第6話 王国の災厄と、偽りの聖女
その頃、わたくしセレスティアを追放したアークライト王国は、原因不明の災厄に見舞われ始めていた。
最初は、些細な異変だった。
王都の庭園に咲き誇っていた薔薇が、理由もなく一斉に色褪せ、枯れ始めた。
国王主催の観劇会で、国一番と謳われた歌姫の声が、突然出なくなった。
些細ではあるが、それは確実に人々の心に小さな不安の染みを広げていく、不吉な前兆だった。
「イザベラ、お前の聖なる力で、この薔薇をもう一度咲かせてはくれぬか」
王太子エドワードは、婚約者となった聖女イザベラに優しく微笑みかけた。
セレスティアという目障りな存在を排除し、真に愛するイザベラを隣に置いた今、彼の心は満ち足りているはずだった。
「もちろんですわ、エドワード様。わたくしの愛と祈りの力で、すぐに元通りにしてみせます」
イザベラは自信満々にそう言うと、枯れた薔薇の前にひざまずき、祈りを捧げ始めた。
彼女の体から、ふわりと淡い光が放たれる。
しかし、いくら祈っても、薔薇は枯れたまま。それどころか、まるで彼女の力を嘲笑うかのように、残っていた葉までもがハラハラと力なく地面に落ちていく。
「…おかしいですわね。今日は少し、調子が悪いみたい…」
イザベラは額の汗を拭い、気まずそうに言い訳をする。
エドワードは「そうか、無理はするな」と気遣う言葉をかけながらも、その胸には、初めて小さな疑念の棘が刺さったのを感じていた。
異変は、日に日に深刻さを増していった。
王国の主要な水源である大河の水が淀み始め、異臭を放つようになった。
豊かな実りをもたらしていたはずの小麦畑は、原因不明の病害によって次々と立ち枯れていく。
食料の供給が滞り、物価は高騰。民の暮らしは困窮し、王都の辻々では、不安と不満を口にする声が囁かれるようになっていた。
「聖女様は、一体何をしておられるのだ?」
「エドワード王太子殿下は、あの女にうつつを抜かして、我々の苦しみが見えていないのか」
「そういえば、ヴァレンシュタイン公爵家のあのお嬢様…追放された令嬢がいなくなってから、おかしなことばかり起きるような…」
そんな不穏な噂は、王侯貴族たちの耳にも届き始めていた。
ヴァレンシュタイン公爵家では、父と妹のクラウディアが苛立ちを募らせていた。
「忌々しい! なぜセレスティアの名が、今さら民の口に上るのだ!」
「お父様、あんな出来損ない、もう関係ありませんわ! それより、最近わたくしの肌の調子が優れないのです。イザベラ様に、祝福の祈りをお願いしなくては…」
しかし、当のイザベラは、もはや他人の心配をしている余裕などなかった。
彼女の『聖なる力』は、日に日に衰え、今では軽い切り傷ひとつ癒すことすらできなくなっていたのだ。
(どうして!? どうしてなの!? あの女がいなくなって、わたくしがこの国の頂点に立ったはずなのに!)
彼女の力の源は、他人の魔力を無意識のうちに少量だけ奪い、それを自分の力であるかのように見せかける、極めて特殊な体質によるものだった。
そして、この国で最も強大で、最も純粋な魔力の源泉――それが、魔力なしの『無能』と蔑まれていたセレスティア・フォン・ヴァレンシュタインその人であったことなど、彼女は知る由もなかった。
セレスティアは、その存在自体が、国の魔力を安定させ、浄化する巨大な『鎮石』のような役割を果たしていたのだ。
その鎮石を、自らの手で国から放逐してしまった愚かさに、まだ誰も気づいてはいなかった。
焦燥に駆られたイザベラは、夜な夜な神殿に籠り、神に祈りを捧げ続けた。
だが、神は応えない。
それどころか、彼女が大切に育てていたはずの『聖花』は、完全に枯れ果て、今は見る影もなく黒ずんだ残骸と化していた。
その光景は、これから彼女に訪れる運命を、無慈悲に暗示しているかのようであった。




