第7話 剥がれる化けの皮と、絶望の足音
王国の混乱は、ついに臨界点に達しようとしていた。
隣国との国境付近の森で、これまで記録にないほど大規模な魔物のスタンピード(大暴走)が発生したとの報が、王宮を震撼させたのだ。
「エドワード! 一体どうなっている! 聖女を娶りさえすれば、この国は安泰だと申したのは、お前ではなかったのか!」
国王の怒声が、玉座の間に響き渡る。
居並ぶ大臣たちからの非難の視線が、エドワードと、その隣で青ざめるイザベラに突き刺さった。
「もはや、一刻の猶予もない! 聖女イザベラよ! 今この場で、その聖なる力をもって、この国を覆う災厄を祓う祈りを捧げてみせよ! 国民すべてが見守る前でだ!」
もはや、逃げ道はなかった。
翌日、王宮前の広場には、最後の望みを託そうとする民衆が、不安と期待の入り混じった表情で埋め尽くしていた。
特設された祭壇に上ったイザベラの足は、恐怖で小刻みに震えている。
(できない…もう、何の力も残っていないのに…!)
だが、やるしかなかった。
彼女は天に両手を掲げ、必死に祈りの言葉を紡ぎ始める。
しかし、何も起こらない。
淡い光さえ、もはや彼女の体から放たれることはなかった。
広場が、失望のどよめきに包まれる。
「どうした、聖女様!」
「祈りはまだ終わらないのか!」
追い詰められたイザベラの精神は、ついに限界を超えた。
「うるさい! うるさい! うるさい! わたくしにどうしろと言うのよ!」
聖女にあるまじき金切り声を上げ、彼女はヒステリックに叫び散らした。
「力がでないのは、わたくしのせいじゃない! この国から、力の源がなくなってしまったからよ! わたくしはただ、周りにある力を少しだけ借りて、奇跡みたいに見せていただけ! それの何が悪いのよ!」
自らの口で、すべてを暴露してしまった。
偽りの聖女の、化けの皮が剥がれ落ちた瞬間だった。
民衆のどよめきは、やがて怒りの咆哮へと変わる。
「我々を騙していたのか!」
「あの女を捕えろ!」
エドワードは、その場で崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えていた。
全身から血の気が引き、頭の芯が凍りつくような感覚。
愛した女は、ただの詐欺師だった。そして、自分はその詐欺師の言葉を鵜呑みにし、国を破滅の淵に追いやったのだ。
その時、彼の脳裏に、雷に打たれたような衝撃と共に、かつて自分が捨てた令嬢の姿が浮かび上がった。
いつも冷静で、物静かで、けれど芯の強さを感じさせた、あの銀色の髪の少女。
――『わたくしの言葉に、力なんて…』
いつだったか、彼女がぽつりと呟いていた言葉。
――『どうか、また元気になって、綺麗な花を咲かせてくださいね』
庭師が、彼女が声をかけた花だけが見事に咲き誇ったと、不思議そうに話していたのを思い出した。
まさか。
まさか、まさか。
この国の災厄の原因は。
本当の奇跡の力を持っていたのは。
「セレスティア…」
無意識に漏れたその名前に、隣にいたヴァレンシュタイン公爵が、ハッと息を呑むのが分かった。
彼もまた、同じ結論にたどり着いたのだ。
自分たちが『無能』と蔑み、虐げ、何の価値もないと断じて追放した長女こそが、この国を、そしてヴァレンシュタイン家を無意識のうちに守護していた、唯一無二の至宝であったという事実に。
「ああ…あああ…」
公爵はその場にへたり込み、乾いた呻き声を漏らした。
隣に立つ娘、クラウディアの顔もまた、血の気を失い真っ白になっている。彼女の自慢だった艶やかな肌は精彩を欠き、その瞳にはこれから自分たちを襲うであろう破滅への恐怖が、ありありと浮かんでいた。
自分たちが手にしたと思っていた栄光は、すべて砂上の楼閣だった。
そして、その土台を、自らの手で崩してしまったのだ。
後悔するには、あまりにも、遅すぎた。
民衆の怒りの矛先は、もはやイザベラだけでなく、彼女を盲信したエドワード王太子と、その元凶を生み出したヴァレンシュタイン公爵家にも向けられていた。
地鳴りのような罵声と非難を浴びながら、彼らはただ、底知れぬ絶望の闇へと堕ちていくしかなかった。




