第5話 惹かれ合う心と、見出された価値
リアムさんと森で出会ってから、数日が過ぎました。
彼は「調査が長引きそうだ」と言ってミストラルの村に滞在し、エルザさんの宿屋を定宿としていました。
それ以来、わたくしは頻繁に彼と顔を合わせるようになります。
わたくしが薬草畑の手入れをしていれば、どこからともなく現れて、「それは何という薬草だ?」と尋ねてきたり。
わたくしが村の市場へ買い物に出かければ、ごく自然に隣を歩き、「荷物を持とう」と手を差し伸べてくれたり。
最初は、ただの傭兵とは思えない彼の存在に戸惑い、緊張の連続でした。
けれど、リアムさんはいつも穏やかで、わたくしが貴族の令嬢であったことなどまるで気づいていないかのように、一人の女性として対等に接してくれました。
彼は、わたくしが話すことに、いつも真剣に耳を傾けてくれます。
薬草の話をすれば、専門家のように鋭い質問を投げかけてくるし、わたくしが王都で読んだ物語の話をすれば、「その結末は少し悲しいな。俺なら、そうはしない」なんて、真面目な顔で感想を述べるのです。
そのやり取りが、わたくしには新鮮で、とても心地よかった。
家柄や魔力の有無ではなく、『セレスティア』という個人を見てくれる。その事実が、凍っていた心を春の陽だまりのように、ゆっくりと溶かしていくのを感じました。
「リアムさんは、どうして傭兵になられたのですか? あなたほどの剣の腕があれば、騎士としても大成されたでしょうに」
ある日、二人で小川のほとりに腰を下ろして休憩している時、ふと気になっていたことを尋ねてみました。
彼は少し遠くを見つめ、どこか寂しげな笑みを浮かべます。
「…守りたいものがあるから、かな。騎士という立場では、守れないものもある」
その横顔に、彼が背負っているものの重さを垣間見た気がして、わたくしはそれ以上何も聞けませんでした。
そんな穏やかな日々に、突如として暗い影が差し伸べられたのは、それから間もなくのことでした。
村で、原因不明の熱病が流行り始めたのです。
最初は数人の子どもたちだけだったのが、瞬く間に大人たちにも広がり、村の小さな診療所はあっという間に寝たきりの人々で溢れかえりました。
高熱と激しい咳、そして体力の消耗。
診療所の医師も懸命に治療にあたっていましたが、特効薬がなく、為す術がない状態でした。エルザさんも熱に倒れ、苦しそうにベッドで呻いています。
「セレスティア…お願いだから、あんたはあっちへ行っておくれ。こんな病、うつっちまうよ…」
「いいえ、エルザさん。わたくしは大丈夫です。必ず、あなたを元気にしてみせますから」
わたくしは、寝る間も惜しんで薬草を煎じ続けました。
解熱作用のある薬草、咳を鎮める薬草、滋養強壮の効果がある薬草…。
持てる知識を総動員し、最も効果があると思われる調合で、必死に薬を作り続けました。
けれど、病の勢いは、わたくしの作る薬の効果を上回っているようでした。
日に日に増えていく病人たち。皆の顔から笑顔が消え、村は重苦しい絶望の空気に包まれていきます。
(駄目…このままでは、皆が…)
自分の無力さに、涙が溢れそうになる。
その時、そっと肩に温かい手が置かれました。
振り返ると、いつの間にかリアムさんが背後に立っていました。
「一人で背負いすぎるな。君は、もう十分にやっている」
その優しい言葉に、堪えていた涙が堰を切ったように頬を伝わりました。
「でも…っ、わたくしの力だけでは、足りません…! もっと強い力があれば、もっと確かな効果のある薬が作れたら…! お願いです、どうか、みんなの苦しみが少しでも和らぎますように…!」
わたくしは、祈るようにそう叫んでいました。
それは、心の底からの、偽りのない願い。
その言葉が、鍋で煮詰めていた薬草の液体に、まるで小さな光の粒のように溶けていくのを、わたくしは見たような気がしました。
出来上がった薬を、エルザさんをはじめ、村人たちに飲ませて回ります。
すると、信じられないことが起こりました。
あれほど頑固だった高熱が、まるで嘘のようにすうっと引き始め、激しかった咳も次第に治まっていったのです。
翌朝には、村人たちのほとんどが快方に向かい、村には安堵の空気が戻っていました。
「セレスティアさんの薬のおかげだ!」
「まるで奇跡だ!」
村人たちは、口々々にわたくしを『村の聖女様』と呼び、感謝してくれました。
わたくし自身、何が起こったのか分からず、ただ呆然とするばかりでした。
そんなわたくしを、リアムさんは少し離れた場所から、静かな、けれど確信に満ちた瞳で見つめていました。
その夜。
ようやく落ち着きを取り戻した宿屋の片隅で、リアムさんはわたくしに静かに語りかけました。
「やはり、君だったんだな」
「…え?」
「君の言葉には、力が宿っている。事象を捻じ曲げ、現実を望む形に変える、伝説の魔法――【言霊】だ」
彼の口から告げられた言葉に、わたくしは息を飲みました。
言霊。
それは、神話の時代に存在したとされる、使い手の言葉をそのまま現実に変えるという、最高位の魔法。
魔力のない『無能』なわたくしが、そんな力を持っているなんて。
「そんな…まさか…。わたくしは、魔力測定でも、何の力も検知されなかったのですよ…?」
「言霊の力は、通常の魔力とは根源が違う。だから、普通の測定器では測れない。君はずっと、自分でも気づかないうちに、その強大すぎる力を無意識にコントロールしていたんだ」
リアムさんは、真っ直ぐにわたくしの瞳を見つめて言います。
「セレスティアさん。あなたは、自分が何者か、本当は分かっていないのではないですか? ヴァレンシュタイン公爵家を追放された、ただのか弱い令嬢などではないということを」
彼の言葉は、雷のようにわたくしの全身を打ちました。
彼が、わたくしの素性を知っていたことにも驚きましたが、それ以上に、彼がわたくしの『本質』を、あまりにも正確に見抜いていたことに。
紫の瞳が、あの日の記憶と、はっきりと重なりました。
わたくしが7歳の時、庭の隅で泣いていたわたくしに、お守りの腕輪をくれた、あの少年。
彼の瞳も、こんな美しい紫色をしていた。
「あなた、は…」
わたくしが何かを言いかける前に、彼はそっと人差し指をわたくしの唇に当て、静かに首を横に振るのでした。その瞳は、深い優しさと、何か大きな決意を湛えているように見えました。




