと、家の前にまたセミがいる。
見事にひっくり返っている。
誰かが踏み潰さないようにどけようと思って、僕はそのセミに近づく。
するとセミは。
今までぴくりともしなかったのが嘘のように。
激しく飛び回って。
ぎいぎい鳴き喚きながら。
必死にあがいて。
壁にぶつかり。
傷だらけになって。
それでも。
青い空に飛んで行った。
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