Sliding Love
夏といえばプール。
ぎらついた灼熱の光を燦々とふりまく太陽の下、あたしたちは屋台のヨーヨーみたいにプールに浸かっていた。
親子連れやカップルで賑わう屋外プール。ここはウォータースライダーや流れるプール、波のプール、普通のプールなど、様々なプールが揃っている。
流れるプールはいい。浮き輪にはまって水流に身を任せているだけで、ふわふわと良い気分になれる。
「ねえ、紗菜……」
あたしがはまっている浮き輪につかまって、同じようにゆらゆら流れている明香里が言った。
「え? 何?」
我ながらぼけっとした声が出てしまう。女子力ゼロ。
「違うプール行かない? さっきから何周もしてんじゃん……」
いい加減明香里は飽き飽きしてきたようだ。よくここまであたしの流水ツアーに付き合ってくれたもんだと思う。明香里には感謝している。明香里、ありがとう。
「うーん、あともう一周……」
それでもあたしは、寝起きの小学生みたいなことを言った。
明香里は呆れたようにため息をつく。
「本当好きだよね。楽しいけどさ、飽きないの?」
「全然。流れるプール最高」
「たまにはウォータースライダーとか行こうよ。せっかくプール来たのに流れてるだけじゃ、プール来たって感じしないよ」
あたしはじろりと明香里を見た。
「いやだ。百歩譲って波のプールはいいとしても、スライダーはいや」
「何でよ」
「カップルばっかなんだもん」
夏に大量発生するカップル共、このようなプールなどは恰好の生息域だ。
奴ら、なぜかスライダーに乗りたがる。二人乗りの浮き輪でキャーキャー言い合って何が楽しいのか。
「カップルなら流れるプールにも波のプールにもいるじゃん」
「それはまだ許せるの。でも、スライダーはいや。待ってる時とかカップルに挟まれたらどうすんの。ずーっといちゃいちゃオーラに包まれてないといけないんだよ」
この流れるプールにもきゃっきゃ言ってるカップルはたくさんいる。でも、プールに浸かって流れている時はこのあたしの狭い心はプールのように中途半端に広くなって、騒ぎ声も聞き流せるのだ。
「その基準がわかんないんだけど。ねえ、とにかく行こうよ」
「いや」
「あたしたちだってカップルみたいに二人の世界に入って、話でもしとけばいいんだよ。全然気にならないって」
「あたしは崇高な友情を貫くわ。女同士でカップルみたいにいちゃつき合うくらいなら、死を選ぶ。明香里、友情を失ってもいいの?」
「馬鹿なこと言ってないで、早く行くよ!」
浮き輪ごとあたしを引っ張ってプールから上がらせようとする明香里に、あたしは必死で抵抗した。
「いーやーだ!」
「夏休みの宿題写させてあげないよ」
その一言で、あたしは抵抗する術を失った。
* * *
予想した通りだ。
まず、スライダーに乗るまでに専用の浮き輪を受け取らなくてはならない。二人乗りの浮き輪はこれでもかというくらいに混んでいて、待っている人のほとんどがカップルだった。
おまけにあたしたちの前には二十代後半くらいの大人カップル、後ろには高校生くらいのバカップルが並んでいる。
懸念した通り、挟まれてしまったのだ。
「すごい混んでるね」
「だから、流れてる方が楽だったのに……」
「でもいいじゃん。ほら、結構怖そうだし楽しそうだよ。紗菜だって、絶叫系好きでしょ」
好きだけど、こんなのに何十分も並ぶくらいなら、どっかの遊園地のアトラクションで何時間も待った方がましだ。
遊園地にもカップルはいるけど、プールのカップルの方が酷い。
水着で露出が多く、肌と肌が密着しあうからなのか、くっつき具合が半端じゃない。彼女の谷間にちらちら視線を送って鼻の下を伸ばしてるお腹がぷよっとした彼氏は、マジで見苦しい。彼氏の視界にわざとそれが入るように体をくねらせてる彼女も。
「何でそんなカップルが嫌いなの?」
愚問だ。明香里は頭良いのに、何でこんなことを聞くのか。
そんなの彼氏がいないからに決まってるじゃん。
「カップルが嫌いなんじゃないよ。人目をはばからずいちゃつく奴らが嫌いなの」
ちょっと声を大きくしたが、前後のカップルはすっかり二人だけの世界に浸っていて、あたしの声なんて全く聞こえていないようだ。
「紗菜だって彼氏作ったらその気持ちがわかるかもしれないよ」
作りたくてもできないから彼氏がいないんだってば。
明香里はもてるからいいけどさ、あたしみたいな可哀想な女子だっているんだよ。
「別に欲しくないし」
ああ、あたしってばあまのじゃく。
でも明香里はそんなあたしの気持ちなんか見透かしてる。なんたって幼稚園入る前からの付き合いだし、ご近所さんだし、友達歴十五年なんだから。
高校二年生で十五年来の親友がいるって、なかなかないと思うよ。
「紗菜はさ、理想が高すぎるんだよ」
散々言われたことだ。
理想が高いんじゃない。あたしの周りの男たちのレベルが低いだけだ。
「告白されたことがないわけでもないんでしょ。なのに一回も付き合ったことないなんて、それしか考えられないじゃん。ていうか、あたしから見てもそうだし」
「妥協は絶対にしない」
明香里は可愛くて優しくて頭良くて、絵に描いたみたいなモテ子。
それに対し、あたしは性格ひねくれてるし、明香里が親友ってことくらいしか胸張れるところがない。
そうこうしてる間に、前のカップルが浮き輪を受け取っていた。
続いて、真っ黒に焼けた監視員のお姉さんがあたしたちにも浮き輪を渡す。
「どうぞー!」
「ありがとうございますっ」
笑顔で明香里が言う。あたしはにこりともせず浮き輪を受け取った。
「スライダーにも色々種類あるよ! 一番大きいの乗ろうよ」
「いいよもう、何でも」
テンションが上がった明香里について行くと、一番大きくて一番混んでいるスライダーの所に辿り着いた。
ここにもカップルがいっぱい。もうお腹いっぱいです。
「そんなに楽しいのかねえ……くっついて騒いでるだけじゃん」
「だから、当事者になればわかるって」
でかい浮き輪が頂上へ上る階段の手すりに引っ掛からないように気を遣いながら、のろのろと階段を上って行った。
しばらくの間そのように進んでいくと、ようやく頂上に辿り着いた。
結構待ったのに、滑っている時間はほんの少しなんでしょ。乗る価値あるのかねえ。
「うわっ、結構怖そう」
ここのスライダーはでかいパイプみたいな形をしてるので、中は真っ暗だ。滑っている間何が何だかわからないだろう。
滑っていくカップルのキャーとかワーとか言ってる声を聴いているうちに、あたしたちの番がやって来た。
スライダーの入口の前に浮き輪の上に乗るスペースがあり、その横に監視員が一人立っている。全てのスライダーの出口は一つのプールに繋がっていて、そこにスライダーからちゃんと人が滑り降りてきたかどうかチェックする監視員がいるのだ。その監視員がスライダーの上にいる監視員に合図を送り、次の人が滑り出す仕組みだ。
明香里が最初に浮き輪に乗る。
その時、監視員の人が浮き輪に乗りやすいように支えてくれた。
「どーぞ、乗ってください」
監視員があたしに向かってにっこり笑いかけて言う。
その時の感覚――うまく言葉では言い表せないが、雷が落ちたような衝撃とはあのことを言うのだろう。
多分、歳は二十歳とかその辺。本当はもう少し上かもしれないけど、大きな目が可愛い感じで結構幼く見える。日に焼けた褐色の肌と白い歯が眩しい。
白い監視員用のシャツを着ているので上半身はわからないけど、短い水着から伸びた足には一片の贅肉もなくて、ガチガチに引き締まってる。多分腹筋もバッキバキなんだろう。
一目惚れ。プールの監視員に。
「紗菜? 早く乗ってよ」
立ち尽くしたまま動けないでいるあたしに、明香里は声を掛けた。
あたしははっとして浮き輪に乗ろうとした。が、手足がびりびり痺れたような感じでうまく動かせなくて、もたもたしてしまう。
すると監視員の人ががっしり浮き輪を押さえてくれた。
「どーぞっ!」
爽やかな笑顔。荒んだ私の心に一陣の風が吹き抜ける。
「ああ、あ、ありがとう」
明香里みたいに笑顔でお礼を言おうとしたのに、異様に低い声が出てしかも盛大にどもってしまった。
これじゃ気味悪がられるよ――。
なのに。
「いーえっ、楽しんでくださいねっ!」
やばい。心臓やばい。死ぬかも。
下にいる監視員から合図が来たのか、
「じゃ、いってらっしゃい!」
ぐいっと浮き輪を押されて、あたしたちは真っ暗なパイプの中へ滑り出した。
「きゃー!!」
明香里が甲高い叫びを上げる。
でも、あたしはそれどころじゃなかった。
「ね、ねえ明香里!」
「きゃー!! やだっ、暗い! 楽しーい!!」
「あの人見た!? あの監視員!」
「えっ、何!? 聞こえないよ!! きゃー!! イエーイ!!」
パイプの中に明香里に叫びがこだまする。
光が見えて来て、あたしたちが乗った浮き輪はすごいスピードでプールへ飛び出した。
急激にスピードを失った浮き輪は、ぷかぷかと残った勢いで岸へ辿り着く。
「楽しかったね! すごい、思ったよりスリルある!」
「明香里……あたしやばい」
「え? どうしたの? 怖かった?」
へらへらしながら明香里が言う。
あたしは激しく首を振った。
「違うってば! あそこにいた監視員だよ。めっちゃかっこよくなかった!?」
明香里は首をひねった。
「そうだった? 全然見てなかった」
「やばい……マジで一目惚れかも」
「ええ?」
浮き輪を持って歩きながら明香里は更に首をひねっている。
「そんなにかっこよかった? でも紗菜がそこまで言うくらいなら、かっこよかったのかなあ」
「めちゃくちゃイケメン! やばいよ、ほんとに」
「紗菜は面食いだからね」
明香里は相手にしてくれない。
「何て名前かなあ。いくつなんだろ」
「知らないよ」
「ちょっと年上かもしれないけど、あの人なら全然大丈夫」
「話飛躍しすぎだって」
すごい爽やかで笑顔が眩しかった。
監視員のあの人じゃ呼びにくいから、呼び名をつけよう。
タクミはどうかな。うん、ぴったり!
「また会いたいな……ねえ、もう一回スライダー行こうよ」
「カップルいっぱいいるのに、いいの?」
「あの人に会えるなら、そんなの全然苦じゃない」
こうしてあたしたちは長い行列を並んで、その後何回もスライダーに乗り続けた。
結局明香里はもう一度、あたしのわがままに付き合うことになってしまったのだ。それでも文句言わない(ちょっとぼやいてたけど)明香里。明香里、本当にありがとう。
「どーぞ!」
タクミはさっきからほとんど「どーぞ」と「いってらっしゃい」しか言ってないけど、笑顔が見れるならいいの。
タクミにとって、あたしはお客の一人。たとえその眩しい笑顔が営業スマイルでも、あたしは構わないわ!
そう思ってた時だった。
タクミが浮き輪を押した時(タクミと一番近づけるポジションだから、あたしはずっと浮き輪の後ろに乗ってたんだよね)、
「もう六回目だね。いってらっしゃい!」
もう、やばい。タクミはあたしを殺す気か。
タクミはあたしのことを(もしかしたら明香里の方かもしれないけど)覚えててくれたんだ! それも乗った回数まで。こんな嬉しいことはない。
滑り降りている間、あたしはこの嬉しさをどうにかしたくて、パイプが割れるくらいの叫び声を発し続けた。
「青春万歳!!」
「何言ってんの!?」
* * *
ほとんどの時間を流れるプールとスライダーに費やし、あっという間に閉園時間がやって来た。
「ああ、寂しいな……タクミと会えなくなっちゃうなんて」
「さっきまで彼氏なんかいないとか言ってたくせに。しかもタクミなんて名前付けて。そんなに気に入ったの?」
「また来ようかな……この夏中にもう一度会って、タクミの顔を心に刻みつけたい」
「ほら、早く荷物片付けて」
更衣室で服に着替えていると、肩がひりひりと痛んだ。やば、日焼け止め塗り直すの忘れてた。タクミに夢中で。
「うわ、あたしめっちゃ焼けてる」
明香里は色が白いから、真っ赤になっていてすごく痛そうだ。
「あたしも。顔と肩がすごく痛い」
タクミはすごい黒かったな。あたしもあんなこんがり肌に近付けるだろうか。ううん、でもやっぱ美白が一番だよね。まあ、あたしの元々の肌色は美白にはほど遠いけど。
外に出ると、太陽が西の空を赤く染めていた。昼間はうっとうしかったけど、すごく綺麗だ。
あたしは夕陽に向かって祈った。
「タクミにもう一度会えますように!」
「まだ言ってんの?」
その後、あたしの願いが叶えられるなんて、この時のあたしには知る由もない。