第1話 死んじゃった?まあ、よくあることだよね!
くらり、と世界が揺れた、と思ったのが最後の記憶だった。
いや、記憶と呼べるほど鮮明なものではない。
強烈な衝撃音と、何かが砕け散る派手な音。
それから、急速に遠のいていく意識。
まるで、ボリュームを絞られたラジオみたいに。
次に気が付いた時、私は『どこか』にいた。
どこかってどこだよ、と自分にツッコミを入れたが、本当にそうとしか言いようがなかった。
上も下も、右も左も分からない。
光もなければ、闇というほど黒々としたものでもない。
ただ、何か果てしない『無』が広がっているような、そんな奇妙な感覚。
音も、匂いも、温度すら感じない。
手足の感覚もおぼろげで、自分がまだ肉体を持っているのかどうかすら怪しい。
(……なんだ、ここ。夢か?いや、夢にしては妙に意識がハッキリしてる)
混乱しながらも、必死に状況を理解しようと試みる。
確か、横断歩道を渡っていて、そこに猛スピードのトラックが……。
そこまで思い出して、背筋が凍るような感覚――いや、もはや背筋があるのかも分からないが――に襲われた。
まさか、俺は……。
「やっほー!」
唐突に、やけに軽快な声が響いた。
鼓膜を震わせたわけではない。
もっと直接的に、脳内に、あるいは魂に直接語り掛けてくるような、そんな声。
男の声か女の声か、若いのか老いているのか、それすら判別できない、不思議な響きを持っていた。
ただ、その能天気なイントネーションだけがやけに耳(?)に残る。
「……あれ、聞こえてる?君、そう、そこの君ね。うん、残念ながら死んじゃったんだ、これが。いやー、お疲れさん!」
声は、まるで長年の友人にでも話しかけるような、妙に馴れ馴れしい口調だった。
(……は?)
理解が追いつかない。死んだ?俺が?
目の前が真っ暗になる、という表現があるが、既にここは光のない世界だ。
感情の行き場がない。
「……誰だ?ここは……どこなんだ?私は……死んだのか!?」
絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。
いや、実際に声帯を震わせた感覚はない。
念話か何かだろうか。
「お、ちゃんと聞こえてたみたいで何より!うんうん、君の言う通り。ご名答!ここはまあ、いわゆる『あの世』ってやつ?で、君はさっきお亡くなりになりましたー。ちーん!」
声は、悪びれる様子もなく、むしろ少し楽しんでいるかのように言葉を続ける。
最後の「ちーん!」は、ふざけて効果音でも口にしているかのようだ。
ふつふつと、腹の底から怒りがこみ上げてくるのを感じた。
いや、腹の底があるのかも定かではないが、この感情は本物だ。
「ふざけるな!人が死んだってのに、なんだその態度は!大体、お前は誰なんだよ!」
「えー、ふざけてるって言われましてもねぇ、事実だし。死は誰にでも訪れる、いわば自然の摂理?メガヒット中のベストセラーみたいなもんよ。みんな読んでる、みたいな。あ、俺?俺はねぇ……神様、って言ったら信じる?ま、どっちでもいいけどさ。君ら人間がそう呼びたがるから、一応そう名乗っとく?みたいな?」
神様。
その言葉に、一瞬、思考が停止する。
姿は見えない。
相変わらず、声だけがどこからともなく響いてくる。
しかし、その声の主が「いる」という気配だけは、なぜか強く感じられた。
ぼんやりとした、掴みどころのない煙のようなものが、この何もない空間に漂っているような、そんな曖昧な存在感。
「とりあえずさ、次の準備しなきゃだから、ちょっと話聞いてもらえる?君、意外と時間ないんだよねぇ」
「次の……準備?」
神を名乗るふざけた声の主の言葉に、俺は思わず聞き返していた。
その軽薄な口調とは裏腹に、何かとんでもないことに巻き込まれようとしている予感だけが、この奇妙な空間で唯一確かなものとして感じられた。
「そそ、次の準備!君さ、さっき死んだばっかじゃん?だから、まあ、いわゆるネクストステージに進むためのアレコレが必要なわけよ。新しい人生のキャラクターメイキング、みたいなもん?わくわくするっしょ?」
神(仮)は、どこまでも軽いノリで続ける。
キャラクターメイキング、だと?まるでゲームの話でもしているかのようだ。
「新しい…人生…?」
俺は呆然と繰り返す。
死んだら終わり。
それが俺の知る常識だった。
幽霊になるとか、天国か地獄に行くとか、そういう漠然としたイメージはあったが、「新しい人生」などという具体的なプランは聞いたことがない。
ましてや、こんなチャラチャラした声の主に案内されるなんて。
「そうそう、ニューライフ!君、結構ラッキーだよ。今回はわりと早く次のチケット手に入ったみたいだし。人気アトラクションのファストパスみたいな?」
何がラッキーだ。
俺は死んだんだぞ。
家族や友人とも、やり残した仕事とも、お気に入りのラーメン屋とも永遠に別れることになったんだ。
その現実を、目の前の(見えないが)ふざけた存在は全く理解していないように見えた。
「…ふざけるのも大概にしろ」
俺は低い声で言った。
「俺は死んだんだ。次の人生なんてあるわけないだろう。これは質の悪い夢か何かだ。そうだ、きっとそうだ」
自分に言い聞かせるように呟く。
そうでも考えなければ、この状況はあまりにも非現実的すぎる。
「うーん、夢だったらよかったんだけどねぇ。残念、これはガチなやつ。ほら、つねってみる?あ、肉体ないから無理か。てへぺろ」
神(仮)は、本当に反省の色も、同情の色も見せない。
むしろ、俺の反応を楽しんでいる節すらある。
そのぼんやりとした気配が、楽しげに揺れているようにさえ感じられた。
この何もない空間は、俺の混乱を映すかのように不安定に揺らめいていたが、神(仮)のあまりにもあっけらかんとした態度に、なぜかほんの少しだけ、その揺らぎが収まったような気がした。
諦め、というやつかもしれない。
このふざけた神(仮)のペースに、少しずつ毒されているのだろうか。
「…仮に、仮にだぞ。お前の言う通りだとして、その『次の準備』とやらは、一体何をするんだ。時間がないって言ってたが、急かされるのも気に食わん」
俺は、いくらか冷静さを取り戻そうと努めながら尋ねた。
この状況で最もマシな選択は、情報を得ることだ。
たとえ、その情報源が信用ならないふざけた神(仮)だとしても。
「お、やっと話聞く気になった?よきよき!えーっとね、まずは君がこれからどんな経験を積んでいくか、みたいな大きな方向性を決め…いや、それはもう大体決まってるからいいや。じゃなくて、君自身について、もう少し深く知ってもらう必要があるかなって」
神(仮)は、何かを言いかけて、途中で言葉を変えた。
その一瞬、ほんの一瞬だけ、その軽薄な声の奥に何か別の響きが混じったような気がしたが、すぐにいつもの調子に戻る。
「自分自身について、だって?俺は自分のことくらい分かってるつもりだが」
「んー、それがねぇ、意外と分かってないもんなんだよ、人間って。君が思ってる以上に、君はもっと広くて、もっと深くて、もっと…とんでもない存在なんだよねぇ」
神(仮)は、少しだけ勿体ぶったように言った。
その言葉に、俺は眉をひそめる。
「とんでもない存在…?何が言いたいんだ?」
「まあまあ、焦んないで。これからじっくり説明してあげるからさ。君の、そしてこの世界の、とーっても面白い秘密についてね。とりあえず、座って座って。あ、椅子ないけど。心の椅子にでも座ったつもりで、リラックスして聞いてってよ」
神(仮)は、どこまでもマイペースだった。
俺は、もはや怒る気力も失せ、このふざけた神(仮)の言葉に耳を傾けるしかないのだと、半ば諦めに似た気持ちで覚悟を決めた。
この奇妙な出会いが、俺をどこへ連れて行こうとしているのか、今はまだ知る由もなかった。