第1話 断罪の夜会と、出来損ないの令嬢
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シン、と静まり返った夜会のホール。
その中央で、わたくしは独り、衆目に晒されていた。
ひそひそと交わされる囁き声が、まるで粘度の高い呪いのように肌に纏わりつく。
「あれがヴァレンシュタイン公爵家の…」
「魔力なしの出来損ない、ですって」
「聖女であるイザベラ様に嫉妬して、呪いをかけようだなんて…恐ろしい」
聞くに堪えない言葉の礫が、四方八方から投げつけられる。
その全てが、わたくしの心を的確に抉ろうと飛んでくるのが、むしろ滑稽ですらあった。
(呪い、ですか。わたくしが彼女にかけたものといえば、せいぜい内心で『その純白のドレスの裾でも踏んで、盛大に転んでしまえばいいのに』と願った程度ですわ。あら、これも呪いになるのかしら?)
そんな冷静な思考とは裏腹に、わたくしの目の前では、婚約者であるエドワード王太子殿下が、憤怒に顔を歪ませていた。彼の腕の中では、か弱い子鹿のように震える令嬢――今をときめく聖女、イザベラ嬢が守られている。
「セレスティア・フォン・ヴァレンシュタイン! 貴様は聖女イザベラへの嫉妬に狂い、その類まれなる聖なる力を呪詛によって奪おうとした! その罪、万死に値する!」
高く、よく通る声で紡がれる断罪の言葉。
金色に輝く髪、サファイアのような青い瞳。神が寵愛を注いで創り上げたかのような完璧な容姿を持つ彼が、今は憎悪に満ちた瞳でわたくしを睨みつけている。
その隣で、イザベラ嬢はさらに身を縮こまらせ、美しい顔を涙で濡らしていた。
桜色の髪に、庇護欲をそそる潤んだ瞳。彼女が「うっ…」と小さく呻くたびに、周囲の貴族たちからわたくしへの非難の声は一層強くなる。
「ご覧ください、殿下…。わたくしが丹精込めて育てていた、神殿の聖花が…セレスティア様の呪いのせいで、こんなにも元気をなくしてしまって…」
イザベラ嬢がお付きの侍女に合図すると、大きな鉢植えが運ばれてくる。
かつては青々と輝く葉をつけ、純白の花を咲かせていたはずの聖花は、今は見る影もなく萎れ、土は乾ききっていた。
(あらあら。それは単なる水やり不足ではなくて? わたくしのせいにするのでしたら、もう少し説得力のあるものをご用意いただきたかったものですわ)
わたくしは心の中で、本日何度目か分からないため息をつく。
彼女が聖女として崇められるようになったのは、この聖花を美しく咲かせ、その力で人々の軽い傷や病を癒せるようになったからだ。しかし、もともと神殿の温室で専門の庭師が管理していたものを、彼女が「わたくしが毎日祈りを捧げます」と言って自分の部屋に持ち帰っただけの代物だ。
「これこそが何よりの証拠だ! 聖女の奇跡を妬み、その御力を貶めようとするとは! セレスティア、貴様のような邪悪な女を、未来の国母として迎え入れるわけにはいかない!」
エドワード殿下は高らかに宣言する。
わたくしは、ただ黙ってその言葉を受け止めていた。
反論など、意味がない。
この場は、わたくしを断罪するために用意された、完璧な舞台なのだから。
ちらり、と視線をホールの隅に向ける。
そこには、わたくしの父であるヴァレンシュタイン公爵と、妹のクラウディアがいた。彼らは、わたくしが公衆の面前で辱められているというのに、助け舟を出すどころか、冷え冷えとした視線を向けてくるだけだ。
その目は、まるで道端の汚物を見るかのようだった。
『お前さえいなければ』
その声なき声が、痛いほど聞こえてくる。
魔力至上主義であるこの国で、公爵家に生まれながら魔力を一切持たずに生まれたわたくしは、一族の恥であり、汚点だった。妹のクラウディアは、平凡ながらも魔力を持って生まれた。それだけで、彼女は両親の愛情を一身に受け、わたくしは存在しないものとして扱われてきた。
エドワード殿下との婚約も、王家とヴァレンシュタイン家の力関係で決まった政略の道具に過ぎない。彼がわたくしに向ける眼差しに、愛情や慈しみなど、ただの一度も宿ったことはなかった。
(ええ、ええ、分かっておりましたわ。いつか、こんな日が来るのだろうと)
だから、何も驚きはない。
ただ、胸の奥が、氷の針で刺されたように小さく痛むだけ。
「よって、今この時をもって、セレスティア・フォン・ヴァレンシュタイン! 貴様との婚約を破棄する!」
その言葉を待っていたかのように、イザベラ嬢が「まあ、殿下…! そこまでなさらずとも…」と、わざとらしく口元を覆う。
「いや、これだけでは生ぬるい! 貴様の存在は、この国の害悪でしかない! ヴァレンシュタイン公爵の名において、貴様を国外追放処分とすることを決定する!」
国外追放。
その言葉に、さすがにホールがざわついた。
婚約破棄ならまだしも、公爵令嬢を追放するというのは、前代未聞の厳罰だ。
わたくしはゆっくりと顔を上げ、初めてエドワード殿下の瞳をまっすぐに見つめた。
彼の青い瞳には、わたくしへの侮蔑と、聖女を守ったという自己陶酔の色が浮かんでいる。
(ああ、そうですか。国外追放。結構ですわ)
もはや、この国にも、あの家にも、何の未練もない。
「――謹んで、お受けいたします」
凛、と響いたわたくしの声に、エドワード殿下は一瞬、虚を突かれたような顔をした。
泣いて許しを乞うか、あるいは見苦しく喚き散らすとでも思っていたのだろう。
わたくしは、淑女の作法に適った、完璧なカーテシーを彼らに向けてみせた。
背筋を伸ばし、顔を上げ、唇の端に微かな笑みさえ浮かべて。
「エドワード王太子殿下、そして聖女イザベラ様。お二人の輝かしい未来を、心よりお祈り申し上げますわ。どうぞ、末永くお幸せに」
その言葉が、皮肉に聞こえたのかもしれない。
エドワード殿下の眉が、ぐっと吊り上がった。
「…っ、衛兵! この女を城から叩き出せ! 明日の朝日が昇るまでに、王都から立ち去るようにと伝えろ!」
衛兵たちが無遠慮な手つきでわたくしの腕を掴む。
引きずられるようにしてホールを後にする間際、わたくしは最後に一度だけ、家族がいた場所を振り返った。
父は冷たく顔を逸らし、妹は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
その光景を、わたくしは瞼に焼き付けた。
(さようなら、お父様、お母様、クラウディア。さようなら、わたくしを虐げた全ての人々)
そして、わたくしの愛した、この国の美しい花々や、穏やかな風。
(もう二度と、この地を踏むことはないでしょう)
腕を引かれる痛みに耐えながら、わたくしは心の中で静かに呟いた。
不思議と、涙は一滴も流れなかった。




