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新しい春の距離

 大学生活が始まって数週間、桜の花びらがキャンパスの地面を淡いピンクに染めていた。

 梨花は講堂での気まずい再会以来、涼太と同じゼミという現実に戸惑いながらも、新生活に少しずつ馴染んでいた。


 新しい友達、初めての講義、サークルの勧誘。すべてが眩しく、でもどこか心の片隅で涼太の影がちらつく。


 涼太は、梨花の視界にいつもいた。ゼミの教室で、図書館の窓際で、キャンパスのベンチで。

 彼は決して自分から話しかけてこなかった。梨花がそっと視線を送っても、涼太は教科書やスマホに目を落とし、まるでそこに梨花がいないかのように振る舞った。


 でも、完全な無視でもなかった。目が合うと、軽く会釈する。その小さな仕草が、梨花の胸を締め付けた。

 あの冷たい別れの日の涼太と、どこか変わらない優しい涼太が、同じ人の中にいるようで。


 涼太は、大学でも独特の存在感を放っていた。物静かで、必要以上には話さない。でも、誰かが話しかければ、柔らかい笑顔で気さくに応じる。

 ゼミのグループワークで、涼太がさりげなく意見をまとめると、クラスの女子が「佐藤くん、めっちゃ頭いいね」

と囁き合った。


 サークルの新歓で、ビラを配る先輩に絡まれても、涼太は軽く笑って「いや、でも楽しそうっすね」と切り返す。


 そのクールで自然な態度は、周りから

「ちょっとミステリアスなイケメン」

「いい奴だけど近寄りがたい」

 なんて評判だった。


「涼太…変わらないね。でも、なんで私には…。」


 梨花はそんな涼太を遠くから見つめながら、胸のモヤモヤを飲み込んだ。あの別れの日の真相を知りたい。

 でも、話しかける勇気が出ない。涼太の笑顔が他の誰かに向くたび、梨花の心はチクリと痛んだ。


 梨花自身も、大学で目立つ存在だった。長い黒髪と透明感のある容姿は、入学式の日から注目を集めた。


 講義の後に「梨花ちゃん、一緒に学食行かない?」と誘われることも多く、彼女は笑顔で「うん、いいよ!」と応じた。梨花は人と話すのが得意だった。誰とでも気軽に笑い合える明るさが、彼女の魅力だった。

 高校時代、涼太のそばで過ごした日々が、梨花に自分を好きになる自信をくれたからだ。


 梨花は音楽サークルに加入した。軽音やアコースティックを中心に、初心者もプロ志向も混ざったカジュアルなサークルだった。最初のミーティングで、梨花はギターを手に自己紹介した。


「えっと、梨花です。ギターは高校でちょっとかじったくらいだけど…好きなアーティストは、ユアーズとか、ヒトリエとか! よろしくね!」


 その明るい声に、先輩たちが

「ユアーズ、いいよね!」

「初心者でも全然OK!」


 と盛り上がった。その中でも、ひときわ目を引く男の子がいた。

 3年生の悠斗。サークルの中心人物で、爽やかな笑顔と高身長が女子の間で話題のイケメンだ。悠斗は梨花の自己紹介を聞いて、ニッと笑った。


「ユアーズ、めっちゃいいじゃん! 俺も大好き。梨花ちゃん、センスいいね。」


 その一言から、梨花と悠斗はすぐに打ち解けた。サークルの練習後、二人でユアーズの新アルバムについて語り合ったり、好きなライブ映像をスマホで見せ合ったり。


 悠斗は気さくで、梨花の話をいつも真剣に聞いてくれた。梨花にとって、悠斗は音楽を語れる友達だった。

 涼太のことを思い出すたびに胸が痛む日々の中で、悠斗との会話は少しだけ心を軽くしてくれた。


 でも、時折、悠斗の態度に梨花は違和感を覚えた。練習中に他の男子メンバーと梨花が笑い合っていると、悠斗がふと黙り込み、じっと梨花を見つめることがあった。

 その目は、音楽トークの時の爽やかさとは違い、どこか独占欲のような、粘つく光を帯びていた。


「梨花ちゃん、俺と話すのが一番楽しいよね?」


と、冗談めかして言うその声に、どこか真剣な響きがあった。梨花は


「うん、めっちゃ楽しいよ!」


 と笑って流したが、心の奥に小さなモヤが残った。


 ある日、サークルの部室で片付けをしていると、女子メンバーの会話が耳に飛び込んできた。梨花はギターケースを閉じながら、つい聞き耳を立てた。


「悠斗先輩って、めっちゃ優しいよね。でもさ…なんか、噂聞いたことある?」


「え、なになに?」


「去年の新歓ライブの後、女の子と二人で消えたって話。なんか、ちょっと…変な感じだったって。いつも明るいけど、なんか無理してる感じするよね、悠斗先輩。」


「え、マジ? でも、悠斗先輩ってそんな人に見えないじゃん!」


「うーん、わかんないけど…人気者なのに、なんか寂しそうな時あるよね。噂だし、気にしない方がいいかな。」


 梨花の手が一瞬止まった。悠斗の笑顔が頭に浮かんだ。あの視線、冗談めかした言葉を思い出すと、胸に小さな不安が広がった。梨花はすぐにその考えを振り払った。「まさかね、悠斗先輩、普通にいい人だし。」



「悠斗先輩、めっちゃ話しやすいね。なんか、音楽の話してると時間忘れる!」


 梨花がそう言うと、悠斗はいつもの爽やかな笑顔で答えた。


「ハハ、梨花ちゃんもな! こんな話できる子、久々だよ。やっぱ梨花ちゃん、特別だよ。」


 その「特別」という言葉に、梨花は一瞬ドキッとした。でも、涼太の笑顔を思い出すと、胸がチクリと痛んだ。悠斗の笑顔は温かかったが、どこかで引っかかる感覚が消えなかった。


 ある日、サークルの練習が終わった夕方。キャンパスの芝生広場で、梨花と悠斗はいつものように音楽トークに花を咲かせていた。夕陽が二人の影を長く伸ばし、春の風が心地よかった。


「そういえばさ、ユアーズのライブ、来月あるじゃん。梨花ちゃん、行く?」


 悠斗の言葉に、梨花は目を輝かせた。


「え、マジ!? 行きたい! でも、チケット取れるかな…。」


 悠斗は少し照れくさそうに頭をかき、梨花をまっすぐ見た。その目に、またあの粘つく光が一瞬よぎった気がした。


「実はさ、俺、2枚取れたんだ。もしよかったら…梨花ちゃんと一緒に行かない?」


 梨花の心臓がドクンと鳴った。悠斗の笑顔は真剣で、純粋な楽しさが伝わってきた。でも、同時に、胸の奥に小さな棘が刺さった。

 男の人と2人で出かける。涼太以外の誰かと。そんな想像が、梨花の心に後ろめたさを呼び起こした。涼太の冷たい目、叩いてしまった頬の感触が、頭をよぎる。


「えっとー…。」


 梨花の声は小さく、言葉が詰まった。悠斗の提案は、ただの友達としての誘いだとわかっている。梨花にとって、悠斗は音楽を語れる大切な仲間だ。恋愛感情なんてない。


 でも、涼太との思い出が、梨花の心を縛っていた。ライブに行きたい。大好きなユアーズの音楽に浸りたい。でも、涼太の影が消えない。

 悠斗は梨花の躊躇に気づき、軽く笑って言った。


「あ、急に誘ってごめんな! 嫌いじゃなかったら、考えてみてよ。」


 その気遣いが、梨花の心を少し軽くした。涼太のことは、いつまでも引きずっていられない。新しい生活を、楽しみたい。梨花は深呼吸して、笑顔を作った。


「ううん、めっちゃ嬉しいよ! ユアーズのライブ、絶対行きたい! 悠斗先輩と一緒なら、絶対楽しいよね!」


 梨花の声は明るく弾んだ。心のどこかで、涼太への未練が疼いた。でも、今はパーッと盛り上がって、前に進みたかった。悠斗は「よっしゃ、決まり!」と笑い、梨花もその笑顔に釣られて頷いた。


 夕陽がキャンパスを赤く染める中、梨花の心は揺れていた。悠斗とのライブは、新しい一歩になるかもしれない。でも、涼太の笑顔は、梨花の心の奥でまだ静かに光っていた。

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