第3話 あの嫌なヤツも私?あの聖人も私?ええーっ、まじかよ…
「ま、マジかよ…?え、え、どういうことだよそれ!?」
俺の叫びは、この何もない空間に虚しく響いた…ような気がした。
神(仮)のぶっ飛んだ説明に、俺の脳みそは完全に処理能力を超えてショート寸前だ。
「全ての人間が、俺自身?」
そんな馬鹿な話があるか。
「だからさー、言葉通りだってば。君が今まで出会ってきた、ありとあらゆる人間。テレビの向こうの有名人も、道端で見かけた名も知らぬオッサンも、歴史の教科書に出てくるエラい人も、みーんな、ぜーんぶ君。君っていう魂の、別アバターみたいなもん」
神(仮)は、まるで「1+1は2だよ」とでも言うように、あっけらかんと言い放つ。
その声には、からかうような響きすら含まれている。
「ちょ、ちょっと待て!頭が追いつかない!じゃあ、なんだ?俺がガキの頃、いじめっ子だった鈴木も俺だって言うのか!?あんなヤツが!?」
俺は思わず、小学生時代の苦い記憶を呼び起こしていた。
鈴木。
クラスのガキ大将で、俺はよく彼の標的にされていた。
あの憎たらしい顔が、ぼんやりとした空間にデフォルメされたカートゥーンみたいに一瞬浮かび上がり、すぐに消えた。
なんだ今の。
「ピンポーン!大正解!あの鈴木くんも、まぎれもなく君だねぇ。ウケるっしょ?」
神(仮)は、心底楽しそうに答える。
そのぼんやりとした気配が、ケラケラと笑っているように感じられる。
「ウケるか!じゃあ、逆に、俺が密かに憧れてたクラスのマドンナ、高橋さんも…俺だってことか…?」
今度は、甘酸っぱい思い出と共に、高橋さんの可憐な笑顔が空間にふわりと浮かび、そしてやっぱりすぐに消えた。
「そーそー!高橋さんも君!つまり君は、鈴木くんにいじめられてた自分を見ながら、高橋さんっていう自分に憧れてたわけ。ややこしいねぇ、人間って!」
神(仮)の言葉に、俺はめまいを覚えた。
なんだその複雑怪奇な一人芝居は。
「じゃあ…じゃあ、俺が会社で一番尊敬してた、あの厳しくて優しい田中部長も俺で、逆に、俺が一番ムカついてた、ネチネチ嫌味ばっかり言ってくる隣の課の佐藤も俺だってことか!?」
田中部長の渋い顔と、佐藤の陰険な笑顔が、立て続けに空間にポップアップしては消える。
もはや、何が何だか分からない。
「そういうこと!君は田中部長として自分を励まし、佐藤として自分にストレスを与えてたわけだ。人生、自作自演!」
神(仮)は、手を叩いて喜んでいるかのような気配を漂わせている。
俺は頭を抱えた…いところだが、もちろんそんなことはできない。
善人も悪人も、好きな人間も嫌いな人間も、全てが自分?
そんなことがあり得るのだろうか。俺の倫理観や価値観が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じる。
「じゃあ…俺が誰かを助けたとしたら、それは俺が俺を助けたってことか?逆に、俺が誰かを傷つけたら、それは俺が俺を傷つけたってことなのか…?」
だとしたら、俺が人生で犯してきた小さな罪や、見て見ぬふりをしてきたこと、あるいは誰かにした親切な行いも、全て自分自身に対する行為だったということになる。
「おっ、スルドイねぇ!だいたいそんな感じ!だからさ、人に親切にしとくと、巡り巡って自分に返ってくるって言うじゃん?あれ、結構ガチな話なんだよね。だって、相手も自分なんだから、直接的にも程があるっしょ?」
神(仮)は、したり顔で(気配だけだが)言った。
その言葉に、俺はなぜか妙な納得感を覚えてしまった。
確かに、そう考えれば、世の中の多くの道徳や教えが、全く別の意味を帯びてくる。
「情けは人のためならず」なんて、まさにこのことじゃないか。
「でも…それじゃあ、戦争とか、犯罪とかはどうなるんだ?あれも全部、俺が俺に対してやってるってことか?そんな…悲しすぎるだろ…」
もしそうなら、人類の歴史とは、俺という存在が延々と自分自身を傷つけ、殺し合ってきた、壮大な悲劇ということになってしまう。
「んー、まあ、悲しいっちゃ悲しいかもねぇ。でもさ、それも全部経験なわけよ。喜びも悲しみも、愛も憎しみも、創造も破壊も、ぜーんぶ経験して、君っていう魂は成長していくわけ。色んな味を知って、一流シェフになるみたいな?」
神(仮)は、あくまで軽い口調を崩さない。
しかし、その言葉の奥には、人間の尺度では計り知れない、何か途方もなく大きな視点が存在しているように感じられた。
倫理観がぐちゃぐちゃになる。常識が通用しない。
でも、このふざけた神(仮)の言葉には、奇妙な一貫性があった。
そして、そのふざけた態度のおかげで、俺は絶望の淵に叩き落とされることなく、かろうじてこの異常な状況を受け止めようとすることができているのかもしれない。
「…だとしたら、俺がしたことは、良いことも悪いことも、全部いつかどこかで、何らかの形で俺自身に返ってくるってことなのか…?」
俺は、この壮大な一人芝居の「ルール」について、核心に近づくような問いを投げかけていた。