初めての癒し
第八章:負傷者たちのもとへ
男の言葉を受け、私は彼に連れられて建物の奥へと進んだ。
床は古びた木材でできており、時折ギシギシと軋む音が響く。壁にはいくつもの蝋燭が灯され、ぼんやりとした光が室内を照らしていた。空気には薬草の香りが漂っていて、かすかに血の匂いも混じっている。
「ここは……?」
「この町の診療所だ」
男は短く答え、扉を押し開けた。
部屋の中には、簡素なベッドが並び、そこに横たわる人々がいた。包帯を巻かれた者、顔色の悪い者、呻き声を漏らす者……。
「最近、町の近くで魔物の襲撃があった。負傷者の多くは戦士や住民だが、十分な治療が行き届いていない。薬も限られていてな」
男は淡々と説明しながら、ベッドの一つに近づいた。
そこには、一人の青年が横たわっていた。腕と腹部に深い傷を負い、額には汗が滲んでいる。目を閉じたまま、苦しそうに息をしていた。
「この者は、魔物の爪にやられた。傷は深く、薬だけでは回復が追いつかない。……お前の癒しの力とやらで、この者を助けてみろ」
私はごくりと唾を飲み込んだ。
——本当に、私の力でこの人を助けられるの?
これまで、私はモコの傷を癒しただけ。人間に対して、どれほどの効果があるのかはわからない。
でも、やるしかない。
私は青年のそばにしゃがみこみ、静かに手をかざした。
「……どうか、この人の苦しみが和らぎますように……」
祈るような気持ちで、そっと手を伸ばした。
すると、私の指先からほのかな光が生まれた。
淡いピンク色の光が、ふわりと青年の体を包み込む。
——あたたかい。
自分の手から放たれる光を感じながら、私はそっと青年の傷口に触れた。
光は、まるで春のそよ風のようにやさしく、ゆっくりと青年の体へと染み込んでいく。
「……っ」
青年の眉がわずかに動き、苦しげな表情が和らいだ。
包帯の隙間から覗く傷が、少しずつ薄くなっていく。深い傷だったはずなのに、傷口の赤みが消え、皮膚が元の状態へと戻ろうとしている。
「……すごい……」
私は自分の手を見つめた。
たしかに、これは魔法でも薬でもない。けれど、私の想いが、癒しの力となって届いたのだ。
青年の呼吸が落ち着き、彼はゆっくりと目を開けた。
「……あ……?」
かすれた声が、弱々しくもはっきりと響いた。
「痛みが……消えた……?」
私は、安心したように微笑んだ。
「よかった……!」
すると、横で見ていた男が目を見開いた。
「本当に……傷が癒えたのか……?」
彼は、信じられないという表情で青年の傷口を確認した。
そこには、すでに傷の跡すら残っていなかった。
「おい……どういうことだ……? こんなことが……」
驚愕と困惑が混じった声。
部屋にいた他の負傷者たちも、私をじっと見つめていた。
「……私の癒しの力、信じてもらえましたか?」
私は男に向かってそう尋ねた。
彼はしばらく沈黙した後、ゆっくりと頷いた。
「……ああ。お前の力、本物だったんだな……」
そう呟くと、彼は疲れたように息を吐いた。
「この町で、お前の力を役立ててくれるなら……しばらくここにいてもいい」
「本当ですか?」
「もちろん、警戒は解かないがな。だが……」
男はチラリと青年を見やる。
「……この町には、お前の力が必要だ」
私は、その言葉を噛みしめた。
たしかに、私は異世界に来てまだ何もわからない。
けれど、目の前で苦しんでいる人がいて、私の力で助けることができるのなら——
私は、この世界でやるべきことを見つけられるかもしれない。
モコが私の腕の中で小さく鳴いた。まるで、「がんばれ」と応援してくれているように。
私は、しっかりと頷いた。
「……私にできることがあるなら、やらせてください」
そうして、私はこの町に留まり、人々を癒していくことになった。